特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

読書『情報参謀』と映画『将軍様 あなたのために映画を撮ります』

もう、10月なんですよねえ。自分が齢を取った、ということなんでしょうが、今更ながら月日の過ぎるスピードは恐るべきもんです。週末の過ぎるスピードも速い。『ああ、金曜の夜だ、楽しい!』と思ったら、あっと言う間にブルーな週明けです(泣)。あと、最近は野菜が高くて。先週は近くのスーパーでレタス一つが380円もしました。とても買えませんよ。いったい何を食ったらいいんだよ(笑)。
                                    
●久しぶりに六本木のカレー屋で『パヤ』。北インドパキスタンのお祝い料理だそうです。羊の脚をとろとろになるまで煮て、骨の中の髄を溶かし出したカレー、要するにコラーゲンのスープです。お肌をどうこうって言うのではなく(笑)、二日酔い明けの土曜日のブランチにはぴったり。

        
                                                                            

さて、先日会った大臣の元政務秘書氏に『自民党が何をやってるか良くわかるから』と言って勧められた本、『情報参謀』のお話をします。確かに面白かったし、広く知られた方が良い情報だと思ったので、みなさんにご紹介します。

情報参謀 (講談社現代新書)

情報参謀 (講談社現代新書)

著者は元日経BP社、2007年に情報分析のためのベンチャー会社を設立、自民党が政権を失った2009年夏の総選挙直後から2013年夏の参院選挙に勝利するまでの4年間、自民党報道局のアドバイザー(当人曰く『情報参謀』)を勤めたと言う人です。
内容は著者が自民党とやった作業が時系列で4つのフェーズに分けて説明されています
●第1フェーズ(2009年秋〜2010年7月参院選
データベース化したテレビ報道とネットの書き込みを分析することで、選挙の得票率が8割方予測できることが判り、著者が公開セミナーを実施。それを聞いた自民党から声がかかり、プロジェクトを実施。自民党側は報道局長だった茂木敏充平井卓也世耕弘成の3人が窓口。その頃は野党の為 自民党はマスコミへの露出が殆どなく、露出を上げることに専念。具体的には、ネット上での情報発信より、何を言えば世論に受けるか、を分析した。当初はデータ分析は週1回だったが、次第に毎朝行うようになった

●第2フェーズ(2010年秋〜2011年夏)
広報にネットの本格活用を開始。ネットCMやツイッター対話集会、ネット番組などを実施。小沢一郎のニコ動出演、尖閣ビデオなどの事件で、TV側がネットに流れている情報に影響を受けるようになる。ネットでの広報は効果があり、マスコミにも自民党の露出が段々増えていく。
●第3フェーズ(2011年秋〜2012年12月衆院選野田総理〜政権奪還)
民主党だけでなく、台頭してきた橋下も分析対象になった。総裁選討論会をニコ動で実施。報道局長は塩崎恭久、後に加藤勝信。選挙にもネット、テレビを活用。テレビ、ネットとも既にデータベース化しているため、どの番組やネットを重点的に注力するか準備が出来ていた。政治家に対しても何をアピールするべきか、報道局から指示するようになった

●第4フェーズ(2013年1月〜7月参院選、安倍政権の発足と参院選圧勝)
ネット選挙が解禁、ゲームアプリなどを使って有権者を制作サイトへの誘導などを実施。候補者全員にタブレットを配布、何をアピールすべきか、何を言ってはいけないかを毎朝 報道局から指示。報道局長は平井、後に小池百合子



著者が作ったベンチャー会社は100人がかりでテレビの全番組をテキストにしてデータベース化しています。それとネットのデータを連動させ分析するプログラムを東大が作ったことで、机の前に座ったまま新聞の出口調査やアンケートなみの選挙予測ができるようになったそうです。
それに眼をつけたのが、たまたま自民党だった。自民党側から何かをやらせたわけではありません。著者によると、自民党の情報活用体制を作ったのは茂木と塩崎だそうです。茂木は東大→読売→マッキンゼー、塩崎は東大→日銀→ハーバードという経歴ですが、データ分析の重要性と可能性に気付くだけの能力がある政治家が党内の重要ポストにいたわけです。ちなみにいつもコメントをくださるiireiさんによると茂木は超傲慢、ボクの情報でも塩崎も超傲慢だそうです。が、人格だけでなく能力というものも大事です(笑)。もちろん、党内に元電通の平井、元NTT広報の世耕、元キャスターの小池などが居たのも見逃せません。そういう点では自民党は野党と人材に差があるんでしょう。野党当時 自民党はマスコミへの露出が少ないということで悩んでいました。それを世論の反応を分析しながら試行錯誤しながら情報発信を続け、露出を増やしていったこういうところは大いに学ぶべきです。これは、ものすごくお金がかかるような話じゃありません。ちょっとした企業の広告宣伝費くらいで済むんじゃないでしょうか。
                                                                                         
