特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『ムーンライダーズ LIVE 2022』と映画『デリシュ』

 先週土曜のTBS『報道特集』、『岸・安倍3代と旧統一教会』というのは面白いトピックでした。
 特に安倍晋太郎との関係。単に信介の後を継いだからと思っていたのですが、晋太郎は選挙に1回落選してから自ら統一教会との関係を強めていった。清和会の数を増やすことにも懸命になった。
 その様子を見ていた晋太郎の妻、洋子は息子の晋三に『あまり統一教会と関係を持つな』と言っていたそうです。

 この日はレギュラーとして金平キャスター最後の出演でした。
 金平氏が『これからもより長く、より深く取材を続けていく』と挨拶したあと(筑紫哲也氏の遺品のクリップボードを使い続けているそうです)、膳場氏が『志を変えずに番組を続けていく』と言っていました。一安心と言えば一安心ですが、ここまで言うのはやはり、上層部から何らかの圧力はあったのだろう、とは思いました。

 企業だろうが役所だろうが、共産党だろうが統一教会だろうが(笑)、どんな組織でも組織の論理があります。現場には何らかの圧力はあるものです。
 そこで如何に個人が良心を発揮するかが、その人の存在価値です。TBSの執行役員にまでなった金平氏はさぞ社内の風当たりが強い筈です。自分だけでなく部下や後輩もいるから、単純に上層部と喧嘩すればよいと言うわけではない。それでも彼が志を失わず仕事をし続けているのには、同じようにサラリーマンであるボクも勇気づけられます。
 
●バッタモンの国葬の方が高いなんて、これも酷い話です。


 さて、土曜日は台風の大雨と雷の中、ムーンライダーズのコンサートへ行ってきました。

 今回は3月の45周年記念コンサートに続いて、同月に発売された11年ぶりの新譜(笑)「It's the moooonriders」の発売記念ライブです。

●この日のティーザー
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 CDが3月に発売されたのにライブが9月になったのはギターの白井良明氏が入院していたからです。キーボードの岡田徹氏は現在入院中でこの日はお休み。なんと言っても平均年齢が70歳近い日本最古のロックバンドですから、いつまでステージが見られるか判りません。

 昔は何年も活動しないことがあるのは普通だった彼らが近年活発に活動しているのは、自分たちに残された時間を意識しているに違いありません。この1,2年は年に何回もステージをやってますが、数年おきにしかやらなかった過去のことを思えば全く信じられない。ボクも見られるうちは全部見よう、と思っています。

●彼らの写真が使われているタワーレコードのポスター『老齢ロックの夜明け』(笑)

 当然のことながら、演奏は新譜が中心です。このCDは音作りなど異常に力が入った力作でしたが、圧倒的な名曲がなかったのが残念でした。しかし、実際に演奏を聴くと、『こんなに良い曲だったんだ』と思えるようなものばかりで改めて感心しました。

 2重、3重にひねくれた曲調と演奏はいつものライダーズです。普通 発売記念というとCDに忠実に演奏するものですが、既に編成自体がブラスを入れてCDとは変わっているし、アレンジも変えてくる(笑)。それが新鮮です。過去の名曲は幾らでもあるのですが、新譜中心でもまったくダレない。

 今回の新譜では『初めて政治という言葉を使った』(リーダーの鈴木慶一氏)。今までは『ずっと政治的なワードを使わずに政治を歌ってきた』バンドでしたから、驚きでした。この人たちの目から見ても今の世の中には危機感があるんだ、と思いました。

 この日やった過去の曲は亡くなった橿淵哲郎氏や療養中の岡田徹氏の曲が中心。感心するのは過去の曲をやっても、テンポを落としたりしないこと。ライダーズは日本で最初にシンセサイザーやコンピューターを演奏に使ったバンドの一つですが、今はバイオリンやギターによる人力で、機械が演奏していたフレーズを同じスピードで弾いている。
 最近はステージでコンピューターを使わないバンドなんか殆どないと思いますが、今のライダーズは逆に全く使わない。結成45周年を経ても現在進行形のバンドです。

 この日のセットリストは以下の通り。最近はネットに上げてくれる人が居るから助かります。

 休みなし、2時間20分あまりのステージは

 と歌われる『私は愚民』で終わりました。が、ステージの緞帳が降り、照明がついて、客が会場を出て行き始めても、緞帳の裏で彼らはインプロヴィゼーションの演奏を続けていました。いかにも彼ららしい捻くれようです。さすが(笑)。

