特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

映画『家族を想うとき』

 今年の仕事も今週いっぱい。あと1週間の我慢!です(笑)。
 早く仕事が終わらないかなーと思いながら過ごす、こういう年の瀬をあと×回か我慢すれば解放される。それが当面の生きる希望です(笑)。
●週末 銀座では宝くじを買うのに大行列ができてました。ビックリ。

 と言っても、年末年始に休めない人も全体の1割くらい居るそうです。交通機関や医療・福祉関連など社会のインフラを支える人たちには年末年始は関係ないですよね。そういう人たちには感謝です。

 今年は元日に一部のコンビニやスーパーが休みになるそうですけど、当然ですよね。
news.tv-asahi.co.jp

 というか、正月3が日くらい商店の営業は禁止にしたほうが良いと思う。昔はホテル以外はデパートも商店もほとんどが休みだったじゃないですか。それで全く困りません
 家にいてもくだらないTVを見ているだけかもしれませんが、それでも人々の間で沈思黙考したり、家族で話し合ったりする時間が増える切っ掛けくらいにはなると思う。

 自分も含めて、ですが、仕事の忙しさやお金、様々な情報に追いまくられて、自分の人生にとって何が大事なのか見失ってしまうことってあるのではないでしょうか。それを利用しているのが今の政治家です。『何かスキャンダルがあっても国民はすぐ忘れる』と連中は高をくくっているのですから。

 自由に使える時間は資本主義に対抗するための大きな武器、我々にとっての生き残りのカギかもしれません。
●先週末のTBS『報道特集』、伊藤詩織氏の問題を『いつの日か私は取り上げたいと思っています』という金平キャスターの番組冒頭のコメント、彼の誠実さと勇気を感じました。と、同時に何故だろう、と。放送スケジュールの都合など彼の真意の解釈は色々あると思いますが、仮に何らかの圧力がかかっているとしても放送でこう言っちゃったのは彼の勇気だし、勝利でもあります。


www.huffingtonpost.jp


 

 と、いうことで、有楽町で映画『家族を想うとき
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longride.jp

リーマンショックで建設会社の職を失って以来、様々な職を転々としてきた父のリッキーはフランチャイズ契約の宅配ドライバーになる。腕さえあれば稼げる、という会社の言葉を信じて、介護士として働く妻の車を売り宅配トラックを購入したリッキーだが、朝7時から夜9時までの重労働で食事やトイレの時間すら満足にない有様。それでも忙しく働く夫婦は高校生の息子セブと小学生のライザを育てながら、将来一軒家を買う夢を描いていた。しかし薄給で激務に追いまくられるうちに夫婦が子供たちと一緒にいる時間は少なくなり、家庭がきしみ始める


 カンヌ、ベルリン、ベネチアの3大映画祭でグランプリを受賞したイギリスの巨匠、ケン・ローチ監督、83歳の新作です。ケン・ローチ監督は今秋NHKクローズアップ現代+でも特集番組が組まれましたので、ご覧になった方もいるかもしれません。
www.nhk.or.jp

 カンヌで2度目のグランプリを取った前作『私はダニエル・ブレイク』で引退するという話も伝わっていたのですが、それを撤回しての作品です。原題はSorry We Missed You、『不在連絡票』。
●主人公一家。フランチャイズ契約の宅配ドライバーになった父と訪問介護士の母、高校生の長男と小学生の長女の仲良し家族でしたが。



 舞台はイギリス北東部の田舎街、ニューカッスル
 様々な職を転々としてきたリッキーはフランチャイズ契約の宅配ドライバーになります。家族で暮らすマイホーム購入の夢をかなえるため、出来高払いの仕事で大きく稼ごうと考えたのです。
 しかし個人事業主とは名ばかりで、渡された端末で配送時間ばかりか、運転席から離れた時間まで管理されます。朝7時から夜9時まで、まともな休憩時間もありません。トラックに尿瓶を積んで、それで用を足すような有様です。
●職を転々としてきたリッキーは働けば働くだけ稼げるという言葉に釣られて、フランチャイズ契約の自営宅配ドライバーになります。


 妻のアビーは訪問介護士として働いています。お客は良い人だけではありません。色々な人がいる中 朝から晩まで分刻みで時間外まで献身的に働く彼女ですが、賃金は最低賃金です。金銭的に報われることはありません。
 深夜に帰宅した夫婦は疲れのあまり、TVを見ながらソファで眠り込んでしまうような毎日です。そう、彼らには自由な時間がない
●妻は訪問介護士として朝から晩まで働いています。


