特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

 『井手英策教授の「前原誠司は本当に変わったか?」から考える。』と映画『しあわせな人生の選択』と『彼女の人生は間違いじゃない』

ぐずついたお天気が続いていましたが、いよいよ関東地方は夏本番という感じです。東京でも久しぶりにセミの声を聴きました。もう直ぐ夏休みです。ボクもたった2泊ですが週末は旅行に行くので、今週の官邸前抗議はお休みします。
●週末のカレー。ラムとほうれん草。


週末に見た土曜深夜のETV特集『告白 満蒙開拓団の女たち』、日曜夜のNHKスペシャ『原爆死 〜ヒロシマ 72年目の真実〜』、どちらもショックな話でした。内容の酷さもさることながら、戦後70年以上が経っても惨劇は当事者にとっては終わっていない、と言うのは何ともやりきれない。戦争と言うのは結局 弱いものにしわ寄せがいきます。だから戦争はやっちゃいけないんだけど、そういってるだけではダメなんですね。戦争を起こさないようにするにはどうするか、具体的に議論をしていかなければならないんでしょう。それこそ犠牲になった人たちがいるわけですから。
●土曜深夜のETV特集終戦時 若い女性たちが犠牲になり、その苦しみは今に至るまで続いています。筆舌に尽くしがたいような話でした。8/10に再放送があります。ETV特集 - NHK

●日曜夜のNHKスペシャル『原爆死 〜ヒロシマ 72年目の真実〜』。今も更新されている56万人の被爆者の動態を調べた広島市の資料を基に作られたもの。熱線で血管が破裂したり、深い火傷で長い時間苦しんで亡くなった人が大勢いるなど核兵器の残酷さを改めて認識させられました。しかも急性原爆症にしても内部被ばくにしても、国はまだ、事実を全て認めようとしていない。NHKスペシャル | 原爆死~ヒロシマ 72年目の真実~




さて民進党の党首選は枝野と前原の争いになっています。井手英策慶大教授の『前原誠司は本当に変わったか?」から考える。』というブログを読みました。
「前原誠司は本当に変わったか?」から考える。 | 財政社会学者、井手英策のブログ
単に前原のことだけでなく、民進党全体、政党と市民との関係まで考えさせられるものでしたので、内容を軽くご紹介したいと思います。

井手教授は『確かに前原はかっては新自由主義的だったし、保守的なスタンスを取っていた。だが今は改憲より社会民主主義的な社会を目指すことが大事と明言している』と指摘しています。確かに自民党だけでなく民進党自体も新自由主義的でしたよね。多くの国民もそうだったのかもしれない。事業仕訳みたいなくだらない見世物で拍手喝采してたんですから。
そして井手教授は『今 大事なことは「尊厳ある生活保障」と「品位ある命の保障」、そして外交・安全保障の「穏健な現実主義」という旗を立てていくことではないだろうか。前原は変わったのかを問うより、我々自身が変わったのか自分に問うべきじゃないだろうか』と述べています。


政策的な面では井手教授の指摘の通りだと思います。右か左かなんか囚われている場合じゃなく、多くの人が支持できる政策ヴィジョンを示していくことが大事です。今 民進党にとって問題なのは、前原か枝野か、でもなく、野党共闘民進都民ファーストの連携か、でもなく、多くの人が納得できるような政策ビジョンを掲げられるか、だと思うんです。具体的な旗は井手教授の「尊厳ある生活保障」と「品位ある命の保障」、外交・安全保障の「穏健な現実主義」でいいでしょう。あとは政治家が本質を理解して旗を政策に落とし込めるか。


前原という人間は外務大臣当時の『マネジメント能力の無さ』、偽メール問題や時折漏らす放言などに見られる『人間の軽さ』は気になります。が、安倍晋三ですら前回の失敗に学ぶことができたのですから、前原も学ぶことができる可能性はある。
それより、市民の側も現実的な政策を考えなくてはいけないと思うんです。政治家に政策をお任せにするのではなく、経済も外交も税制も、我々はどんな社会を目指したいんでしょうか野党共闘を支持している人の間でも、そこは固まってないでしょう。確かに安倍晋三は勘弁してほしい。だけど、それだったら市民の側は『自分たちはどんな社会が良いのか』をもっと考えなきゃいけないと思います。民進だろうと、共産だろうと、自民だろうと、政治家なんて市民の言うことに従えばいい、それだけですよ(笑)。



と、言うことで恵比寿で映画『しあわせな人生の選択映画『しあわせな人生の選択』公式サイト

舞台はスペインのマドリッド。肺ガンで余命がわずかとなったアルゼンチン人の俳優フリアン(リカルド・ダリン)の下へ、カナダから親友トマス(ハビエル・カマラ)がやってくる。延命治療をあきらめたフリアンは、翻意させようとするトマスの説教を警戒しながらも、自分の後始末に取り掛からなければならない。一緒に暮らしている老犬トルーマンの里親探し、疎遠となっていた息子との関係修復、二人はさまざまな後始末を始める。


