特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

「福田村事件2」か「人間喜劇か」(笑):映画『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』

 この週末で東京の桜も満開になりました。60年代 ’’Violets of dawn’’という美しいフォークソングが有りましたが、夜明けの桜も美しいです。

 


 昨晩日曜夜のNHKスペシャル、『Last Days 坂本龍一 最期の日々』、文字通り珠玉のようなドキュメンタリーでした。NHKすごいと思いました。この感想は次回に(笑)。

www.nhk.jp


 それにしてもこの週末、日本が変わるには外圧しかないな、と改めて思いました。台湾と日本の地震への対応の差を見れば、日本の為政者のレベルが著しく低いことがわかる。

 ボクも最初は石川あたりだと道路事情も大変だろうなーくらいにしか思っていませんでした。我ながらマスコミに流されていたんですね。

 他国と比べなければ、同調圧力の強いムラ社会、日本のおかしさは中々可視化されない。そのためにも日本は世界に向けて社会を開いていかなければいけないと思います。たとえそれが平和主義だろうと世界の中で孤立するのが一番よくない。

 明治維新にしろ、太平洋戦争にしろ、日本人は自縄自縛のムラ社会に住んでいる奴隷民族で自浄能力はないと思います。戦前と戦後、日本人のフィロソフィーは変わってない。

  今の日本の現実はこういうこと↓。アメリカの51番目の州だって分不相応でしょう(笑)。

 冷静に考えたら戦後民主主義自体、アメリカからもらった借り物なんだから、時が経つに連れて劣化していくのは当たり前かもしれません。

 映画としてはあまり評価できませんが、宮崎駿の『君たちはどう生きるか』が象徴的に描いています。この中国版のポスターが描いているように崩れていく小さな理想世界(戦後民主主義)に閉じこもり心中するのか(宮崎)、過去のノスタルジーに逃避するのか、不確かな新しい世界に自ら出ていくのか今はそのことが問われていると思います。
 どの扉を開けるのか、選択は我々の手の中にある

 日本の政治家がダメなのは間違いありませんが、問題はそれだけではない。昨晩の坂本龍一のドキュメンタリーもそうでしたが、我々自身の生き方や生活そのものが問われているのだと思います。 


 と、いうことで、新宿で映画『青春ジャック 止められるか、俺たちを2

1980年代の名古屋。映画監督の若松孝二井浦新)は自分の映画を自由に公開したいと、名古屋でミニシアター「シネマスコーレ」を開業する。池袋の映画館「文芸坐」を退職してビデオカメラのセールスマンをしていた木全純治(東出昌大)が支配人として雇われる。経営は厳しいが、映画に魅せられた若者、金本法子(芋生悠)や井上淳一(杉田雷麟)らが集まってくる。

www.wakamatsukoji.org

 60年代 若松孝二監督が若者たちと映画作りに奮闘する日々を描いた『止められるか、俺たちを』の続編。今作は80年代の名古屋に若松監督が作った映画館で現在も存在する『シネマ・スコーレ』の支配人やそこに集まってきた実在の若者たちの姿を描いています。

 監督は前作や『福田村事件』の脚本を担当した井上淳一。前作同様 若松監督を井浦新が演じ、東出昌大、芋生悠、杉田雷麟、コムアイなどが共演。


 前作の『俺たちを止められるか』は大好きな映画です。
 井上淳一の脚本は古臭いし説明がくどいのですが、60年代のそういう人たちのドラマだからそれ程気にならない(笑)。
 それを名手、白石和彌監督がうまくまとめ上げた。女性助監督の眼から描くことで現代にも通じる普遍性を獲得していたし、何よりも井浦新門脇麦が素晴らしかった。
 実質的には若松監督ではなく、夭折した実在の女性助監督を演じた門脇麦の青春映画になっていました。まるで水のように透き通った、それでいてヒリヒリやけどするような感性が表現されていた稀有な映画です。

