特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

イタリア映画祭2022:『ある日 ローマの別れ』と『そして私たちは愚か者のように見過ごしてきた』

 今日の東京は梅雨の間の晴れ間、爽やかなお天気でした。今の時期は色々と花も咲いているし、雨さえ降らなければいい感じです。

 

 今日も円安は135円と20年ぶりの水準にまで進みました。しばらくは物価高が続くでしょう。

 これでも選挙に行かなかったり、白票を投じるようなアホがいるって信じられません。

 もちろん消費減税とかインボイス反対とか寝ぼけたことを言ってるような野党は全部ダメだし、そもそも今の物価高への特効薬はありません。でも今の与党の様に無策でいいはずもないですよね(笑)。


 さて、毎年この時期、朝日新聞がやっているイタリア映画祭、コロナの影響でオンライン上映になって、だいぶ見やすくなりました。
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 限られた上映会数、狭い映画館の席を先着順でやっとこさ券を買って見に行くより、家でイタリアワインでも飲みながら(笑)、オンラインで見る方が遥かに快適です。大画面でみなければ面白くないスペクタクル作品とかでもありませんし。

 見た作品のなかで面白かったものを二つ、ご紹介します。19日までオンラインで上映されています。今年か来年あたり、映画館で上映されても不思議ではない、上質な作品でした。

 まず、『ある日 ローマの別れ

 オンラインでは一番人気の作品。日本でも『いつだってやめられる』シリーズ(ボクは面白いと思わなかった)がスマッシュヒットしたエドアルド・レオの監督・主演作品。

 お洒落でロマンティックなラブ・コメディです。主人公はローマ在住の作家、トンマーゾ。次回作が書けなくてくすぶっているところです。

 彼は作家業の傍ら匿名で新聞の人生相談を担当していました。ある日 読者の女性から『10年間同棲している彼と別れたい』という相談の手紙が来ます。手紙を書いたのはなんと、彼が同棲している相手、ゾエだったのです。

 スペイン人のゾエはゲーム会社の幹部です。仕事もバリバリやって、お洒落なスーツを着こなしている。料理はしない(笑)。日がなだらしがない格好でグータラしているトンマーゾとは対照的です。10年も同棲している恋人同士ではあるけれど、二人はどこかすれ違っている。

 日本出張から帰ってきたばかりのゾエが部下に『昔 日本でスペースインベーダーが流行ったとき、通貨当局はインベーダーに使う100円玉が足りなくなって硬貨を増産した。それくらいのゲームを作ってみろ』とハッパをかけるシーンがあります。本当にそんなことがあったのでしょうか(笑)。
 そんな女性が『トンマーゾは自分でワインを選んでくれたことすらない』と愚痴ったりします。面白いです。

 イタリア映画の常で画面の構図や文字のレイアウトまで凝ったお洒落な画面、美しい音楽、いつもながら絵になるローマの光景(これは卑怯ですよね)、そして思い切り美しい女性が画面に出てくるのを見るだけで楽しい。

 それに加えて、容赦ない人物描写でほろ苦い人生の哀歓が描かれるのがこれまた、美しい(笑)。

 確かに人気NO1になるのは判る。気に入りました。上質で良い映画です。


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 もう一本はそして私たちは愚か者のように見過ごしてきた

 ウーバーに代表される『ギグ・ワーク』は日本でも市民権を持ちつつあります。当初ウーバーはアメリカではタクシーで広がりましたが、日本では業界の規制もあってうまくいきませんでした。しかし食べ物を配達するウーバーイーツはコロナ禍もあって、日本でも広がってしまいました。

 あれを便利と思っている人もいるかもしれませんが、ボクは非常に嘆かわしい、と思っています。
 ウーバーなどの配達員は実質的に労働者であるにも関わらず個人事業主扱いにすることで、企業は労働者に対する社会保険などの費用を負担しないし、組合などの団体交渉の権利も与えない
 配達員はアプリで配達時間などの効率性を企業にコントロールされていますから、つい彼らはスピードを出してしまう。配達員だけでなく道を歩いている人にとっても危なくて仕方がありません。
 例えば、配達員が事故でも起こせば、ハイそれまで、です。このビジネスモデルで利益を得ている会社は何の責任も取りません。
 これこそ搾取以外何物でもありません

