特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『鯛のタイ焼き』と読書『主権者のいない国』(白井聡)と『〈平成〉の正体』(藤井達夫)

 いつもながらの事ですが、お休みはあっと言う間に終わってしまいました(泣)。
 いやな仕事のことを忘れて、自分の好きなことをする。日がな一日、他人とお話しなくて済むって、こんなに楽しいことなのかってつくづく思います。5日やそこらの中途半端な休みだと、つい夜更かしして生活が不規則になるのは問題なんですけどね。

 また9時就寝、5時起きの生活に戻りました。ああ、次は夏休みかー。早く定年にならないかなあ。


 今年のGWは食べ物屋に行こうと思ったんです。コロナ禍で店がバンバン閉店しています。1年以上まともに売り上げがなければたいていの企業だって耐えられません。まして中小のお店だったら猶更です。何十年も通っていた店だけでなく、贔屓にしていた六本木のビリヤ二店まで無くなってしまった。残っている店の応援のためにも、新規開拓のためにも、今年のGWはリスクを避けながらお店へ行こうと思いました。

 まず、北参道へ行ってきました。
 10か月待ちとか日本で1番予約が取りにくいとか、何やら予約が取れないことで有名なフレンチの予約が取れたので味見をしに行ったのです。値段が手ごろで可愛い料理なので混んでいる、ということらしい。2週間前で予約がとれたのはこの時期だから、でしょう。

●子供の時はこの前を自転車で走り回っていたんですが- - - 

 比較的新しい店だし、普段はそういうチャラいところ(笑)は行かないのですが、この店は料理は真面目に作っていそうだし、業界でも著名なシェフ氏は業界団体を作って政府のコロナ無策に抗議しているような人なので、味見をしてみようかなーって思ったんです。
キャンペーン · 内閣総理大臣: コロナから飲食業を守る!「時短」ではなく「科学的な根拠」に基づいた感染対策とそれをクリアした店の通常営業を! · Change.org

 まず、アミューズの一皿目。でかいお皿で出てきてビビりましたが、 

 実際はこう、です(笑)。

 アミューズの二皿目。金柑の山の中に金柑でコーティングしたフォワグラのお団子が隠れて居たり(写真左下)、乾燥させた草の上にケールで巻いた白ニンジンが載っていたり(写真中央)、赤いドライフラワーの上にビーツのカナッペが載っています(写真右下)。自分で食べられるものを探してください、という訳です。

 アルコールなしということで、お茶のペアリングです。全く、涙ぐましい。これは蟻料理で有名なデンマークの世界NO1レストラン、ノーマのシェフが開発したというハーブティー。これはこれでいいけど、やっぱりシャンパンくらいは一杯飲みたい。お茶じゃ、陶酔感がないからなあ。

 途中で焼き立てのブリオッシュが出されました。これは美味しい。普段はパンもあまり食べないようにしているのですが、この日は糖質制限はやめました(笑)。

 エスプーマ(泡)を多用するのは今風の料理ではあります。中身は毛ガニと白アスパラ。

 これは面白い。店の名物のタイ焼き(笑)。クラシックな料理、パイ包みのアレンジです。今の季節、文字通り中身は鯛でした。伝統的なアメリケーヌソースを材料をケチらずに作った感じは如何にも回転が良い店ならでは、と思いました。

 付け合わせはズッキーニの花にチーズを詰めたもの。

 今風の低温調理の仔豚。伝統的な手法と流行の技法を使った料理がミックスされています。

 締めのイノシシと九条ネギ、サマートリュフのココット炊きご飯。ご飯が出てくるような邪道フレンチは嫌いですが、イノシシ肉の脂がまぶされたお米は美味しかった(笑)。全部食べた(笑)。

 ホントの締めのお茶菓子。これも食べるところを探してください、という訳です。

 適度にお洒落で適度にカジュアルな雰囲気、舌だけでなく目でも楽しませる料理は確かに女性客が喜びそうで、流行るのは判ります。創作料理にうまいものなし、というのがボクのモットーですが、今風の料理でも美味しかったのは基礎がちゃんとしているからでしょう。ソース類も丁寧に作ってあったし、予約が普通に取れるのならまた行きたいなー。


