特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

孤独で破綻がない世界:シングルマン

アリゾナ州ツーソンでの乱射事件は衝撃的だったし、がっくりきた。言論を暴力で押さえつけることほど愚かなことがあるだろうか。


恵比寿で『シングルマン』。90年代にグッチを立て直したことで有名な服飾デザイナー、トム・フォードの初監督作品。
舞台は1962年のロスアンジェルス。恋人(男性)の事故死で人生に絶望した男性が自殺を決意する。その最後の一日を描く、そんな話だ。

シングルマン コレクターズ・エディション [DVD]

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主人公はイギリスからアメリカへ渡ってきた大学教授、シリアスで几帳面な性格。
彼が自殺を決意した、そんな日に限って他人からの好意が寄せられる。若くて可愛い教え子(男の子)は言い寄ってくるし、別れた元妻(これは女性)からも迫られるし、スーパーでラテン系の男の子をナンパしてもばっちり決まる(笑)。ついでに夕陽も美しい。
そんな誘惑に心惹かれながらも、なんとかして?彼は自殺しようとする。


トム・フォードの映画ということで想像できるように、コリン・ファース演じる主人公の造形がエレガントで見ていて楽しい。
白シャツがずらりと並んだ彼のチェストは圧巻だし、身体のラインにぴったりとしたスーツには皺一つない。自殺を決意したら、棺桶に入るときのスーツも準備し、遺言ではネクタイの結び方まで指定する。自殺する場所も、純白で皺一つないベッドが血糊で汚れるのを悩んだりする。
悩めるインテリ役を演じるコリン・ファース、自殺する直前だというのに男の子をナンパするような、豊かな感情表現が自然でとてもいい。重厚さと軽やかさが共存している。
主人公の元妻役のジュリアン・ムーアもゴージャスに描かれる。適度にお肉がはみ出す下着姿、完璧に決まったドレス姿、画面にはその二つしか出てこないが、どちらもとても魅力的だ。更に言えば、胸板の厚いコリン・ファースの下着姿、若い教え子のぴちぴちした全裸姿の写し方もスタイリッシュでセクシーで、こういうのがトム・フォードの世界なのか、と思った。


この映画の中では、世界はファッションも住居も車もインテリアも完璧に決まっていて破綻というものがない。ついでに生活感も全くない(笑)。
だが非凡なのは演出のほうも破綻がないところ。主人公の完璧なライフスタイルをサポートする有能なハウスメイドを描いたり、趣味のいい家はかって主人公が建築家と同居していたから、という設定にしたり、主人公はLAに越してきたイギリス人という設定にしたり(そんな人間がアメリカ人のわけがない)、演出も手抜きが全くないから、劇中の生活感が皆無であることにも説得力がある。
スノッブなんだけど嫌味がないのは、トム・フォードというヒトが自分の興味に正直な、ある意味『おたく』だから、なのだろう。


冒頭、主人公が暗い水の中へ沈んでいく描写がある。主人公の苦悩を象徴するかのように、それからも度々同じ描写が挿入される。『死の予感』と現実としての『生』がせめぎあっているかのようだ。最後にもう一度その描写が映され、とうとう悩みが解き放たれたかのような時間が訪れる。
そのあとの皮肉な結末もお見事。だけど、そこには安らぎがあるのだ。


この映画はユーモアとエレガンス、シリアスさと哀歓が折り目正しく配置されて、まるで箱庭のようだ。その中には声高な商業主義や人間の悪意は存在する余地はない。抑制された静けさと諦観、そして、それ故の豊穣さがある。それは孤独で破綻がない世界。現実を徹底的に無視することで、現実に正面から向き合う、ある意味で非常に映画らしい映画。
見ていて、とても楽しかった。