特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『山本太郎は大ウソつき』と映画『由宇子の天秤』

 秋らしい爽やかな天気が続いています。毎朝見る登る朝陽も一層いとおしく感じてしまいます。少し前まで光の強さがあんなに疎ましかったのに(笑)。

 先週末に報じられた、今度の選挙で東京八区から山本太郎が立候補するという件、当人は『野党共闘の統一候補になれるよう、立憲民主や共産党と調整した』と言っていますが、立憲民主の枝野も共産党の志位も『全く知らない』と発言しています。山本は立憲の都連の一部と話をしたという『噂』もありますが、立憲も共産も党首が会見で否定しているのだから今回の立候補が調整されていないのは明白です。
 つまり、山本の『調整した』という発言は大ウソだった

news.yahoo.co.jp

 もともと八区では吉田はるみという立憲の候補が地元市民の後押しを受けて統一候補の方向で進んでいたそうです。

 市民の意志をないがしろにして、有権者にウソまでついて落下傘のように勝手に立候補する。それが今回の山本太郎のやり口です。
 右でも左でも世の中には色々な考え方があって良いとは思うのですが、こういう見え透いた嘘をつく連中は許せません。安倍晋三と同じように議論という民主主義の根幹を破壊しています。

 今回の選挙では、国権の最高機関である国会の機能を取り戻すために自民・公明・維新の勢力を減らす事が最優先課題ですが、その為にはまず、野党が共闘しなくてはなりません。共闘ができないような野党は粗大ゴミみたいなものです。


 もともとれいわの連中は多くが支持者も含めてバカと嘘ばかりと思っていましたが、やっぱり、という感じです。連中はどこまで自民党のアシストを続けるのか。非常に腹立たしい。

 ウソと市民をないがしろにする落下傘のような山本太郎の立候補に、今まで何年も共闘のために苦労してきた八区の市民の皆さんが抗議を始めています。

 自分たちの私利私欲を優先して、結果的に自民のサポートを続けるような連中が野党界隈にはまだ残っている。バカにつける薬はない、とは言え、困ったものです。


 と、いうことで、渋谷で映画『由宇子の天秤

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 高校の虐め事件をテーマにしたドキュメンタリーを制作中のディレクター、由宇子(瀧内公美)。保守的なTV局側とぶつかりながらも、真実を追求する番組を懸命に制作していた。その一方 彼女は父親の政志(光石研)が経営する塾の手助けもして、高校生たちを教えていた。ある日 由宇子は体調を崩した女生徒の面倒を見るうちに、思いもがけない事情を知ることになる。
bitters.co.jp


 映画評論家の町山智浩が『今年のベスト1』と評するなど、非常に評価が高い作品です。映画館はほぼ満員御礼。渋谷のミニシアター一軒で始まった上映も銀座などに拡大しています。脚本・監督・編集・プロデューサーは春本雄二郎という人。プロデュ―スには『この世界の片隅で』の片渕須直監督も入っています。
 映画館で券を発券していたら、見知らぬ人から名刺を渡され、『監督の春本です。ぜひSNSに載せてください』と言われました。SNS云々は自主製作映画では良くありますが、監督自ら名刺を渡されたのは初めてかも。文字通り、気合が入った作品です。

 由宇子(瀧内公美)はフリーのディレクター。高校の虐め自殺事件をテーマにしたドキュメンタリーを作っています。加害者の側、被害者の側への取材を進め、どちらが真の被害者だったのか、迫ろうとしています。当たり障りのない無難な作品や、分かり易く一方を単純に断罪するような作品を求めるテレビ局とは度々対立しています。

 夜になると彼女は父親の政志(光石研)が経営している小さな学習塾を手伝っています。早くに母を亡くした父と娘は二人で仲睦まじく暮らしている。

 その塾でシングルファザーに育てられている女子高生、萌が体調を崩します。由宇子は経済的にも生活の面でも困窮している萌の面倒を見ているうちに、政志がとんでもないことをしでかしたことが判ります。
シングルファザーに育てられている高校生、萌。将来の夢は『普通に給料がもらえる職業に就くこと』


