土曜 深夜の地震はビックリしました。揺れが異常に長くてなかなか終わらない。会社で仙台の人に聞いたら揺れは10年前と同じくらい強く感じた、と言っていましたが、東北地方の被害とは比べ物にならないにしろ、ボクの部屋でも棚のDVDや本がずいぶん落ちてきました。
地震に馴れないネパールの人なんかさぞ驚いたでしょう。
そうなると原発のことが心配になります。
環境には影響は殆どなかった、とは言え、今回もこういうことも起きているわけです。
やっぱり地震大国で原発と言うのはムリがあります。東北地方は勿論、少なくとも日本の東半分の人の生活に今に至るまで大きな影響を与えた原発事故のことを、たった10年で忘れてしまうのは早すぎるのでしょう。
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何よりもこれ↓ですね。
民主党政権も酷かったと思いましたが(内部でケンカばかりしたり、役人に言う事を聞かせられないなどマネジメント能力の無さは今でも酷いと思いますが)、自民党の政治家、それにリーダー層のひどさは驚くべきものがあります。
民主党の311の対応。
— Hideki Tanaka (@hetareDTMer) 2021年2月15日
ベストではなかったかもしれない。
でも、少なくとも一生懸命だったと思う。
自民党にはこの「一生懸命」が微塵も感じられないどころか、火事場泥棒的に利権で私腹を肥やすことしか考えていない。
どちらがベターか火を見るより明らかだとおもうのだけど、、、 https://t.co/2tO16WrzBm
女性蔑視発言からの後継者候補がレイシストでその次がセクハラ疑惑ってなんつうかさすがわーくにやなとしかいいようがないな。
— 愛国心の足りないなまけ者 (@tacowasabi0141) 2021年2月14日
後任会長に橋本聖子氏が浮上も“セクハラ疑惑”が海外に拡散(女性自身)#Yahooニュースhttps://t.co/yptDw4KpQ6
いや別に呪われてねえよ、だってその4人はみんな去る羽目になった理由に全く意外感がないもの。
— 愛国心の足りないなまけ者 (@tacowasabi0141) 2021年2月12日
単にそういう人ばっかが国の上層にいるってだけで、残念ながら今の日本という国が腐ってるってだけだわ。
「呪われているのか」 東京オリンピック「招致4人衆」去る - 毎日新聞 https://t.co/84mwErPNk2
安倍も菅も役人を脅かしているから役人は逆らいません。だから一見 マネジメントが出来ているかのように見えるけど、所詮は脅迫ですから組織の力は発揮されない。だから厚労省のワクチン契約の詰めの甘さや注射器の調達ミスのような問題、それに運輸省のGO TOの補助金などの制度設計ミスなどが起きる。
今 起きていることも、そういうことが巡り巡った結果でしょう(嘆息)。これもまた、ある種の天国に違いない。
と、いうことで、新宿で映画『天国にちがいない』
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パレスチナの映画監督のエリア・スレイマンは故郷ナザレを後にし、新作映画の企画を売り込もうとパリとニューヨークを訪れる。パリでもニューヨークでも、彼が見たのは故郷パレスチナで起きている奇妙な出来事とそっくりのことを目にするようになる。
パレスチナ系イスラエル人のこの監督のことは知りませんでしたが、この映画はカンヌ国際映画祭の特別賞と国際映画批評家連盟賞を受賞。第92回アカデミー賞国際長編映画賞の候補作になった評価が高い作品です。
映画はシニカルなコメディと言ったらよいでしょうか。最初は監督の故郷で今も暮らしているナザレの生活、それからパリ、ニューヨークへの旅が描かれます。
ここで描かれる光景は何の変哲もないものに見えて、どこか奇妙です。
ナザレの監督の家には隣人の男が勝手に入り込んでレモンの木の世話をしている。『声はかけたけど、誰も出てこなかったから』と言うのです。カフェで見る立ちしょんする男とそれを追う警察、道端で出会う棒を持ったパレスチナ人の若者、互いに罵り合うパレスチナ人の親子、重武装のイスラエル警察官が楽しそうに運転するパトカーの後部座席にはさるぐつわに目隠しのパレスチナ人女性。
一見何気ない光景に見えて、どこかずれている。
映画の売り込みでパリ、NYへ出かけても監督の目に入るのは奇妙な光景です。美しい町には突然戦車が走ってきたり、
監督が座っているカフェんのテラス席に警官が押しかけてきたりします。
映画では説明らしい説明はないし、主役である監督も殆ど言葉を発しません。ただ目の前に起きる出来事を黙って凝視するだけです。
●有名俳優のガエル・ガルシア・ベルナル(右)も出演しています。
監督が唯一発するセリフはタクシーの運転手にどこから来た?と問われて『ナザレ』、どこの人間だ?と問われ『パレスティナ人』、この二つだけです。
難解と言うか奇妙な映画ではあります。どこかコミカルではあるけれど、監督は世界を鋭い目で見つめ続けます。その目を追っているとナザレで起きていることも、パリやNYで起きていることも何となく似てくる。無言を貫く監督が何を言いたいのか判ってくる(気がする)。
劇中 酔っ払った男が監督に語り掛けます。『普通 人間は忘れるために酒を飲むものだが、パレスティナ人だけは違う。起きていることを忘れないために酒を飲むのだ。』
こんなセリフもありました。『パレスティナは将来 残っているのだろうか?』『絶対に残る。でも我々が生きている間ではない。』
パレスティナの映画と言うと、恋愛ものでもシリアスなものでも、どんな形にしろ、イスラエルの暴虐ぶりが背景にあります。それに対する直接的な怒りや悲しみがある。
映画の中で『この映画はパレスティナ色が濃くない』とアメリカ人から指摘されるシーンがありますが(笑)、世の中で起きていることを主人公がただ凝視するだけのこの映画は非常に毛色が変わっているように見えます。
直接の暴力や怒りは描かれないけれど、非常に強い想いの籠った映画です。静かで美しい映像の中で繰り広げられる無言劇。その中には暴力や理不尽などへの怒りと矛盾に満ちている監督の故郷パレスティナ、そして世界への愛情が詰まっています。