特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『引越し中華』と『世界サブカルチャー史 欲望の系譜 日本編(3)(明るい悪夢)』

 ボクの家の近所でも桜が咲き始めました。夜明けの光と桜、奇麗です。

 開花と同時に花冷えですが、これで花も長持ちするかもしれません。ボクの家の近所は桜並木が2キロくらい続いているのですが、例年 たった2週間だけ、まるで別世界になります。漸く春の訪れです。

 統一地方選挙が始まりましたが、全然盛り上がりません。子育て支援なんか元来 野党の政策だったのに、消費税とか的外れのことを言っているから与党に論点を乗っ取られてしまう9つある知事選で与野党対決は北海道だけですが、これじゃあ、社会が良くなるはずがありません。これは与党だけでなく、野党にも国民にも大きな責任があります


 先週末の 引越しでは、車で15分くらいのところにあるホテルに一泊しました。梱包した荷物は引越し業者さんに預けたままなので、ベッドもなければ料理も出来ないからです。

 例の旅行者割引ってまだやっているんですね。ホテルのフロントでワクチン接種証明を出せば一人当たり5000円割引き+クーポン券2000円。バカ安です。折角だから利用しましたけど、これはどうかと思いました。文字通り税金のバラマキです。


 
 白金にある都ホテルは79年開業と随分古いのですが、中華のレストランが名物です。ボクのモットーは、美味しいものを食べる機会は無駄にしない(笑)。『引越し蕎麦』ならぬ『引越し中華』にすることにしました。
 古いホテルに古いレストラン、寂れた感じもありますが(笑)、とにかく人が少ないのが良いです(笑)。

 最初は勿論、シャンパンから(笑)。引越しの疲れの束の間の癒しです。 

 この日のメニュー。四川料理ですが、普段食べるガチ中華とは違いお上品な料理です。

 前菜の盛り合わせ。適度なスパイスが柔らかなヴーヴ・クリコのシャンパンに合ってました。

 アオリイカとソラマメの炒め物。春のソラマメの爽やかな香りがイカに移っているのには感心しました。

 牛肉のフィレとアスパラの炒め物。牛肉なんか食べたいと思いませんが、素材自体は良かった。

 桜エビとしらすのおこげ料理。投入する瞬間!

 これもまた春の香りです。おこげというより上湯のスープを味わう料理でした。

 海老のXO醤炒め。干し貝柱がどっさり入っていました。海老の殻に切れ目が入っていて食べやすくなっているのは、さすがホテルの料理という感じです。

 大きなハマグリの蒸しスープ。
 スープは煮て作るのと、容器に入れて蒸して作るのとでは味が違います。もともと中華のスープって味は薄いけど美味しいと思います。歳を経るにつれ、蒸しスープの穏やかな味が段々好きになってきました。

 この店名物の麻婆豆腐ご飯。ガチ中華のように辛かったり痺れる訳ではありませんが、生姜の効いた繊細な味でした。

 杏仁豆腐は杏仁の香りがするのは当然ですが、フルーツとのバランスがちょうどよかったのには感心しました。

 流行とは全く関係のない味付けの料理でしたが、生姜やネギなどを効かせた柔らかな味でした。奇をてらったり、過激さを打ち出さない、オーソドックスな料理はやっぱり美味しい。

 引越しの前後はサンドイッチや菓子パンばかり、まともな料理を食べられなかったので、文字通り乾天の慈雨のような引越し中華でした。お腹いっぱいになった後は部屋で直ぐ、死んだように眠りました(笑)。


 引っ越し中は テレビも全く見られなかったのですが、レコーダーの録画はセットしておきました。これだけは見たかった週末のBS-NHKの『世界サブカルチャー史 欲望の系譜 日本編 60-90s』。第3回は80年代でした。 

 80年代とは日本にとって何だったのか。サブカルチャーの観点から分析したものです。ここいら辺はボク自身もリアルタイムで体験しています(笑)。

 番組最初で取り上げられたのはYMOです。ボク自身はYMOの音楽はそれほど興味はないのですが、メンバーの細野晴臣坂本龍一高橋幸宏は現在でも世界で通用する一流のミュージシャンだし、個別では好きな人たちです。高橋幸宏の逝去は今年のグラミー授賞式でも触れられましたね。

 彼らがやっていたことはある意味 虚飾にまみれた80年代とは相いれないものかもしれません。彼らが80年代早々に散開(解散)を余儀なくされたのは理解できないでもない。
●昨年発売された高橋幸宏の80年代前半のライブ。ジャパンのメンバーや鈴木慶一が加わった充実した演奏と黄色い声を挙げるバカな観客との落差が印象的でした。

