特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『万物流転』と『孤高の精肉士(笑)のサーロイン』

 やっと夏休み。僅か1週間ですが、1年で一番楽しい時期です。
 お休みは楽しいけれど、働いている時の気疲れもどっと出てきます。仕事というより、周囲に人間がいるだけで気疲れする。我ながら社会生活不適応者です(笑)。
 こういう社会不適応↓よりはマシですが。

 平和な社会に生まれ、健康で働けることには感謝しなければいけませんが、たった1週間くらいの休みで『命拾い』とか思ってしまうのですから、我ながら惨めと言えば惨めな人生です。


 でも、これからの日本の将来はどう考えても暗そうですから、10年、20年後は『あの頃の日本はまだ良かった』と思うかもしれません。

 9日のBS-TBS報道1930』は勉強になりました。曰く、日本では『核抑止』と『核廃絶』が二者択一になっているから、先日の広島市長のような『核抑止は破綻している』なんて意味不明な発言が出てくる。
 頭の悪い輩ほど二項対立、善悪二元論の『水戸黄門史観』(笑)に陥っているのは、右も左も共通しています。そんな極論ではなく、『核抑止』と『核廃絶』の両立を目指さなければいけないと思う。

 国防学の世界では、2035年問題というのがあるそうです。その頃には中国の核弾頭が激増して冷戦期なみの緊張関係になる。日本のように中国、ロシア、北朝鮮、3か国の核武装国に対峙しなくてはならない国は世界のどこにもありません。軍事面では世界最悪の環境です。

 我々は現実的になって、環境変化に応じた必要最低限の軍備を固めつつ、とにかく世界中の国と仲良くするしかない。世界に貢献して存在価値を高めておくしか活路はない。

 シネイド・オコナーに続いて、ロビー・ロバートソンまで亡くなっちゃったのに、

 こういう最悪な耄碌ジジイが何でまだ、のさばっているんだ。

 そのころまでに日本人がもう少し理性的になっていることをお祈りするしかありません。


 さて、近所に建築家の村野藤吾が作った家があったのを思い出して、散歩がてら見に行ってみました。

 ご存知のように村野はモダニズム建築家として名を馳せ、ホテルオークラ日生劇場、京都や大阪の都ホテルなどを作り、明治期に作られた赤坂迎賓館の改修も担当した超有名建築家です。文化勲章受章者。
 思想的には戦前はファシズムに傾倒していたという説もありますが、真偽は知りません(笑)。村野の作品を見ると、並べ称される丹下健三の作品なんかより権威主義的ではない、とは思います。


webdesignmagazine.net

 日生劇場ホテルオークラや京都の都ホテル、それにちょうどボクが夏休みに出かける志摩観光ホテルなど村野の作品は、近代的な中にも日本的な空気を感じさせるものがあります。

 村野だけでなく、同時代の作曲家 武満徹の『ノヴェンバー・ステップス』(67年)が典型ですが、西洋流のモダニズムに日本的な要素を融合させて新たな個性を生み出そうという試み、つまり『借り物ではない戦後』を作り出そうという試みは戦後のある時期まで、左右を問わず知識人の間では間違いなく存在していました。
 それこそ宮崎駿高畑勲なんか、その世代の残り香を嗅ぎつつ作品を作ってきたのでしょう。

 余談ですが知識人の間でそういう試みが失われていったのは70年代安保が境でしょうか?恐らく日本の劣化もその頃から始まったんでしょう。鯛は頭から腐るとは、よく言ったものです。

●志摩観光ホテル

建築家 村野藤吾


 素人評論はいい加減にして(笑)、ボクが子供の時に可愛がってくれていた人が村野藤吾と懇意で、自宅として村野に設計してもらった家が近所にあります。中を見せてもらったことがありますが、いかにも村野らしい、大きな中庭がある平屋造りで窓が大きいのが印象的でした。

 しかしながら住み心地は問題がありました。村野の設計の特徴である中庭にやたらとでかいガラス窓が配されていて、採光は素晴らしい。しかし当時のことだからガラスは薄いし、アルミサッシでもないから、冬は滅茶苦茶に寒い。でも窓も村野の意匠だから手を入れることができない(笑)。住人にしてみればたまらないですよ(笑)。

 その人は随分前に亡くなって、相続で家も人手に渡ってしまいました。だけど、家そのものは文化財だから残っているだろう、と思ってました。
 ところが引っ越しで家が近くなったのを機に見に行ったら、こうなっていた↓。2,3年前まで建物は残っていたんですが。

 在りし日の旧居のイメージはこんな感じでした。これは村野が作った京都の都ホテル↓。
 このスケールをもっと小さくして(笑)、中庭には白砂でなく、芝生を配した家です。

Q.村野藤吾設計の京都「佳水園」、中村拓志氏は客室をどう改修した? | 日経クロステック(xTECH)

