特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

面白くて、やがて悲しき:映画『裸のムラ』

 お天気ははっきりしませんでしたが、楽しい楽しい3連休でした。3日間休みがあると、ほんとリラックスできます。
 今更ですが、何故連休が楽しいのかと考えたら、『自由だから』ということに気が付きました。もちろん仕事や人間関係のことを考えなくて良いからお休みは楽しいのですが、それも元を辿れば『自由だから』。ボクが宴会を死ぬほど嫌いな理由もよく考えたら『時間が束縛されて、自分の自由が失われるから』。

 お休みの日に何か有意義なことをやってるわけでもなく、ボケっとしてるだけ。下手すれば自由を持て余してしまうのは凡人の悲しさではあります。でも、自分で思っている以上に『自由』って大事なんだなということに、今更ながら気が付きました。
 解放されたいってこんなに感じるのは何故なんでしょうね。ボクが変わり者だから?社会の同調圧力があまりにも強いから?


と、いうことで東中野で映画『裸のムラ

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 3年半の間に議員の約半分が辞職するに至った富山市議会の汚職を描いた傑作ドキュメンタリー『はりぼて』の監督だった五百旗頭幸男氏が富山のチューリップテレビを退社、隣県の石川テレビに移籍して作ったドキュメンタリーです。
富山市議会の腐敗を執拗に描いた傑作です。一部はTBS『報道特集』でも放送されました。

 内容は保守王国石川で28年間も知事を務めた谷本元知事を中心とした県政、金沢で暮らすイスラム教徒の松井一家、石川県の地方部で車(バン)の中で暮らすバン・ライファ―の中川一家、その3つを並行に描いたもの。

 谷本は元副知事で1994年から2022年まで長きに亘り知事を務めた人物です。石川県も福井と同様に保守王国、同調圧力に溢れたムラ社会です。
 谷本は自民の対立候補を破って知事に就任、やがて自民党の支援を受けるようになり、長期権力を掌握する。それがコロナ禍で失言を連発したり、宴会禁止を呼び掛けながら自身は90人規模の会食を行うなど綻びが露わになる。それでも8選に前のめりだった谷本でしたが、以前自分の選対本部長だった自民の衆院議員、元プロレスラーの馳浩氏の出馬で知事の座を明け渡すまでが描かれます。

 30年近くに及んだ知事には知らず知らずのうちに絶対的な権力が集中します。例えば議会や記者会見では知事の席には必ず氷を入れた水差しがセットされます。その水差しについた水滴を県職員が毎回、丁寧にふき取る。これも税金です。誰もおかしいと思わない。

 石川県政と言えば、森喜朗です。選挙など節目の時には必ず前面に出てくる。これだけで石川の風土が判ります(笑)。

 馳浩の知事選での小泉進次郎の応援演説。ここでも全く何を言ってるのか判らない。言語能力の乏しさは安倍晋三と双璧かも。

 女性活躍を謳う割には決起集会には見渡す限り、男だらけ。太平洋戦争もこんな雰囲気だったのでしょうか。

 引退する知事が退庁する際 集まった職員も男だらけ。
 谷本氏が30年前 知事選に立候補して自民党の候補を破ったときは『新時代』がキャッチフレーズでした。そして馳浩が約20年前に国会に立候補したとき、また知事選に立候補したときのキャッチフレーズも『新時代』(笑)。驚くくらい、何も変わらない。長期政権で知事への忖度に疑問すらもたなくなった県の職員たち。女性活躍を謳いながら男だらけの世界。
 『はりぼて』と同じように観客席からは度々失笑の声が上がります。

 それと対照的に描かれるのは金沢で暮らすイスラム教徒・松井誠志氏。松井氏はインドネシア生まれの妻・ヒクマさんと子どもたちとともに、地元住民のイスラム教への偏見に耐えながら、コロナ禍でも懸命に生きている。周囲との関係だけでなく、家族の中でもヒジャブを被るなどイスラムの戒律に対して温度差がある。長女はヒジャブを被らないが、次女はヒジャブを手放しません。
 ヒクマさんはこう言います。『イスラムの戒律より日本の同調圧力の方が遥かに厳しい。