 緞帳の裏の『火の用心』のポスターが可笑しい。

 中央の女性はCDにも参加していた歌手のDAOKO(全然知りませんでしたが、18年の紅白に出たそうです)。ライダースの面々との足の長さの違いに愕然とした(笑)。彼女は『父親がライダースの曲を聴いていた』と言っていました(笑)。

 日本最古のロックバンド(笑)にも拘わらず、ムーンライダーズは新しいことをやり続けている。いつも発見があります。これもまた、歳の取り方のお手本です。
 また12月にもステージがあるそうで、ぜひ行きたいです。

●帰り道の駒沢公園。台風が通り過ぎたばかりで、誰も人が居なくて美しかった。


 と、いうことで、有楽町で映画『デリシュ

舞台はフランス革命前夜のフランス。公爵の料理人を務めるマンスロン(グレゴリー・ガドゥボワ)は、公爵(バンジャマン・ラヴェルネ)主催の食事会で、当時の貴族はあまり口にしなかったジャガイモとトリュフを使った創作料理を出したことで不興を買い、解雇されてしまう。息子(ロレンツォ・ルフェーブル)を連れて実家へ戻ったマンスロンのもとに、謎の女性、ルイーズ(イザベル・カレ)という人物が料理を学びたいとやってくるが。
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 舞台はフランス革命前夜の1789年。貴族たちはお抱えの料理人が作った美食を楽しむ一方、多くの庶民は食うや食わずの時代でした。
●公爵の料理人、マンスロン(左)

 
 当時は新しい調理法などもっての外。古くから伝わる決まった料理を出すだけだったそうです。公爵の料理人だったマンスロンはそれに飽き足らず、貴族たちの宴会にジャガイモとトリュフを使った創作料理を紛れ込ませます。

●公爵(右)と聖職者

 美味しいと喜ぶ貴族たちに呼ばれたマンスロンが『ジャガイモと黒トリュフ』を使ったと説明をすると、貴族たちは激怒、マンスロンは解雇されてしまいます。
●これがその料理。『デリシュ』

 当時は鳥や木の上になる果物など、土からなるべく離れたところにある材料が高級とされていて、土の中に出来るものは高貴な貴族が食べるようなものではない、とされていたそうです(笑)。現代はトリュフが超高級食材になっているなんて、当時の人には考えられないでしょう。
 

 マンスロンは憤りと落胆を胸にしながら、故郷の村へ帰ります。そこに謎の女性、ルイーズが『料理を教えてくれ、弟子にしてくれ』と押しかけてきます。頑として断ったマンスロンでしたが文字通り、梃子でも動かないルイーズの強引さに負け、マンスロンは料理を教えることを承諾します。
●ルイーズ(左)とマンスロン

 当時は旅程の途中 馬の水や飼葉の世話をする中継所で人間向けにスープを出すような場所はあったけれど、外食を楽しむという習慣はありませんでした。庶民も貴族も同じ場所で食事をするレストランと言う概念もない。中継所を営むマンスロンの実家もスープしか出していませんでしたが、ルイーズに鼓舞されたマンスロンは紆余曲折の末、そこで料理を出すことにします。

 その評判は公爵の耳にも入ります。マンスロンがいなくなったあと、美食に飢えていた公爵はマンスロンの始めた店『デリシュ』を訪れることにします。しかし何やらルイーズにはたくらみがありそうでした。

 この映画、画面が美しい。室内の光と影、画面の構図、料理、事物も光も影も非常に美しく配置されています。印象派の絵画を見ているようです。

 お話も良く、練られている。痛快な最後のオチも含めて、誰が見ても楽しめる物語になっています。
 公爵は『料理は芸術であり、それを理解するには知性がなくてはならない。庶民には料理の味なんか判らない。』と主張します。芸術全般に当てはまる話ですが、ある意味正しい。
 だがジャガイモや黒トリュフは下劣、なんて言ってるような貴族たちの偏見もおかしい。貴族たちの狭いサークルの中で芸術がとどまっていては進化はない。

