特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

これは恋愛映画じゃない:映画『パスト ライブス/再会』

  楽しかったゴールデンウィークもお終いです。ああ(嘆息)。
 この時期 お天気も良く、新緑が美しい。これは映画を見に行く途中に通った邪教神社(笑)、明治神宮

 マンションの中庭ですら、普段より美しく見えます。日頃の憂さを新緑に慰めて貰っている(笑)。

 昨日の子供の日はもう、こんな感じなんですね。子供の日、という言葉も死語になりつつある。

そういえば町で鯉のぼりを見かけることも随分減りました。

 少子化になれば、経済は悪化する。経済が悪化すれば婚姻や出産も減り、更に少子高齢化が進むという負のスパイラルに今の日本は突入しています。おまけに国民の頭も劣化している。
 40年も前からこうなることは判ってきたのに、誰も手を打たなかったわけですからね。政党や役人だけでなく、殆どの男どもも家事すらしなかった。声を挙げることすらしなかった。

 自民党への逆風が話題になってますが、国民はどうせ直ぐ忘れてしまう可能性も大、じゃないですか。

 どんなタレントだか知りませんが、こんなバカにつける薬はさすがにない。

 それに自民党が酷いのは勿論にしても、野党に代わってもどうにかなるわけじゃありません。

 仮に野党に優秀な政治家がいてアベノミクスの後始末ができたとしても、あと10年はかかる。まして少子高齢化なんて今から対策をしても効果が出るのは50年後です。まして自民党も酷いけど野党の思考停止だってロクなもんじゃありません。

 新緑でも眺めながら、せめて静かに朽ちていく、というのが、これからの日本のあるべき姿でしょうか(笑)。 

 まじで日本人なんか地球上に存在する必要ないんじゃないの(笑)。


 と、いうことで、渋谷で映画『パスト ライブス/再会

 ソウルで暮らす12歳のノラとヘソンは互いに惹かれ合っていたが、ノラ一家が海外に移住したことで離れ離れになる。12年後、ニューヨークとソウルでそれぞれの道を歩んでいた二人はオンライン上で再会するが、遠距離ゆえのすれ違いでまた、離ればなれになってしまう。さらに12年が経ち、36歳で舞台作家になっていたノラ(グレタ・リー)はユダヤ人作家のアーサーと結婚する。ヘソン(ユ・テオ)はそれを知りながらも彼女に会うためにニューヨークを訪れるが

happinet-phantom.com

 ベルリン国際映画祭ゴールデン・グローブ賞、アカデミー作品賞&脚本賞などにノミネートされるなど非常に評価が高い作品です。監督は韓国系カナダ人のセリーヌ・ソン。これが初監督で、ソウル出身でNYに移住した監督本人の実体験が元になっているそうです。

 お話は3つに別れています。
 12歳のノラとへソンが互いに惹かれあうも、ノラの一家がカナダへ移住することによって離ればなれになるまで。

 その12年後 二人がネット上で再会するも遠距離のすれ違いで疎遠になってしまうまで。

 更にその12年後 NYで結婚しアメリカ市民権を取得したノラの元をへソンが訪れる。

 詳しい説明はありませんが、へソンは優秀な成績で大学を卒業、それなりの大企業に就職している。大企業とそれ以外には処遇がずいぶん差があると言う韓国社会の格差の大きさはよく言われるところです。
 ヘソンはプレッシャーに耐えながら兵役に就き、大企業に就職し、韓国人男性に要求される『一人前の男性としての責務』を果たしている。恋人ができたこともありましたが、遠く離れたNYにいるノラのことを忘れられない。

 ノラの夫のアーサーはアメリカ国籍のユダヤ人。作家です。

 彼は舞台脚本家のノラと同じクリエイターとして彼女の意志と自由を尊重している。家事も分担、同居人のような関係でもある。ソウルからへソンがやってくるとノラから聞いて心配はするものの、彼を喜んで家に招き入れ、夕食も共にする。

