今日は楽しいお休みです。成人の日は15日というのが身体に染みついているので、ただのお休みの日。国家権力の思うがままにはされません(笑)。
今年はまだ、2日しか仕事に行ってないのに早くも精神的に疲労困憊(笑)。会社に行くだけで気疲れします。
いい歳こいて何ですが(笑)、我ながら、とことん労働に向いていない。と、言うか、人が居るのが嫌なんです。
お金を稼ぐとはそういうことなのかもしれません。今週から仕事が本格的に始まります、嗚呼。
能登の地震は想像以上に大変なようです。大きな地震があると雨が降る。神戸も東北もそうでした。避難者の人達はさぞかし寒い思いをされているでしょう。
東京で災害があっても、今の無能な政府じゃ、どうにもならない。
世の中が殺伐としているのは、この国では何かあっても誰も助けてくれないのを皆が無意識に判っているから、と思います。
民主党政権は国民を救いたいという意思はあるが能力が足りないって感じだったが、今の自民党政権は国民を救う気なぞない、そして当然能力もないって感じだな
— 愛国心はなまけ者の最後の逃避場 (@UniButterPasta) 2024年1月5日
そして困ったことに表面上は後者の方がまともに見えるのよ
ベーパードライバーのゴールド免許みたいなもん
しかも支持者は真性ドMで満足するし
もう一つ(笑)。
今ごろになって枝野さんがいかに凄かったかを思い知らされる。枝野寝ろっていうタグが出来るくらいの気迫だったんだから。どう指揮をするのかってより、そもそも人を救うんだという切迫感が現政府から感じられない。災害への備えもしてなかった。ちゃんと本気なら、思いが伝われば批判なんかしないのに
— yuu iwatsuki (@yuu_iwatsuki) 2024年1月3日
おまけ(笑)
「お見舞いの電報打っといたわ。地震で孤立してて大変なんだって? いや、集落じゃなくて岸田ちゃんがさ」 pic.twitter.com/CSOu1vpvys
— 🏕インドア派キャンパー 📣ⒻⒸⓀⓁⒹⓅ🔥 (@I_hate_camp) 2024年1月6日
北朝鮮、金正恩総書記が岸田総理に見舞い電報 能登半島地震受け 「前例のないこと」と韓国メディア | TBS NEWS DIG (1ページ)
今回は 感想が一杯あるので、さっさと本題に入ります。
日比谷で映画『窓ぎわのトットちゃん』。
第二次世界大戦が終わる、ちょっと前のお話し。好奇心旺盛でおてんばな女の子・トットちゃんは落ち着きがないことを理由に小学校を退学になってしまう。彼女は電車が教室として使われているユニークな校風の学校、自由が丘にあるトモエ学園に転校する。周囲から困った子と言われて傷ついていたトットちゃんだったが、そこで初めて自分の話に耳を傾けてくれる校長・小林先生と出会う。
黒柳徹子が自身の幼少期をつづった「窓ぎわのトットちゃん」のアニメ映画です。
原作は『世界で最も多く発行された単一著者による自叙伝』としてギネスに載っているそうで、世界中でベストセラーになりました。もちろん 戦後最大のベストセラー。
当然 映画化の話は数多あって、黒柳徹子曰く『黒澤明以外の監督は全員きた』(笑)くらいだそうです。しかし 彼女は『読者にとって、本のイメージが変わってしまうかもしれない』と拒否してきました。
彼女が今 初めてそれを許諾したのは『こういう時代だから』だそうです。
ボクは原作を読んだことがありません。今 ボクが住んでいる自由が丘一帯が舞台だから興味がない訳ではないけれど、へそ曲がりのボクはベストセラーなんか信用しない(笑)。
勿論 黒柳徹子がどういう人かは知っています。文化人やタレントとしての彼女だけではありません。
子供の時、伊豆下田の東急ホテルのプールで黒柳徹子に会ったことがあるんです。
当時 幼稚園児のボクでも人形劇『チロリン村とくるみの木』、『ブーフーウー』、『ひょっこりひょうたん島』、それに『サンダーバード』のペネロープ役で独特の喋り方をしていた黒柳徹子のことは知っていました。
幼稚園児にとって彼女は大スターだったんです!(笑)。
プールサイドの芝生の通路ですれ違ったとき、彼女は大きなサングラスをかけていたので誰だか判りませんでした。
親が『テレビに出ているお姉さんだよ』と教えてくれたら、彼女は振り向いて、わざわざサングラスを外して微笑んでくれた。
50年以上経っても、あの笑顔は覚えています。いい人です(笑)。
それでも、この映画はスルー予定でした。昭和の「児童画」のしっかり朱が塗られた唇や頬紅の表現を参考にした絵は最初は違和感があったし、空前のベストセラーの原作にも抵抗がある。役所広司をはじめとした豪華声優陣も興味なし(笑)。
ところが11月に見た『鬼太郎』と同じく、この映画もめちゃめちゃ評判が高い。
2023年最高の作品、という評すらあるくらいです。
これは見に行かざるをえない(笑)。
舞台は太平洋戦争の少し前、1938、9年頃でしょうか。