 料理人の使命は食べた人を幸せにすること。身分にかかわらず色々な人が一つの場所で一緒に料理を味わってこそ、真の美味しさが感じられるのではないか
 背景にはフランス革命があることも相まって、映画はこんな問題意識を問い続けます。


 ところどころに見られる描写、ジャガイモを食べたフランス貴族が『俺たちはドイツ人じゃねー』と激怒したり、料理を個人別に別々のお皿で出すのが当時は『ロシア風』(田舎風)だったり、相手が既婚だろうが何だろうが愛人を作り放題とか、今と全く異なる習慣、風習は面白い。

 フランスは18世紀にもなって外食の習慣がなかったというのも驚きです。水滸伝などに出てくるように中国なんか、その数百年も前から皆が飲食店で外食をしていたじゃないですか。やっぱり当時のヨーロッパの文化レベルはそんなものだった。映画は時代考証はきっちりやっているそうですが、目を丸くしました。

●公爵は愛人(既婚者)をとっかえひっかえで美食に誘っています。

 あと描かれている料理が美味しそうなこと。

 当時はオーブンなんかないけど、暖炉でパイの包み焼きなんか作っていたんですね(笑)。パンを始め、何でも完全手作り。

 

 材料のトリュフや鶏は森にとりに行けば取り放題、ワインは樽で仕入れる、というのも何と豊かなことか。

 貴族だけかもしれませんが当時の食生活はある意味、今より遥かに豊かだったかもしれない。


 『民主主義と芸術』という現代にも通じる問題意識を持ちながら、ちゃんとしたエンターテイメントに仕上がっています。評判が高いだけあって、単にグルメ映画と片付けるには勿体ない、良くできた映画でした。


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読書『22世紀の民主主義』と『肉挟馍』(ロウジャモー)

 今週2度目の3連休です。楽しい。精神的にほっとします。
 それにしても台風が過ぎたと思ったら、また台風とは。どうせ来るなら27日の東京に直撃すればいいのに。

 この連休、ヤケクソ紛れに中核派国葬反対!武道館包囲!とか言ってますけど(笑)、統一教会中核派も似たようなもんだろ(笑)。政府だけでなく、この国はホント、アホには事欠きません。

 資本主義が高度化すると同時に、組合や地域共同体などが弱体化して、政治と人々をつなぐ『回路』がどんどん薄れている。れいわ新選組や参政党、N国党などのポピュリズム、宗教団体やスピリチュアルが台頭するのはその表れでしょう。統一教会のような邪教が政治に関わりをもってしまうのも、政治家がアホだからというだけでなく、国民が政治に無関心という構造的な問題でもある。
 


 誰だってウンザリするような状況で、政治不信、民主主義そのものへの不信はどんどん強まっているかのように思えます。日本だけでなく、アメリカ然り、EU諸国ですらちょっと油断すると極右が台頭してくる。日本の民度が低いのは判ってますが、イタリアやスウェ―デンのような文明国ですら極右が政権に手がかかっているのですから、民主主義の病は深い。

 かねがねボクは『仔犬やパンダを総理大臣や国家元首』と思っています。
 仔犬やパンダは余計なことはしない。彼ら・彼女たちは食べ物や愛情、遊びを求めるだけで、権力や富を際限なく追及するなんてことなしません。自然破壊もしない。しかもルックスは可愛い💛。安倍晋三のような訳の判らないアホ連中より、仔犬やパンダの方が1億倍はマシです。

 最近『政治家は猫かゴキブリで良い』と主張する本がベストセラーになっている、と聞いて読んでみました。書名は『22世紀の民主主義』です。

 著者はMITを出てイェ―ル大の准教授をやりながらベンチャー企業などをやっている人。ボクは良く知りませんが、TVなどにも良く出ているらしい。たまたま、お盆に放送されたNHKーBS『欲望の資本主義』に出演しているのは見ました。今日 再放送されたみたいですね。 
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 本の内容を要約すると、こんな感じです。
民主主義各国は経済成長の面でも自由の面でも限界が見えてきている。対策として、『政治参加を高めたり、政治家の評価方法をエビデンスベースに変える、議席配分を年代別にする、など民主主義を昨今の情勢に合わせてリニューアルする』、『民主主義を放棄して、完全に市場競争に任す』などの手段は考えられるが、どちらも難しいだろう。
 だったら将来(22世紀)は政策決定はAIに任せ、政治家はアイドルとしての役割を果たすだけ。善玉だったら猫、悪役だったらゴキブリ、にでもやらせればよいのではないか

