特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

映画『PLAN75』

 週末は烈火のような暑さでした。昨日の東京は36度。
 用事があって秋葉原を通ったら、駅前に変な台が組まれていました。興味もないので通り過ぎたら、こんなことが行われていたんですね。

 純粋にキモい。民主主義の劣化もここまで来たか。

 一方 アメリカでは中絶を非合法化する州法を合憲とする最高裁判決が出されてしまいました。州によっては強姦されても中絶は禁止、なんてバカな事が罷り通ってしまう。当然のことながら抗議が広がっています。

 折しもイギリスでは有名野外コンサートのグラストンベリーフェスが開催されています。
 ポール・マッカートニースプリングスティーンのデュエット、羨まし過ぎる。ポール・マッカートニーって今年80歳、2時間のステージをやったそうです。

 グラストンベリーの出演者も抗議の声を挙げています。

 最近ボクが推しているフィービー・ブリッジャーズも。

 酷い世の中です。


 と、いうことで、銀座で映画『PLAN75』

 超高齢化社会を迎えた日本、自ら死を選ぶ75歳以上の高齢者を支度金などを渡して支援する「プラン75」という制度が施行される。それから3年、自分たちが早く死を迎えることで国に貢献すべきという風潮が社会に広がっていた。78歳の角谷ミチ(倍賞千恵子)は夫と死別後、ホテルの客室清掃員をしながら一人で暮らしてきたが、高齢を理由に退職を余儀なくされる。行き詰った彼女は「プラン75」の申請を考えるが
happinet-phantom.com


 第75回カンヌ国際映画祭で新人賞の次席(カメラドール特別表彰)を受賞したことで話題の作品です。4年前、18年に公開された是枝裕和監督監修のオムニバス『10年 Ten Years Japan』の一編を長編としてリメイクしたもの。
spyboy.hatenablog.com

 短編を集めた『10年 Ten Years Japan』でも『PLAN75』は断トツでした。アイデアが卓越している。
 確実にやってくる少子高齢化社会による財政難でにっちもさっちもいかなくなって、10万円という僅かな支援金と引き換えに老人に安楽死を勧める、それをマスコミが美化し、パソナ電通が一儲けする制度いかにも日本がやりそうじゃないですか

 将来は高齢化社会になる中国もこういうことはやりそうだけど、もっとえげつないでしょう。日本はあくまでもソフトに、ソフトに、あくまでも『自分の選択ですよ』という体をとりながら、真綿で締めるように同調圧力や『空気』で追い込んでいく


 映画は薄暗い室内で男が、誰かを銃で射殺するシーンから始まります。『高齢者は社会の負担になる。殺すことが社会への貢献になる』と言い残して、男も自殺する。映画の中の日本はそんな世の中になっている。やまゆり園の事件のようなことが起きているのですから、絵空事とはとても思えません。
 
 78歳の角谷ミチ(倍賞千恵子)は夫と死別後、ホテルの客室清掃員をしながら一人で暮らしてきました。

 余裕があるわけではありませんが、身体も元気だし、友人もいるし、それなりに楽しく暮らしてきた。

  
 
 しかし、高齢を理由に職場をクビになると、彼女の生活は暗転します。自営業の妻だった彼女の国民年金だけでは家賃も払えない。かといって78歳の彼女には新しい職は中々見つからない。やがて彼女はプラン75を申請することを決意します。

 一方、市役所のプラン75の申請窓口で働くヒロム(磯村勇斗)の元に男が申し込みにやってきます。それは20年間音信不通だった叔父でした。

 ヒロムは今まで全く知らなかった叔父の人生に触れることになります。

 この二人の話に加え、死を選んだお年寄りに“その日”が来る直前までサポートするコールセンタースタッフの瑶子(河合優実)、

 フィリピンから単身来日して介護職に就いていたが、幼い娘の手術費用を稼ぐためにより高給のプラン75関連施設で遺品処理の仕事に就くマリア(ステファニー・アリアン)、

 などプラン75を巡る様々な人々の物語が語られていきます。
 薄暗過ぎた冒頭のシーンなど映画の演出が全て成功しているとは思わなかったですが、表情だけで話を作っていく倍賞千恵子の演技はすごい。境遇の変化によって歩き方が変わってくるのも印象的でした。