小学校低学年のトットちゃんは落ち着きがない子供でした。私語が多いどころか、教室内で度々騒ぎを起こして、小学校を追い出されてしまいます。
小学校の黒板には当時の教科書の「ススメ、ススメ、ヘイタイ、ススメ」という言葉が書かれていました。先生達には悪意はなくても、秩序を乱す子供には居場所がないことが判ります。
両親がトットちゃんのために見つけた新しい学校は自由が丘にあるトモエ学園でした。
自由が丘は元々 碑衾とか谷畑と呼ばれていました。カッコ悪い名前でしょ(笑)。所詮 農村地帯です。
地元の人もそう思ったのか(笑)、昭和初期に東横線や大井町線が開通して自由主義教育を唱える自由が丘学園ができたのを機に、自由が丘と改称された。昭和初期は大正デモクラシーの気質が残っていたのでしょう。トモエ学園は自由が丘学園の小学部が独立したものです。
設立の理念が自由教育だけあって、トモエ学園は少人数で生徒の自主性を尊重する学校でした。
生徒の意思を大事にする。何を勉強するか、生徒に選ばせる。校長の小林先生は、音楽を使って子供が自主的かつ体感的に育っていくリトミック教育の日本における先駆者でした。
以前の学校には馴染めなかったトットちゃんでしたが、トモエ学園では小林先生を始め、生徒に正面から向き合ってくれる人たちに囲まれ、伸び伸びと成長していきます。
今でいえばトットちゃんはADHDなのでしょう。原作はADHDの教科書としても使われている、とも聞きます。
トモエ学園には小児麻痺で半身が不自由な子供、泰明ちゃんも通っていました。同じように小児麻痺を患っていた当時のアメリカ大統領、ルーズベルトが車いすだったように、その頃は有効な治療法がありませんでした。若くして亡くなる人も大勢いた。
学校は様々な特徴を持った子供を受け入れ、その個性を尊重している。トモエ学園は生徒の身体のハンディや性別などに拘らず「皆、一緒に行う」という考え方で教育をしていました。
人に対して全く物怖じしない(羨ましい!)トットちゃんは次第に泰明ちゃんと親しくなります。
この映画は背景の説明が一切ありません。しかし考証の鬼と言いたくなるくらい、情報量が多い。テレビドラマや邦画によくある、何でも台詞で説明する幼稚な描写と違う、大人の表現です。
監督は『今回はお客さんが能動的に考えて、完成する作品を目指していたので、判らない人がいても仕方ない』と言っています「窓ぎわのトットちゃん」八鍬新之介監督インタビュー 「本当に人の心に届くモノにするためには、妥協はできない」 | スタッフ | レポート | WebNewtype。
観客が能動的に考えるからこそ、心に残る。
自由が丘やトットちゃんの家がある北千束の描写には本当に感心しました。まさにご当地映画です(笑)。
今 自由が丘の駅前にはこの映画のワンシーンが飾られています。
まだまだ畑が残っている田園風景、ボクが先月行ったばかりの浄真寺とか呑川の水路、洗足池、大井町線や自由が丘駅の様子が生き生きと描かれています。
特に洗足池の夏祭りや自由が丘~田園調布の線路沿いに続く道の描写は夢のような美しさでした。
空襲で焼け野原になったから当時と今は違っている部分はありますが、画面の中に面影は残っている。昔はこうだったんだろうと思わせる説得力がある。自由が丘の商店街組合は当時の様子が分かる古い写真などの資料を提供したそうです。
トモエ学園は空襲で焼失、今はイオン系のスーパーになっています。
リアルかつ美しく描かれた当時の風景の中で、子供たちが遊ぶ様子は本当に生き生きとしている。大人にとっても懐かしい。
重要なのはトモエ学園やトットちゃんたちは特殊な存在だった、という点です。
自由が丘や田園調布、北千束などは関東大震災後 渋沢栄一の田園都市構想に基づいて東急の開発が進められました。農村地帯に突然 都市部の住民、それもハイカラな人達が引っ越してきた。皇后雅子妃の実家の小和田家も北千束界隈です。
渋谷から引っ越してきたボクが、昔から自由が丘周辺に住んでいる洗濯屋の爺さんに話を聞いても、以前から住んでいた住民と震災後に新しく越してきた住民とでは意識が違うと言われます。
でも渋谷だって『戦後に越してきた人たちは新参者』と町内会のボケた年寄り連中が言っていたくらいで(笑)、人間はそう簡単なものではない。スケールの小さな移民問題はどこにでもある(笑)。
トットちゃんが住んでいる北千束の家はステンドガラスがある洋館です。北千束や自由が丘には今でもそのような洋館がたまに残っていますが、当時の一般的な家とは明らかに違う。泰明ちゃんの家も和風ですが田園調布の大きな家です。
生活習慣も周囲とは違います。トットちゃんの家では朝はパンを焼き、目玉焼きを食べ、コーヒーを飲む。両親をパパ、ママ、と呼んでいる。まだ和装の人も大勢歩いているような時代です。
トットちゃんの父親はN響の前身のオーケストラのコンサートマスターです。戦後 伊福部昭先生に呼ばれて、映画のゴジラのテーマ曲を弾いた人だそうです!