 良くも悪くも、敢えて刺激的な論理を持ち出し注目を集める、いかにも外資の高級コンサル的な発想ではあります。本人も本気ではないと思う。
 ただ、政治家を長期指標で評価する仕組みを取り入れるなどの発想は面白いと思いました。何よりも今みたいに国民が政治に関心を持たないなら、AIにでも政策決定を任せた方がマシ、というのは気持ちはわかります。

 同じくベストセラーになった斎藤幸平氏の『資本主義をグリーン社会主義で乗り越えよう』という『人新世の資本論』は、その社会主義を誰が、どうコントロールするのか、が根本的な欠陥です。社会主義に関して、昔から良くあるような話です(笑)。

 同じように、成田氏が言ってることは『そのAIに誰がどのような価値観を植え付けるか』という根本的な問題があります。

 例えば少し前に、マイクロソフトがAIを開発してネットに公開したら、AIがヘイトばかり学習して僅か16時間で慌てて停止させた、という事件がありました。

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 多数決にも、そこから学習する機械やAIにも価値判断はできません。価値判断こそが人間の人間たる所以です。拝金主義や自己責任だけを強調する新自由主義などでそこがおかしくなってきているからこそ、現代の諸問題が起きている。
 成田氏はセンサーなどで人間の無意識までAIに学習させればよいと言ってますが、そんなことが信頼できるのか。行きつく先はテクノ・ファシズムでしょう。

 ただ、一人一票、多数決など旧態依然とした手段に依存した選挙による民主主義を一度疑ってみよう、というのは十分考える余地があると思います。

 例えば 今のような議会だったら国会議員なんか男女比別の抽選の方が良いと思う。今の国会議員なんて家業でやっている二世三世議員か、維新やれいわのように就職先がなくて政党公募で議員になった連中ばかりなんだから、抽選の方が絶対質は高くなる
 また国の元首は天皇なんかより、仔犬かパンダの方が相応しいのは勿論です。ルックスが違う。

 この本はそういう頭の体操として読む分には良い、と思いました。日本の政党も国会議員も市民運動もあまりにも旧態依然としている。そこから脱却しない限り、日本の民主主義はますます形骸化していくばかりでしょう。


 最近 良く行く銀座の四川料理屋で『肉挟馍』(ロウジャモー)を見かけたので、味見をしてみました。
 『肉挟馍』はいわば、中国式のハンバーガー。小麦粉でできたバンズの中に漢方やスパイスで煮た肉を挟んだ、西安など陝西地方の名物料理だそうです。
 戦国時代からあるそうですが、10年以上前にボクが西安へ行った時はあまり見かけませんでした。ファストフード宜しく手軽に食べられる料理として最近 流行っているらしい。日本でも出す店が増えて来ていて、かねがね食べてみたいと思っていました。

 今回は重慶のローカルフード、甘・辛・酸のスープにサツマイモの春雨が入った『酸辣粉』とのセットです。

 肉挟馍のバンズはあまり発酵させていないのか、素朴な味がします。インド料理のチャパティみたい。現地で食べたら小麦粉の味がして、さぞ美味しいのでしょう。中の肉は良くわかんないスパイスや漢方の味にパクチーがアクセントになっています。コンフィみたいな感じ、熱々ですごく美味しい。

 酸辣粉の方も甘・辛・酸・麻辣のスープにピーナッツがアクセントになっていて、これもまた、すごく美味しい。ただ春雨の量が多すぎ。麺よりマシとはいえ春雨だって太りますから、こちらは残しました。
 惜しむらくは惜しむらくは、もっと野菜が多いと嬉しかったのですが、肉挟馍は手作り感が満載でハンバーガーなんかよりは遥かに美味しかったです。

NHK-BSドラマ『風よあらしよ』と映画『LOVE LIFE』

 楽しい楽しい3連休。久々の3連休で嬉しくてたまりません。台風が直撃している地域は大変ですが、穏やかな休日を過ごしています。ただ、関東は明朝の天気が心配です。

 今日は代々木公園に国葬反対のデモへ行こうか、と思っていたのですが、こんな密集状態↓だから行かなくて正解でした。主催の『総がかり』の爺さん連中にはやっぱり、あんまり関わりたくない。アホが染りそう。