 PLAN75を巡る描写はとてもリアルだと思います。
 幟やマーク、テーマソングまで作ってプラン75を明るく印象付ける。申し込めば支度金10万円を進呈、あくまでも『気が変われば、いつでも中止できます』と強調しつつ利用者を誘導していく職員たち。コールセンターの相談員や勧誘、処置をする医療スタッフに安楽死のための大型施設、遺品回収までプラン75を巡る一大産業が出来上がっている。それだけでなく民営化された高級施設まで出来ています。更に政府は65歳までの引き下げを検討している。
 フィクションとは思えません。

 リアルだからこそ、やるせない描写が続きます。現実でもこの数年、炎天下でも真冬でも工事の警備員に老人が増えたような気がしませんか。

 プラン75のような話って、維新や自民党新自由主義的な連中、国民には自助を説くけど自分たちには関係ないと思っている連中が如何にも言い出しそうな話です。民営化とか行政改革とかいう美名の下で、役所やその周りの一部だけが甘い汁を吸って、大多数の人は買い叩かれて安価に使い捨てで働かされる。今は自分は平気だと思っていても役に立たなくなれば、プラン75が待っている


 しかし、この映画が提起している問題はもっと根が深い。国や政治家、新自由主義だけの問題じゃなく、現実には日本人は結構な数の人が自らプラン75のような選択をすると思います。

 公という概念も薄ければ、生命観などの哲学も薄っぺら。いつの間にか社会を覆うようになった自己責任という安易な雰囲気に流される。感情論やはした金など目先の合理性にもごまかされる。GOTOなどの安っぽいキャンペーンに引っ掛かる連中が多いのを見れば明快です。

 

 実際 早川監督はNHKのラジオ番組に出演した際、プラン75のような案に賛成するリスナーの意見が多くて困っていたそうです(笑)。日本人のそういう体質はそう簡単に変わるものではない。

 この作品を見ていて、少し前に見た映画『マイ・スモールランド』のことが思い出されました。

 あちらは差別的な入管行政と無関心で善良な市井の日本人たちのせいで、クルド人である高校生の主人公が追い込まれる。こちらでは老人たちが追い込まれる。役所も周辺の産業で働く人も老人たちに対して無関心ですが悪意があるわけではない。むしろ善意を持って仕事をしている。その中で老人たちが自ら死を選んでいく。
 少子高齢化と言いながら、この国は子供も老人もモノとして扱っている。いや、人間そのものをモノとして扱っているそれも善意を持って

 これをどう考えたらよいのでしょうか。監督はこの問題に対して怒りを抱いているのは判る。監督は『PLAN75はアウシュビッツのことが頭にあった』と語っています。それでも、ここでは生への微かな希望が描かれている。
 

 PLAN75の世界を一概に否定はできない、とは思うんです。ボク自身、健康とか経済的問題など環境によっては将来 PLAN75みたいなものを自ら望んでしまうかもしれない。
 社会的な価値観によっても変わってくるかもしれない。例えばコロナによって医療施設がひっ迫したとき、北欧では高齢者はICUを使わないで若い人に回すのが社会的なコンセンサスとして成り立っていたそうです。この映画が日本だけでなく、フランス資本が入っていたりフランス政府の助成金がつけられているのも高齢化社会が日本だけの問題ではないからでしょう。

 でも、生を求めることが社会へのアンチテーゼになってしまう。そんな社会であって良いのか、いや我々はそういう生き方をして良いのかとも思うんです。合理的で善意に溢れたプラン75の世界には人間の尊厳は、ない
 答の無い疑問を感じてしまう。そんな映画です。必見。


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