 今作は、その(笑)井上淳一が脚本だけでなく監督も手掛ける、しかも井上本人のエピソードも入る、とのことで見る前はかなり不安でした。
 もともと、この人のセンスはかなり問題があります。井上が脚本を書いた昨年の『福田村事件』はオールスタードラマとしての面白さはあったけど、台詞はくどいし、やたらと言葉で説明するし、何よりも人物描写が上っ面だけでドラマとしては酷かった。物語のキーとなる主人公のトラウマとなった事件を映像ではなく台詞で説明してしまうし、朝鮮人を虐殺する側の内面は殆ど描かれなかった小学校の学芸会か、と思いました(笑)。

 この映画は福田村事件と同時期に企画され、出演者も被っています。両作とも主役が井浦新であるだけでなく、共演者は東出昌大コムアイ田中麗奈と共通する人も多い。東出とコムアイに至っては『福田村事件』と同様、カップルの役です。内容も在日朝鮮人の問題など共通する部分がある。プログラムによると井浦は撮影中、この映画を『福田村事件2』と呼んでいたそうです

 見る前は悪い予感しかない(笑)。さあ、どんな映画でしょうか(笑)。


 舞台は80年代初頭。TVは全盛で家庭用ビデオも発売された時代。TVに押されて映画はヒット作もなく、どこの映画館も閑古鳥。60年代に一世を風靡した大島渚や若松の映画は名画座以外では公開されません。

 その中で若松は家賃が安い名古屋の風俗ビルの一角に自分の映画館を開こうとします。自由に映画を公開するためです。支配人として抜擢したのは池袋の文芸坐で働いていた木全純治(東出昌大)。妻(コムアイ)を養うためにビデオカメラのセールスをやっていた木全を若松は口説き落とします。
●木全(東出昌大)(右)と若松(井浦新

 映画館は『しねま・すこーれ』(映画学校)と名付けられます。木全は木全で、自分の好きな映画をかける理想的な映画館を作ろうとします。バイトに映画好きの学生、金本法子(芋生悠)や井上淳一(杉田雷麟)も集まってくる。しかし名画座でかかるような映画ではお客さんは来ない。映画館は大赤字が続きます。

 経済的な観念も発達している若松はあっさり当初の理想を翻し(笑)、木全に当時流行っていたピンク映画を中心に興行するよう命じます。
 ところが当時のピンク映画は滝田洋二郎周防正行黒沢清など後年 名を成す映画監督がやりたい放題に作った作品が混じっていました。木全たちは映画の新しい可能性を見出していきます。

 この映画の題名の『青春ジャック』はいかにもセンスがないですが、かって若松監督が70年に作ったピンク映画『性賊 セックスジャック』という作品のもじりだそうです。

 ボクは未見ですが、題名の『セックスジャック』は当時頻発したハイジャックのもじり、内容は(井上のような)おとなしい青年が日本共産党の本部を爆破するものだそうです(笑)。其の頃からすでに、共産党は体制側の存在だったからです。でも、そんな映画、ピンクでもなんでもないじゃないですか(笑)。

 しねま・すこーれでバイトする金本も井上も映画を作ることが夢です。しかし、自分が何を描きたいかすら判らない。その挙句、井上は名古屋を訪れた若松に衝動的に弟子入りを志願します。

 最初はどうなることかと思ってみていたんですが、面白いです。出演者がめちゃくちゃいい。魅力的です。東出昌大黒沢清監督の『スパイの妻』などで素晴らしい俳優であることは判っています。この映画でも独特のキャラクターである木全(もちろん 実在の人物)を魅力的に演じています。

 また『福田村事件』でも素晴らしい雰囲気を出していたコムアイが木全の妻を演じていて、またいい。元『水曜日のカンパネラ』のボーカルですが、演技をしている方が全然素晴らしい。妖艶だけど強固な意志を垣間見せる、自立した女性像を表現しています。定型的にはとらえきれない不可思議な人間像です。