スペインのアカデミー賞と言われるゴヤ賞で2016年の作品賞、監督賞、脚本賞、主演男優賞、助演男優賞と主要な賞を総なめにした、非常に評価が高い作品です。


フリアンはいかにもラテン男らしい、情熱的な気性です。数々の浮名を流して、今は妻とも別れ、老犬のトルーマンと一緒にマドリッドでひとり暮らしです。肺がんの末期、もう長くないと言う余命宣告を受けました。彼は、最後まで自分の生活を大事にしたいと、医者や周囲に対して延命治療を止めることを強引に宣言します。
●余命宣告を受けたフリアン(右)とトマス(左)。マドリッドを舞台にしたアルゼンチン人二人の物語


周囲との関わりを断ったフリアンは一人で最期を迎えることも、延命治療を止めることにも全く後悔はないけれど、パートナーである犬のことは心配です。フリアンは遠くカナダで暮らしていた親友、トマスの力を借りて、愛犬トルーマンの里親探しを始めます。
●死を前にした二人と一匹のユーモラスな4日間


穏やかで親切なトマスは熱い気性のフリアンとは真逆の穏やかな気性です。一人暮らしで俳優を続けている俳優のフリアンに対して、妻子と暮らすトマスは堅気の職業についています。フリアンとトマス、正反対の二人が死を前にして過ごす4日間は深刻ですが、どこかユーモラスです。
●死を前にして演じ続けるフリアンの舞台を見る従妹のパウラ(左)とトマス


医者とのやりとり、犬の里親候補たちとの面接、犬はホテルでもレストランでも平気で入っていきます。いいなあ。がん患者だけど朝食からワインを飲んでるのはヨーロッパ人だからでしょうか?友達や女性とおいしい物を食べて、お酒を飲んで、深夜まで楽しいおしゃべりをする。どんな事情があろうと日常を楽しむことが人生なんだ、ということが、彼らの骨身に染みついているんでしょう。
●勿論 犬の里親探しが最優先です。

●イタリア系のパウラは情熱的な気性です。孤独なフリアンの唯一の友人です。


永年離れて暮らしていたフリアンとトマスが何故、こんな深い絆で結ばれているか。二人はアルゼンチン出身です。具体的な事情は映画では語られませんが、二人には愛する故国を離れなければいけない理由があった。また彼らだけでなく、アルゼンチンから逃れてきた人たちはマドリッドには大勢いる。先日見た感動作『ローマ法王になるその日まで『世論調査の結果』とライブ『相対性理論 証明3』、それに今 見るべき映画:『ローマ法王になるその日まで』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)で描かれた軍事独裁政権から逃れてきた人たちです。そこいら辺の事情が分かってくると、お話が一段と深みを増してきます。


人生でやり残したことはないかを考えぬいた二人は、今まで音信不通だったフリアンの息子に会いに、アムステルダムへ出かけます。ネットで飛行機を予約すれば、当日だってスペインとアムステルダムを日帰りできる。まさにEU万歳という感じです(笑)。息子が通うアムステルダムの大学に押しかけ、一緒に昼食を食べ、マリファナを吸い、フランス人の彼女を紹介され、何気ない会話をする。それだけです。取り立てて言葉に出したりはしない。不器用な息子と父のエピソードは実に泣かせます。ここは素晴らしい。
●思い立った二人はアムステルダムへ出かけて行きます。さすがEU。


死を目の前にした男の4日間。暗くならずにユーモラスに、楽しげに、実に印象的に描かれています。後味もいい。ボク自身はマチズモ(男らしさ)を前面に押し出したフリアンのようなキャラクターはあまり好きではありません。が、何よりも死に向き合おうとする平凡な人間の心持が深く心に残る、とても良くできた映画であることは間違いありません。犬が人間を導いてくれます。何とも言えない爽やかな余韻が残る。
長く生きてくれば、人生はうまくいかないことの方が多い。仲良しと思っていた人とも仲たがいをするし、またやり直すこともある。フリアンだけでなく、我々皆がそうです。それでも、どんなものでも人生は自分のものでしかない、と思います。


もう一つ、渋谷で『彼女の人生は間違いじゃない映画『彼女の人生は間違いじゃない』公式サイト

舞台は福島県いわき市仮設住宅で父と2人で暮らすみゆき(瀧内公美)は市役所に勤務しながら、週末は英会話教室に通うと偽って渋谷で風俗のアルバイトをしている。父親(光石研)は震災で亡くした妻と無くした田畑のことを悔やみながら酒とパチンコの毎日。市役所の広報課に勤務する新田(柄本時生)は新興宗教に走ってしまった母の替りに家事をしながら弟を育てている。福島と渋谷、ふたつの都市を行き来するみゆきと彼女を取り巻く者たちが、もがきながらも光を探し続ける姿が描かれる。


さよなら歌舞伎町読書『身体を売ったらサヨウナラ』と映画『さよなら歌舞伎町』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)廣木隆一の作品です。当人が初めて手掛けた小説をもとにしているということで、非常に気合が入っている。この人は今年63歳だそうですから正確には団塊世代とは違うのかもしれませんが、どうにも感覚が古臭い印象があります。が、日経の映画評で4つ星と評価も高いので、見に行ってみました。