●松井夫妻。

インドネシアからやってきたヒクマさん。介護、通訳などの仕事を掛け持ちしています。明るい性格で周囲の人からは慕われていますが、日本の社会を見る眼は鋭い。

 更に漁村に停めた車で暮らすバン・ライファー中川生馬氏一家が取り上げられます。バン・ライファ―とは家を持たず、自動車のバンで仕事をしたり生活する人の事。元ソニーの中川氏は自由に暮らしたいと、ITスキルを活かしてフリーの広報マンとして複数のベンチャー企業の広報業務をこなしながら、妻と娘たちと自由に暮らしています。ところがコロナ禍で車を停めていた漁村から一家は身動きがとれなくなる。

●バンの中で中川氏は仕事を、娘さんは中川氏の命令で毎日 日記をつけさせられています。

 3つのお話が並行して進むのは面白いと思いました。県政のどうしようもない保守性や同調圧力、それに男社会、パターナリズム(家父長制)の滑稽さは執拗に描写されますが、観客に見方を押し付けるということはない。
 映画はパターナリズムは保守県政だけでなく、中川氏のようなフリーの人にも存在しているんじゃないの、ということを描きたかったみたいですが、その描写はあまり効果的ではなかったと思う。描かれていたのはパターナリズムというより、男性女性を問わず家庭内の権力構造の問題だから。
 むしろ、元知事の谷本や森喜朗の面白さ、人間味とか、イスラム教徒の松井さん一家の真っ当さ、バン・ライファ―の人たちのユニークな考え方の描写が面白かった。 
 
 森喜朗なんか見ていて、本当にこいつは社会の害悪だなと思いましたけど、既存の日本社会、組織ではあれが良いんですよね。身内には優しくて面倒見が良い。話も実に面白い。
 ボクにはああいうことは全くできないけれど、森喜朗は会社に居たら凄く人気がある上司になると思う。判断力や知性には問題があるから有事には全く向かないけれど(笑)、平時の組織運営だったらあれでいいのかもしれない。
 何か結果を出すのはムリでも(笑)、組織内の人間関係を維持するだけなら、森喜朗のような人物は有能です。日本の野党には最も欠けている部分でしょう。その現実を我々はどう考えたらよいのか。

 あと馳浩と谷本の関係も非常に面白かった。双方とも表面ではニコニコしながら、権力に執着し続ける。馳は谷本の選対本部長まで勤めながら、谷本を蹴落とすために出馬する。勿論 30年以上も知事を続けようという谷本もおかしいですが、この20年間で馳がどんどん人相が悪くなっていくのが印象的でした。

 更に醜いのはそれに忖度する取り巻き。知事の記者会見の際 マスコミに備えて廊下で控えている県庁職員の目つきの悪さと言ったら(笑)。議会や記者会見の際 女性職員が毎回 水差しについた水滴を丁寧に拭き続けるのも衝撃でした。 

●県知事の記者会見で挙手する五百旗頭監督

 焦点が議会の汚職という1点に絞られた『はりぼて』とは対照的に、今作は話がとっちらかっているように見える人もいるかもしれません。無理してパターナリズムの問題に帰結させなくても、ユニークな素材を描いたドキュメンタリーとして普通に面白い、それもかなり、面白い。そういう映画でした。第1級のドキュメンタリーです。

 こういう社会を存在させているのも市民一人一人です。石川で起きていることは富山とも共通しているし、東京でも似たようなものでしょう。ここに描かれた病の深さは『はりぼて』より、はるかに深いボクは絶望しました(笑)。
 

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●初日舞台挨拶に立つ五百旗頭監督。満席の場内に声を詰まらせていました。