特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

映画『米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー』

8月もあっと言う間でした。
夏休み期間中は見たい映画は殆どなかったのですが、盆明け後 見なくてはならない映画、感想を書かなくてはいけない映画が増えました。『ベイビー・ドライバー』も『エル Elle』も『ワンダーウーマン』も見逃せない。とりあえず 今週はこの映画です。
●と 言いつつ、土曜日には久しぶりに六本木でビリヤニを食べました。バナナの葉っぱの上に、オレンジや生スパイスたっぷりのご飯の中に羊の骨付き肉がゴロゴロ。美味しかったなー。



渋谷で米軍が最も恐れた男 その名はカメジロ映画『米軍が最も恐れた男~その名は、カメジロー~』

占領下の沖縄で米軍の横暴や犯罪に対して抗議の声を上げ続けた政治家の瀬長亀次郎氏の人生を描いたドキュメンタリー。2016年にテレビ番組「報道の魂」で放送された内容に追加取材や再編集を行ったもの。


監督はTBS報道局、ニュース番組でキャスターを務めてきた佐古忠彦氏。映画のナレーションは元NHKアナウンサーの山根基世氏と俳優の大杉漣、テーマ音楽は坂本龍一。制作はなんとTBS。
佐古氏はキャスターだけでなく、月曜深夜に放送されていたドキュメンタリー番組の『報道の魂』(現 金曜深夜『JNNドキュメンタリー ザ・フォーカス』)のプロデュ―サーも務めており、沖縄をテーマにした番組を度々制作しています。『報道特集(週末の特集も良かった。特に瓦礫の下に死体の匂いが残っているというモスルでの金平氏のルポはびっくりしました)のキャスター金平氏が65歳を超えた現在、良心的な報道姿勢を引き継ぐジャーナリストとして佐古氏にはボクは本当に期待しているんです。自主制作ではなく、うまくだまくらかして?(笑)TBSという会社にこういう映画を制作させたのも偉い。TBSは深夜ながら、この映画のスポットCMも流しているし、公開直前の25日金曜深夜の『ザ・フォーカス』では瀬長亀次郎氏の特集が組まれました。TBSという組織の中にいる良心的な人たちが組織のしがらみの中で懸命に力を尽くしているのだと思います。
とにかく応援しようと思って、公開初日に出かけました。
●25日(金曜深夜)放送の『ザ・フォーカス』JNNドキュメンタリー ザ・フォーカス|TBSテレビ


ボクが見たのは初日に夕方 3回目の回でしたが、この日はいずれも満員で立ち見が出ていました。
瀬長亀次郎という人は名前だけは聞いたことがありますが、良く知りませんでした。戦前は本土で労働運動に携わり治安維持法で逮捕、その後 沖縄へ戻り、終戦を迎える。占領下 米軍が横暴を働く中で、沖縄の人たちの代弁者として抵抗を続けた人だそうです。映画のパンフレットを基に彼の経歴を描いてみます。
 1946年:うるま新報(現 琉球新報)社長に就任 
 1952年:沖縄立法院議員にトップ当選      琉球政府創立式典で米国旗への宣誓拒否。以降 米軍にマークされるようになる
 1954年:退去命令を受けた党員を匿った罪で米軍により逮捕。弁護人なしの裁判で懲役2年の投獄 
 1956年:出獄後 那覇市長に当選
 1957年:米軍により被選挙権剥奪。那覇市長を退任
 1966年:被選挙権回復
 1968年:立法院議員にトップ当選
 1970年:戦後初の国政選挙で衆議院議員の当選 以後7期連続当選
 1990年:(病を得て)議員勇退
 2001年:死去


映画は生前の彼を知る人へのインタビュー、亀次郎の日記、公文書、それにTBSと琉球放送が持っていた記録映像を基に描かれています。監督の佐古氏は月〜金の生放送のキャスターを務めながら、土日は沖縄へ行って資料を読み解いていったそうです。


戦後 沖縄で起きたことを証言と当時の写真で振り返ると、改めて酷いということが再認識させられます。米軍が押しかけてきて村の女性たちに婦女暴行を働くので妻を床下に隠したこと、宜野湾の村に一夜にして米軍が押し寄せてきて、ブルドーザーで村を壊して基地を作ってしまったこと。面白半分に老人や女性を米兵が殺したこと、映画の中ではそんな証言が語られます。沖縄の人にしてみれば住民を弾除けにした日本軍がいなくなったと思ったら、今度は横暴な占領軍がやってきて、20年以上も支配した。亀次郎の母は収容された米軍のキャンプで栄養失調で亡くなります。それくらいの栄養しか与えられなかったということです。まして家は取り上げられ、暴行は受ける。人権も財産権もへったくれもない。米軍がやっていたことは今 パレスチナイスラエルがやっていることと同じです。これは誰だって怒ります。


