特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『金沢から京都への旅』と映画『沖縄スパイ戦史』

この週末は強い日差しの中に秋の気配も感じるような陽気でした。
クーラー無しで眠れるなんて、なんて素晴らしいんでしょう(笑)。楽しかった夏休みも終わり、また日常に戻りました(泣)。それでも日々を無事に過ごせているのは感謝しなければいけません。
●トランプへの全国的な抗議を呼びかけたボストン・グローブ紙は長年のカソリック聖職者の少年への性的暴行をスクープして、映画『スポットライト』で描かれた新聞ですステーキと『在宅民主主義』、それに我が身を刺す映画:『スポットライト』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)


前回に引き続いて、もう少し(あと2回)(笑)、お盆の旅行で感じたことを書きたいと思います。最初に訪れた金沢では朝、『北国新聞』という地元紙が部屋に入っていました。
●金沢の朝ごはん(笑)


1面には普通のニュースが載ってましたが、それ以降の2面や3面は石川県選出の自民党の国会議員、県会議員の動向ばかり書いてあるんです。びっくりしました。一昨年 金沢市議会で政治活動費の不正使用が相次いで明るみになったのは全国で報じられましたが政活費の不適切使用相次いだ金沢市議会、収支報告書ネット公開へ - 産経WEST、新聞自体がこういう感じだとそれが当たり前になるんだろう と思いました。生活感覚として古い街並みが残っているのには感心しましたけど、新聞もそうなのかも。権力を監視するとか、自浄作用なんて言葉はないのかもしれません。議会の酷さは東京も変わらないかもしれませんけどね。
茶屋町兼六園兼六園の松には戦争中 松根油をとるために作った傷が残っていました。



金沢駅と治部煮(笑)


金沢から京都へは特急サンダーバードに乗りました。初めてです。満員でしたが、クーラー効き過ぎで寒い!。途中の福井県は、どうしても日本の恥、ネトウヨババアの稲田朋美の選挙区と思ってしまいます。下車したこともないのになんですが、稲田が日本の民主主義に与えた損害を考えるとイメージは最悪です。
さらに次は原発銀座の敦賀。これも、どうしたってイメージ悪い。補助金にたかる原発乞食の住民が自ら受け入れているんだから事故が起きようと、被爆しようと知ったこっちゃないけど、絶対関わり合いになりたくない。
一方 福井県は住みやすさという面では全国でもトップランクであることが知られています。どうしようもない後進性と住みやすさの同居、それが現実です。それなりの文化がある石川にしろ、福井にしろ、これをどう考えたらよいのだろう、と思いながら、流れていく真夏の車窓を見ていました。
●特急サンダーバードの車窓から見る琵琶湖。


8月ということもあって、今週も戦争関連の映画です。
渋谷のアップリンクでドキュメンタリー『沖縄スパイ戦史映画『沖縄スパイ戦史』公式サイト|三上智恵×大矢英代 監督作品

2次世界大戦、沖縄戦では陸軍中野学校出身の将校によってゲリラ兵に育成された少年たち、護郷隊が居た。彼らをめぐるエピソードを中心に、陸軍中野学校の出身者が沖縄で果たした役割を追うドキュメンタリー。監督は『標的の島』など沖縄に関するドキュメンタリーを撮ってきた三上智恵と学生時代から波照間島の強制疎開を追ってきたという大矢英代


三上智恵監督の『標的の島』などのドキュメンタリーはボクは高く評価しています。見過ごされがちな沖縄の基地問題を正面から取り上げているだけでなく、反対運動に携わる人々を比較的冷静な視線で取り上げているからです。ボク自身 彼女のドキュメンタリーを見て理解できたことが数多くあります。
しかし、トークショーや舞台挨拶、ラジオなどで聞く三上監督の発言は、一方的なものに聞こえることが多い。場合によってはヒステリックにさえ聞こえて、嫌悪感を覚えることすらあります。もともとが民放のアナウンサーということで報道の訓練は受けているから映画はある程度 客観性があるけど、ご本人の考えていることはまた少し違うのかもしれません。
●さすが翁長氏は、狭量で頭が固い革新の連中はダメ、ということが判っていました。経済人として一般常識があるであろう呉屋氏が立候補してくれればいいんだけど、従業員のこともあるし、玉城氏が出ざるを得ないんでしょう。


この『沖縄スパイ戦史』は沖縄戦で現地に配備された陸軍中野学校でスパイ教育を受けたエリート青年将校が果たした役割を追ったものです。具体的には3つのことが取り上げられています。
まず一つは、青年将校らが現地の少年を組織して結成したゲリラ戦部隊『護郷隊』について。次に台湾にほど近い波照間島で住民が3分の1も亡くなった軍による強制疎開、最後に北部に逃げ込んだ日本軍が沖縄の住民をスパイ容疑で殺したこと。それに地元の人も加担していたこと
●米軍の記録フィルムには大勢の少年が日本軍に加わっていたこと、そして時には残酷な死を迎えたことも記録されています。


沖縄戦における学徒動員はひめゆり部隊や太田元知事が加わっていた鉄血勤皇隊が有名ですが、それとは別に陸軍は後方かく乱部隊として現地の少年たちを集めた『護郷隊』を北部の山岳地帯に配置していました。その数は約1000人。陸軍中野学校で訓練を受けた20歳そこそこの青年将校が10代前半〜後半の少年たちを訓練して、戦車への自爆攻撃や米軍基地への爆弾攻撃、捕虜になったふりをした奇襲攻撃などをやらせていたそうです。どれもほぼ生還の確率はありません。さらにゲリラ戦ですから、沖縄の日本軍が玉砕してからも、彼らは戦い続けなければならなかった。
●米軍は戦場で日本軍のゲリラ戦の資料も手に入れていました。だから今も記録が残っています。日本軍はつくづく間抜けな軍隊です。


