特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

映画『サムライと愚か者』と『ゲッベルスと私』

今週 ボクは仕事絡みの宴会で金曜恒例の官邸前抗議はお休みです。


お客さんとの会食なら百歩譲って我慢しないでもないけど、宴会なんてうんざり度1万光年。苦痛なんです。フランスなどは家で家族そろって夕食を食べるのが普通と聞きますけど、当然ですよね。それが人間の生活です。宴会なんて、うまい物が食えるわけじゃないし、他から聞く話が特に面白い訳でもない。ついでにボクが話すようなこともない(笑)。体調のリズムを崩すためにやっているようなものです。宴会なんて非人間的で野蛮な風習が無い世界に行きたいです。


●宴会の時はひたすら作り笑いをするか、ボーッと外の景色を眺めて時間を潰しています。


さて、政治は相変らず空転しています。国会の会期が延長されましたが、与党はカジノや高プロなどの有害法案を強引に推進しようとしているし、野党は森友・加計の問題の真相解明を求めて、審議はまともに行われません。一時は総裁選の三選も危ぶまれた安倍晋三は強引に居座る気配です。国会は延長しても、追及されないように外遊に出ちゃうんだから(笑)。


右を向いても左を向いても、うんざりですよね。例え国会審議を行っても与党はまともな答弁もしないし、野党は攻め手を欠いている。政治家の人的資質の低下もありますが、これだけ議席数に差があると、国会が国会として機能しない。じゃ、世論に訴えるかと言えば、先日の国会審議の拒否が良い例で、やはり野党は露出を稼ぐことに疎い。ついでにマスコミも相変らずひどい。NHKですらサッカーばかり、不愉快なので最近は画面にサッカーが映ると条件反射でTVを消すようになりました。


今朝 びっくりするようなニュースがありました。東大の安冨歩教授が埼玉県の東松山市長選に立候補するそうです。官僚や原子力ムラの無責任を糾弾した『東大話法』で有名な人です。


https://news.biglobe.ne.jp/domestic/0621/san_180621_2614033427.html

驚きです。この人はもともとは住友銀行に居たそうですがら、学者バカ、世間知らずではないんでしょうけど、わざわざ東松山市ではなく隣接する町で出馬会見するような政治センスで大丈夫でしょうか。この人のマイケル・ジャクソンの話は頭がおかしいとは思いましたけど、少なくとも前著の『満洲暴走隠された構造 -大豆・満鉄・総力戦』は戦前から現代に繋がる素晴らしい名著だったので、彼が政治の世界に入ろうというのは勿体ない気もします。


国民が政治に無関心だからこそ、格差拡大と少子高齢化が進む今の日本の窮状があるわけですから、立候補したくなる気持ちは判らないでもないけど、難しい話です。





それでも、現実・事実を直視つづけなければいけない訳で、今日はドキュメンタリー映画2本の感想です。どちらも面白かったし、ためになりました。
まず、青山で映画『サムライと愚か者https://samurai2018.com/

2011年4月にオリンパスの社長にイギリス人、マイケル・ウッドフォード氏が就任した。同年7月に雑誌『FACTA』に同社の損失隠ぺい事件の暴露記事が掲載されたが、会社も日本のマスコミもそれを黙殺。ウッドフォード氏は記事を重く受けとめて社内調査を進めるが、かえって10月の取締役会で解任されてしまった- - -


2011年のオリンパスの事件は一部では驚愕を持って受け止められました。ボクも非常にびっくりしました。オリンパス胃カメラなどの内視鏡の分野では世界1、圧倒的な競争力を持った日本の優良企業の一つだったからです。このドキュメンタリーは解任された前社長、ウッドフォード氏とその周辺の人々のインタビューを基にしたドキュメンタリーです。
オリンパスの前社長のウッドフォード氏のインタビューを中心に映画は構成されます。