ついでに著者は『わかちあい』など消極的な思想である野党に比べて、『自助』や『一番になろう』などより積極的な思想である自民党にシンパシーを強く感じるそうです。それはどうでもいいんですが(笑)、やはり野党には有能な人を引き付けるだけのビジョンが足りないのも感じました。主張の是非はさておき、『平和を守れ』と言ってるだけじゃ有能な人は数多く集まらないんじゃないでしょうか。ビジョンという面では民進も共産も全然だめ。生活や社民なんか問題にもなりません。

今やテレビもネットもデータベース化されています。各党のTVの露出時間、それにポジティヴなものか、ネガティヴなものかが毎日秒単位で計測されています。ツイートもブログもチェックされています。TVに政府が口を出したくなるわけです。野党の側も情報活用の体制を作っていかなければ勝負にはならないです。社民の幹部クラスはネットすら使えないと聞きましたけど、どうなんですかね(笑)。ボクはデータベース化された情報を買って、ちゃんと分析する体制さえ作れば、逆に自民党に一泡吹かせられると思います。

                                                  
ボクが一番印象に残ったのが、最近の世論の作られ方です。
2010年以降 テレビを作る側がネットの情報に影響を受けるようになっています。ネットの情報はクズばかり、とは思いますが、その影響力が増していけばマスコミ全体もネットの影響を受けています。そうなると世論もそちらの方向へ引きずられていくわけです。例えば相模原のヘイト殺人もネットでクズ思想が可視化されたことに影響されていると言います。リアルでは相手にされないようなクズ思想がネットで可視化され、逆に世論が影響を受ける。最近の風潮はまともじゃないと思っていたんですが、そういうメカニズムが働いているんでしょう。ネットとマスコミがスパイラルに絡まりあって、世の中の空気を作っていく。くるくるパーのネトウヨばかりとはいえ、自民党が早くからネットサポーターを養成していたのも、偶然かもしれませんが先見の明があったわけです。

よくマスコミに悲憤慷慨している人が居ますけど(笑)、マスコミだけの問題じゃない。TVは視聴率、新聞や本は購買数が頼りです。マスコミの社員は国民の一人一人であることも含めて、今のマスコミのだらしなさの大きな部分は国民の問題、いや、国民の知性や意識の問題なんです。



新書ですのでささっと読めます。大変興味深い本でした。とても有益です。この本を読んで、今のマスコミや世論の状況がなぜこうなっているか、自分ではある程度 謎解きができたと思っています。自民党は世論の動向を読むことに熱心です。野党よりよほど国民の意向を気にしていると思います。情報だけで選挙が決まるわけではありませんが、こういう情報分析をやってるのとやってないとでは、太平洋戦争当時 レーダー完備の米軍と日本軍との差以上のものがあるでしょう。今のままでは野党は全然ダメ、じゃないですか。また、例え野党はダメにしても(笑)、市民の側がネットできちんとした意見(バカな意見は逆効果かも)を表明していくのは意味があることじゃないかとも思いました。




と、言うことで、渋谷でドキュメンタリー『将軍様 あなたのために映画を撮ります『将軍様、あなたのために映画を撮ります』公式サイト

60年代 北朝鮮に拉致された韓国人監督 申相玉と妻だった女優チェ・ウニ。彼らは映画マニアだった金正日から北朝鮮で映画を作ることを命じられる。予算も人員も無制限、しかし逃げたら殺す。ここは芸術家にとっては天国なのか地獄なのか。監督と女優の数奇な運命をたどる

イギリス人監督がチェ・ウニや米国務省の職員などの関係者へのインタビュー、申相玉監督が残したフィルム、それに若干の再現ドラマを交えて作ったドキュメンタリーです。事実は小説よりも奇なり、を地で行くような、お話としてはかなり面白い物でした。
●左から申監督、金正日、チェ・ウ二

                                    
金正日は映画マニアでゴジラや寅さんの大ファン、自宅に2万本ものフィルムがあったそうです。当時の金正日は肉声さえ西側へは伝わってこない謎の人物でしたが、チェ・ウニの証言によると『人前に出るのが嫌いな内気な人間。自分のことを芸術家と思っていた』そうです。

