特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『今週のニュース3つ』と日本の成れの果て:映画『ビジランテ』

寒くなりましたねー。今週 ボクは忘年会で官邸前抗議はお休みです。今日の参加者は650人だったそうです。


毎度の話ですが、忘年会なんて野蛮な風習を思いついた奴は市中引き回しの上、靖国神社の鳥居から首でも吊らせて、磔獄門にしてやりたい。ボクは宴会なんて1度たりとも、面白いとか楽しいと思ったことがないんですけど、これだけみんなやっているということは、宴会が面白いと思ってる人がこの世の中にいるんですか??? もちろん宴会をやりたいのは自由ですけど、他人を巻き添えにするのはやめてくれ。飲みたきゃ1人で飲めっていうんですよ、ったく。


それはともかく、宴会やゴルフなどが世の中の接待、交際として存在しているのは、基本的には男社会だからです。自分が家で家事をしなくていいと思ってるから、そんな暇なことやっているんです。そういう前世紀の遺物は早く●んでほしい。これから女性が社会進出していけば、接待エステや接待ネイルなどが盛んになるかもしれません。そっちなら賛成です(笑)。そういう意味でも女性の社会進出が進んでほしいです。
●久しぶりに品川へ行ったら、両脇のデジタル・サイネージ(電子看板)が実に気持ち悪かった。同じ顔がいっぱい並んでいて同じ動きをする。ブレードランナーなどのSF映画で描かれたディストピア(暗黒社会)そのものじゃないですか。そんなことを言ってるのはボクだけかもしれませんが、これに違和感を抱かないのは感性がどこかマヒしている気がします。


さて、今週の英ガーディアン紙によると、中国は少なくとも5つ、北朝鮮の国境沿いに難民キャンプを建設しているそうです。


China building network of refugee camps along border with North Korea | World news | The Guardian

戦争を想定しているのか、クーデターや内部崩壊を想定しているのかはわかりませんが、中国も北朝鮮はそろそろやばい、と思っているのでしょう。日本は武装難民とかありもしない話ばかりして、どうやって戦争を避けるか、どうやって国民を守るか、なんて議論は聞いたことがありません。
外交はアメリカにお任せの属国で何も考えなくていいから、そういう呑気な発想なんでしょうけど、そんな政府だったら要らないじゃないですか。同じ税金を払うのなら、やっぱりアメリカの51番目の州になった方がいいですよ。民主党だって問題はありましたが、完全人任せの安倍晋三だって、政権担当能力がないのは似たようなもんです。


一方 今週 13日に広島高裁が『伊方三号機の来年9月30日までの再稼働差し止め』を認めたのは、良かったと思います。


伊方原発の運転差し止め 広島高裁が仮処分 :日本経済新聞

伊方原発は日本有数の巨大断層、中央構造線のすぐ近くにあります。しかも半島の付け根部分に立地していますから、何かあったら、住民の避難すら そう簡単にできるわけがないのは誰にでも判ります。

伊方原発を止めておくべき5つの理由 | 国際環境NGOグリーンピース


ただし、今月 定年退官する野々宮裁判長が出した判決理由が『阿蘇山の噴火対策が不十分』というのは???で、逆に上級審へ行ったときに心配ではあります。だって本当に阿蘇破局大噴火が起きたら九州は全滅だし、伊方どころか西日本は確実にダメ、関東だってダメかもしれないですから、原発どころの騒ぎじゃありません。日本人が居なくなったあとの土地にいくら放射性物資が残っていようが、さすがにそこまでは関知しませんよ(笑)。本当に阿蘇破局噴火が心配なら、少なくとも九州は人が住めないはずです。だから、この判決理由はボクには理解できません。
阿蘇破局噴火を起こした場合の影響。ほんの数センチも火山灰が積もれば、コンピュータも電気も水道もライフラインはストップと言われています。15センチじゃ、文明崩壊でしょ。もちろん九州は火砕流で全滅。wikiの『破局噴火』から


いずれにしても原発に関わること自体が企業にとって先が見えないビジネスになっています。既に神戸製鋼のデータ偽装で大飯、玄海原発の再稼働が延期されました。原発メーカーの方は原発に注力した東芝は壊滅、残りはGEを始め、原発から足抜けを始めています。電力自由化が始まる中で、シーラカンスみたいな電力会社がどこまで保つでしょうか。


●以前取り上げたジェレミー・リフキン氏『#国難来たる』と『J・リフキン氏の講演(デジタル化で資本主義は終わる)』、それに『安倍政権NO!☆1005銀座大行進』&『1006再稼働反対!首相官邸前抗議』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)のインタビューが昨日の日経ビジネスデジタルに載ってました。まさに彼の言うとおりで原発にこだわるということは単に安全性云々だけの問題だけじゃなく、日本が産業構造の変化に乗り遅れるということ です(必読)。


原子力から脱却しないと日本は二流国に陥る:日経ビジネスオンライン



最近 聞くのは増税、負担増の話ばかりです。

*日経のまとめ 会社員増税、あなたの負担は?:日本経済新聞
所得増税、出国税、森林環境税創設に加えて(たばこだけは増税OK)、厚労省生活保護基準も切り下げようとしています。


