特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

戦争への協力と1225 再稼働反対!首相官邸前抗議

クリスマスなんか興味も関心もないんですけど、あのサンタの格好のコスプレは嫌いじゃありません。そこいら中の店だけでなく、なぜか床屋やパチンコ屋までサンタのコスプレをしているし、今までそういうことは一切しなかった有名ケーキ屋(ドラマ『まれ』のケーキ監修をやったところ)の前を通りかかったら、今年はサンタのコスプレをやってました。あと、道行く犬が何気なく着ているのがとにかく可愛い。ボクはクリスマスケーキなんかコレステロールが上がりそうなので買いませんし、さっさと家に帰って普段通りの食事をしていつもどおり夜10時には寝てしまいます。だけど、イブが空けた朝の街は何となく祭りの後の寂寥感、それだけは感じます。すぐ、年末です。
                                
先週木曜日の夜 NHKのBSでこんな番組をやってました
「英雄たちの選択「藤田嗣治アッツ島玉砕”の真実」」 英雄たちの選択 - NHK

TVをつけたのは番組の途中からでしたが、作家の高橋源一郎氏と歴史学者磯田道史氏が出てたので観てました(他の出演者は三浦瑠麗とか中野信子とかどうでもいい奴ばかりでしたが)。国際的にも評価されていた、藤田が軍に協力して戦争画を描いたのは何故か、ということが番組の大きなテーマです。サンプルとして紹介された藤田の有名な戦争画アッツ島玉砕』はその異様な迫力で、番組では『この作品の前で涙を流し、手を合わせる人が絶えなかった』など、藤田の絵はむしろ厭戦気分を引き起こす作品になったのではないか、としていました。

藤田嗣治

確かに、この絵自体にはそう言わせるだけの迫力はあると思います。『アッツ島玉砕』は戦争を単純に賛美するような作品には見えません。でも藤田の戦争への態度はやはり疑問です。藤田は他にも多くの戦争画を書いているし、戦時中、陸軍美術協会理事長として戦争画家の人選などもやっていたからです。藤田が戦後 戦争協力を非難され、海外に拠点を移さざるを得なかったのは、国際的な名声を持つ彼への嫉みもあったとは言え、仕方がないと思います。
                                     
番組で高橋源一郎がこんなことを言っていました。『これからまた、日本は当時のように戦争に協力することが強要される時代になるかもしれない。いろんな考え方が出来る問題だが、どんなことがあっても画家は絵を描き、小説家は小説を書き、音楽家は演奏をすることが使命だと思う。その作品によって世の中に伝えられるものはあるのではないか』と切迫感を持って語っていたのが印象的でした。
                                                               
藤田に関する高橋源一郎の話を聞きながら、画家だったボクの大叔父のことを思い出しました。以前ブログにも書きましたが、大叔父も軍に協力を求められました。ですが彼は『戦争の絵は下品だから、ボクはいやだよ』と一切描きませんでした。大叔父の芸大での同級生には戦争画を描いて名声を博した人もいます。それどころか戦争中は物資統制で戦争画を描かない画家にはキャンバスや絵の具など回ってきません。戦前に描いた絵を分解してキャンバスを貼り直したりして、当時は絵を描くことすら大変苦労したそうです。イデオロギー的なものが何かあった人ではありません。『下品な絵は描きたくない』という自分の美意識の問題でした。ただ、美を描きたかったんですね。

                                         
今や藤田の話は他人事ではありません。日本でテロが起きたらどうなるでしょうか。為政者がテロをでっち上げたらどうなるでしょうか。日本人がどこまで冷静でいられるでしょうか。テロも然り、戦争も然り、直接的・間接的を問わず、これから国は国民一人一人に協力を迫ってくるに違いありませんそれは必ず、『平和を守る』とか『国を守る』とかの美辞麗句でコーティングされています。正確には政治家や権力者を守る、なんですが(笑)。でも、それに騙されて藤田と同じように、多くの人が自ら協力する、それも間違いないでしょう。特に戦前、社会大衆党でしたっけ、戦後の社会党の源流の一つにもなった無産政党大政翼賛会に先頭きって参加したのがボクにはすごく印象に残っているんです。自分が正しいと思っている奴ほど、いざという時に危ない。今夏 国会前の群衆に『警官と闘わずに何が平和運動だ』とケチをつけた辺見庸なんかも、ある意味それと同種類の人間でしょう。自分だけの正しさに固執して、今 起きている現実を見ようとしないのですから。
                                     