 さて、読書の感想です。白井聡の新著『主権者のいない国

主権者のいない国

主権者のいない国

 新著と言っても、白井が近年 雑誌や新聞などに発表した論考をまとめたもの。第1章は安倍・菅政権、第2章は新自由主義、第3章は天皇制、第4章は沖縄、韓国の問題、第5章では亡くなった人物、中曽根、西部邁などが取り上げられます。

 第1章から第2章までは指摘は鋭いし、同感できるところも多いです。例えば、こんな指摘。

今回のコロナ対策の不手際は311から我々が何も学んでいないことの結果である』、

安倍晋三が支持を集めたのは『空疎と空虚』という彼の本質が、無知・無責任な今の日本人とも共通しているからだ。安倍晋三を支持する人は、安倍支持を通じて自分の空虚さを肯定したいのではないか

 だけど残念なことに、この人、『何故そうなのか』がない
 例えば第2章の『新自由主義は力づくで押し付けられたというより、国民の支持を受けながら進行してきた』って、その通りだと思いますが、それが何故可能になったか、という話がない
 指摘だけだったら誰でも出来るとまではいわないけど、説得力がないし、知的なスリルもない白井聡って言ってることが思い付きレベルなんですよ。
 それでも新しい指摘でもあればいいんですけど彼の既存の本と大して変わるものはありません。彼の専門外の第4章、第5章は更に全然ダメ(笑)。

 最後に白井は『日本人は国家権力や政権に対してかなり強い不信、不満を抱いているが、選挙の際はそれに目を瞑って政権を支持してしまう。日本人は主権者たる気概がない』と言っています。それはそうですけど、何故、そうなのか、どうしたら良いのかっていうのはない。
 ただ『気概』を持てばいいのか(笑)。そんな根性論、ただのバカじゃないですか。
●白井も安倍晋三と同じレベルか(笑)。
news.yahoo.co.jp


 ということで図書館、もしくは立読みで充分(笑)。白井の面白い点は『革命やりてー』と酒を飲みながら愚痴ってしまうような昔の左翼っぽさが(実際にそういう人だそうです)、今は却って新鮮に感じるところです。この本は昔の左翼の悪いところ=言葉は難しいけどロジックはない、つまり内容は薄い(笑)ので、さらっと読めます。読まなくてもいい本ですが(笑)。

 もう一冊は『<平成>の正体 なぜこの社会は機能不全に陥ったのか

 先日読んで面白かった『日本が壊れる前に』の共著者、若手の政治学者、藤井達夫氏の本です。
spyboy.hatenablog.com

 内容は『ポスト工業化社会』、『新自由主義ネオリベラリズム』、『格差の拡大』、『ポスト冷戦』、『55年体制の終焉』、『日常の政治』という6つのキーワードから平成という時代を分析したものです。

 著者によると平成はこんな時代です。

 昭和の日本は製造業を中心とした経済成長による工業化社会だった。企業が国の代わりに福祉を担い、仕事、家族、教育が結び付いた『戦後日本型循環モデル』(本田由紀)で利益を広く分配する社会だった。その時代は『一億総中流社会』と言う国民の意識が社会を統合する『物語』として機能していた。

 90年代以降 平成になると日本はアメリカの圧力もあって、金融やIT、サービス業の比率が高いポスト工業化社会に移行していった。非正規など就労形態も多様化、社会の仕組みの中に新自由主義ネオリベラリズム)が導入されて労働が不安定化し、社会のセーフティーネットが機能不全に陥った。
 80年代から拡大していた格差も平成の時代に一気に拡大、特に氷河期世代など世代間の分断として表れてきた。しかし昭和期の共同幻想である『一億総中流社会新自由主義に基づく『自己責任論』によって格差拡大に対する議論は中々深まらなかった

 一方 格差拡大で日本社会の民主的な基盤も徐々に崩壊していった。敵対心が社会に蔓延し、人々は自分を守ることで精いっぱいになってしまった。人々の不安と不信が社会に不寛容と敵意を生み出し、不安と不信を一層募らせる、という負のスパイラルが平成末期の特徴になった。社会の分断の拡大で政治の面でも日本社会を支えてきた代表制民主主義は機能不全に陥った。また冷戦の終結と国際情勢の不確実性の高まりから、日本の安全保障は対米依存強化一辺倒と言う思考停止状態に陥ってしまった。