あまつさえ母子家庭の母子加算まで下げるというのですから空いた口がふさがりません。

良く不正受給のことをあげつらう奴がいますけど、不正受給なんて全体のわずか0.5%しかいません。それ以前に日本では生活保護の基準を満たしているにもかかわらず受給できない人が全体の約8割、数百万人もいるんです。日本の生活保護の捕捉率はわずか15〜18%程度と言われています。

*↑日弁連リーフレットより:https://www.nichibenren.or.jp/library/ja/publication/booklet/data/seikatsuhogo_qa_pam_150109.pdf#search=%27%E6%97%A5%E5%BC%81%E9%80%A3+%E7%94%9F%E6%B4%BB%E4%BF%9D%E8%AD%B7%27


生活保護の金額が賃金に比べて高すぎると言ってるバカもいますけど、それは世界的に見ても日本の最低賃金が低すぎるからです。最低賃金を上げると潰れる企業があるというマヌケもいるけど、それは経営者が無能なの。そんな経営者は社会の公器である企業を経営する資格がないんだから、さっさと首にすればいいだけです。
生活保護受給者はずるをしてるとかいう言説は、今世紀初頭 制度が始まった当初から保守政治家が言ってたし、ちょっと前もレーガンが言ってたし、サッチャーもトランプも言ってるし、要するに金持ち連中の福祉削減の口実なの。そんなチョロい手に引っかかる頭が悪い日本人が多くて困ります。
●まさにそういうことで 事実に反して生活保護たたきをやってる連中こそ、脳味噌も心も貧しいと思います。品性下劣ってやつです。



ということで、新宿で映画『ビジランテ映画『ビジランテ』公式サイト

舞台は埼玉の地方都市。横暴な市議会議員の父にDVを受けながら育った三兄弟。次男・二郎(鈴木浩介)は亡くなった父の後を継いで市議会議員に当選、三男・三郎(桐谷健太)はやくざの元のデリヘルで雇われ店長をしている。父の土地に再開発の話が持ち上がったある日、行方をくらませていた長男・一郎(大森南朋)が30年ぶりに帰郷する。一郎は遺産は自分のものだと主張する……。


今年TVドラマにもなった『SRサイタマノラッパー』、NO1ヒットになった『22年目の告白『7/9 安倍政権に退陣を求める緊急デモ』と映画『22年目の告白−私が殺人犯です−』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)入江悠監督の新作です。同じ深谷市を舞台にしていても牧歌的でユーモラスなサイタマノラッパーとは異なり、今回は地方都市の暗部を描いた作品です。まるでネガとポジのような関係でしょうか。テーマとしてはあまり見たくはないんですが(笑)、脚本の名手である入江監督の久方ぶりのオリジナル脚本ですから見逃すわけにはいきません。
●閉鎖的で救いのない地方都市で、土地、家族というしがらみの中で3兄弟はあがき続けます。


幼い三兄弟は母親を亡くし、地元の有力者で市議会議員でもある父親に育てられてきましたが、父親は外面が良いだけで家では暴君でした。暴力にさらされながら育った幼い3兄弟はある日 父をナイフで刺しますが、逆に父親に暴力的な折檻を受けます。しかし長男はそこから逃げ出して、音信不通になります。
●暴力的な父親に反抗して家を飛び出した長男(大森南朋)は30年間音信不通でした


その30年後 次男(鈴木浩介)は亡くなった父の後を継いで若手の市議会議員になっています。一方 三男(桐谷健太)はやくざの傘下のデリヘル店の雇われ店長です。もはや住む世界が全く違います。そこに長男が帰郷してきたことで、世界が混じりあい始めます。
●デリヘル店の店長の三男(桐谷健太)(左)と市議会議員の次男(鈴木浩介)(右)、違う世界に住む二人です。


舞台はサイタマノラッパーと同じ埼玉県深谷市。監督の生家があるところです。
映画の設定としては架空ですが、北関東の荒涼とした空気・雰囲気が色濃く表れています。交通量の多い国道が通り、ロードサイド店は数多くありますが、古くからの街並みは少しずつ消えつつある。町の賑わいも減り、人々は画一的なショッピングセンターやパチンコ屋に吸い寄せられる。町を一歩外れると東京に電気を送る送電線がずらっと立ち並ぶ。そんな町には政治家の口利きや地元のボスによる支配、ヤクザなど、しがらみや土着的な雰囲気が残っています。主人公の三兄弟は前近代的な家父長制に虐げられて育ちました。住民は外国人も含めて新旧入り混じっていますが、ネットに影響を受けて外国人に対して排外的な意識を募らせるバカな若者もいます。
近年の不景気もあって街の雰囲気は閉塞感が漂っている。職は減り、人心も荒んでいる。そんな街で無理やり大規模な再開発が始まろうとしています。北関東というだけでなく、ある意味 日本の郊外を象徴した設定かもしれません。
●父親の家に居座る長男の元へヤクザが押しかけてきますが、彼は全く動じません。まるで彼は死に急いでいるようです。


