特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

映画『君たちはどう生きるか』

 昨日 78年目の広島市原爆死没者慰霊式での平和宣言、市長が読み上げた一節にボクは違和感を感じました。
 
『世界中の指導者は、核抑止論は破綻しているということを直視し、私たちを厳しい現実から理想へと導くための具体的な取組を早急に始める必要がある』

news.yahoo.co.jp

 ボクには全く、理解ができませんでした。『核抑止論は破綻している』どころか、昨今の情勢ではむしろ 核抑止論の有効性は明確になっているウクライナが核を放棄した一方、プーチンのアホが核を持っているから、なかなか侵略を止めることができないんです。

 抑止論を否定する論理としてよく『お互いの指導者に理性がなければ抑止は働かない』と言われますが、NATOに核がなかったらアホのプーチンは今頃 核、少なくとも戦術核は使っているでしょう。
 相手に理性があろうがなかろうが、核の抑止力が機能しているのは明らかです。現実にはロシアは核によりNATOウクライナ介入を抑止し、NATOの核はロシアの核使用を抑止している

 もちろん抑止論を肯定しようがしまいが、暴発のリスクを抑えるために核軍縮を推し進めていかなければならないことは言うまでもありません。
 更に平和宣言の後段にあった『世界中に「平和文化」を根付かせる取組を広めていきましょう』は大事です。社会の分断が進むと同時に、右左問わず極論が跋扈して人々の知的劣化が進む今のような時代こそ、文化の重要性が問われる
 だからこそ感情論ではなく、核によって抑止が効いている現実を直視しなければならない。

 バカウヨはどうだか知りませんが、戦争が絶対悪で核兵器の廃絶が望ましいのは、たいていの人間なら判っている。そんなことは問題じゃない(笑)。大事なのはそのためのHOWじゃないでしょうか。


 と いうことで、新宿で映画『君たちはどう生きるか

 宮崎駿の新作は物語のあらすじはおろか、予告映像やキャスト情報も一切発表せず全く宣伝をしなかったのに、既に300万人も動員する大ヒットを記録しています。
 当初 ボクはスルーするつもりでした。大して興味がないだけでなく、10年前の前作『風立ちぬ』が酷かったからです。

 つまらないとは言わないけれど、取り上げた人物(堀越二郎)がどうしようもないだけでなく、それに対する宮崎の視点もセンチメンタルに過ぎた。画も死の予感が濃厚に漂うのは面白かったけど、他は凡庸なイメージの繰り返し。この爺さんは相変わらずロリコンなんだな、という印象だけが強く残りました。

 今作も最初は興味なかったのですが、除名寸前?の共産党職員の神谷という人が書いたこの評論を読んで、俄然興味が湧きました。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 職員と言っても、神谷氏は市長選に立候補、落選した経歴がありますから地方組織の幹部です。彼は最近の除名騒動を批判したところ、逆に『反党分子』として党内で非難されているそうです。相変わらず共産党はどうしようもない連中です。セルフ奴隷。戦う相手が違うだろって。

福岡市長選に神谷氏出馬へ 共産市議団事務局長|【西日本新聞me】
日本共産党の党内民主主義について - かみや貴行のブログ 1%でなく99%のための福岡市政を

 この人の評論を読んで、この映画は宮崎駿自分自身と戦後民主主義の終焉について語ったもの』と思いました。これは興味深い。評判が賛否両論、というところにも惹かれました。


 数年前『この世界の片隅に』を見たとき、ボクは宮崎駿は絶対に引退を撤回すると思ってました。同じ戦争をテーマにした作品でも、宮崎の引退作の『風立ちぬ』とはあまりにも質の差があったからです。あそこまで差をつけられたら、宮崎は絶対にもう1作、それも戦争をテーマにしたものを作るに決まっていると思いました。そりゃあ、悔しいでしょ(笑)。


 舞台は太平洋戦争の時代、都市が空襲で火事になるシーンから始まります。宮﨑駿は4歳の時 空襲で逃げまどった体験があるそうです。
 こう言っちゃなんですが、この場面の絵は実に美しかった。この映画は全般的に画が美しいです。いつもの宮崎の画ではありますが、美しさ、ポップさという面では一段グレードがあがったかもしれない。

 主人公の少年、眞人は空襲で入院中の母を失い、軍需工場を経営する父と一緒に地方へ疎開します。疎開先で父の後妻と出会った眞人は屋敷にやってきた奇妙なアオサギに誘われるがまま、異世界に迷い込む、というお話です。
 
 異世界ではなぜか、やたらと鳥ばかり出てきます。それはともかく、この異世界は宮崎が描いてきたファンタジーものを総括しているようにも見えます。特にボクが大好きだった『未来少年コナン』や『天空の城ラピュタ』にあったような高い塔を登る描写が印象的です。


 或る意味 分かり易い映画でもあります。
 主人公の眞人は、死期が近いであろう、宮崎自身を思わせる大叔父から自分の仕事を受け継ぐよう頼まれます。『悪意に染められてない石』を積み上げ、争いを無くして世界を安寧に保つという仕事です。

 悪意に染められていない石(意志)とは憲法9条に代表される戦後民主主義の理想でしょう。宮崎には自分たちの世代が戦後民主主義の理想を守ってきたという自負があるに違いありません。

 しかし眞人はそれを拒否します。継母に、疎開先の田舎に対して、眞人は悪意を抱いている。彼は既に悪意に染められている。軍需で儲ける父に対しての思いもあるかもしれない。やがて乱入してきたインコ大王に『悪意に染められていない石』は破壊され、異世界は崩壊する。インコ大王は現実、つまりウクライナ戦争や台湾有事に代表される環境変化の象徴かもしれません。
 宮崎から見ても、戦後民主主義という一つの時代は終わらざるを得ない。それでも 宮崎自身はあくまでも戦後民主主義の理想に殉じる、ということなんでしょう。

 しかし、一つの理想が終わっても世界は続きます
 もとの世界に戻った眞人たちは戦後を迎え、新しい世界を作っていこうとします。後の世代は勝手にやる、ということです。


 最後に流れた、実は初めて聞いた米津玄師という人の主題歌は歌も曲も大したことないけど、バグパイプっぽい音をフィーチャーしたのはカッコいいと思いました。昔流行ったスコットランドのバンド、『ビッグ・カントリー』みたい。バグパイプって感情を揺さぶる音の一つだと思います。


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 宮崎の遺作、という声がしきりに上がっています。確かにそうかもしれません。遺作にしても自分語りだけではなく、お話の中で次の世代が活躍する余地を残したのは流石に宮崎です。そして、そこから先を描かなかったのは宮崎の限界でもある。描けなかったんでしょう。

 かっての大傑作『ナウシカ』や『コナン』には及ばないにしろ、普通に面白い映画でした。『風立ちぬ』よりは遥かに質が高い。宮崎自身はこう生きた、という映画になっています。これだけでも成功している。

 画は綺麗だし、メッセージがはっきりしている反面、プロットはかなり粗雑です。それに眞人や大叔父の内心の葛藤をもっと掘り下げても良いとも思いました。ヒロイン像も相変わらずだし。また映像にクリエイティブなイメージがあるか、というとそうでもない。グレードアップして過去の総括をやっているという感じでした。
 総じて、もっと良い作品を作れるのにとは思いましたが、見て損はありませんでした。
 

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