 当然 子供には目がとどかなくなる。折しも反抗期を迎えた長男は喧嘩や万引きを繰り返すようになります。
●過酷な労働で料理を作る時間もありません。テーブルの上には手作りのものがない、テイクアウトのインド料理だけの夕食です。勿論イギリスはインド料理多いですけど、ここでは白人労働者が移民労働者と同じような暮らしをしている描写に見えました。それでも多くの日本の家庭と違って家族で食卓を囲むだけ、主人公たちの方がマシかもしれません。日本のサラリーマン家庭で家族そろって食卓を囲む家はどのくらいあるでしょうか。


 常に労働者階級の物語を描いてきたケン・ローチ監督ですが、今回のテーマはギグ・ワーカーと呼ばれる自営の個人業者です。ギグとはライブハウスなどでのコンサートのこと。継続的な雇用ではなく隙間時間などに一回限りの仕事をする働き方のことです。
 日雇いという働き方は昔からありましたが、現在はスマホのアプリなどを使って手軽に求人できるため、世界中に広がっています。 

 ちょうど今朝の朝日朝刊24面にも、この映画と絡めて問題が取り上げられていました。


 その皮切りになったのは、個人が自分の車でタクシー業務を行うウーバーでしょうか。さらにウーバーイーツのような出前の配達、さらに今作の主人公のような配達業などにも広がっています。オリンピックに便乗している民泊だってそう。人材派遣会社の端金目当てに政府寄りのコメントやデマを流しているネトウヨだってそうです。
●新興の人材派遣会社が反共産党の記事一つに付き800円で募集しています。
matome.naver.jp


 内閣府の機密費?をもらってデマをまき散らすネトウヨ連中には全く同情しませんが(笑)、どれもが自分の自由な時間、スペースをいかに切り売りするか、という原理で動いている。民営化に代表される新自由主義と同じ原理です。
 手っ取り早く言うと、なんでも商品にする、という原理です。

 このようなギグワーカーは、法律上 個人事業主として扱われます。このため最低賃金労災保険、有給休暇などの労働者を守る仕組みが適用されません。労働法制の穴をついたビジネスモデルと言っても良い。米国ではライドシェアのウーバーやリフトなどの運転手たちが待遇改善を求めています。カリフォルニア州ではこうした声を受け9月18日、従業員の範囲を広げる新法が成立したそうです。

 日本でも数年前ウーバーが上陸してきましたが、タクシー業界の圧力や政府の規制で広がらなかったので良かったなー、と思っていました。
 が、残念ながら出前を運ぶウーバー・イーツは結構広がっています。少なくとも東京都心部では出前を運んでいるウーバー・イーツの自転車はしょっちゅう見かけます。スマホのアプリを使って手軽に隙間時間に働けるという点では効率的に見えますが、案の上 配達中にケガしても補償がない、ウーバー側が勝手に委託料金を下げてくるなどの問題が生じています。
news.livedoor.com

www.nikkei.com

www.nikkei.com

 ウーバーだけでなく、宅配では昔からそのような例は非常に多い。アマゾンがヤマトや日通から自前の配送に切り替えていますけど、それを担っているのは多くは自営の業者さんたちです。アマゾンだけでなく日本郵政だってそう。昔からある赤帽だって多くは個人事業者です。

 自営の零細業者が不公平なFC契約に縛られるという点ではコンビニなども全く同じです。経産省の調査では『コンビニオーナーで週1日以下しか休めない人が全体の85%』だそうですセブン店主が改善求め 元日ストで100店舗休業も。オーナーは経営者ではあるけれど、契約で縛られて自分で休みを決められないというのはやっぱりおかしい。



 こういう話になると左のリベラル層でも『ウーバーガ―』、『アマゾンガ―』と言い出す単細胞が居ますけど(笑)、それはごく一部の問題にすぎません。外資の問題ではないし、宅配業界の問題でもない。

 郵便でもコンビニでも配送でも自営業者という名目で過酷な労働を強いられている人が大勢いる。問題の本質は新しい働き方に法律や労働者保護の仕組みが追いついていないこと、自分が売ってはいけないもの、商品にしてはいけないものに対する社会としての認識不足です。自己責任という言葉ですべてが片付けられて良いわけがないでしょう。
●実に良いこと言ってます。


 だから、この映画を見ながらずっと思っていたのは、これは他人ごとではないということです。
●配送センターの所長は効率第一、ドライバーたちの働き方、休憩時間まで厳しく管理しています。個人事業主とは名ばかりです。

 ドライバーたちは独立した個人事業者ですが、まともに休みも取れない。どうしても用事があって休もうとすると、自分で代わりを探してこなければならない。ダメなら罰金です。端末が壊れても罰金。事故があっても補償もないし、労災もない。

 契約した営業時間を守るために自分で代わりの人を探さなければ休みもとれないって日本のコンビニ経営者とまさに一緒です。これって自営業者なんでしょうか、新しい形の奴隷なのでしょうか。
●ドライバーたちは自営の独立業者ですから、分断されている。会社から不利な条件を押し付けられても、組合のように共同して戦うなんてことは夢にも考えません。