 若い女性を中心に映画館はお客さんは結構入っていました。きっと韓流の純愛もの?みたいなイメージでお客さんが入っているのでしょう。ボク自身はそれ自体はピンと来なかった(笑)。監督が描きたいことは、恋愛ではないと思ったからです。

 終始 映画で語られているのは主人公ノラのアイデンティティの問題です。
 3つのエピソードにはどれも、韓国特有の社会の現状が色濃く反映されています。
 軍事独裁政権が続いた韓国の将来を悲観して多くの韓国人がアメリカへ移民として渡ったこと。70年代、80年代から移民は盛んだったようですが、ノラの場合は90年代の通貨危機も関係しているのかな。
 現代は民主化はされましたが、今度は過度な学歴社会で子供の時から競争に追われている。大企業に就職するかしないかで、社会的な格差も大きい。中国との繋がりが韓国にとって重要になり、今度はアメリカではなく中国の影響力が強まってくる。
 そうやってグローバル化しつつある中でも儒教の男尊女卑的な発想が残っていて、男は充分な収入がないと結婚できない、という奇妙な強迫観念に囚われている。

 映画の中でノラが夫のアーサーに、ヘソンが持っている韓国人男性特有の男性性の魅力について語るシーンがあります。彼女はまんざらでもなさそうです。アーサーは思わず物憂げな表情を見せるのですが(笑)、元々ノラの気持ちは決まっている。

 劇中 24歳の時のノラの『韓国語なんて母親にしか使わない』と言うセリフがあります。彼女は韓国を捨ててアメリカで暮らすことを選びました。郷愁はあっても、自由に生きたい自分は韓国的なものを否定しなくては生きていけない。
 だけど、郷愁に多少は心が揺れる。人間ですから(笑)。

 この映画、そのノラが抱える矛盾が面白いんです。純情な韓流イケメンの恋物語に見えなくもないけれど、主人公の心の揺れの描写と比べたら、へソンのイケメンぶりとか純情ぶりとか単純すぎてつまらない(笑)。善人ではあるけれど、ただのバカじゃん(笑)。いや、へソンだって判ってはいるんでしょうけど。

 ま、ボクは、ヘソンの抱える『稼ぎが悪いと妻を養えないんじゃないか』と悩むような(マヌケな)『男性性』みたいなクズの発想が死ぬほど嫌い(笑)というのもあります。所謂 『マチズモ』ですかね。ボク自身はそういった『男性性』とは絶対に両立できない。死ぬまで闘ってやる(笑)。

 題名のPAST LIVESとは前世のことで、映画では前世からの宿縁のことが何度も語られます。ノラもヘソンも、そしてアーサーも自分たちの過去を肯定し、お互いが知り合ったことに感謝すらしている。でもノラの気持ちは最初から決まっているからこそ、そんな話が出来るんです。

 ラストシーンは登場人物たちの間の開け方といい、感情の爆発といい、本当に素晴らしい。この、心の揺れの表現はなんと言って良いのでしょうか(笑)。ノラはヘソンではなく、自分の過去のために泣いているのです。それを敢えて言葉にしない、これぞ映画です。
 この映画、恋愛映画ではありません。人間を描いた映画。だから普遍性がある。

 完成度は非常に高いです。脚本も良く練られているし、テンポも良い。ノラを演じるグレタ・リーが可愛かった(笑)。瑞々しいばかりの24歳と落ち着きがでてきた36歳の演じ分けもお見事。

 何と言っても出色なのが、映像も音楽も非常に美しいこと。音楽は全然知らない人ですが、『ドライブ・マイ・カー』の石橋英子ジム・オルークなど近年の邦画でよく使われるような、美しくクールな現代音楽で一発でボクは気にいってしまいました。アメリカっぽくない。

 普遍的なテーマを問う、美しい映画です。良い映画の常として、人によって色々な感じ方ができるとは思いますが、一人の女性のアイデンティティの物語としてボクはとても共感できました。


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