 一軒家と言っても、ちょっとしたマンションが建てられそうな広さの敷地ですから、更地にして売られてしまったのでしょう。どんな豪邸でも永遠に残るものはない。どんなお金持ちでも永遠に続く栄華はない。死んでしまえば、皆同じ(笑)。

 60年くらい前の木造建築だから仕方ないと言えば仕方ないのかもしれませんが、日本は文化財を大事にしない国だな、とつくづく思いました。民度が低いってことです。

 少し前 女優の鈴木京香が私費で渋谷にある有名建築家の家を購入して保存したというニュースがありましたけど、

www.nhk.jp

 それより遥かに著名な建築家の作品でもこういう憂き目を見る。こういうことはそこいら中で起きているのでしょう。

 最近は渋谷や新宿も再開発が始まり、東急本店や小田急デパートなど子供の時にあった光景がどんどん消えています。万物流転、知っていた世界がどんどん変わっていく。世の中の習いではありますが、複雑な気持ちがします。

 その日は村野藤吾の家の代わりに道路を直ぐ隔てたところにあるタモリの豪邸を外から見物して、帰りました(笑)。こちらはまだまだ大丈夫そうです(笑)。

 


 また、近所のイタリアンへ行ってきました。

 最初はスパークリング。モンブランの麓で作ったものだそうです。いつも思うのですが、店で飲む泡は家で飲むより遥かに美味しく感じるのは不思議です。
 この日は暑いせいか、直ぐ飲んでしまいました。お酒に弱いボクは泡一杯で酔っぱらってしまいます。


 最初は『もくじ』。いつも通り今日使われる食材を調理法を変えて出したもの。右回りで生のアスパラ、牛の小腸、銚子のイワシ、佐島のタコのフリット、牛の湯引き。

 最初の白ワインは北イタリアのマスカットで作ったもの。甘くないし、香りがあって美味しかったけど、味は直ぐ飽きた(笑)。

 北海道のアスパラと太刀魚のロースト。下にはオランデーズソース。

 ここで次のワイン。シャルドネのマグナムボトル。種や皮も一緒に醸造してオレンジワインのように仕立てたもの。これは珍しい。ラッキーでした。邪道かもしれないけど、もちろん美味しかった。ただ、この辺りでボクはアルコール摂取量の限界が来た(笑)。

 牛の小腸を網焼きにしてトマトで和えたもの。小腸なんか滅多に食べないし食べたいとも思わないですが、今回はメインの肉を入手困難な熟成肉の名人から仕入れたそうで『(名人の)小腸もあまりにも美味しかったので、●●さん(ボク)に出したかった』とシェフが言って出してきたので断る訳に行きません(笑)。もちろん我々のテーブルだけです。全く臭みもなく美味しかったです。

 冷たいパスタ、フェデリーニ。透明なトマトソースを絡めたパスタの上に銚子のイワシの炭火焼を載せたもの。店の人は’’イワシの方が鰻よりよっぽど美味しい’’と言ってましたが、同感です。

 暖かいパスタ、トロフィエ。セロリの葉をジェノベーゼみたいに仕上げたソースと佐島のタコ。温かいセロリのソースの濃さが秀逸でした。

 カラブリアピノ・ネロ。大仰なワインより、これくらいの方がボクには美味しいです。南伊のものはブドウの力が前面に出てくるのも好き。

 今日のメインはサーロインのロースト。ボクは和牛の霜降り肉は脂っこいので食べたくありません。普段はサーロインなんか絶対に食べないし、この店にも『出すんじゃねー』(笑)とお願いしてあります。それを敢えて出してきた。

 その理由は先ほど書いた、数年前NHKの番組で『孤高の精肉士』と紹介された熟成肉の名人の肉だからです。数が限られているので、中々手に入らない。また新規に店が取引したくても、向こうが試験をしてくるらしい(笑)。

www.nhk.or.jp

 名人は肉個体のコンディションだけでなく、シェフに合わせて熟成の具合を変えてくるそうです。2年前にこの店で名人の赤身肉を食べたけど、美味しかった。普通 熟成肉はナッツのような香りがあるものですが、この人の肉はそういうのは無くて、肉の味だけがドカンと来る(笑)。

 今回のサーロインは『あか牛』というせいもあって霜降りは殆どありません(笑)。ただサーロイン特有の柔らかさと赤身の肉の味が共存している。これは美味しい。
 周囲の野菜は生や炭焼き、茹で、と色々変えています。肉の『焼き』だけでも気を遣うはずですが、この店のシェフは何でも凝りたがる(笑)。

 デザートはヨーグルトのムースの下にココナッツのアイス、スイカサンブーカ酒漬け。

 今年の夏のイタリアンはこんな感じでした。こうやって季節が過ぎていきます。