暴力では敵わない米軍と戦うには人々の力を合わせて組織を作るしかない、と亀次郎は沖縄人民党を結成します。ポツダム宣言の内容に感動した彼は、それに書かれていた、差別のない民主主義国家を目指すことを綱領にしました。彼はデモ、集会を度々開き、人々に団結しようと訴えます。沖縄の声が全て集まれば、アメリカのワシントンにまで届くはずだと言って。
彼の話は誰にでも判り易く、ユーモアに富んでいて、演説会には大勢の人たちが押し寄せたそうです。最大で17万人!ということもありました。17万人ですよ、17万人。ロックコンサートどころではありません。
●彼の演説は言葉は激しかったが、ユーモアにあふれていたそうです。監視のために潜り込んだが彼のファンになってしまったと元警官が証言していました。


当時 米軍は住民の土地の所有権を一括で買い取り、基地を恒久化することを狙っていました。亀次郎たちは基地の恒久化を防ごうとするとともに、法外な安い賃金で働かされていた労働者の保護法制の制定を訴えていきます。
●亀次郎の演説会に集まった大勢の人たち。参加者の証言によると、亀次郎は自分たちの言いたいことを言ってくれるという期待があったそうです。人々の生き生きした表情を見てください。『ザ・フォーカス』より


米軍の占領下に作られた琉球政府の創立式典で、県の議員になっていた亀次郎は米国旗への宣誓を拒否します。その後 米軍は彼を共産主義者というレッテルを貼って、彼に対する弾圧を始めます。
琉球政府創立式典での亀次郎。後ろで一人座ったまま、悠然と宣誓を拒否しています。


米軍は微罪で彼を捕まえ、弁護人抜きの裁判で2年間の懲役にします。しかし亀次郎はくじけません。当初は那覇の刑務所に収監されましたが、収監中に起きた刑務所内での暴動を亀次郎が納めてしまいます。米軍は彼の影響力を怖れて、却って本島から遠く離れた宮古島の独房に移します。ここでも 孤独な彼に家族からの手紙を届けない、十二指腸潰瘍を発した彼への治療を遅らせるなど嫌がらせを続けたそうです。映画の中で当時の米軍の役人が『彼を治療したのは失敗だったかもしれない』と正直に答えています。
●出獄する亀次郎。警官も後ろの方に居る所長も笑顔です。彼は慕われていたんです。


投獄された彼はますます抵抗のシンボルとしての名を高めます。
●出獄した亀次郎を迎える人たち。20人以上の人が行列すると米軍に規制されるため、立ち止まったまま亀次郎を迎えたそうです。その晩の歓迎式典には1万人以上の人々が集まりました。



彼は出獄後 那覇市長に立候補、当選します。すると米軍は銀行口座を封鎖して那覇市の予算を凍結、米軍から供給していた水道を止めるなどの厭がらせを始めます。亀次郎を助けようと市役所には直接納税する市民たちの行列ができたそうです。米軍は保守派の議員を使って不信任案決議を7回も!出させます。その時 米軍の指示を受けて不信任案の取りまとめにあたった議員は仲井間元知事の父親だったそうです。親子そろってロクでもない奴が居たもんです(怒)!
●市長当時 演説をする亀次郎


米軍は亀次郎の被選挙権を取り上げ、とうとう1年弱で那覇市長を退任せざるを得なくなります。しかし、再度行われた市長選挙では亀次郎が応援する候補が大差で当選。それに奥さんのフミさんは那覇市議にトップ当選(笑)。
那覇市議にトップ当選したフミさん。2枚目の写真、フミさんは『渡航の自由を』というプラカードを首から下げています。当時の沖縄の人は自由に旅行できなかったんです!。『ザ・フォーカス』より


以降 米軍は基地の恒久化を諦め、本土への復帰の動きが進んで行きます。今でも米軍基地の使用料は地代という形で払われているのは亀次郎たちが土地の所有権は渡さない と戦ったからなんですね。それは全く思いが及びませんでした。もしかしたら沖縄はグアムのように投票権のない米国の領土になっていたかもしれません。


本土復帰に際しては亀次郎たちは『基地なしの復帰』を要求します。沖縄の人たちは戦争中だけでなく戦争後も20年以上 軍隊に痛めつけられてきたからです。しかし、その声を無視して政府は強行採決(今と同じ)。米軍基地を残したままの返還協定が結ばれます(写真は『ザ・フォーカス』より)。

