特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

映画『シモーヌ フランスに最も愛された政治家』

 お盆休みは台風が直撃となりました。幸い、ボク自身はあまり大きな影響はなさそうですが、不穏な雰囲気でなんとなく落ち着きません。

 今年はNHK終戦特集は少ないし放送時間も遅い時間帯のモノが多く、片隅に追いやられていた気がします。その一方 金曜日のBS-TBS報道1930』は大変充実していました。

 歴史家の保阪正康氏がこんなことを言っていました。
 『江戸期までは日本でも兵学という形で戦争の本質を考える人材は居たが、明治維新以降は戦前も戦後も、軍事や経済、外交、政治も含めた戦争の本質に目を向けてこなかった。その結果が戦前は無謀な戦争を引き起こし、戦後は戦争からひたすら目を背けて『何か紛争があっても戦争反対を唱えるだけで、平和を守るために何もできない傍観者』になってしまった。

 ボクも含めて、ですが、日本人は自国が戦争を引き起こすことばかり考えて、他国から攻めて来られることはあまり考えて来なかったと思います。自国がかって受けた戦災の惨禍は語られてきたけれど、今度戦争になったらどんな惨禍が引き起こされるか、その辺のリアリティは右も左も政治家も持っていない。だから海岸線に原発を並べたり、都市にはシェルター一つ無いわけです(笑)。

 現実より、耳に心地よいことばかりに目を向けている。無能な政治家なり、アメリカなり、誰かのせいにしているのが一番楽です。だから外交も経済も含めた総合的な安全保障はあまり語られない。

 保坂氏が番組の中で言っていた『日本人は、軍事を語るだけで軍国主義者とレッテル張りをして何も考えてこなかった戦後のツケは長い歴史の中では必ず回ってくる。平和を守るためにはもっと戦争論を語るべきだし、特に8月は死者の声に耳を傾け、戦争を直視する必要があるのではないか』 という言葉は重いです。


 と、いうことで、戦争体験者であり、偉大な政治家の話です。新宿で映画『シモーヌ フランスに最も愛された政治家

 舞台は1974年、パリ。保健大臣のシモーヌ・ヴェイユ(エルザ・ジルベルスタイン)は、レイプによる望まぬ妊娠の実態や違法な中絶手術の危険性などを訴え、人工妊娠中絶の合法化を目指していた。様々な誹謗中傷も含めた反対に見舞われるが、ヴェイユは不屈の闘志で中絶法を成立させる。その後 彼女は1979年には初代 欧州議会議長となって「女性の権利委員会」を設置する。以降も移民、エイズ患者、囚人などの人権のために戦う彼女の闘志はかって収容されていたアウシュビッツでの体験で培われたものだった。

simonemoviejp.com

 オリヴィエ・ダアン監督が、望まぬ妊娠に苦しむ女性のために人工妊娠中絶を合法化させたフランスの政治家シモーヌ・ヴェイユの生涯を描いたもの。フランスでは大ヒットし、2022年の年間興収第1位になった作品。
 フランスでは尊敬される人物のベスト5に入るような人物だそうですが、無知なボクは彼女のことは良く知りませんでした。だから映画は興味津々。


 映画は74年、ヴェイユが中絶の合法化を図るため、議会で苦闘するところから始まります。学生運動が盛んだった60年代を経たとはいえ、当時のフランスはまだまだ保守的です。議会も中絶合法化に好意的な左翼だけでは多数派を占められない。どうしても保守派の票が必要です。

 司法省の役人から保健相に抜擢されたヴェイユの元には議場でも議場外でも保守派からの非難が殺到します。殺人者扱いされる彼女には身の危険さえ生じます。昔も今もバカウヨはバカです。

 しかし彼女は動じない。議会で『中絶を望む女性なんかいない。闇堕胎や海外へ行かないと中絶できないフランスの女性を救うためにはこの法律が必要なだけだ』と演説、まさに正論です。保守派からの賛成者を得て、フランスでは中絶が合法化されました。

 その後 映画では、彼女がどんな生涯を送ってきたか、が描かれます。

 彼女は南仏の裕福なユダヤ人家庭に生まれました。父親は愛国者ユダヤ人であっても、自由と平等の価値を奉ずるフランスの社会は守ってくれると信じていました。
 ところがWW2でパリが陥落、南仏に対独協力のヴィシー政権が誕生します。ヴィシー政権ユダヤ人狩りを始める。少なからずのフランス人も自らそれに協力する。彼女達のフランスへの信頼はあっさり裏切られます。

