特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

0823全国若者一斉行動(笑)と映画『スリーピング・ボイス』

昨日は全国64か所!で安保法案への抗議が行われたそうです。もう若者ではないボクも(笑)、SEALDs主催の青山〜表参道のデモ(0823全国若者一斉行動)へ行ってきました。集合は午後4時半に霞町(西麻布)近くの公園です。ざっと数えたら、参加者は5000人くらいでしょうか(主催者発表 参加者6500人)。文字通り老若男女が集まっていました(笑)。この日の雰囲気はコトバより、写真やビデオの方が雄弁に語ってくれると思います。
●霞町の公園にて(霞町という由緒ある地名を西麻布なんて下品な町名に変えた官僚をボクは許せません)



●霞町にもバカでかい米軍施設があります。戦前の麻布連隊の駐屯地にも近い、ここいらのフランス料理屋で226事件の首謀者の青年将校が事件前夜に晩餐をしました。如何に救いがたいアホとはいえ、泉下の連中は戦後70年経っても存在している米軍施設を見てどう思うでしょうか。

●抗議風景@霞町〜青山通り






●『Join Us!』に注目

●歩道橋や沿道には応援してくれる人が大勢 居ました。歩道橋に8月30日の一斉抗議の垂れ幕を垂らす人たち。

                          
ボクは超早歩きなので、いつの間にかスタート時の中高年主体の梯団から、高校生&大学生主体の梯団へ追いつきました。当たり前ですが、こちらは若い(笑)。元気! こちらはサウンドカーが流すドラムンベースに合わせてのコールです。やっぱりBGMがあると全然違います。心地好いです。音楽の力は偉大だ(笑)。反核運動賑やかな頃、佐野元春かなんかが『(所詮は弱い人間である)ボクたちがもうちょっと勇気を出すためには、ビートの力が必要だ』と言うようなことを言ってました。それは正しい。ここからはビデオ主体で様子を紹介します。ちょっと面白いですよ。どのビデオも約10秒程度です。
●We've Gotta the Beat!


●沿道からアフリカ系の人のハイタッチ!(びっくりした〜)

ボクが生まれた病院は表参道にあります。通った幼稚園も青山にありました。幼稚園の帰り、まだ人通りの少なかった表参道を下ってフランセ(ケーキ屋)のパリ・ブレスト(リング状のシュー・クリーム)を親に買ってもらったのを今でも覚えています。その頃はバタークリームじゃなくて生クリームを使った、まともなケーキ屋なんて、表参道や青山でしか見かけなかった。今 こうやって表参道を歩いていると、こそばゆい気持ちがしました。

●一緒に歩こう!


                                                                                   
こういうデモっていいです。頭が悪い労組や団体の幟もないし、インチキ臭い動員もない。み〜んな、自分の意志で集まった個人ばかりです。だから自然に声が出る。音楽に載せながら、明るく『一緒に歩こう!』という開かれた姿勢がいい。『外国のデモは楽しそうで羨ましいなあ』と思い描いていたこういう自然なデモがやっと日本でも実現した!って感じがしました。性別、年齢、国籍、多種多様な参加者の多くが笑顔です。ボクは単純に嬉しかったし、楽しかった。311以降のデモでは一番楽しかったかも。『楽しい』って大事なことだと思います。若い子たち、恐るべし(笑)。ありがとう!
●ノー・パッサラン!

●Mothers Against War!

●抗議風景@表参道







             
『ノー・パッサラン!』 つながりで(笑)、スペイン市民戦争の残した傷跡を描いた映画『スリーピング・ボイス 沈黙の叫び』。

舞台はスペイン内戦が終結して2年経ったマドリッド。共和派に対して勝利を収めたフランコ軍事政権は共和派のメンバーだけでなく、その妻や恋人まで投獄して死刑を行っていた。貧しいアンダルシア地方出身の主人公は妊娠中にもかかわらず投獄された姉の差し入れをするためにマドリッドへ出てくる。政治のことに全く関心がない主人公だったが、逃亡している共和派の姉の夫への伝言を言付かるようになる。共和派に同情的な雇い主の助けを借りながらメッセージを届ける彼女ですが、軍事政権の追及の手はゆるまず、次第に彼女にも危険が迫ってきます。
                                                                                         
