特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

映画『ザ・ホエール』

 和歌山の岸田襲撃?事件はビックリしました。テロより、岸田があんな田舎にまで演説に行っているのに驚いた(笑)。
 政治に不満を持っている人が多いからこういう事件が起きるのでしょうが、かといってなぜか投票率は低いままなのが不思議です(笑)。テロも投票率の低さも民主主義を破壊すると言う点では共通しています。

 ただ、ネットを見ていると犯人が特定の外国出身じゃないかというデマが挙がっていて、これまたビックリしました。

 真偽も判らないのに、そんなことを言って何になるのか。今の日本人はボクの想像以上に劣化が進んでいるのでしょう。


 昨日のNHKスペシャルは、日銀の大規模金融緩和が失敗した経緯を日銀の理事の証言でまとめた番組でした。アベノミクスの失敗を検証するのは悪いことではありません。

www.nhk.jp

 日銀の理事だから、皆バカじゃない。理屈は良く判っている人達でしょうけど、どの証言も他人事にしか聞こえなかった。
 彼らは内心『景気対策は日銀の仕事じゃない』、『バカな安倍晋三に脅されたから仕方なく大規模金融緩和をした』と思ってるから(確かにそうなんですが)、そういう反応なんでしょうけど、不動産価格の高騰や物価高、貧富の差の拡大など負の遺産を作ってしまったことへの責任は感じていないようでした。

 彼らを見ていて太平洋戦争の敗戦でも、多くの軍人や高級官僚が他人事だったのを思い出しました。しわ寄せは常に庶民の側へ回る。日本と言う国の体質は戦前と変わっていない と思いました。


 と、いうことで、六本木で映画『ザ・ホエール

かって同性の恋人と暮らすために妻子を捨てた40代の大学講師、チャーリー(ブレンダン・フレイザー)。恋人に先立たれてから過食症で極度の肥満体となり、自分一人ではまともに動けなくなっていた。看護師である恋人の妹のリズに支えられながら、オンライン授業でエッセーを指導する講師として生計を立てていた彼は心不全で死期が近いことを悟る。彼は疎遠になっていた娘エリーに会おうと決意する。彼女との関係を修復しようとするチャーリーだが、エリーは学校生活や家庭にさまざまな問題を抱えていた。
whale-movie.jp

 『ブラック・スワン』、名作『レスラー』などのダーレン・アロノフスキー監督が、舞台劇を映画化したもの。
 『ハムナプトラ』シリーズ(結構面白かった)でスターになったものの、業界のセクハラにあって心身に異常をきたして半引退状態だったブレンダン・フレイザーがこの作品でカムバック、体重270キロを超える主人公を演じてアカデミー主演男優賞を取ったのも記憶に新しいところです。

ハムナプトラ出演当時のブレンダン・フレイザー

 また看護師のリズを演じる、ベトナム難民出身のホン・チャウはアカデミー助演女優賞にノミネートされました。

 主人公のチャーリーは超肥満体で満足に動くこともできません。血圧は238/134にまで達しており、心臓も弱り、時折激しい痛みの発作に襲われています。

 訪問看護師であるリズも本人も、先はそれ程 長くないことは判っています。このお話はチャーリーの最後の5日間を描いています。

 お話は室内劇、戯曲の色彩が非常に濃厚です。肥満体のあまり、まともに動けない主人公の元に登場人物が入れ替わり立ち代わり表れてお話を展開していく。主人公が大学のオンライン講義で生計を立てているのもコロナの時代を象徴しています。よく出来ている。絞られたテーマを主張するには非常に分かり易い設定です。
 
 主人公のもとを訪れる娘のエリー、

 キリスト教系の新興宗教の自称宣教師、

 献身的な看護を続けるリズ。訪れてくる誰もが問題を抱えています。主人公だけではありません。

 実際 原作の戯曲を書いた原作者は同性愛を否定するキリスト教の高校に通い、後に鬱、過食症になったそうです。

 娘はかって母親と自分を捨てて男の恋人に走った父親、チャーリーを許すことはできません。母親はアル中気味で、娘も麻薬も使うし学校も落第寸前に追い込まれています。さらに彼女自身もレズビアンであることが暗示されています。

 チャーリーは自分の罪は判っています。恐らく彼は物心ついてからずっと、自分を隠し、自分を偽って生きてきた。結婚後 彼が同性の恋人を見つけたのは彼にとって初めての自分を取り戻すチャンスだったのでしょう。

 と、は言え、恋人のために妻子を捨てた彼は間違っていた。しかし、懸命に罪を償おうとする今の彼を間違っている、と決めつけてしまうことが出来るでしょうか。贖えるかどうかは別にして、人間には罪を贖う権利もあるはずです。

 世界から拒否されて生きてきたチャーリーです。不器用で心優しい彼は密室の中で閉じこもることしかできませんでした。
 この映画は単に過食症の映画ではありません。過食症キリスト教もメタファーです。過食症は人間の孤立、キリスト教は人間を抑圧する世界の象徴です。
 今更 瀕死の状態となってしまったチャーリーの孤立を救うことは出来ません。でも、せめて死ぬ前にチャーリーは密室から出ることはできるのでしょうか。

 この映画、主人公のブレンダン・フレイザーの演技は凄いです。この映画での彼は『演技』という言葉で表現できる範囲を超えている。終盤は見事に彼の演技だけでお話を持って行っている。寄せては砕ける波のような演技の繰り返しが観客に高揚感すら感じさせます。
 
 個人的に他人事とは思えなかったせいもありますが、最後の15分くらいはずっと感動の涙が止まりませんでした。孤独な魂の救済、という普遍的なテーマを説得力を持って語っているからです。

 感動の度合いから言ったら、作品賞を始めアカデミー賞を総なめにした『エブエブ』や圧倒的な完成度のスピルバーグの『フェイブルマンズ』を遥かに超えます。世界に対する暗喩と人間に対する深い愛情がちりばめられた本当に素晴らしい作品でした。


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