 なんといっても最強なのが芋生遥小泉今日子が製作した映画『ソワレ』でも素晴らしい演技を見せていたし、

spyboy.hatenablog.com

 少し前に見た『夜明けの全て』でも強烈な存在感を放っていました。

 この映画でも素晴らしかった。この人が金本というキャラを演じることで映画全体のレベルがワンランク上がった不安定で、脆くて、でも逞しさを感じる役柄をよく表現したと思う。

 『ソワレ』でも感じたんですが、ボクはこの人、本当に好き💛

 井浦新の若松監督役もいよいよ堂に入ってます。モデルでもある美形の井浦新とヤクザ・キャラの若松監督はどう考えても対照的な存在です(笑)。
 ここでは適当で金にうるさいけれど、映画が大好きで常に後進のことを気にかけていた若松監督を、井浦は本当に楽しそうに演じている。乗り移ってるのかも(笑)。

 ここで描かれていた80年代の風俗や自由な表現が許されていたピンク映画が下火になってアダルトビデオに置き換り、今度はミニシアターが輩出する映画界の流れも興味深かった。東京の人間嫌いの学生だったボクが過ごしてきた80年代とはずいぶん違う、とは思いましたが、これはこれで面白かった。当初はピンク映画中心だったしねま・すこーれはミニシアターとして活路を見出し、現在に至っています。

 若松が河合塾のPR映画を作っていたり、そこに竹中直人が出ていたのも全く知らなかった。この映画では竹中自身がそれを再現しているんです!
 国外脱出してパレスチナゲリラに加わっていた元若松プロ足立正生と若松監督が秘密裏に連絡を取り合っていたエピソードも面白かった。若松も公安の監視下にあったようです。もう、何でもあり!(笑)。

 後半描かれる井上自身のエピソードはどうでもよかった(笑)。しかし金本と対比させることによって、うまく相対化されていたからOKです。表現することへの情熱は伝わってきました。金本も井上も映画の名を借りて、自分探しを続けている。一方 若松や木全はそんなところを超越している(笑)。

 映画全体を見れば演出の感覚は垢ぬけないし、相変わらず台詞も説明が多い、日経の映画評でも『台詞で説明して済ませようとするラストシーンを泉下の若松監督が見たらどう思うだろうか』と苦言が載っているほどです(笑)。

 映画の中で若松監督は『人を殺す側の痛みを描かない映画はだめなんだよ』とか『映画は映像で伝えるもので、説明するものではない』と言っていました。本当に若松の言葉でしょうけど、まるで『福田村事件』の欠点を挙げているかのようです。井上監督は自分でもわかってるのか(笑)。

 それでも、この映画は面白いんです(笑)。自分でも不思議でした。見終わってから、その理由をずっと考えていました(笑)。
 まずは俳優陣が井上のダメ台詞を乗り越える素晴らしい演技、熱気を醸し出しているから。井浦新や芋生遥、東出昌大コムアイと主な出演者はどれもサイコーです。出演者が19人も集結した舞台挨拶の記事を見れば、現場にはそういう演技を引き出すような磁場があったに違いない。

www.sponichi.co.jp


 何よりも、この映画には若松監督を始めとした登場人物に対する深い深い愛情が感じられます。バカで性急で視野は狭いけれど、一生懸命 80年代を生きていた人たちをコミカルな視点で愛情を込めて描いている。その根底にはこういう人たちがいたことを伝え、存在を肯定する使命感があります。
 まさに人間喜劇サローヤンみたいです。

 『福田村事件』と脚本、主な出演者は全く同じだけど、見終わった感覚は全く異なります。すごく気持ちが温かくなるユニークな映画です。
 面白いだけでなく、ボクはこの映画が大好きです。この映画には人間への愛がある。もしかしたら今年のベスト1かもしれないと思うくらい好き(笑)。

 井浦新は『止め俺3は俺が作る』と言っています(笑)。それもまた、楽しみです。
 ボクはバカは嫌いなんですが、正確にはバカには2種類ある(笑)。こちらのバカは断固支持します(笑)。


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