個人的にスペイン市民戦争には興味があります。ナチやムッソリーニの支援を受けた軍部のファシストに対して一般の市民が世界中から集まって抵抗したというのは、ヘミングウェイじゃありませんが、確かにロマンティックですらあります。でも現実は甘いもんじゃなかったようです。市民の側、共和国側の内情も酷いもんで、政府は無能だわ、内ゲバは起きるわ、共産党は得意の権力争いを始めるわ、ソ連は火事場泥棒で金塊を持ち逃げするわで、共和国側は負けるべくして負けたということも判っています。とにかく当時 共産党がやってたことはボクは許せないです。それにファシスト側だけでなく、共和派側も相手に対するテロや残虐行為は酷かったそうですし。そしてスペインに残ったのは今にまで至る国民同士の傷だそうです。戦中は勿論、戦後のフランコの弾圧で殺された死体の発掘が今も続いています。和解はまだ始まったばかり、だそうです。それがこの映画の背景でしょう。


                                                               
映画は無実の女性が獄中で死刑を言い渡されるところから始まります。たまたま彼女の恋人が共和派だったということだけで捕まり、国家反逆罪を言い渡されたんです。恋人が共和派だった、主人公の姉も獄中にいる。妊娠している姉に差し入れする為に、貧しいアンダルシア地方から首都マドリッドへ出てきた主人公は上流階級の家で召使として雇われます。その家の主人は将軍の息子であるにもかかわらず共和派に同情的で、逃亡している共和派のメンバーの手助けをしています。だが、彼の妻は家族を共和派に殺され、絶対に許さないことを誓っています。そう簡単に割り切れる話ではありません。
●真ん中が主人公の姉。妊娠中の彼女も恋人が共和派というだけで収監されてしまいます。

                                                                        
主人公の少女は妊娠している姉の元へ通ううちに、逃亡中の義兄への連絡を頼まれます。義兄は山の中で数人の仲間とゲリラ戦を行っています。政治にかかわりたくない少女ですが、妊娠している姉の頼みはどうしても断れません。その連絡には共産党からの指令も含まれていて、次第に彼女も政治に巻き込まれていくことになります。
●主人公。いかにも田舎から出てきた娘と言う感じです。地方出身には珍しく!字が読める彼女は周りから重宝されます。

                                                                                             
ここで描かれたフランコ派のやってることは旧日本軍もびっくり、極悪非道です。戦争が終わって2年もたっても共和派の残党を追及して殺しているのもまともではないし、無関係の女性でも平気で捕まえて拷問にかけます!更に悪辣なのがカソリック教会政治犯向け監獄ではシスターや神父が看守を顎で使って、神の名のもとに無実の囚人に謝罪を迫り、苛めたおしている共和派は皆 共産主義者で神の敵、ということらしいです。そして囚人の中にも警察のスパイがいます。また看守の中にも囚人のために働いているものがいる。両派ともに騙し騙されながら、暗闘を繰り広げます。
●神の名のもとに人殺しを続けるカソリック教会。

                                              
そんな騙しあいの中で少女にも次第に危険が迫ります。疑われた彼女も警察に捕まり、素裸にされて拷問にかけられます。警察の拷問は半端じゃない。男女関係なく裸にして殴り倒したり、局部に電気ショックを加える。映画では直接的な残酷描写はないけれど、こんなことが行われていたのには驚くしかありません。4月に見たドキュメンタリー『皆殺しのバラッド2018年問題と映画『皆殺しのバラッド メキシコ麻薬戦争の光と闇』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)のメキシコの麻薬マフィアも酷かったですが、こっちも負けてない。ISは酷い、と言いますけど、連中だって人類の愚行のなかではそれほど特殊なものではないことを改めて認識しました。


主人公は何とか警察から逃れますが、姉には獄中で出産後に死刑、という判決が下されます。まともな裁判もまともな罪状もありません。姉はそれでも、何とかして出産した子供を主人公に託そうとします。

この映画の優れた点の一つはどちらが善とか悪とか決めつけないことです。姉が託した未来への希望を叶えるために、今度は看守が尽力します。死刑を待つまでの時間、看守が見せる行動には見ている側も救われるような気がします。一部の例外を除いて、根っからの悪人も根っからの善人もいない。人間は状況に応じて善を為したり、悪事を為すものなんでしょう。この映画は共和派にもフランコ派にも一般の人にも様々な人が居たのを丹念に描いています。
●彼女はやがてアナキストと恋に落ちます。警察の目が光っているため、礼拝に紛れてしか彼には会うことが出来ません。
                                                                                                           
                                                        
国民同士が憎みあい、殺しあった時代、多くの国民が字も読めないくらい貧しかった時代。僅か70年前にこんな酷いことが行われたことを忘れるな、と『スリーピング・ボイス』は訴えています。劇中 主人公は『この戦争は闘うべきではなかった戦争だ』と血を吐くような叫びを投げかけます。権力者や政党がどんな美名で飾ろうと、庶民にとって『闘うべき戦争』なんてない。娯楽映画ならではのカタルシスとは無縁ですが、この映画の淡々とした、だけど丁寧な描写は心に残ります。良い映画でした。