コトバやイデオロギーでの抵抗より、仕事や美意識など自分の存在そのもので抵抗する人の方が遥かに強い、と思います。高橋源一郎が言うように、本当の芸術家なら芸術そのものが自分の存在証明でしょうから。じゃあ、芸術家じゃない一般人はどうしましょうか(笑)。本やTVやネットを鵜呑みにするのではなく、現実を直視する強さと、ぶれないだけの価値観や判断力が必要です。本物を見分ける力が必要です。そのためにはどうしたら良いでしょうか。今秋はヒトラー関連の映画が多かったのですがその中の一つ、『黄金のアデーレ 名画の帰還』ではオーストリア人が自らナチスを受け入れ歓迎したことが描かれていました10月の実質賃金と映画『リ・ライフ』&『黄金のアデーレ 名画の帰還』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)。また20日の放送されたNHKスペシャル新・映像の世紀 第3集NHKスペシャル「新・映像の世紀」では日本人もドイツ人もオーストリア人もファシズムを歓迎したことが描かれていました。
でも『ヒトラー暗殺、13分の誤算過去が現在によみがえるお話:『最低賃金を引き上げるとファシズムになる?』と映画『ヒトラー暗殺、13分の誤算』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)の主人公ゲオルク・エルザ―はナチスの作り出した好景気に浮かれる大衆のなかにあっても、ナチスの本質を見抜きました。彼は独りの平凡な家具職人に過ぎません。果たして自分にそういう判断力や勇気を持てるだろうか。自分は何に拠っているのだろうか。藤田の番組を見ながら、改めて考えさせられてしまいました。



と、言うことで、今日も官邸前抗議へ。
夕方になって風が冷たくなりました。空気の乾燥で今日は風邪気味だったんですが、高浜原発の再稼働の判決が出たし、今日は意地でも行かなくちゃ。参加者は1200人(主催者発表)。忙しい年の瀬にも拘わらず、参加者は先週より増えました。ボクが並んでいるところでも、『今日 初めて来たんです』という人が何人もいました。
                                
●抗議風景





                    
今日で大阪の関電前抗議はいったん終わり、というニュースを見ました。こちらより少人数にも拘わらず、今まで抗議してくださった方々には頭が下がります。その分 東京が頑張らなくては。       
やはり今日は、24日に福井地裁が、関西電力高浜原発3、4号機(福井県高浜町)の再稼働差し止めを命じた仮処分を取り消したのは大きなニュースです。不当判決とか言う人が多かったですが、それだけで済ませてはいけないと思います。前回4月の福井地裁の判決だって【速報】高浜原発再稼働差止め仮処分福井地裁決定要旨全文を掲載します「新規制基準は緩やかにすぎ、これに適合しても本件原発の安全性は確保されていない」 / NPJ 内容はこれで大丈夫だろうか?というものでした。だから4月のブログにボクはこう書いたんです。『裁判所が原発の安全性の判断に踏み込んだことは評価に値しますが、議論の余地があるような問題、判決に引用された学者が事実誤認と言ってるような基準地震動の話をわざわざ根拠にしたのはどうなんでしょうか?2015-04-17 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)。実際 前回の判決の事実誤認を検証した指摘もありました⇒関電原発差し止め、事実誤認だらけの仮処分決定 狭い視野と不可解な人事、司法の信用失墜 | ビジネスジャーナル。この記事を書いた人は原発に批判的な立場の、だけどフツーの経済ジャーナリストですが、ボクはその通りだと思います。
●抗議風景2




                                           
今回の判決文要旨で【速報】高浜原発再稼働差止め仮処分を取消し福井地裁決定要旨を掲載します / NPJ、裁判所は『原子力規制委員会の基準は科学的で合理的である』としています。ですが、その根拠は書いてありません(笑)。何が科学的で合理的なのか、これは判断が分かれる問題なのでしょう。そういう問題を論点にしたのは債権者側の作戦ミスのように思えるんです。はっきり言って地震の事なんか科学者も裁判官も、誰も判るわけないじゃないですか(笑)。そんなもの、何とでも言えます(笑)。それより、判断がより物理的・客観的な要素で判断をしやすい避難計画の有無や実効性を論ずれば、もうちょっと結果は違うような気がします。前回の判決を出した裁判官は異動させられ、今回はそういう裁判官(笑)が担当することは最初から判っていたわけです。不当判決だと裁判所を責めるだけで思考停止ししまうのではなく、もうちょっと皆で頭を使うべきではないか、と感じました。

                                   
ま、それでも我々はしぶとく学んでいけばいいのだと思います。諦めない、そして頭を使う(笑)。確かに不当な判決かもしれないが、それにどうやって勝つかを考えていかなくてはいけない、と思いました。
●やっぱり男のサンタ姿はあんまり可愛くありません(笑)。でもありがとう。