FACTAという雑誌は本屋では売ってない会員制の情報誌です。オリンパスの社員の内部告発を受けて裏付けをとった上で、暴露記事を掲載しました。『オリンパスは国内の休眠会社3社と海外の医療品1社を不当に高い価格/手数料で買収した』という記事です。経営陣は背任容疑になりかねないような話です。
オリンパスは80年代のプラザ合意による急激な円高財テクを始め、バブル崩壊で120億円の損害を出しました。当時の社長(3代前)は損害をずっと隠ぺい、それは代々の社長に引き継がれてきました。しかし時間が経つにつれて損害は膨らみ、90年代末には1200億にもなっていました! それをごまかすために、休眠している会社を高値で買ったり、海外の会社を買収する際にアドバイザーに高価な手数料を払ったことにした、というのが真相でした。
●雑誌『FACTA』の編集長とその紙面。ボクも読んだことありますが、スキャンダルを徒に追い求めるような、おかしな雑誌じゃありません。


もちろん、これは違法です。関係者は誰も私腹を肥やしたわけではありませんが、株主に虚偽の情報を流したわけですから、粉飾決算金融商品取引法違反になります。社長に就任したばかりのウッドフォード氏は事態を突き止めると、前任の社長だった当時の菊川会長、森副社長の退任を求め、逆に解任されてしまった、というのが事件の顛末です。


当時もひどい話だなと思いましたが、今はすっかり忘れていました(笑)。映画はFACTAの記者、編集長、ウッドフォード氏やオリンパスのOBなどのインタビューで構成されています。
内部告発を基に特ダネを探り当てたジャーナリストの山口氏。


まず、新聞やTVなど日本のマスコミはFACTAの話を全く後追いしなかったオリンパスは記事を否定し、日本社会では黙殺されてしまった。しかしその一方 フィナンシャル・タイムスなど海外のマスコミは記事内容を後追い取材、世界的な優良企業のスキャンダルですから大きな扱いで世界中に報道されました。で、オリンパスも隠し切れなくなった。
●記事を世界に発信したフィナンシャルタイムズの記者


次にオリンパスの旧経営陣たち。隠し切れなくなってからも事実の隠ぺいと責任逃れに終始します。ウッドフォード氏は独断的な経営だったなど嘘をでっち上げ、話題をそらそうとした。解任後のウッドフォード氏は生命の危険を感じたそうです。知り合いの外人記者に資料を提供、オリンパスの件を記事にするよう依頼して、ほうほうの体で日本から逃げ出します。


海外に逃れたウッドフォード氏は海外のマスコミの取材に積極的に応じます。オリンパスも隠し切れなくなり、日本のマスコミも報道を始め、ようやく捜査当局が動いた。ウッドフォード氏も社長復帰を求めて日本に戻り、海外の機関投資家などの支持を取り付けます。現役社員やOBの中にもウッドフォード氏を応援する動きもありました。しかし、肝心のオリンパスに資金を貸し付けていた銀行(メインは東電と同じ三井住友!)などはウッドフォード氏に逢おうともせず、黙殺しました。結局 ウッドフォード氏は会社に戻れずに帰国します。


巨額・長期間の隠ぺい=粉飾決算にも拘わらず、旧経営陣は有罪にはなりましたが執行猶予がつく微罪、オリンパス上場廃止を免れました。ウッドフォード氏は、日本は何も変わらなかったと述懐しています。なお民事賠償の方は昨年 旧経営陣に対する賠償判決が出たばかりです(控訴中)オリンパス損失隠し、旧経営陣に590億円賠償命令 東京地裁 - 産経ニュース
今年、オリンパスでは『子会社の法務部長(弁護士)が中国の子会社の不正を告発したら却って左遷されたため、オリンパスを訴える』という事件が起きていますオリンパス、社内弁護士からも提訴される…内部通報を形骸化させないためには - 弁護士ドットコム。確かに『何も変わっていない』のかもしれない。