 80年代はYMOに代表される日本の戦後民主主義が生み出した、オリジナリティのある実態を伴う文化と林真理子やコピーライターブームに代表される、上辺だけのゴミみたいな文化が混在していた時代です。

 番組では80年代の様々な風俗が取り上げられますが、それほど興味ない(笑)。
 が、80年代は日本経済の力も強まり、日米経済摩擦の発生や経済力に見合った役割を果たすよう海外からの圧力も受けるようになった。従来の戦後日本は自国のことだけを考えていれば良かったのですが、そうもいかなくなった
●先週のBS-TBS『報道1930』より。日本は未だに自国のおかれた状況になかなか目を向けようとしない

 今も『絶対平和主義』を信仰する(笑)一部のリベラルに代表されるように、自国のことだけを考えていれば済んだ戦後民主主義はある意味『自閉』していました80年代は戦後民主主義の綻びが色々なところから見えてきた。そんな時代です
●フランスの元首として初来日したミッテラン大統領の来日時のスピーチ。80年代は日本が海外に受け入れられ始めた時代でもありました。

 60年代は戦後民主主義を守ろうとして失敗した政治の時代既にこの時代に国民のアイデンティティとしての戦後民主主義は終わっていた)、

 70年代はシラケという言葉に代表される醒めた時代

 80年代は物質的に様々なもので充足されたものの、それに距離を置く、批評的な態度もどこかにあった

 だからこそ消費が一層盛んになった。そういう面もあった。

 番組を見ていて、60年代に戦後日本を定義しようとして失敗したことが80年代のバブルと90年代のバブル崩壊につながった、とボクは解釈しました。

 戦後日本にはアイデンティティ、実態がないからこそ、文化を消費するだけで自ら作る意識が薄かっただからバブルみたいな実体のないものに踊らされた、そういう訳です。
 ボク自身はバブル崩壊は単に経済政策の失敗と捉えていたので、これは新鮮な観点でした。


 結論として80年代は明るい悪夢』、とボクもそう、思いました(笑)。

 崩壊の予感を抱えながら80年代に見た夢は実際に90年代に醒めることになります。

 ボク自身は80年代にはYMOムーンライダーズに代表される面白い文化、戦後民主主義が実体を持ちかけたオリジナリティのある文化も生まれかけた、と思います。が、大勢としては消費に溺れてロクなもんじゃなかった(笑)。自衛隊の海外派兵など戦後の民主主義が明らかに違う方向へ向かい始めた年代でもありました。

 強いと言われた経済だって、金融緩和と企業の借金経営で膨らんだだけで実体を反映したものではなかった。その証拠に当時強かった日本の都市銀行も家電も半導体も今や見る影もありません。当時の大企業で残っているのはグローバル化を進めたトヨタだけです。

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 番組ではボクの大嫌いな林真理子が懸命にバブル期を擁護してましたが、タクシーも捕まらない、レストランも予約できない、マンションも買えない、バブルなんてロクなものじゃありませんでした。正直 90年代のバブル崩壊でホッとしました(笑)。

 問題は現在もアベノミクスの金融緩和でバブルが膨らんでいること。今だってマンションも買えなくなりつつある(笑)。
 このツケがどこで噴出するのか。また、終了しつつある戦後民主主義の代わりに日本人がどんなアイデンティティーを持つことができるのか。

 戦後日本の民主主義を代弁し続けた哲学者の鶴見俊輔先生は晩年『これからの日本の課題は如何に立派に世界の3流国、4流国になっていけるか』と喝破していました。
 具体的には、将来の日本はギリシャのように放漫財政と高齢化で衰退して観光くらいでしか稼げない老人国、というアイデンティティで十分でしょう(笑)。未だに同性婚も認めないような日本が先進国なんて傲慢もいいところ、です。

 韓国との和解すらアメリカの指示がなければできないのだから、日本は独立国どころか、アメリカの属国くらいがお似合い、分相応です。選挙に行かないような日本人の半分は独立国も民主主義も興味ないし、実際 属国でも誰も困らない(笑)。ま、穏当なボクは属国よりアメリカの51番目の州の方が良いとは思いますけど(笑)。
 バブルのような中途半端な大国意識、G7とかくだらない見栄こそ、社会を危うくするものです。それが『明るい悪夢』である80年代の教訓でしょう。明るい悪夢はまだ続いているのかもしれません