今の基準で考えると、木箱に詰めた爆弾を担いで戦車に飛び込むなんて、頭がおかしいとしか思いませんが、末期のドイツ軍も似たようなことはやったし、当時は軍国教育で少年たちはそれが正義だと思っていた。タリバンと一緒です。軍人の方もまともな武器がない中で戦うには、正規軍でない少年を弾代わりにするのが合理的だと思っていた。碌なもんじゃありません。しかし過酷なことを強いる青年将校も個人としては優秀でリーダーシップもあったから、少年たちに比較的慕われていた。それが悲劇を産みます。ここに恐ろしさがあります。
護郷隊の写真や記録などはほとんど残っておらず、当事者のインタビューと米軍の写真(護郷隊と特定できないが、沖縄戦での少年兵)でしか、様子は判りませんが、無謀な戦闘に駆り出されて犠牲になった少年たちの姿は悲惨、の一語に尽きます。あと、護郷隊が配置されたのが沖縄北部ということもあって、インタビューを受ける人たちが現在ヘリパッドが建設された東村高江の人たちが多かったのがなんとも言えない気持ちになります。高江の人たちは戦争で筆舌に尽くし難い程ひどい目にあって、70年経ってまた苦しめられているわけです。


2つ目は波照間島です。住民が軍によって他の島に強制疎開させられて、大勢マラリアにかかり、全体の3分の1が犠牲になったというのは以前から知られた話ではあります。体験者の話を実際に聞くと、薬も食料もないジャングルで、マラリアとの闘病や看病は過酷だったそうです。薬もなければ食料もない。濡れタオルを充てるしか看病ができない中、次々と家族が死んでいった。死体で海岸が埋まったそうです。
波照間島の住民に無理矢理 疎開をさせたのは戦闘が始まる前まで教師としてふるまっていた男、偽名で山下虎男(本名 坂井清)で、中野学校の出身者だったそうです。若い男たちが徴兵されて不在の中、年寄りや女性、子供たちでは軍刀を振り回す一人の軍人に逆らえなかった。自分たちが飼っていた家畜をすべて軍の食料として供出させられ、食料も薬もないままジャングルの中に追いやられて死んでいった住民たちの無念は心に迫ります。ちなみに波照間島には米軍は来なかったそうです。日本軍さえ来なければ、住民は誰も死なずに済みました
●亡くなった同僚は写真の中にしかいません。まだ少年でした。


3つ目が最も恐ろしく残酷かもしれません。敗残の日本軍の中には恐怖に駆られ、怪しいと思った住民たちをリストを作って殺し始めたものもありました。外国語を喋れる人間、2世・3世、軍に反抗的な人間、それらのリスティングには地元の人間、特に教師や村長など村で指導的な立場にあった人間が協力した。殺された人の中には私怨によるものもある。さらに陣地づくりに協力させられた女子学生が秘密保持のため殺人リストに載せられていた例も映画では紹介されていました。
誰が殺されて、誰が密告したかは狭い部落の中では分かっています。だが戦後、今に至るまで、そのことは現地の人の間でもタブーになっている。戦後70年たっても人々を苦しめ続けている。その反面 何よりも腹立たしいのはこの映画に出ていた中野学校の出身者、護郷隊の二人の隊長も波照間の坂井清も戦後 おめおめと生き残った。 特に戦後 滋賀県在住の坂井清は戦後も自分の責任を否定し続けました。
●護郷隊の生き残りのこの老人は自分たちが籠った山に、亡くなった戦友の数の桜を植えて戦友の名前を付けています。


もともとが数少ない生存者、しかも高齢化が進んだ中でインタビューを丹念に拾い集めたのは素晴らしいと思います。ただし、ボクはこの作品は薄っぺらいと感じました。


映画の終盤では自衛隊配備を巡って島が二分された石垣島市長選挙が取り上げられます。監督の意図としては自衛隊の配備や昨今の風潮を鑑みながら、『軍隊は国体を守るためのもので住民を守るものではないし、自衛隊もそうではないか』、『かって戦争で起きたことは過去のことではなく、また戦争がはじまると、疑心暗鬼になった国民の間で、迫害がおきるのではないか』ということを訴えたいようです。
結果として、石垣島では自衛隊配備派の市長が当選するのですが、映画では反対派の意見しか取り上げられませんそれはおかしいと思うんです。


自衛隊が中途半端に配備されても、かえって攻撃の目標になるばかり。島を守るためには役に立たない、とボクも思います。だけど、現実は配備に賛成している人の方が多いんですよね。そういう人たちの意見はどうなのか、ということこそ、ボクは知りたいです。まさにそこが今日の問題でしょう。一方の意見だけしか紹介しないのは、まともな議論すらできない安倍晋三と同じじゃないですか(笑)。
そういう意味ではこの映画の終盤は全然だめ。がっかりしました。一方的な話を観客に押し付けるだけで、思索もなければ、現実を見つめてもいないじゃないですか。


この映画で掘り起こされた、歴史の裏側に消されていた少年兵や住民のインタビューは聞く価値がありました。でも、終盤の一方的な視点に触れると後味悪い。三上監督の映画はもういいかな、という気になります(笑)。
集会のスピーチでも本でも、何でもそうですけど、自分と同じ意見ばかり聞いていても、得るものは少ないです。自分と違う意見に触れるから学びがあります。両論併記とは違うんです。日本の市民運動やドキュメンタリーの一部にはそんな当たり前のことさえ理解できてないものがあるのは実に残念です。だからダメなんだよ。