オリンパス、社員弁護士が会社提訴「公益通報に不利益」:朝日新聞デジタル



残念ながら、この映画では旧経営陣の言い分は判りません。取材を全く受けなかったそうですから。しかし当時の記者会見のフィルムなどを見る限り、連中は何を言ってるか全くわからない。曖昧な言葉でお茶を濁すだけです。
その奥底には旧経営陣は自分たちは悪くないという意識があったようにみえます。たぶん今もそう思っている。確かに誰も私腹を肥やしたわけではない。ごまかし切れたらオリンパスという会社の短期的経営にとっては良かったのかもしれません。
しかし、公に対する意識は全くなかった。株主の利益や社会への信用は考えてなかった。オリンパスという内向きの世界だけしか意識になかった。社会の公器である上場企業にとっては粉飾決算なんて大犯罪ですが、そういう意識はなかった。18日 ドイツのアウディ社の最高経営責任者(CEO)がディーゼルエンジンのデータ不正の証拠隠滅で逮捕されましたが、そういう公的な意識は旧経営陣にも、マスコミにも、日本の検察にも薄い


オリンパスだけの話じゃないですよね。森友や南スーダンの官僚の文書改竄や隠ぺいも日大の件も全て内向きだけの話。組織防衛のためなら、嘘をついてもいいし、部外者や下の者に責任をなすりつければよい、という発想です。文書改竄ももんじゅも自殺者は勝手に死んだ。死んだ者負け、犬死です。あくまでも命令ではない、志願という建前のカミカゼ特攻隊の時から変わりません。表題のサムライとはウッドフォード氏に内部告発の情報を寄せてくれた勇気がある社員たち。愚か者とはあくまでもシラを切って事実を隠そうとした旧経営陣を指しています。
●ウッドフォード氏を助けて、交渉の通訳を務めた友人の和空ミラー氏(僧侶)


この作品は日本では制作資金が集まらず、ドイツやフランスなど外国のテレビ局の出資で作られたそうです。完成したのは2015年ですが、今年の5月に青山のミニシアターで上映されるまで、国内での発表もままならなかった。
上映後のトークショーで山本監督が『最近になって、この映画の宣伝になるような事件が次々と起こっている』と苦笑していました。日本はやっぱり自浄能力はない国、社会なのかもしれません。日本人だけが寄り集まると、ロクな発想にならない。かっての軍部も大政翼賛会も今の日本会議ネトウヨ原発も甲子園も日大も官僚も全て同じ。日本人だけで固まると村社会にこもって、内向きの論理で事実を捻じ曲げることばかりやりだす。


この映画を見て、改めて深刻さを感じました。事件は全く終わっていないし、また日本社会の病巣は全く変わっていないからです。ムラ社会の日本人だけで集まるとロクなことにならない、これはたぶん真理じゃないでしょうか。アホにならないためには、ボク自身もこういう映画を年に1回くらい見なければいけないんだろうと反省しました。よその国でも権力者が理不尽なこともするし、真実が隠されたりはするけれど、日本は飛びぬけてそうなんじゃないか。見ていてつくづく情けなくなりました。

トークショーでの山本兵衛監督『日本の資本では映画を作れなかった』


●昨日の日経の記事。確かにこれじゃあ、全くダメって断言できちゃうかも。宴会とゴルフで育ってきた、Boy's Clubならぬ、ジジイ・クラブじゃあね。


[経団連、この恐るべき同質集団 編集委員 西條都夫 :日本経済新聞:title]




もうひとつは 岩波ホールで映画『ゲッベルスと私【公式】『ゲッベルスと私』6/16より岩波ホール公開

ナチスの宣伝大臣ユーゼフ・ゲッベルスの秘書だったポムゼルが、当時の様子を語るドキュメンタリー。デマ情報の流布やユダヤ人虐殺を隠すなど極悪非道のゲッベルスだったが、彼女は言われるがままにゲッベルスに言われたことをタイプライターに打ち続けたという。撮影当時の彼女は103歳。