3兄弟の父親の残した土地は再開発の対象となっています。そこに30年ぶりに帰ってきた長男が所有権を主張して居座ります。市議会議員の次男は市議会のボスから何とかしろ、と圧力を受けます。さらに家に帰ると彼は、『市議会でのし上がれ』と妻(篠田麻里子)から、いつも発破をかけられています。議会での点数稼ぎのために地域の自警団(ビジランテ)の団長も務めていますが、気が弱くて及び腰です。
らちのあかない次男にしびれを切らした市議会のボスは地上げのためにヤクザに声をかけ、三男もそれに巻き込まれます。一方 自警団の若者は再開発地の周辺に住んでいる中国人に敵意を募らせ襲撃をかけようとします。
●若手市議会議員の次男は地域の自警団の団長もやっています。日本の組織に良くある、いわゆる『雑巾がけ』です。


クスリで身を持ち崩しながら破滅に向かってひた走る長男(大森南朋)も、気の弱い次男(鈴木浩介)も、野心的な次男の嫁(篠田麻里子)もある意味 良く似ています。閉鎖的でしがらみにあふれている街で、流されるように生きている。息がつまるようなしがらみの波に翻弄され続け、やがて自ら身を投じていきます。3人ともロクでもないキャラクターをリアルに演じているんですが、篠田麻里子の演じる若妻はヤクザより怖いです。こういう人、いかにも居る〜と思ったからです。目的のためには手段を全く選ばない、彼女の存在がお話しに厚みを持たせています。3人とも自分では意識していませんが、彼らの精神も疲弊している。日本の地方都市と同じなんです。マヒして大きな流れに飲み込まれるか、流れに逆らって破滅するか、この映画では二つの選択肢が示されます。
●次男の妻(篠田麻里子)は旦那の首根っこをつかんで、カネと権力の方向へ引きずっていきます。四の五の言わせないだけでなく、手段も選びません。


唯一 デリヘルの雇われ店長を務める三男(桐谷健太)だけはまともです。彼だけは人を助けたり、いつくしんだりする感性が残っている。だが彼にできることは大したものではありません。大きな流れの中で一人のチンピラのできることなんて限られている。詳しくは書けませんが、桐谷君とヤクザが絡む焼肉屋のシーンは凄かったです。演じる方も撮る方も良く撮ったなーと思わせる衝撃的なシーンでした。桐谷君のファンの人は必見、彼も舞台あいさつで『自分の代表作になった』と言ったそうです。



ある意味 神話的なお話です。長男が遺留分を無視して、公正証書で強引に遺産をわがものにしようとしたり、ヤクザがあれだけ暴れて警察が来なかったり、現実離れしている部分もあります。神話的な部分と具体的な描写のバランスは判りにくいかもしれません。そこはマイナス。
この映画は『カラマーゾフの三兄弟』を意識しているという人もいます。確かに三兄弟はしがらみと血の中であがき続けます。その背景にある無味乾燥な郊外の風景とざらざらした登場人物たちの心象風景がマッチしている。夜の画面が冷たく、実に美しい


そんな雰囲気の中で今の日本に当てはまる普遍的なことが描かれている。閉塞感、閉鎖性、排外主義、そして暴力。ヤクザによる直接的なものだけでなく、権力やしがらみ、無関心による陰湿な暴力です。この映画で描かれているのは日本のいわば、成れの果てです。小説で言えば『長距離ランナーの孤独』や『怒りを込めて振り返れ』、音楽で言えば、パンクなど、市井の人々の現実を描いた芸術作品が登場したとき、『こんなことを描いた作品はなかった』と言われました。非難も受けたそうです。でも、こういうことは誰かが描かなければいけないことだと思います。
映画を見ていると この国は、この社会は、こんなところまで来てしまったのかと思わされます。いや、これから経済もダメになり、少子高齢化が進み、排外的な風潮が広まり、日本はもっと堕ちていくのかもしれません。


個人的なことを言うと生まれ育った土地の土着的なしがらみが大嫌いで、ボクは極力 それを拒絶して生きてきたつもりです。でも、その行きつく先は資本主義・新自由主義の荒涼とした荒野だった、と感じることがあります(笑)。この映画で描かれたしがらみや閉塞感に満ちた原野と資本主義の荒野とどちらが良いのか、考えてしまいます。

日経の映画評でも★5つ。傑作であることは間違いないんでしょう。今年の日本映画ベスト1と言う評論家もいますけど、それはそれで頷けます。お話として神話的な体裁をとったのは判りにくいところがあります。しかし、それは観客にどぎつさを押し付けないとも言える。ある意味 成熟した表現です。俳優さんたちの熱演を引き出した見事な脚色と美しい画面で、忘れえぬ作品であることは間違いありません。

●手作りの宣伝を多用する入江監督らしく、ボクが見た日は『ヤクザ・デー』としてヤクザ役を演じた役者さんが舞台あいさつしました。画面での怖さと同一人物とは思えないくらいの和やかさでした(笑)。中央は有名ラッパーの般若。今週は『若者デー』、来週は『デリヘル・デー』だそうです(笑)。