特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

押し付けられるものは嫌い:ケン・ローチ監督の新作『エリックを探して』

新年で何が一番頭にくるか、と言えば、新年会とか賀詞交換会とかの類の会合だ。
『社交のための装置』としての機能は理解するが、ボクは宴会とかパーティーは何であれ、大嫌いなんだよ。そこに居る人がどうこうではなく、単純に他人と話すことがないのだ。努力はするけど どうしても話題を思いつかない。野球もゴルフもサッカーも酒もギャンブルも(ついでに仕事も)、興味ないんだもん(笑)。もちろん楽しい人も居るのだろうが、ボクにとってはパーティとか宴会は苦痛そのもの、何も得るものがない不毛の時間だ。

仕方ないから、その場ではひたすらニコニコしてやり過ごす『ニコニコ仮面』でいるしかない。

こういうのをまさに感情労働というのだろう。つまり個人の感情や価値観まで、何でもカネに換算する新自由主義の陰謀と言いたくなるが、宴会とかそういうものは遥か昔からのものだから、もっと根が深い、つまり集団が個人に特定の価値観を押し付けるファシズム的行為の一つと定義づけるしかない。更にいえば 宴会の多さは多分日本特有なのだろうから、野蛮な低開発国の社会ならではのファシズム的行為、というのが正しいのかもしれない。

自分にとって最大の敵は、こうやって集団が個人を抹殺しようとするファシズム的なもの、だと思っている。そういうものが理不尽な権力とか有形無形の圧力、そして宴会、の形で個人に押し付けられる。
だから宴会に対してはニコニコ仮面だけでなく、『行くふりをして帰る』、『受付だけして、帰る』、『ひたすら食う』、『トイレに隠れて時間を潰す』、『途中で逃げる』、などありとあらゆる手段で徹底抗戦あるのみなのだ。


渋谷でケン・ローチ監督の新作『エリックを探して』。痩身エステ金額チェック!お試し体験は格安ですけどコースに通うと・・・
本当は『キック・アス』を見に行ったんだが、朝1回目ですら満員でやんの。
個人的にケン・ローチ監督の作品とは相性があんまり良くない。
この人は商業右翼のフジサンケイグループ(と、社員がそう言ってた)の高松宮殿下記念世界文化賞(恥ずかしい名前だ)を2003年に受賞した。その受賞パーティーで中曽根大勲位に握手を求められて、『(かって不沈空母発言をした中曽根のような)戦争屋とは、私は握手をしたくない』と言って拒否したそうだ(その場に居た井筒和幸監督の話)。
つまりケン・ローチ氏は人間的には立派(笑)だし、作品も丁寧かつ真面目なんだけど、教条主義というか、硬直的というか、価値観や物事に対する感じ方を見る側に押し付けてくる気が若干、するのだ。
いつもコメントを下さるtakammさんはこの人の作品を『話に工夫をこらそうとするため逆に嘘くさくなってしまう』と鋭い指摘をされていたが凍った河、凍てついた心:フローズン・リバー - 特別な1日(Una Giornata Particolare)、作風はまったくそのとおりだと思う。きっとケン・ローチ監督は世の中に対する怒りとか正義感がとても強い人なのだろう。


だが、今回はコメディ。『初のハッピーエンド』(笑)だそうだ。
舞台は現代のイギリス。主人公は郵便局に勤める中年男。地元のマンチェスターユナイテッド(サッカーチーム)、そして名選手エリック・カントナの熱狂的なファン。真面目で気が弱い彼は2回目の妻の連れ子二人ともに男3人で暮らしているが、仕事もうまく行かず、家庭生活もうまくいかない。
そんな彼が一人悩んでいると、自分のヒーローであるエリック・カントナ(本人の出演)が目の前に現れ、アドバイスを始める。そんな話だ。
ボクはサッカーもエリック・カントナのことも全然知らない。それでも、なかなか楽しいし説得力がある映画だった。

まず主人公が心惹かれ続けている、最初の妻を演じるステファニー・ビショップはまばゆいばかりに美しい(ボクの好みというだけかも)。だが弱気な男が変わっていくトリガーとしては納得できる(笑)。
子供を守るためストリートギャングと対決する彼を救うのは、ケン・ローチらしい『仲間との団結』だが、今回は説得力があった。何も出来ずに一人悩む主人公に、カントナが『仲間を信じる勇気を持て』と諭すのだが、実際にそうやってゲームを勝ち抜いてきた?カントナが言うと確かにそれらしく聞こえるのだ。
主人公が職場の仲間と共にギャングと対決するクライマックスは『うそ臭い』が、カントナの存在があるからファンタジーであることがはっきりしているので、見ている側には暖かい心持があとに残る。


そうなってくると監督がいつもどおり丁寧に描くディテール部分も生きてくる。
サッカーチームに労働者階級の思い入れがあるのは、当初はチームが地元の労働者たちで構成されていたから、だが今や入場料が高くなりすぎて労働者は中々見に行けない、特にマンチェスターはスポンサーがアメリカ金融資本に変わってしまったこと、など。労働者階級の家に薄型TVがやたらと目立つのはどこの国でも共通のようだ。ボクの家もそうだな(笑)。

今回のケン・ローチ作品は肩の力を抜いた描写で成功したと思う。
やっぱ、押し付けられるものはツマンナイ、よ。