戦前のドイツでユダヤ人弁護士の秘書から、放送局へ、そしてゲッベルスの秘書へ、というキャリアを過ごしてきたポムゼル氏のインタビューと当時の記録フィルムを組み合わせた2時間のドキュメンタリーです。


映画とは関係ありませんが、最初に会場の岩波ホールについて一言。
東京の西半分の映画館は色々行きますけど、岩波ホールはあまり好きではありません。渋い作品を上映するのは良いんですが、客筋がかなり悪いからです。客層はほとんどがボクより年配の人たちばかり、団塊世代から上なんですが、マナーが悪い下品な奴が結構多いんです。特に団塊世代。始まってもおしゃべりしてる奴はいるし、開場の際は走って席取りするし、座席の後ろをける奴はいるし、かなりマナーが悪い。特に足を組んでるんだかなんだか知らないけど、座席の後ろを蹴られるのはボクは大嫌いで、そういう奴は映画が始まっていれば睨みつけるし、3回目には必ず文句を言います。映画が始まってなければ大声で思い切り怒鳴りつけることにしています。同じ年寄りばかりの映画館でも渋谷東急本店のル・シネマなんかは客筋がおっとりしていて、『金持ち、喧嘩せず』ってこういうことなんだ〜と思うのと対照的です(笑)。

下品な岩波ホールの年寄り客を見てると『日本の戦後民主主義なんて、こんなもの』という気がしてなりません。こんなバカどもの民主主義は所詮は偽物、と思うんです。もちろんちゃんとした人も居ない訳ではないですが、要はあの年代は下品なクズとちゃんとした人との差が大きい。今は団塊世代は現役には殆ど残ってませんが、仕事でもいつもそう思ってました。

ただ岩波ホールはエンドロールの暗闇でスマホをつける奴は少ないのは救いです。あれもかなり頭に来ますが、幸い岩波ホールにくるような年寄り連中はあまりスマホを持ってない(笑)。とにかく今回もバカが居て雰囲気が悪くなるのを心配したのですが、幸いボクの周りはセーフでした。遠くの席で上映中に電話のベル(それも昔のルルルルという音)を鳴らしてる低能が居ましたが。そういう奴は映画なんか見に来なければいいんです。どうせバカには理解できないんだから。
大げさかもしれませんが、戦後民主主義の欺瞞は岩波ホールの観客に象徴されているように思えてなりません(笑)。表向きは立派な作品がかかっているんだけど、実際は品性下劣なクズが多い。もちろん全員がそうではないし、70代、80代の観客には人品卑しからぬ風貌で、中身も上品で知性もある人がいて、心底驚かされたりすることもあるんですけどね。


さて(笑)、映画は『私には罪はない』というポムゼルの言葉から始まります。
●撮影当時103歳のポムゼル

彼女自身はナチスの支持者という訳でもありません。ユダヤ人の友人のことは度々出てくるし、自らが差別や殺害に手を染めたわけではありません。ナチスの党員ではありましたが、『給料が高い放送局への就職のため入党した』と言ってはばかりません。
彼女は『政治には興味がなかった』と言います。そう言いつつも、『当時の体制には誰も逆らえなかった』、とも言います。彼女は自分がやっていることはある程度判っていたわけです。
ゲッベルス(真ん中 着席の人物)たち。普段は紳士的で才能にあふれる人物だったそうです。


彼女の話と交互に挿入される戦前の記録フィルムを見ると、戦争が如何に急に迫ってくるか、が良くわかります。戦争の直前まで、ナチス政権と言えどもドイツ人たちは平穏に暮らしていた。ユダヤ人や共産党員には迫害があったけど、それはごく一部のことで自分には関係ない、と皆が思っていた。
●多くの少年たちは『自ら』ヒトラーユーゲントに入り、戦局が悪化すると『自ら』国防軍に入り、前線に出されて死んでいきました。同じ時期 後方の地下壕ではナチの高官たちは泥酔する毎日を過ごしていました。