 出演者は無名の俳優ばかり、そこに細かなディテールを積み重ねて、リアルな物語を語っていくところはいつものケン・ローチ節です。どこから探してくるんだろうと思うくらい、大人も子供もイギリスの労働者階級っぽい人たちを出演させてくる。なまりもきつくて、ボクなんかには英語に聞こえなかったりもする。
●もともとは仲良し兄妹でした

 苦しいのは親たちだけではありません。非行を繰り返す長男を父のリッキーが問い詰めるシーンがあります。『きちんと学校へ行けば、将来良い職に就けて家も家族も持てる』というリッキーに対して、長男は『高い学費を払って学校へ行っても、なかなか良い職なんかない』と言い返します。リッキーの言ってることは過去の社会での出来事です。今は長男の言うことが正しい。

 イギリスでも韓国でも日本でも、家族を養え、家を買えるような職につけるチャンスはどんどん減ってきている。大袈裟に言ってるんじゃありません。
 日本だって非正規社員の数を考えてみれば、容易にわかることです。人手不足と言われる昨今でも、事務職の求人は0.3倍程度、年間100万くらいの学費を払って大学を出ても大企業の求人倍率は0.37倍に過ぎません新卒「売り手市場」の落とし穴、大企業の求人倍率はたった0.37倍 | News&Analysis | ダイヤモンド・オンライン
 別に大企業に就職するのが良いとは全く思いませんが(むしろ馬鹿げてると思う)、今 ボクが10代で主人公たちのような家庭に生まれたら、彼と同じようなことを考えるかもしれない。
●何度も紹介していますが、橋本健二早大教授の本に出てきた、この図を見て、希望を感じる若い人はなかなかいないでしょう。

https://twitter.com/juntoku_y/status/1176442781553659904


 映画を見ている時は『親がこんな目にあってるのに、このバカガキが~』と思ってましたけど(笑)、自分の人生はもう終わっていると思っている長男は喧嘩や万引きでしか自分の感情を表現することが出来ないんです。何が彼をそこまで追い込んでしまったのか。
●反抗期の長男は次第に喧嘩や万引きを繰り返すようになります。この子だって、いかにもイギリスの労働者階級の子供という感じです。 

 学校から呼び出しがあっても父も母も学校へ行くことすら至難の業です。父は休めば罰金を取られる、母には介護を待っているお客さんがいます。何かが間違っている。
●短気で粗暴ではあるけれど、家族思いの父です。

 リアルに、時にはユーモアも交えながらケン・ローチ監督は新自由主義に翻弄される家族の物語を綴っていきます。映画の中でリッキーとアビーが自分たちを流砂の中に飲み込まれたようだと例えていました。もがけばもがくほど沈んでいく。


 ここには前作『私はダニエル・ブレイク』にあった、わずかな光のようなものも見つからない。だから、今作は救いがないという評判もあります。でも、ボクはそうは思いませんでした。
 歯を食いしばって見たことは間違いないけれど、原題の『不在連絡票』って見事に皮肉が利いていたし、後味だってなぜか悪くない。

 それは絶望的な環境、残酷な構造の中でも、登場人物たちはなんとか生きようとするからです。仮に自分がダメだとしても、です。これは人間としての最後の本能のようなものかもしれない。


 ハイテクを利用したギグ・ワークという現代的な題材にやや引きずられている感じもありますが、83歳の監督がこんな題材を取り上げること自体すごいことです。理不尽な社会の構造に対する怒りと問題を社会に広く訴えなくてはいけないという彼のエネルギーが成せる業でしょう。
ケン・ローチ監督「年を取ると、我々の世代が起こした間違いから学んでくれることを願うばかり」

 驚くべき強度の作品であるばかりでなく、必見の映画であることは間違いありません。この映画で描かれているのは、日本に生きている我々を取り巻く現実でもあるからです。いつ自分がそのような働き方を強いられるかわからないし、そうでなくても我々の生活はそのような働き方を強いるシステムに支えられている。宅配だって、コンビニだって、郵便だって、外食だって、そうです。

 ここから眼を背けたら、それこそ我々は新自由主義、何もかもが自己責任という理不尽な構造の罠、流砂に飲み込まれてしまう。たぶんケン・ローチ監督が考えているように組合、労働運動だけが解決策とはボクは思わないけれど、日本で働いているボクも明日は我が身です。他人事ではないことは間違いない。


 殆ど英語にすら聞こえない強烈なニューカッスルなまりの主人公の物語でさえ、我が事のように感じさせる。それがこの映画の、そしてケン・ローチ監督の力だと思います。

名匠ケン・ローチの新作『家族を想うとき』予告編