●初登院した国会で『何で沖縄に基地が残るのか』と総理の佐藤栄作を追求する亀次郎。彼の肉声を聞くことができたのは映画ではこのシーンだけでしたが、迫力はあるけど話は滅茶苦茶面白い人だというのが良くわかりました。ヒステリックじゃないから人を引き付けるんですね。

亀次郎は80年代半ば病に倒れ、2001年に亡くなります。彼はそんなに昔の人じゃなかったんです。
●晩年の夫妻


この映画を観た人は誰もが感じることでしょうが『こういう政治家が今 いたらなあ』とは思いました。強い意志、人々の気持ちを代弁する機知に富んだ言葉、何よりも温かな感性は今の政治家・政党からは殆ど感じることができません。世の中が複雑になってきているからこそ、彼のように人々の側に立てる政治家がいればなあと、思うんです。日本だけではありません。社会の分断を防ごうとする、こういう人が居ればトランプみたいなペテン師は出てこれないわけですよ。ただ、沖縄にも仲井間を始め保守派というのが3割〜4割くらいはいたわけで、そちらの言い分も聞いてみたいとは思いました。


あともう一つ、映画の中で、当時 米軍の軍政に携わっていた人が『我々は彼を怖れすぎていたからこそ、彼を尾行したり、弾圧したりしてしまった。今 我々がイスラム教徒を怖れているのと同じだ。我々は間違っていたのだ』と証言していました。相手を怖れていたからこそ、暴力を振るったり弾圧をする。怖れは相手を知らないことから生じます。今も沖縄と本土、日本と隣国との関係においてもそのようなことが起きているのではないでしょうか。



ボクは右にしろ左にしろ、愛国心ナショナリズムを煽るのは大反対です。『ナショナリズムは愚か者の最後の隠れ家』ですから。ですが目に見える範囲の人々の間の愛郷心パトリオティズムは考えて見る価値はあると思います。沖縄が本土に復帰したのが良かったのかどうか。それに亀次郎は民主主義を目指しただけで、反米と言うわけでもない。そんな料簡が狭い人ではない。色々な意味で亀次郎の事績を今 知ることは非常に意味があると思いました。
●2010年、瀬長亀次郎夫人のフミさんの100歳を祝う那覇市長(当時)の翁長県知事。当時の彼は自民党員です。(『ザ・フォーカス』より)



上映後 佐古監督と映画にも登場した亀次郎の次女 千尋さんの舞台挨拶がありました。監督はこの映画を作ったわけは『沖縄の人たちがなぜ米軍基地と戦い続けるかを本土の人に判ってほしかった』からだそうです。そのためには『亀次郎の生涯を通じて、戦後 沖縄がどういうことを経験してきたか判ってもらおうと思った』というのです。その目的は充分果たされた映画だと思います。

その後 マイクを執った千尋さんが、ネットなどに蔓延るネトウヨのクズ共の沖縄に対するヘイトスピーチについて『基地が厭だと当たり前の事を言っているだけなのに、何で沖縄が酷いことを言われなければいけないのか』と言ってました。恥ずかしい限りです。あと千尋さんは『亀次郎は男女平等が自然に身に着いた人で、家での掃除洗濯は彼が全てやっていた』と仰っていました。さすが!亀次郎がそういう人だったと聞いて、余計に嬉しくなりました
*余談ですがボクはどんなに立派なことを言う人でも家事をやらない男は信用しません。家事をしないということは自分の身の回りのことができないってことです。その人の判断力だってどこか歪んでいるんじゃないかと疑わざるを得ません。
●上映後のトークショーの模様。2枚目 右側の女性は亀次郎氏の次女の千尋さん。上映後は佐古氏はプログラムにサイン会をしてました(最後の写真)。彼はこの土日の上映は毎回 舞台挨拶をするそうです。今まで ここまでやる監督は見たことがありません。




琉球新報の記事

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-563683.html

この映画、12日から先行上映された沖縄の桜坂劇場では実写映画としては動員の新記録を作ったそうです。これから東京を皮切りに札幌、仙台、新潟、名古屋、浜松、大阪、京都、神戸、尾道、岡山など全国で上映が始まります。映画を観て、知らないことが一杯ありました。考えることもいっぱいありました。ドキュメンタリーとしての完成度とかは関係なく(悪くはありません)、沖縄と本土の分断を埋める必見の映画だと思います。これは我々自身の問題でもあるのですから。

ニュース23での映画紹介