 それが彼女の原点になります。
 終戦直前にヴェイユは家族ごとアウシュビッツに送られますが、辛くも生き残り、戦後 エリート校である政治学院に入学して、同窓生と結婚します。

 当初は専業主婦にならざるを得なかったのですが、やがて夫を強引に説き伏せた彼女は司法省に入省、自らキャリアを切り開いていったことなどが順不同で語られます。

 まずはヴェイユに関する知識を得たい、と思っていたボクは若干ついていくのに苦労しましたが、映画としては中々面白かった。

 それは思ってもみなかったことが沢山描かれていたからです。
 アウシュビッツからの生還者はフランス社会の中では『ナチに媚びを売ったから帰ってこられたのではないか』と偏見を持って見られたそうです。ビックリです。
 また同じユダヤ人の中でも住んでいた地域によって意識の差がずいぶんあったそうです。占領下のユダヤ人とスイスなどに逃れた人の意識は全然違う。
 
 戦後10年以上経ってもユダヤ人たちはドイツ語を聞くだけで精神状態に異常をきたすほどのショックを受けたことや女性が働くなんてとんでもないという当時の社会風潮も(法的には禁止されていないのに)、知識としては知っていても実際に映像で見るのとは大違いでした。


 
 後半の展開で中心となるのはEUの誕生と彼女のアウシュビッツでの体験です。
 誕生したばかりのEUで、ヴェイユは初めて自ら立候補して、EU議会の初代議長に選ばれます。右翼の執拗な攻撃を受けながらの選挙戦でした。EUで彼女は欧州の平和を推進していくだけでなく、女性の権利向上を進めていきます。

 それと対比するように描かれるのが彼女のアウシュビッツでの体験。アウシュビッツを描いた映画も様々ありますが、これも観点を変えた、凄まじい話でした。
 アンネ・フランクのように隠し部屋で暮らしていたヴェイユ一家は、南仏からすし詰めの貨車に乗せられてポーランドへ運ばれていきます。水も食料も空間も不足する中 途中で亡くなる人が出ると駅で死体を放り捨てながら汽車は進む。

 収容所に入ってからも地獄です。たどり着くとまず、子供が殺されます。労働の役に立たないからです。残った女性たちは裸にされ、髪の毛を切られ、私物を没収される。それをやらせるのはナチではなく、フランス人やユダヤ人の見張り役です。
 極寒と食料不足の中での重労働でやせ細っていく収容者たち。労働できなくなったら直ぐ射殺。彼女は父と母を失います。

 地獄の中でナチの手先として働くフランス人やユダヤ人がいる一方、ユダヤ人の味方をする監視人の姿も描かれる。視点が多面的です。
 直接的な暴力描写は注意深く避けられていますが、悲惨さは充分に伝わってきます。返す返すも酷い話です。
 こういう映画が年間興収NO1になるのですからフランスの民度も大したものです。

 文字通りの地獄から紙一重の差で生還したヴェイユアウシュビッツの寝棚を思い起こすのでベッドで眠ることができないなど、戦後も長くトラウマに苦しめられます。そこから彼女はどうやって生きてこれたのか。

 『私はEUの誕生で初めて20世紀と和解できた

 晩年の彼女のこの言葉が全てを物語っています。

 お話とは関係ありませんが、知性と気品、そして意思の強さを体現する彼女の姿にはシャネルの服が似合っています。生涯が凄まじかったからこそ、映画の中の晩年の穏やかな境地の描写はほっとするシーンでした。
 実際 ヴェイユは晩年に次男を失い、彼女は『私の人生は恐怖に始まり、絶望に終わる』と述懐したそうですが。


 この映画は2017年に亡くなったヴェイユの生涯を描きつつも、現在進行形の映画です。
 ヴェイユは政治的には保守・中道寄りでしたが、女性の権利を脅かしたり移民への差別や排斥を訴える右翼には徹底的に反対しました。この映画のもう一つのテーマは国民戦線など右翼の歴史修正主義者の危険性を訴えることでもあります。

 EUに代表される人類の英知と寛容を、ポピュリズムが弱い者の不満をあおることで脅かしている。それが現在の最大の危機です。その深刻さは核の脅威以上かもしれません。

 フランスで言えば極右のルペンや極左のメランション、アメリカで言えばトランプが最たる例です。自民党のバカウヨだけでなく、維新やれいわ、参政党のようなポピュリズムが続々と台頭する日本も例外ではありません
 とても力強い映画です。シモーヌ・ヴェイユの偉大さだけでなく、映画としての筆致も雄渾な作品でした。


www.youtube.com