 今 欧米ではウーバーの配達員を社会保険や団交の権利を与えて労働者扱いにするよう裁判が起きています。ウーバーなどのギグワークは社会悪だと思っています。それを利用するユーザーも同罪。ボクはウーバーなどは一切使いません。一応 人間として良心があるからです(笑)。

 この映画は大企業でリストラのプログラムを作った48歳のエリート会社員が自分もリストラされてフーバー(笑)というIT企業の飲食配達の仕事に就く、というコメディです。
 配達員がスマホのアプリにコントロールされ、とことん酷使されるギグワークの非人間性はイギリスの名匠ケン・ローチ監督も最新作『家族を想うとき』で取り上げています。
spyboy.hatenablog.com

 あちらはシリアスなドラマでしたが、こちらは軽妙なコメディになっているのが面白いです。いかにもイタリア映画らしい。

 アルトゥーロは大企業の管理職としてリストラをする側の立場にいました。給料も良く、派手な暮らしを謳歌していた。ところが彼が作ったリストラのアルゴリズムが彼自身にも適用され、クビになってしまいます。次の職を探すアルトゥーロでしたが、48歳という年齢で転職アプリのアルゴリズムで撥ねられてしまう。

 唯一、見つけた職が自転車で食べ物の配達を請け負う’’フーバー’’でした。もちろんウーバーのパロディです。
 フーバーの創業者兼社長は応募してきた配達員たちに『世界を変えよう』と理想を語ります。そして頑張れば頑張るほど儲かるという自己責任論でハッパをかける。

 現実には配達員たちは自費で自転車とスマホを用意し配達用のカバンを会社から購入しなくてはならない。スマホのアプリで配達を指示され、雨が降ろうが渋滞があろうが時間通りに届けることが義務付けられます。配達員たちは配達時間や件数、顧客のクレームなどでアプリで採点され、点が悪ければクビになります。

 配達員たちは何故か日本語で『アリガト、フ~バ~』と言って食べ物を届ける設定になっています(笑)。道に迷ったり、マンションの階段を駆け上ったり、事故にあったりしながらも、時間に追われ、ボロボロになりながら『アリガト、フーバー』と言って荷物を届ける主人公の姿にはつい、笑ってしまう。


 
 懸命に働く主人公の状況はどんどん悪くなっていく。怪我やトラブルでアプリの採点が下がる→仕事が減る→それを補うため深夜の配達や長時間労働を続ける→また怪我や体調不良に陥る、の負の無限ループです。

 ケン・ローチのようなシリアスなアプローチも判るのですが、このようなコメディタッチの作品は笑いながら見ているうちに、徐々に心に染み入ってきます。この方が効果的かもしれません。

 副業としてギグワークを活用できている人もいるのかもしれませんが、元々配達員たちは休暇も福利厚生も社会保険もない不利な立場で働いています。主人公のように負のループに落ち込んでいく人が出てくるのはムリもありません。笑いながら見ているうちに、この問題は自己責任では解決できない構造的な問題であることが良く判ってきます。

 後半 お話がシリアスなSFサスペンス風になってくるのは好き嫌いがあるかもしれませんが、ボクは悪くないと思った。

 映画の表題は劇中 フーバーで働いている老人の台詞です。このような不条理な仕組みを、私たちは愚か者のように見過ごしてきた。だから私たちの社会はこうなってしまった。私たちの責任です。
 さらに言えばウーバーだけでなく、人員を削減された役所が代わりに大勢の派遣社員を雇って使い捨てにしているのも、現代の奴隷制度と諸外国から指摘されている外国人技能実習生制度も私たちは愚か者のように見過ごしてきた

 辛口のヒューマン・コメディ。お笑いだけどシリアスな社会派。これもまた、いかにもイタリア映画らしい作品でした。


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