特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『なごり丑の候』

 寒くなりました。我ながらクリスマスとか、全く関係ない生活です。日々のルーティンをこなすだけで忙しい。
 定年になったら、少しは趣きがある生活を過ごせるのでしょうか(笑)。今は年末の休みが待ち遠しい~。

●駅前のイルミネーションも気分がついていかない(笑)。
 


 今年の世の中を振り返ってみるとコロナに加えて、オリンピックに選挙、それなりに色々ありました。

 一言で言うと『来るべき変化が加速された1年』という感じがします。良くも悪くも今までも起きていた変化が具体的になってきたというべきか。例えばこんな感じです。

・テレワークやオンライン授業、キャッシュレス化などのデジタル化が進んだ
 日本の役所や行政が、諸外国と比べて圧倒的に遅れているのが露わになったのも含めて、良くも悪くも、どんどんデジタル化は進んでいくんでしょう。

・貧富の差の拡大:お金持ちは一層金持ちに、生活が厳しい人には一層厳しくなった。
 この件についてはK字型経済とか色々言われていますが、これもまた、言うまでもありません。

・日本経済のコロナからの回復の遅れで、他国との差が一層、拡大した。日本は他国と比べて一層、貧乏になった。
 アジアを見渡しても日本の一人当たりGDPシンガポール、香港に続いて、韓国にも抜かれました。アベノミクスで始まった日本の貧乏国化がいよいよ目に見える形になってきた。
 これ↓なんかが典型です。iPhoneの最新機種の価格は日本人の給与の約10日分、スイス人は4日分、アメリカ人は6日分。日本人にはiPhoneは高値の花になりつつあります。


business.nikkei.com

・日本社会の排外的な雰囲気が一層強まった。
 国が貧乏になるにつれて排外的な雰囲気が強まるのはいつものパターンです。今週の武蔵野市住民投票条例否決だけではありません。

 写真は今週水曜日のBS-TBS『報道1930』で元外務省の田中均の発言。政治家にとって右派的なポピュリズムは無視できないものになりつつあるようです。


 最も大きな変化の流れは戦後民主主義がいよいよ終焉を迎えつつあることだと思います。バブル崩壊に始まり、湾岸戦争、山一ショック、小泉不況、リーマンショック、東北大震災、安倍晋三の国家私物化、そして新自由主義の進展、この30年、戦後の民主主義は徐々に綻びを見せてきた。

 それが今年になって顕在化した。 
  ようやく実現した野党共闘の結果が芳しくなかったり(成果もありましたが)、改憲勢力が再び3分の2を確保したことだけではありません。

 構造的な問題です。日本が経済的にも政治的にも、外交的にも行き詰まりを見せている状態では、今までの戦後民主主義自体は限界と感じる人が多数派になってきているのではないでしょうか。各種調査で出てくる『若年層は共産党や立憲民主を保守、既得権益護持と思っている』、『働き盛りの層は維新に投票するバカが多い』のが典型です。戦後民主主義的な価値を守っているように見える立憲民主や共産党に投票するのは60代以上が中心。このままではいずれ、旧来の戦後民主主義は尻すぼみになる。

 行き詰まりの日本で安倍晋三のような安っぽいナショナリズムやれいわや維新のようなポピュリズムに走りたくなる人がいるのは判らないでもありません。救いようのないバカではありますけど。


 
 2015年、国会前でSEALD'sの諸君を見た時、従来の『市民運動』のジイさん連中がつくづくマヌケに見えました。団体の幟に調子外れのシュプレヒコールに貧乏くさい格好、論理的に何を言ってるかすら判らない(笑)。連中の言ってることは孫の世代にすら劣っている。思考停止なんですよ。
 あのジイさん連中に代表される戦後民主主義の限界がいよいよ社会的な現象として顕在化してきた。
●2015年の夏、国会前 安保法反対集会


 以前にも書きましたが、ハーバード大のダニ・ロドリックという人の『国際政治経済のトリレンマ』という大変有名な学説があります。『国家主権、グローバル化、民主主義の3つの政策目標のうち2つを実行することができるが、3つすべてを実行することはできない』というものです。ロジックというより現象論ですけど、結構言えていると思います。

●国際政治経済のトリレンマ。様々な例を当てはめてみました。

 上の図をちょっと解説すると、ヒトラームッソリーニも戦前日本のファシズムも大衆の支持があったからこそ成立しました。トランプもプーチンも、レベルが違うとは言え、安倍晋三も同様です。連中は大衆の熱狂=ポピュリズムで権力を正当化している。


 今 各国が揺れ続けています。格差の拡大や国際競争の激化、紛争などで社会の歪みが大きくなっている。そんな中で3つのうち、どの2つを選ぶべきか。日本も例外ではありません。