 この映画は殆どが由宇子の視線で語られます。まるでドキュメンタリーのようです。尚且つ音楽が全くありません。観客に恣意的な第一印象を与えたくないから、ということのようですが、これもまたドキュメンタリータッチです。
 

 由宇子を演じる瀧内公美を一目見て誰もが感じる通り、強い視線の男前な主人公です。自殺者を二人も出した虐め事件を追及しています。時には口が重い被害者に食い下がり、上司やTV局上層部との対立もいとわない。何が正しいのか、が彼女にとっての関心事です。

 しかし、彼女の硬派な姿勢は次々と起きる出来事で揺れ動いていくことになります。自分が取材している事件とそっくりのことが自分の周りに降りかかってくる。彼女にも血縁や仕事仲間がいます。自分はともかく、他人を犠牲にするわけにはいきません。そういう立場になったとき、人はどうするでしょうか。

 
 お話は二転三転どころか、ジェットコースターのように四転五転していきます。2時間半強という長い映画ですが、まったく退屈しません。ただ、何が正しいのか、何が真実なのか、由宇子だけでなく観客も判らなくなる。
 正しいことなんか世の中にあるのか?真実なんか世の中にあるのか?。お話は執拗に問い続けます。

 これは誉め言葉ですが、映画を見ていて非常な居心地の悪さを感じます。この国はこんなにひどいのか、ということばかり感じるんです。
 全編が高崎ロケだそうですが、北関東の殺伐とした雰囲気、貧困家庭の描写は非常にリアルです。例えば料金の不払いでガスが止まった家で暮らす萌の将来の夢は『普通に給料をもらえる職業に就きたい』ということ。確かに彼女の環境ではそれすらも難しい。今の日本では彼女の境遇はそんなに特殊じゃない、とボクは思います。

 『自己責任』という言葉で代表される、困っている人がいても中々手を差し伸べることがない冷ややかな社会です。何か起きると徹底的にネットで叩かれる不寛容さがそれを助長する。人々の負の感情に火をつけるマスコミの無責任さ、無定見さ。今の世の中は格差や貧困だけが問題なのではない。貧乏人が貧乏人の足を互いに引っ張り合っていることの方が大きな問題なのかもしれません
●萌の父。まともな定職もなく家事も放棄気味です。しかし彼もまた、悪人という訳ではない。

 そんな中で我々は何をできるのでしょうか。この映画は単純な正しさを追い求めるだけではそんな世の中から逃れることができないことを観客に突き付けてきます。
 虐め事件を引き起こした当事者達、それを囃し立てバッシングしてきた世間、正しさを追求してきたのに周囲に事件が降りかかってくると隠そうとする由宇子、普段は善良なのにロクでもないことをしでかした父親、一見 大人たちに翻弄されているかに見える高校生の萌も裏で何をやっているのか、本当のところは判りません。
 人間、清濁いずれかを決めつけることなんてできないものです。

 由宇子を演じる瀧内公美は熱演です。やや男前に過ぎるし、市井の人にしては顔が綺麗すぎるとは思いましたが、意志の強い人間が迷いで揺れ動くところは見ものです。

 それ以上に父親を演じる光石研、善人ならではの不穏な感じが凄く良かったです。実に良い表情をしていました。


 映画は僅かな希望を描いて終わります。
 このエンディングは同じ北関東を舞台にした映画『サイタマノラッパー』のラストシーンを思い出します(誉め言葉です)。ただ、この映画、敢えて希望は描かなくても良い、とも感じました。我々はこの居心地の悪さに耐えながら生きていくしかないのですから。この映画はそれくらい重い、普遍的なテーマを扱っている。といっても、史上最大の財政予算計上が続いているのに緊縮財政と思い込んでいる、勧善懲悪の山本太郎信者には理解できないかもしれませんが(笑)。
 リアルな描写、ジェットコースターのように三点四転するお話は大変優れています。確かに今年を代表する邦画です。好き嫌いはあると思いますが、必見じゃないでしょうか。

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