                             
この映画ではチェ・ウニが隠し取りしていた金正日の肉声が度々使われます。これが大変面白かった。ある日、彼が行った部下への説教がテープで残されています。
『おめえらよ〜。北朝鮮の映画ってどれもこれも同じじゃないか。どの映画見てもやたらと泣くシーンばかりで、葬式の映画ばかり作ってるんじゃねえんだよ!』

『韓国の映画が大学生だとしたら、北朝鮮の映画は幼稚園レベルじゃないか。なんとかしろよ。韓国でNO1の監督は申相玉だろ。お前ら、こいつを俺の前に連れてこい。こいつが自分から我が国の映画つくりに協力するような作戦を考えるんだよ!』

まるで漫画に出てくる悪の秘密結社の親玉みたいです。本当にこんなことをやっているんですね。笑っちゃいけないんでしょうが、面白い!しかし、『くだらない映画ばかりつくってんじゃねえ』と怒る金正日はある意味 正気を保っているということです。
●映画マニアの金正日

                     
                             
申監督は60年代初頭、韓国ではNO1の有名監督だったそうです。奥さんのスター女優チェ・ウニ共々輝くようなカップルでした。しかし、申監督は次第に映画の資金繰りに苦しむようになり、若い女優と浮気して奥さんとも離婚、北朝鮮はそこを狙いました。
スポンサーを紹介するという口実でチェ・ウニを香港に誘い出して拉致します。その手口もすごい。工作員は子供連れで現れ、油断させたところを拉致するんです。行方不明になった彼女を探しに今度は申監督が香港へやってきます。有無を言わさず、そこを拉致。

申監督は北朝鮮に拉致されてからも脱走を試み、失敗、収容所に送られます。そして五年後 金正日のところへ呼ばれて、元奥さんとも再会、そこで北朝鮮で映画を作ることを命じられます。金正日からはこんな指示が出ていました。
『内容には一切口を出さない、カネもエキストラも糸目はつけない。但し、逃げたら殺す。』

                                                  
申監督は約2年の間に17本の映画を作ることになります。日本の特撮スタッフを招いて作った怪獣映画『プルガサリ』など様々な映画が挿入されますが、でてくるエキストラの数が凄い。人民解放軍が大動員されてるんだもん(笑)。韓国では制作資金の問題や当時は独裁政権だった政府からの口出しなどに頭を悩ませていた申監督にとっては夢のような制作環境。逃げるべきか残るべきか当人の心は揺れ動いていたようです。

●日本から特撮スタッフを招いて作ったこの映画は有名ですね。見てみたいなあ。昔MXTVで放送したそうですが、もう一度テレビでやらないかなあ。

プルガサリ [DVD]

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金正日は申監督に国際的な映画を作り北朝鮮映画の名声を高めることを命じます。東欧に長期ロケに行くことも許されます。ただし常に監視員に見張られています。ですが申監督は日本人の映画評論家を使って米国務省に渡りをつけていました。そしてウィーンで二人は監視役の眼を盗んで米大使館に駆け込むのです。この逃亡ドラマは手に汗を握るようなお話でした。
アメリカに亡命した際の記者会見

                                             
申監督は西側では自ら北朝鮮へ渡ったと思われていました。そりゃあ、映画をバンバン作ってたんですから。その誤解を解くために、チェ・ウニが隠し取りをしていたテープが役に立ちます。それでも申監督は母国には受け入れられず、アメリカでディズニー映画のプロデュースをして成功します。一方 金正日は映画作りの夢を諦めず、西側で流行った『タイタニック』などのパクリ映画を作らせ続けます(笑)。

                                                        
なんとも数奇な運命です。確かに申監督にとっては不自由でも芸術的な自由だけは保障された北朝鮮での生活は何ともいえない、複雑なものだったのでしょう。例えば北朝鮮では金正日が泣くと周りの人間は全員泣かなくてはならない(笑)。しかし金正日はその光景を冷ややかに見ていたそうです。独裁者の孤独です。そんな金正日は映画のことに関しては二人に素直に思いを語るのです。ある意味 金正日と申監督と気持ちは通じる部分はあったと思います。

                                                      
肉声から介間見える、内向的で芸術家気取りの金正日の素顔(米国務省にとっては貴重な資料だったそうです)それに挿入される映画や再現フィルムの60年代、70年代の光景がどこか懐かしくて、大変興味深い映画でした。面白かったです。