 ニュースを見ると内閣の支持率は毎日も共同通信もフジサンケイですら、駄々下がりです(笑)。所謂『危険水域』というレベルにまで踏み込んできた。


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 この30年 日本の政治は常に政治家が下手にやる気を出してくだらないことを始めると失敗、というパターンでした。『改革』とか『維新』とか『取り戻す』とかくだらないことを始めるたびに、どんどん世相は悪くなっていく何もしない方が遥かにマシなんです。

 岸田はコロナや景気対策は何もしない癖に、原発再稼働に国葬とくだらない事を始めだした。野党の選挙準備が整っていないのに付け込んで10月に解散、なんて話も出ていますが、岸田に代わる現実的な選択肢を提示できない野党の側も問題は大きい。結果として戦前同様、民主主義がどんどん形骸化していく。
 民衆が政治に興味を失った後、出てくるのはファシスト政権ですからね。


 さて、18日の日曜日に最終回が放送されたNHKのBSで3回に渡って放送されたドラマ『風よ あらしよ』は出色だったと思います。

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 言うまでもなく、ドラマは大正時代、女性解放運動家の草分けで関東大震災の際 警察に拉致されて殺された伊藤野江の生涯を追ったものです。
 普段は時間が勿体ないのでTVドラマを見ることは少ないのですが、伊藤野江とアナキスト大杉栄が警察に拉致されたのはボクの実家の直ぐ近くだった、ということもあって、興味がありました。実際に伊藤野江と大杉が警察に拉致されたのを見た人は近所にはいないけれど、亡くなった祖父からは大震災当時の朝鮮人虐殺や不穏な世相は子供のときから聞いていました。伊藤と大杉の拉致もそのような雰囲気の中で起きた出来事に違いありません。

 最初は伊藤野江を演じる吉高由里子にやや違和感を感じました。当時の日本人女性らしい風貌ではあるのですが、伊藤野江らしい激情を感じなかったからです。
 でも素朴な田舎娘が次第に自己主張をするようになっていくところは見もので、トータルとしては凄く良かった。権力の恐怖におびえながらも毅然とした態度を見せるところも良かった。実際の伊藤野江という人は強烈で周囲にはかなり迷惑な人、と思いますが(笑)、吉高由里子流の解釈がきちんと成り立っていた。
 松下奈緒平塚らいてう役はきれいすぎて外人にしか見えない(笑)。これはどうなんだ、とは思いました。今はあまり見かけないけど、大正期の日本人って外人みたいに顔の掘りが深い人が時々いるんですけどね。

 総じて、ドラマのお話も演技も終盤に向かうにつれて、どんどん良くなっていきました。庶民の暮らしなど時代の世相が暗くなっていくところの描写はいまいちでしたが、吉高由里子の演技力で説得力を持たせた、という感じでしょうか。日本にもかって、こういう人がいたと、今の時代に訴えかけてくるものはありました。
 言うまでもなく、9月は伊藤と大杉の命日があり、来年は伊藤野江の生誕100年の記念行事も予定されているそうです。NHKはドラマは頑張っている、良くこんな題材を扱った、と思いました。


 と、いうことで、有楽町で映画『LOVE LIFE

 市役所勤めの妙子(木村文乃)は同じ市役所に勤める二郎(永山絢斗)と再婚して1年、元夫との間に生まれた息子・敬太(嶋田鉄太)と3人で表面上は穏やかに暮らしていた。ある日、思いも寄らぬ事故が起きる。突然の出来事にぼうぜんとする一家の前に、妙子の元夫で何年も失踪していたパク(砂田アトム)が現れる。⼆郎は以前付き合っていた山崎(山崎紘菜)と会っていた。
lovelife-movie.com


 第69回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門審査員賞を受賞した『淵に立つ』やフランスでは800館で上映された『よこがお』などで世界的に評価されている深田晃司監督の新作。
●悪意の籠った(笑)凄い映画でした。

 「どんなに離れていても 愛することはできる」という歌詞から始まる矢野顕子の同名曲(91年発表)をモチーフに作った今作も、ヴェネツィアトロント、釜山、ロンドンの映画祭でコンペティション部門に選ばれています。