前半はみゆきの生活が描かれます。仮設住宅で家事をしながら市役所に勤める平日の生活、高速バスにのって出かけていく、寄る辺のない渋谷での生活。


最初は非常に不愉快になりました。彼女をとりまく男どもがどいつもこいつもクズばっかり。まず父親。朝は娘が早起きして作った朝ご飯を食べるだけ、昼間はパチンコに明け暮れるて、帰宅した娘にまた、ご飯を作ってもらう。茶碗を洗ったり、お茶を入れることすらしない。クズオヤジ、死ねよ!と思いました。役柄上 彼が落ち込んでいるのは仕方ない。でも 男が家事をしないのが当たり前のように描かれるのが非常に腹が立ちます。自分で自分の身の回りの事が出来ないのは動物以下、恥ずかしいことなんだよ。もう2017年だっていうのにそんなことも判んないのか、白痴。
●みゆきは仮設住宅で父親と二人暮らしです。

それだけじゃない。広報課に勤める新田。震災後 新興宗教に夢中になって家を出てしまった親の替わりに幼い弟の世話をするのは偉いのですが、帰宅して弟に準備するご飯が馴染みのスナックで作ってもらった焼うどん。料理できないからだって。こいつも死ねよ!と思います。やればできるだろって。他は言うに及ばず、です。家事の是非云々じゃなく、それを当たり前のように描く感覚がとことん古い。ありえないよ。かなり頭に来ます。


最初は嫌悪感を覚えましたが(笑)、それ以外は興味深い人物描写が続きます。
みゆきにはかって結婚寸前までいった彼氏がいます。震災後別れてしまった彼は、もう一度やり直そうとやってきます。しかし彼女は受け入れない。彼氏が悪いわけでもなく、誰が悪いのでもない。悪いのは東電と政府くらいです。けれど、彼女は内心どうしようもない『憤り』を抱えている。時に、怒りの炎は自分自身を焼くこともある。


父親は酒とパチンコに身を持ち崩していますが、今まで田畑の世話しかやってこなかった男です。しかも津波で家も妻も無くしてしまった男がそうなるのは理解できる。それにしてもパチンコ屋ってものすごい騒音なんですね。好きな人は気にならないものなんでしょうか。
かっては原発で働き、今は汚染水貯蔵の現場で働く男も仮設住宅に住んでいます。が、周囲の視線に耐えられず、奥さんは自殺を図ります。他にも被災者の補償金にたかろうとするツボ売り、卒論を書くために福島へやってきた意識高い系の大学生。色んな人種が居る。


見ているとハッとするような描写があります。柄本時生演じる新田。役所に勤める彼は、避難地域にあるお墓の移転を住民に打診しに行きます。老人に、『今までの墓に埋まっているお骨はどうするんだ』と聞かれた彼は、『お骨は汚染されているから、新しい墓には移せない』と答えなければならない。お骨が『汚染!』されているわけです(怒)。
柄本時生と言う人は顔だけで存在感を示せる、良い役者さんだと思います。


週末のみゆきは殺伐とした渋谷で働いています。映画ではその理由は語られません。ただ 憤りを都会の殺伐さで埋めようとしているかのようです。確かに渋谷の裏街はそういう街かもしれない。


ですが、それだけではありません。彼女と同じように高速バスで地方からやってくる若い女性がいます。お互い何も語りませんが、少しだけ心が通じる気がする。そして高良健吾君が演じる風俗店の運転手、三浦。すさんだ生活の中で良い面を見つけようとし、やがて自ら違う生活を切り開いていく。
ちなみに高良君は売れ線の男前にもかかわらず(笑)若松孝二など渋い作品で見かけることが多いのも相まって、ボクは結構好きなんです。彼に限らず、この映画、俳優さんはかなりいいです。文字通り体を張った瀧内公美も、柄本時生も押しつけがましくならず、でも、きっちり登場人物の存在を主張している。
●ロクでもない男しか出てこない物語で唯一まともなのが高良君が演じる風俗店の店員です。


父親は仮設住宅で知り合った子供にキャッチボールを教えることで、自分も徐々に立ち直っていきます。立ち直ったという描写が、今までは放ったらかしていた夕食の茶碗を流しに持っていくようになった!というのは演出としてレベル低すぎ、と思いましたが。
光石研のダメ・オヤジぶりは堂に入ってます。


みゆきは三浦(高良君)が風俗店を辞め、奥さんと子供と一緒に新たな生活を始める姿に出くわします。思いもかけぬ彼の姿を見たあとのみゆきの足取りはどこか軽い。それだけで十分です。高速バスで郡山へ帰る彼女の表情は今までと確かに違います。
瀧内公美は凄く良かったです。


映画の中では驚くような出来事が起きるわけではありません。傷を負った人たちが自分たちの力でなんとか前へ踏み出そうとする物語です。声高に何かを語るわけでもなく人々に静かに寄り添う姿勢は爽やかです。感覚は古臭いところもあるけれど、俳優さんは良いし後味も悪くない。誰かがこういう物語を語らなくてはいけない、作り手の想いを感じるお話でした。