特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『梅雨明けの大雨』と映画『ワンダー 君は太陽』

関西・中国・九州の雨は想像以上の大災害になってしまいました。
杜氏を廃止、コンピュータによる酒造りで海外進出にも成功したことで有名な日本酒の『獺祭』の蔵元(山口県)も被害を受けて90万本がパーになってしまったそうです。


特に岡山などは災害が少ないところ、という印象があったので驚きです。最近は雨の降り方自体が昔とは違いますし、我々の心構えや備えもそれに合わせて変えていかなければならないということなのかもしれません。


大雨の最中も自民党の宴会をやっていて二日酔いの顔で記者会見をしていた安倍晋三がようやく今日、外遊の中止を表明しました。
●金曜夜の宴会風景。議員との懇親会『金曜自民亭』

*土曜日

*土曜日の顔↓


国を守るとか言っているような連中が本気で守る気なんかないのは歴史を見れば明らかですが、こいつほど露骨なのは珍しい。


土曜日の朝日新聞の朝刊、人生相談『悩みのるつぼ』は笑ってしまいました(悩みのるつぼ)ある政治家のせいで情報に疎い:朝日新聞デジタル
相談の内容自体はくだらない、当然の話なのですが、相談者も回答者もそれを理解した上で紙面を使ってあてこすりをやっているところが面白かったのです。


相談は、『ある政治家が大嫌いで、その政治家がTVに出るたびに画面を消してしまう。おかげで世事に疎くなってしまった、どうしましょうというものです。政治家の実名は挙げていませんが、それだけTVに出てくるというのは安倍晋三に決まってますよね(笑)。ボクも画面を消してしまうことが多いので、気持ちは大変よくわかります。



それに対して回答者の美輪明宏はこう答えています。
『その政治家』(笑)に対して、そういう気持ちを持っているのは相談者だけではない。
そう諭した上で、それでもニュースを見なさいと答えています。
相手がまともな人間で、ある程度の品位を持っているという前提で考えるから腹が立つのかもしれませんが、ニュースをしっかり追えば「政治家以前に、人としてもダメな人」と痛感することだってあります。


相変らずうんざりするようなニュースばかりですが、こうやって笑いながらでも、クールに事実を直視することは大事だと思ったので、ご紹介しました。
●今週末のJNN世論調査。この調査で自民党の支持率が30%を切ったのは12年12月以来だそうです。


●災害が起きると必ずデマを飛ばす低能が湧いてきます。どうして、このような下劣なことができるのか、また不用意に拡散するバカがいるのか、不思議で仕方がありません。


●追悼 大岡越前 『憲法は戦争で亡くなった人の夢の形見』というのはウルっときました。



ということで、新宿で映画『ワンダー 君は太陽映画『ワンダー 君は太陽』公式サイト - キノフィルムズ

遺伝子の異常で生まれつき顔立ちが変形している少年オギーは、幼いころから自宅にこもって母親と勉強していた。外出には宇宙飛行士のヘルメットを被って出かける彼を外の世界に触れさせるべく、母親はオギーを小学校に編入させる。同級生と仲良くしたいと願うオギーだが、子供たちからは避けられ、イジメや偏見の目に晒される。しかし、彼の行動は次第に周囲を変えていく


この映画はスルー予定でした。難病ものって気が進まないんですよね〜。お涙頂戴で適当にごまかすんだろうって思ってますから。この映画は非常に評判が良いのは聞いてましたが、公開して3週間後、時間が余ったので見に行った次第。監督はボウイの「ヒーローズ」が印象的に使われていた青春劇『ウォール・フラワー』のスティーヴン・チョボスキーだから、音楽のセンスは良いんだろうなとは思ってたんですけどね。


映画は、生まれつき顔立ちが他人と大きく違う主人公のオギーが、早く社会に出るべきだとする母親の強い勧めで小学5年生で裕福なお坊ちゃま学校に編入するところから始まります。
●オギー(中央)は外出時は常に宇宙飛行士のヘルメットを被って顔を隠していました。そんな育ち方をした子供です。


主人公は『ザ・ルーム』が印象的だったジェイコブ・トレンブレイ君が特殊メイクで頑張っています。気丈な母親役がジュリア・ロバーツ、尻に敷かれまくっている父役がオーウェン・ウィルソン。それぞれに見せ場を作っているところは3人ともうまいなあと思ったんですが、この3人はどうでもいいんです。
ジュリア・ロバーツ演じる母親は主人公オギーを愛しながらも、オギーのために自分のキャリアを犠牲にしたという面にもスポットライトが当てられます。

●父親役のオーウェン・ウィルソンは見たまんま、常に妻の尻に敷かれる優しい父親です。でもオギーにとっては強弱のバランスが取れています。

この映画が非常に優れているのは、本人だけでなく、オギーの姉であったり、オギーのクラスメイトであったり、姉の友人であったり、第3者の視点で描かれるところです。この子たち、それぞれの事情と気持ちが描かれるから、物語が複層的になっている。結果としてお話は感傷的になったり、一面的な見方になっているのを防いでいる。


で、それぞれの子供たちが実に良い顔をする。特に姉(イザベラ・ヴィドヴィッチ)、TVを中心に活躍しているそうですけど、この子は表情が豊かでありながらも柔らかで、非常に魅力的でした。この独特の存在感は将来スターになるかも。オギーが大変なのはもちろんですが、両親の関心が弟に集中することで、高校生の姉だってさびしい思いをしています。賢い長女だから、それが当たり前だと思ってきたけれど、心の底には割り切れないものがある。姉にしろ、クラスメイトにしろ、この映画は、普通の映画ならあっさり無視されてしまうような気持ちが丁寧に救い上げられる。それが主人公の立場をも浮き彫りにします。
●姉役のイザベラ・ヴィドヴィッチちゃん(左)は主人公より良かったかも


またクラスメイトたちも主人公の添え物ではなく彼らなりの事情が描かれています。裕福なお坊ちゃん学校という設定が効果的です。。オギーと同じように彼らなりの人生がある。それを描いているのも映画の勝因です。
●ジャック(右)はシングルマザーに育てられながら、奨学金を受けて学校に通っています。

●サマー(左)は男前の女の子です。かっこよかった。


お話はユーモアあふれる語り口、絶妙な音楽と同時に軽やかに進んでいきます。お涙ちょうだいでは全然ありません。安っぽい感傷に流されたりせず、差別(病気だけでなく、差別全般です)は許さん、という筋が一本 強烈に通っている。登場人物が全て善人なのがインチキ臭い、という意見もあるかもしれません。確かに世の中の現実は必ずしもそうなってはいない。しかしそのメッセージを伝えるためのストーリー・テリングとして登場人物が全て善人、というのに説得力があるし、それがこの映画を一層愛すべきものにしている。オギーの行動が周りの子供たちを変えていくところは、この映画お作者が人間一人一人の可能性に賭けているからだと思います。
まったく、やられてしまった映画(笑)、感動しました。お涙頂戴どころか、非常に爽やかな、良い映画です。これは見逃さない方がいいです。