 良く整理された回顧だと思いました。戦後の昭和だって問題のある時代でしたが、平成は更に酷かった。ただ酷いというだけでなく、理由があるんです。
 特に工業化社会がポスト工業化社会に変化することで民主主義の形も変わってしまった、は新鮮な指摘に思えました。依然 製造業が比較的強い日本はアメリカと異なりポスト工業化社会への移行に半ば失敗したとはいえ、組合の力も弱まり、人々の意識・利害は多様化した。
 世界的な傾向ですが、今や代表制民主主義は一般の人々の利害や意識を代表するものとして機能しなくなりつつある。だから左右を問わず、ポピュリズム陰謀論に人々が魅了される。
●昨日 立憲民主が附則をつけることを条件に国民投票法に賛成したことに対して怒ってる連中がいますが、強行採決されるよりマシ、ということには頭が及ばないらしい(笑)。附則をつけることで3年間は時間を稼げたわけですし。威勢は良いけど成算の無い反対論なんて戦前の『鬼畜米英』の世論と変わりません。

 新自由主義ネオリベ)が導入される切っ掛けは70年代末のスタグフレーション(インフレと失業増)による経済停滞に加えて、大きな政府による利益分配に伴う汚職や腐敗でした。だから多くの国民も民営化や派遣労働など新自由主義的な方策に賛成した。維新に投票するアホがいまだにいるのがその典型です。
 減税で全てが解決するかのように錯覚しているバカ連中、大きな政府に抵抗感がある人をどう説得するか、これも今後に残された課題でしょう。

 巻末で著者と評論家の辻田真佐憲氏が対談をしています。
 二人は『平成とはアンチ昭和の時代だった』と総括しています。平成の右翼は朝日新聞など昭和的な体質が残るマスコミを攻撃しました。一方、平成の左翼は安倍的な国家主義を攻撃しています。昭和の残滓を攻撃しているという点では両者は一緒です。

●要するにこういうこと! 時代遅れのアホは●なきゃ治らない。

 ボクもかねがねオールド左翼も男女差別意識が残っていたり、宴会や精神論大好きな全体主義的な発想は右翼とたいして変わりがないと思っています。アベノミクスは昭和のリバイバルですが、ただ憲法9条を守れというのもアメリカの核の傘があってのお話、やはり昭和のリバイバルに見える。
 『生活に困窮する若い人から見れば、左翼や組合は高年齢者の既得権益団体』という指摘がこの対談にも出てきますが、多くのリベラルの主張も昭和のリバイバルになっていないでしょうか。消費税ゼロなんか正にそうでしょう。ダメだった過去の、もっとダメな再現に過ぎません。
 今の若い人は共産党が一番保守的な政党と考えているそうですが、自民党だけでなくリベラルもまた、ポスト工業社会に通用する議論をしていないと思う。
●こういう風に与党アシストばっかりやってるバカもいます。


 じゃあ、どうするのか。著者たちはこう言っています。
 ネットだけではなくリアルな世界で、異なる立場の者同士が互いに対話をし、新しい時代にふさわしい『新しい物語』を紡いでいくしかないのではないか。かっての『一億総中流』のような物語をリバイバルすることはできないにしても、皆で共有できる『新しい物語』を日常から作っていく。陰謀論ではない、地に足がついた議論はリアルな生活の中でしか生まれません。

 そのためにはネットだけではなく、デモや草の根の活動、政治家や政党との連携強化などリアルな世界に働きかけていくことが大事。日本会議がこれだけ国会議員に影響力を持ったのも、彼らが左翼の運動論を真似て何十年も日常活動を積み重ねてきたからで、リベラルもまた、そこから学ばなければならない。


 

 今の日本で人々の間で共有できる『物語』がそう簡単に構築できるとは思いません。でも韓国では、かっての光州事件から軍政廃止、近年の朴政権をデモで倒した30年間が民主化の『物語』になっているようです。台湾では、ひまわり運動から始まったこの10年の政治がまさに『民主化の物語』になっている。
 時間はかかるにしろ、日本だって新たな物語を作っていくことは全く不可能ではない、と思います。
 
 この本には決定的な結論がある訳ではありません。インスタントな解決策もない。でも論理構成もちゃんとしているし、忘れていたことも整理されていて、考える材料としては良いです。特にボクは新自由主義的な発想をどうするのか、自己責任論をどう考えるのかということに問題意識があるので、有益な本でした。
 昭和をどう超克していくか。時代遅れの昭和リバイバルであるアベノミクスは勿論ですが、リベラルにとっても課題であるに違いありません。