オーケストラの指揮者はドイツ語を話す外国人、ローゼンシュトックですが、日独伊三国同盟成立の話を聞いて表情を曇らせます。心配する周囲の人に対して『自分はドイツを捨ててきたから関係ない』と吐き出すように漏らす。映画では説明はありませんが、彼がユダヤ系であることが判ります。
やがて戦争が始まり、トットちゃん達の暮らしは次第に変わっていきます。
街の張り紙は好戦的なものに一変、男も女も関係なく国民自らが他人に質素倹約や道徳を強制する全体主義の風潮を作り出します。同調圧力と言っても良いか。
ハイカラなトットちゃんたち一家が洋装で外出すると白い目で見られるし、外では洋風の呼び方であるパパ、ママと呼ぶことすらできなくなります。
トットちゃんと仲良しだった自由が丘の駅員のおじさんは何時の間にか居なくなり(説明はありませんが、徴兵に決まっています)、表情が強張った女性が改札に立つようになる。
ボクが毎日 使っている自由が丘の駅前で出征兵士の壮行会をやっているシーンを実際に見たのはショックでした。普段使っている駅でもこんなバカなことをやっていたのか。
食べ物も不足し、子供たちは空腹を抱えて暮らすようになります。それでもお腹がすいたというと、非国民扱いされる。トットちゃんの家で飼っていた大きな犬もいつの間にか姿を消す。お父さんも徴兵される。そんな中でも軍人は威張っているし、おなか一杯食べている。
世間とは異なる自由教育を続けるトモエ学園や子供たちにも、周囲の風当たりが強くなってきます。
伸び伸びと育っていた子供たちは大切なものを次々に失っていく。それでも、トットちゃん達は子供ならではの想像力を巡らせて、楽しく暮らしていこうとするのですが。
びっくりするようなところはありませんが、実に美しく、感動的なお話です。傑作『この世界の片隅で』と並ぶといっても言い過ぎではないくらい丁寧な描写で、日常生活が描かれています。説教やメッセージの押し付けは皆無ですが、自然に平和の大切さや日常生活の貴重さが伝わってきます。
トットちゃんたちが現実だけでなく、空想の中でも無邪気に遊ぶシーン、戦前の自由が丘周辺のシーンの美しいことと言ったら!
アメリカへ留学している人の話として『アメリカにはTVという世界中のものが何でも詰まった平和の箱がある』という台詞がありました。戦後 黒柳徹子が抱いた思いはまさにそれなのでしょう。戦後こそは希望だった。
しかし、奇しくも11月に見た鬼太郎の映画が語っているように、『その思いは裏切られた』。そして今 戦後が終わろうとしている。戦後は裏切られたものであることが露わになった。
だから今 黒柳徹子は映画化を承諾した、と思います。
これを『いい話だった』だけで済ませるわけにはいきません。
平和の大切さや障がいをもっている人への差別や偏見を乗り越える話であるだけではなく、日本人の自滅の物語でもあるからです。
単に勝ち目のない戦争を始めただけではありません。トモエ学園のような自由や生徒の個性を大切にする教育を当時の日本人の多くは受け入れなかった。
今だってそうじゃないですか。下着の色や髪型まで強制するブラック校則のようなバカなことを今でもやっているし、政治家は国歌や家族の形まで強制しようとする。教師は低学年では『休め』や『気をつけ』、年長になれば組体操や丸刈りや制服など軍隊流の規律を押し付ける。生徒や父兄は疑問すら感じず、唯々諾々として受け入れる。
慶應高校の優勝など違う流れも出てはきましたが、丸坊主の甲子園のような旧日本軍のリバイバルみたいなことを未だにやっている。それを朝日や毎日などリベラルと言われる新聞が後援しているところが、日本人の一億総ファシズム的な体質を良く表しています。
今回の地震でも良く判りますが、日本人のファシスト気質は今も変わってない。『福田村事件』まであと一歩(笑)。
県外から被災地に救援のため入ったら「火事場泥棒だ!」
— mold (@lautrea) 2024年1月5日
トルコ人が炊き出ししたら「怪しい!」
共産党が募金を始めたら「中抜きだ!募金するな!」
共産党議員が被災地の現状をリポートしたら「邪魔だ!何もするな!」
被災者の邪魔しているのは誰だよ。
この映画は単なる回顧談ではありません。
軍国主義だけでなく、それに加担する『普通の人々』の罪をも描いています。ファシズムは政治家だけの問題ではない。一般人が加担するから起きる。
奇しくも同じテーマを扱った『トットちゃん』と『鬼太郎』が同時期に制作、発表されたのは『今は新しい戦前』と感じる人が多いからでしょうか。邦画は『福田村事件』のように実写は稚拙でダメなものもあるけれど、アニメは頑張っている。
今の時代だからこそ見る価値がある映画、大人の鑑賞に耐える細やかに作られた名作です。そう、傑作というより、名作という感じかな。