特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

映画『国葬の日』

 次第に過ごしやすい陽気になってきました。寒いよりは暑い方が良いですが、流石に今年は飽きました(笑)。
 雨の明治神宮を歩いていても、多少は心地よくなってきました。

 しかし、円安は進むし、物価は上がる。1ドル150円も間近です。

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 それでもまだ、アベノミクスを擁護するバカがいる(笑)。

 人間もここまでバカになれるものなのか、或る意味 感心します(笑)。


 と、いうことで東中野で映画『国葬の日

2022年9月27日、安倍晋三氏の国葬が、賛否両論ある中で東京の日本武道館で行われた。賛成の人、反対の人、興味がない人、その日の全国各地の様々な人々を追ったドキュメンタリー。

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 『なぜ君は総理大臣になれないのか』『香川1区』などの大島新が監督を務め、安倍晋三元首相の国葬を追ったドキュメンタリー。

 映画は22年9月27日の東京をはじめ、安倍晋三の地元の山口、京都、安倍晋三が殺された奈良の西大寺辺野古基地の座り込み現場、福島の帰還困難区域、北海道など全国10か所でカメラを回したものです。

 あの日は平日だったんですよね。勿論 ボクは国葬に反対でしたが、仕事があるのでデモに行くわけでもなく、いつもの平日と同じように過ぎていきました。あとでネットでバカウヨが騒いでいるのは見ましたが、国葬なんか全く興味ない。大多数の人が興味なし、ではなかったのではないでしょうか。目くじら立てるだけでもバカバカしい茶番でした。

 映画では最初に世論調査の結果が示されます。各媒体の調査でも国葬反対が全体の6割を占めています。それなのに国葬は強行されてしまった。

 山口の安倍の事務所へ沈痛な面持ちで弔問に訪れる人、一方 京都では国葬なんてやってるの?という若い人がいます。


 西大寺で献花に訪れる人の中には親子連れもいます。ボクなんかはそんな教育に悪い事をして良いのか、とも思うのですが、当人らは大まじめです。

 嬉しそうに安倍と一緒に写真を撮ったのを見せる人もいる。キモい。

 長い間総理大臣をやったのだから安倍晋三は偉いに決まっている。閣議決定したのだから、国民はそれに従うべきだという人もいる。一方 福島の被災地の人は、復興が進まないのに国葬なんかやってるのを複雑な面持ちで見ています。

 豪雨の被害にあったばかりの静岡県清水市は後かたずけに大わらわで国葬どころの騒ぎではない。その金を被災者に回してくれ、という人もいます。

 辺野古のゲート前で座り込みをしている人は『安倍は極悪人の犯罪者』と断言します。同感ですが、この人たちの訳の判らない運動スタイルにはそれだけで目を背ける人もいるでしょう。
 映画本編には写りませんが大島監督は知り合いから『『アベを許さない』など安倍に対する汚い言葉を並べて反対運動をやっている人たちはまるでトランプ支持者みたいだ』と言われたそうです。確かにどちらもポピュリズム、頭の悪さは同じくらいかもしれません。

 いつも思うのですが、あの小汚いプラカードはむしろ人を遠ざけます。逆効果もいいところです。

 辺野古のゲート前に巨大なダンプカーが数十台も入場するために並んでいる光景には驚きました。ゲート前の直線道路に先が見えないくらいダンプが延々と並んでいる。都心のビルや再開発の大工事でもこんな光景は見たことないです。辺野古基地建設は想像以上に大規模なもの、ということが初めて判りました。
 少し前に辺野古で反対運動をやっている人にインタビューした映画『シン・ちむどんどん』を見たばかりですが、こんな光景は全然判らなかった。さすが大島監督です。

 基地建設だけで莫大な金額が動いていることが分かります。酔っ払ってガールズバーで暴行事件を起こしたことで有名な自民党の国場議員自民・国場議員が一転…傷害容疑で書類送検に至ったワケ|日刊ゲンダイDIGITALの実家、国場組などはきっと大儲けでしょう。これだけの大工事だと経済的に基地に依存する人が出てくるのも理解できます。


 東京では国葬反対のデモに1万5000人も集まりました。ただ暴れに来ただけの中核派のクズ共や国葬賛成のバカウヨもボウフラのように湧いてきた。どちらも同類です。阿鼻叫喚のような景色がフィルムに写ってました(笑)。

 渋谷では元赤軍派の映画監督、足立正生が山上容疑者を主人公とした映画’’REVOLUTION’’の上映会を開きます。足立がこのような映画を撮り、上映することは大島監督がこの『国葬の日』を撮るきっかけにもなったそうです。
 酔っ払ってトークショーで吠える足立監督は83歳にして意気軒昂です。どうしようもないジジイです(笑)。頭は悪いけど面白いことは認めます。時代に取り残された絶滅危惧種(笑)。良くも悪くも悩みなんか無いのかもしれません。


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 その一方 大多数の人たちは国葬に関係なく、日々の暮らしを営んでいる。賛成、反対どちらの声も大多数の人たちには響かない。

 大島監督は時折『国葬に反対でも賛成でもお互いが会話することができない、分断が生まれているのではないか』と問いかけます。確かにそうかもしれません。

 国葬に反対する人たちと賛成する人たちだけでなく、国葬に興味がない人たちと態度を明確にする人たち、国葬を強行する政府と国民の間にすら会話はないお互いがお互いの立場を尊重して糸口を見つけ対話をしようとしない。同じ国の中で全く対話が成り立たないアメリカの反トランプ派とトランプ支持派の分断と同じようなことが日本でも生まれているのかもしれません。

 いや、日本では分断すら生まれていないのかもしれません。賛成でも反対でも、多くの人は政治を語ろうともしない。誰もが自分が多数派になったつもりで日々を生きている。映画の論調は次第に変わっていきます。

 映画としてはかなり荒っぽい出来です。あの日に起きていたことをただカメラで回しただけ、です。しかし時間が過ぎれば過ぎるほど価値がでてくる作品ではないか、ボクはそう思いました。
 国葬というバカ騒ぎを含めて、今の日本の出口なしの絶望、虚無を見事に描いた作品であることは間違いありません。


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