 資源がない日本がグローバル化を捨てるのは自殺行為です。となると、グローバル化に加えて民主主義(大衆政治)を選ぶか、国家主権を選ぶかの2択になります。

 民主主義だってポピュリズムになることはあるから、万能薬ではありません。国家主権だって賢い指導者が出てくれば、国民にとって一概に悪いとは言い切れない。 
 でも、どちらがマシかというと確率的には民主主義のほうが国家主権よりマシな可能性は高い。EU路線です。日本なんて国は要らねーよって(笑)。今だって国家の主権がまともにない、アメリカの属国ですから。国の代わりにローカル民主主義があればいいんです。

 自公の独裁状態が続けば国会が機能しないばかりか、日本という国、社会自体が崩壊しかねないことははっきりしています。安倍晋三の国会での118回の嘘や公文書偽造、菅の無能なコロナ対策が証拠です。かといって今の野党への政権交代も現実的とは思えない。

 一つだけ言えているのは、与野党が切磋琢磨する状態を作らない限り、日本の政治は機能しない。政権交代は別にして野党の議席が増えないとどうにもならない。ちなみに維新は野党ではありません。参院選までは自民と対立するポーズは作るでしょうが、国家主権+大衆政治(ポピュリズム)という点では同じ穴のムジナに過ぎない。れいわも同じです。

 甚だ心もとない立憲民主ですが、全国各地でこういう試み↓を続けていけば再生の芽は充分にある、と思います。現在の党員・サポーターは約10万人で民主党時代の4分の1。共産党の党員の半分もいないんです。既存の組織がない分、草の根の支持を掘り起こしていくしかありません。そのためには、バカ正直な小川淳也氏は適任です。


 日本が少子高齢化で衰退していくことはもう決まっています
 どうせダメなんだから(笑)、戦後民主主義をブラッシュアップさせた新しいパラダイムを作っていけば良いと思うんです。戦後の『アメリカの核の傘の下に守られながら平和憲法で一国平和主義』という偽善も、『現実的な抑止力もない非武装中立』のような幻想も、流石にもう無理がある。

 戦後民主主義という沈む船の船底の穴を塞いでも仕方がない。沈む船の水を掻き出して時間稼ぎをしながら、新しい船に乗り換える(笑)。一人一人がそう思っていれば、何とかなるかもしれないし、どうにもならないかもしれないけど(笑)、自己満足はできます(笑)。それでいいんじゃないでしょうか。


 ということで、年忘れ?に晩御飯を食べに行ってきました。この2年くらい家の近所ばかりで夜に遠出することなんかありませんでしたから、多少の感慨?があります(笑)。オミクロン株が流行る前に、ですね。

 出かけたのは丸ビルの中にある、本店は明治初年創業という和食屋の支店です。

 部屋に入ると窓際に牛が飾ってありました。

 お店の人に『来年は寅年なのに、なんで牛なんですか?』と聞いたら、『名残り丑です』だって。
 なるほど~。和食の店で花や掛け軸で季節を表現するのは’’はしり’’が多いですが、行く干支で季節を表現しているのは初めて見ました。ネーミングも含めて、勉強になりました。
 
 最初は、焼いた柚子の中に蟹の身と味噌。焼いた柚子の香りが心地よい。

 お椀に描いてあるのは冬に身が太った雀'’福良雀’’(ふくらすずめ)だそうです。

 中身は白子とネギ。蕪で’’みぞれ仕立て’’に。やっぱり、お椀はいいですよね。

 この店では八寸が後半で出てきます。普通は前半ですが、時折、こうやって後半に出す店があります。京都でも店によって違う。面白いですね。

 メインはブリ大根。白いブリ大根とは変わっていますが、この店の冬の名物だそうです。お酒を大量に使った出汁もそうですが、軽く塩で締めたブリの具合が絶妙でした。

 冷蔵が発達してブリのしゃぶしゃぶや刺身がそこいら中にある今だったら、敢えて締める必要は無い筈ですが、昔からの作り方なんでしょう。切身の厚さまで計算していると思った。家で真似しようとは思いましたが、ボクの腕では似ても似つかないものになるでしょう(笑)。

  食卓にも’’牛’’が出てきました。

 中にはお菓子。黒豆で作った飾り餡の中に赤いエンドウマメの餡が入っています。題して『囲炉裏火』、だそうです。お洒落です。やるな~(笑)。

 お抹茶は七宝焼きのお茶碗で。


 昔はこの店、ビルの中で部屋もいまいちだし、地味~な料理なので?と思ってました。が、今はこれくらい飾り気がない料理もいいな、と思うようにもなってきた(笑)。インスタ映えも結構ですが、それ以上に自分が歳をとってきたのを実感した夜でした(笑)。
 そんなこんなで、1年が過ぎていきます。

●外は華やかなイルミネーションが点灯していました。極寒にも関わらず人が一杯いた。大丈夫か?