それが見る見るうちに暗転、修羅場になる。挿入されたフィルムには今回 初めて発掘されたものも含まれているそうですが、痩せこけたユダヤ人の死体が路上に放置され、それを片付ける様子などは驚くべきものがありました。人々はその脇を平然と通り過ぎる。子供や掃除人がリアカーに載せて、死体を片付け、荷物のように運搬し、ゴミのように穴を掘って埋める。


ちょっと驚いたのはポムゼルが、ショル兄妹、つまり有名な反ナチス運動、『白バラ』に言及したことです。

大学生だったショル兄妹は反ナチスのビラを撒いたというだけで、ギロチン刑にかけられて殺されました。たかだか一部でビラを撒いただけですから影響力という面では大したことがなかったと思いますが、ゲッベルスナチスの上層部にとっては衝撃の事件だったそうです。それは驚きでした。末端で片づけられたと思っていたら、ゲッベルス自らが関心を持って白バラの事件の処理の指示を出している。その指示をポムゼルがタイプした。


彼女は『あの子たちは逆らわなければ良かった。そうすれば戦後も生きられたのに』と語ります。確かにそうです。だが、ショル兄妹のような人たちがいなかったらドイツの歴史は日本と同じように、『国民は殆どヒトラーに抵抗しなかった』ということになっていたかもしれません。侵略戦争を美化する歴史修正主義はどこの国にもありますが、それに対するカウンターとして、当時 侵略戦争を止めようとした人が存在したという事実は大きい。今のドイツには200近い学校にショル兄妹の名前が付けられているそうです。
ポムゼルの話を聞くまで思いつかなかったのですが、ドイツと日本の戦後処理や意識の違いはショル兄妹のような人たちが居たかいないか、も かなり影響しているとボクは思うんです。
●栄華を誇ったベルリンの町はソ連軍の侵攻で見渡す限り、廃墟になります。多くの建物が壁だけになり、多くの市民たちは犠牲になったり、ソ連軍に乱暴されました。


ソ連侵攻時のナチス中枢部の様子も興味深かった。ヒトラーは人前に出なくなり、ゲッベルスはデマを吠えまくりますが、やがて地下壕に籠るようになる。幹部たちの中には、恐怖を紛らわすため酒を飲むだけになった者も多くいたそうです。ポムゼルたちの主な仕事は酒を入手することになる。ちなみにヒトラーは酒は飲みませんでしたが、当時は強い抗鬱剤モルヒネなどの麻薬に依存したヤク中状態だったことが判っています。
やがてヒトラーゲッベルスは国民や部下を見捨てて自殺し、ソ連軍が彼女たちが居た宣伝省に乗り込んでくる。ポムゼルは軍や上司は守ってくれなかったと今も憤っています。戦後 彼女はソ連に5年間抑留され、106歳で亡くなるまで、生涯独身を通したそうです。



ポムゼルの、この深い皺を見てください。


撮影当時103歳。頭脳は明晰で、言葉もよどみがない。そして、自己弁護・自己正当化もしっかりできる。
私は政治に関心がなかった、逃げられなかった、逆らえなかった』という彼女は道義的には有罪であるに決まってます。が、当時 抵抗できたものがどれだけいるか、逆らうことが出来る人がどれだけいたか、というのもまた真理です。今の日本の忖度、役人やマスコミのざまを見ていると良くわかります。何気なく暮らしているサラリーマンや主婦でもそうでしょう。まさに、ハンナ・アレントの言う『平凡な悪』です。
『平凡な悪』は平時には差別や忖度、非常時には大虐殺すら引き起こします。そして『平凡な悪』は誰の中にもある。彼女の姿に向き合うことは、自分の中にある悪と向き合うことでもあるのでしょう。映画としては、彼女がナチスに加わる前のエピソードが続く前半はたるいところもあるんですが(上映時間が2時間ではなく1時間半だったら、凄い映画になっていたと思います)、強く印象に残る映画であることは間違いありません。、