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 もともと、深田監督の作風は故エリック・ロメール監督そっくりです。フランス芸術文化勲章「シュバリエ」を受賞するなど、彼がフランスで受けるのは良く判る。作風は穏やかな日常の中で何気ない人間の営みを描くものです。そういう作風はボクは好きだから、新作が発表されると必ず見に行く監督です。

 一方 彼は旧態依然とした日本映画界のセクハラや暴力などを告発する活動の中心にもなっている人なので、ニュースなどで名前をご覧になった方もいるかもしれません。 

 ただし最近はこの人、作風が変化してきて、この作品もある意味 人間に対する悪意に満ちているようにも取れます(笑)。しかし、正反対の希望に満ちた映画としても解釈できる。一筋縄ではいかない(笑)。


 登場するのは、一見平凡そうな三人家族です。共に市役所勤めの妻、妙子と夫の二郎、それに幼い子供。それに同じ団地の敷地内には義父母が住んでいる。家族と職場の同僚で義父の誕生日を祝おうとするところから映画は始まります。
●幸せそうな3人家族です。妙子(木村文乃)、二郎(永山絢斗)、敬太(嶋田鉄太)

●二郎の同僚たち。妙子が敢えて目を合わせていない女性に注目(笑)。

 ところが徐々に一家のほころびが見えてくる。義父母は息子が前夫との子供を連れた妙子と結婚することには猛反対でした。妙子との間にはまだ、わだかまりが残っています。 
●義父母。あの『野火』の田口トモロヲが父親役なのは笑います。凄い俳優だと思う。

 集まった同僚たちの中には二郎の元カノ、山崎(山崎紘菜)もいる。実は二郎は彼女と結婚寸前でした。親にも紹介済みだった彼女を捨て、二郎は妙子に『乗り換えた』のです。

 そんな中で思わぬ事故が起きる。風呂場で足を滑らせて頭を打った敬太が風呂で溺死してしまう。大人たちは義父の誕生祝いをやっていて気が付かなかった。自らを責めながら、悲しみに暮れる妙子と二郎たち。

 しかも葬式に敬太の実の父親である妙子の前夫、パクが現れます。ろう者であるパクは敬太が生まれてから直ぐ、母子を捨てて失踪、ホームレスになっていました。

●パクを演じる砂田アトムは実際もろう者、近年盛んになっている当事者キャスティングです。

 幸せそうだった妙子たち一家はどうなってしまうのでしょうか。

 登場人物たちは平凡で善良な人たちばかりです。

 例えば、妙子は熱心にホームレスの支援活動に取り組んでいます。執拗に描かれる支援活動の描写には深田監督のこだわりを強く感じます。

 しかし、妙子は思わぬ行動にでます。『こいつ、ウルトラ・アホじゃねーの』と思うほどの。
 

 二郎も山崎も義父母も同僚たちも似たようなものです。アホだし、狭量だし、自分に嫌気がさして宗教に走ったり。その弱さが人間というものなのでしょう。

 

 平凡で善良な登場人物たちですが、映画の中では常に、互いに視線を外している。それも微妙に(笑)、です。映画の始まりではフランクで善良そうだった人たちは、実はどうしようもなく孤独です。

 


 監督は矢野顕子の『Love Life』を二十歳の時に聞いたそうです。ボクが昔、この歌を聞いた時、人間そのものを拒否する歌だと思いました。一度しかない人生、『良いものだけに囲まれていたい』けれど、人間は人間と関わるから、それがかなわない。
 映画でもまさにそういう光景が展開されます。しかし、監督は劇中2回流れるこの歌にボクとは真逆の感想を持っているらしい。面白いなあ。


 人間に対する希望と悪意に満ちた映画です。どこへ行くか判らないストーリー展開は実にスリリングです。それでも必ずしも成功作とも言えないかなあ。こだわるところには凄くこだわっている反面、粗を感じる部分もある。よく出来ているからこそ、バランスの悪さを少し、感じてしまう。
 田口トモロヲを始め、脇を固める俳優さんたちには文句はないけれど、主役の木村文乃は演技しているのは初めて見ました。すごく綺麗な人だけど、ちょっと?という演技もある。

 しかし、緩やかに過ぎていくラストシーンのこの穏やかさは何なんでしょうか。このシーンだけでも、映画を見る価値があると思いました。監督の思いが込められた質が高い映画であることは間違いありません。


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