特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

映画『ノマドランド』

 週末は文字通り、ぶっ倒れていたんです(笑)。
 食べ過ぎ・飲み過ぎが引き金になって、寒気がして熱がどかーと出て、ぶっ倒れる、ってことが年に1、2回あるんです。自分では食べるのも飲むのも極端なことはしていないつもりなのですが、普段の生活で精神的、肉体的に緊張しているのが時折反動が来る、そんな感じです。最近はストレスで眠りも浅くなっていて不整脈みたいなものも出ているので、自律神経にも来ているのでしょう。張りつめているのに対してパーンと身体が弾けて身体の凝りを解こうとしているのが自分でもよく判ります。

 時々16時間のプチ断食や、生姜で身体を温めるとか、自律神経のために定期的にコーヒー断ちをするとか色々やってるんですが、ストレス生活という根本の原因に対して、所詮は小細工に過ぎない、ということでしょう。


 ストレスは仕事だけでなく、昨今はコロナでも無意識に感じているのだと思います。ストレスを感じないようにすると言っても、この世に人間が居る限りムリ(笑)。だから早く定年になりたいんですよ(泣)。

 何も食べずに漢方の風邪薬を飲んで12時間くらい寝れば治るのですが、久々にぶっ倒れたという感じでした。昨今はコロナもあるから気を付けていたのですが、暖かくなって油断しました。
●週末は桜吹雪が舞っていました。


 と、いうことで、六本木で映画『ノマドランド
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searchlightpictures.jp

アメリカ・ネバダ州の小さな町に暮らす60代の女性ファーン(フランシス・マクドーマンド)は、リーマンショックによる企業の倒産で住み慣れた家を失ってしまう。彼女はキャンピングカーに荷物を積み込み、車上生活をしながら過酷な季節労働の現場を渡り歩くことになる。現代の「ノマド遊牧民)」として一日一日を必死に乗り越え、その過程で出会うノマドたちと苦楽を共にし、広大な西部をさすらう生活とは。


 今年のアカデミー賞の大本命と呼ばれ、作品賞、監督賞、主演女優賞、脚色賞、撮影賞、編集賞など主要6部門でノミネートされている作品です。既にゴールデングローブ賞ではドラマ部門の作品賞、監督賞を受賞、第77回ベネチア国際映画祭 金獅子賞を受賞しています。

 夫を数年前に亡くして一人暮らしだったファーンは街の中心だった企業の撤退に伴い、家と職業を失います。唯一の産業だった石灰の採掘が終了してしまったころで、街の郵便番号自体が無くなってしまうんです。町は廃墟になる。ファーンは僅かな家財をおんぼるキャンピングカーに詰め込み、路上生活の旅に出ます。

 ファーンは車で各地を移動して、感謝祭前のアマゾンの配送センター、キャンプ場の下働き、ファーストフードの店員などの職を転々としながら、僅かな現金を稼ぎ、車で暮らしながら生計を立てていきます。

 世界大恐慌の際 失業した労働者が農作物の取り入れ等の職を転々としながら各地を放浪していたのは怒りの葡萄などで描かれています。

 リーマンショック後 それと同じように、家を失って遊牧民ノマド)のように暮らしている人が大勢いるそうです。それも高齢者が多いらしい。

 もちろん車の中の暮らしは過酷な生活です。砂漠の暑さ、それに凍てつくような大雪の寒さ、治安など身の危険もある。それに病気になったり、車が故障したり、様々な困難が降りかかってきます。砂漠の真ん中で車が故障したら文字通り、生死にかかわる。都市では車中泊なんかできませんから、必然的に人里離れた地域でノマドたちは暮らすことになります。   
 ノマドたちは自ら交流集会を行ったり、互いに情報や生活のノウハウなどを交換する助け合いも生まれています。
●砂漠の真ん中で交流集会が行われています。このおっさんは本物のノマドで生活のノウハウを共有するなどの活動を続けています。

 ノマドたちは様々な事情を抱えています。貧困や職を失っただけでなく、家族など人間関係のわずらわしさを避けたり、人生を旅の中で過ごすことに充実感を得る者もいます。末期がんで余命を宣告され、最後は納得がいくように人生を過ごしたいとアラスカへの一人旅に出た老婆もいます。
 国や地方自治体の福祉の手がノマドたちに届いていないという問題はありますけど、格差とか不況だけで問題は片付けられません。
 心配する知人にファーンが『私たちはホームレスではない、ハウスレスだ』とファーンが答えるシーンがあります。この映画で描かれている多くのノマドたちは自ら誇りをもって、放浪生活を続けている。

 主演でプロデューサーを務めるフランシス・マクドーマンド以外は殆どの出演者が実際にノマドをやっている人たちだそうです。確かに一般人とは顔つきが明らかに違います。厳しい環境下で生き抜いてきた人だけがもつ険しい表情と無表情さを持っています。しかし、その下には複雑な感情が隠れている。
 この映画、殆どドキュメンタリーに近いんです。
●彼女も実際にノマド生活をやっている人。末期がんを抱えて、最後は自分の納得がいくように過ごしたいと放浪暮らしを続けているという設定です。

 舞台は中西部。ネバダアリゾナネブラスカなど雄大な自然が広がっています。ファーンたちの暮らしは過酷ですが、独立独歩の暮らしはどこか理想郷のようにも見える。
彼らの暮らしには『さよなら』はないそうです。一瞬触れ合ったのち、『またどこかで会おう』といいあって離れていく。

 美しい画面と音楽、全編が一遍の抒情詩のようです。その中に人間の悲しさと誇りがそこはかとなく漂っている。ここはこの映画の優れたところ。

 
 かなり厳しい生活描写は全編にわたっていますけど、それでもボクはノマドたちの暮らしを楽観的に描きすぎているのではないかという感覚も持ちました。暑さ寒さの問題に加えて、治安の問題もあるでしょうし。
 ただ大恐慌の時と同じように、現代にも行政に放置され、格差に取り残された数十万人の人々がいることは間違いない。ただ、そういう人たちも誇りと希望を持って生きている。それもまた、確かです。見方は色々でしょう。

 開拓者たちが切り開いてきたアメリカの原風景を描いたのが中国系の女性監督というのもユニークです。不景気で崩壊していくアメリカ、そして再び現れた放浪者たち。移民によって成立したアメリカだからこそ、中国系の人が原風景を描くのはふさわしいのかもしれません。
 画面も構成も完成度が高い、一見の価値がある、美しい映像作品であることは間違いありません。
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