特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

読書『初めての福島学』と『日本人の99.9%がバカ』、それに映画『きっと、星のせいじゃない』

毎度のことながら、お休みが終わるのは早いなあ(泣)。
週末は統一地方選だったそうですが、ボクの住んでいる地域は選挙がありませんでした。結果は過去最低の投票率で知事はすべて現職が当選、県議は自民は微増、民主は減、維新が微増、共産が増、次世代が全滅(笑)。農業・畜産の比率が高い北海道の人はTPPに明確に反対しておかないとえらいことになると思うんだけど、あっさり現職知事が当選しました。北海道はTPPで何かあっても自業自得ってことでしょう(笑)。朝日新聞によると北海道知事選では原発再稼働に反対する人の43%が自民の現職に投票したそうです。大分の知事選では村山トンちゃんが民主推薦の候補でなく、自民現職を支援しました。相変わらず執行部が責任を取らないままの民主なんてドッチラケだし、自民には頭に来るけど受け皿がない、ってことでしょう。カギは国民のニーズの最大公約数を如何に集約していくかってことだと思います。現状は共産党だけが野党らしい姿を示しているように見えますが嘘や偏狭な意見をかき集めても、そこには明日はありません(笑)。週末はサッチャー時代のイギリスでゲイの人たちが炭鉱労働者のストを支援した実話を基にした映画『パレードへようこそ』を見て、学ぶべきことがいっぱいあると思ったんですが、そのことはもうちょっと整理して書きます。
                                                                           
あとは本を乱読してました。ピケティ先生の『21世紀の資本』を読み終えて文字通り解放された気分(笑)。
まず関沼博の『はじめての福島学』。上野千鶴子ゼミ&福島出身の社会学者の著者が福島の現状をデータをもとに書き起こしたもの。早く読みたかった本の一つ。

はじめての福島学

はじめての福島学

                             
400ページの分厚い本だったけど、良くも悪くも2時間で読み終えてしまいました。要約すると『事実に反して放射能の危険をやたらと強調する言説はかえってフクシマの復興を阻害している』という内容だが、それ自体は個人的には目新しくなかったです。福島に関する言説は、政治問題化して、いつの間にか福島の人を置き去りにしてしまった、という著者の主張は巻末にあるこのリストで要約できます。
題して『福島へのありがた迷惑12か条

1.勝手に「福島は危険だ」ということにする
2.勝手に「福島の人は怯え苦しんでる」ことにする
3.勝手にチェルノブイリやら広島、長崎、水俣や沖縄やらに重ね合わせて、「同じ未来が待っている」的な適当な予言してドヤ顔
4.怪しいソースから聞きかじった浅知恵で、「チェルノブイリではこうだった」「こういう食べ物はだめだ」と忠告・説教してくる
5.多少福島行ったことあるとか知り合いがいるとか程度の聞きかじりで、「福島はこうなんです」と演説始める
6.勝手に福島を犠牲者として憐憫の情を向けて、悦に入る
7.「福島に住み続けざるを得ない」とか「なぜ福島に住み続けるのか」とか言っちゃう
8.シンポジウムの質疑などで身の上話や「オレの思想・教養」大披露を始める
9.「福島の人は立ち上がるべきだ」とウエメセ意識高い系説教
10.外から乗り込んできて福島を脱原発運動の象徴、神聖な場所にしようとする
11.外から乗り込んでくることもなく福島を被曝回避運動の象徴、神聖な場所にしようとする
12.原発放射線で「こっちの味方か? 敵か?」と踏み絵質問して、隙を見せればドヤ顔で説教
                                        
                                                 
この前見た鎌仲ひとみのドキュメンタリー『小さき声のカノン』なんかはさしずめ、この3番目でしょうか。また官邸前のシュプレヒコールで『福島、守れ。故郷、守れ。』と言うのがありますが、あの白々しいスローガンは11番目か。ちなみにボクはそういう類は一切復唱しないです。自分が福島出身ならともかく、現場も知らない癖にそんなことを口にするのは傲慢極まりない、と思うからです。ちなみにボクが声をあげるのは『再稼働反対』『原発反対』、『安倍はやめろ』、それだけ(笑)。右左を問わず頭の悪い言説はネットに一杯あるけど、ボクはそういう類は無視しているので実は良くわからないです。だって忙しいんだもん(笑)。でも、実際に福島で復興に従事している開沼氏は偏狭で非現実的な寝言に余程 頭に来ているんでしょう(笑)。穏やかな筆致だが、怒りのあまり、論点の構造化がちゃんとできてないような気もしないではないが、言いたいことは判りました(笑)。
●著者インタビュー:実際に現地で復興に携わっているのは保守層が多い。リベラルは保守層から学ぶべきことがたくさんある、とのこと。勿論 もともと保守層が多いから、でもあるんですが(笑)。キーパーソンインタビュー:福島と「フクシマ」は違う 社会学者の開沼博さん - 毎日新聞
  
                                                                                     
もう一つは『日本人の99.9%はバカ

映画評論家の町山智浩氏が絶賛して話題になっている本。テクノポップと説教を融合させたユニット(笑)、ロマンポルシェ。のディレイ担当、ロマン優光先生が『安倍晋三ネトウヨ=バカ』、『慎太郎という下品な男』、『迷惑でしかない(反原発の)放射脳』、『ネットに汚物を垂れ流し続けるネトウヨ放射脳』、そんな感じで自分も含めて、現代にたむろする色んなバカを槍玉に挙げたもの。なるほど、とうなずけるものばかりではあります。全篇を通底する自分が正しいと思ってる連中こそがバカ!って言う思想は同感だけど、悪口を書いているだけ(笑)というのはちょっと辛かった。ボクが日頃思ってることと見事に一致しているので嬉しくはなったけど、それ以上の内容は無かったです(笑)。

●真ん中がロマン優光先生。公園のホームレスをテーマにした『The Park』は無駄にかっこいい名曲

盗んだバイクで天城越え

盗んだバイクで天城越え




気分を変えて(笑)、渋谷で映画『きっと、星のせいじゃない

主人公は末期がんに侵されている女の子。今は新薬が効いて症状が緩和されているが、呼吸器と酸素ボンベを手放すことが出来ず学校に通うこともできないし友達もいない。親の勧めで患者同士のサポートサークルへ出かけた彼女はそこで出会った18歳の男の子と恋に落ちる。二人は大好きな小説家に会いにアムステルダムへ旅しようとするが。

闘病ものはお涙ちょうだいになりがちでロクなものがないですが、今作は『そういうものとはちょっと違う』という世評だし、何よりも、ボクも含めて世界中のダメダメ文系男子を夢中にした名作『(500日)のサマー』の脚本家が手掛けたということで、見に行きました。アメリカでは大ヒットしたらしい。

                                   
お話は死を目前にした彼女の葛藤と生活が明るい調子で描かれます。まず、そこが良い。暗い物を暗く、重い物を重く描くなんて、監督や脚本家が自分はアホです、と言ってるようなもんです。映画冒頭の『普段の生活はピーター・ゲイブリエルの曲を聴いていれば、ある程度の問題は解決する』という楽観的な彼女のモノローグがこの主人公の生活と映画のトーンを象徴しています。ピーター・ゲイブリエルはアフリカ音楽と西洋音楽を融合させた知的なポップミュージックで有名なイギリスのミュージシャン。
●主人公のシャイリーン・ウッドリー。肺の機能が失われ、24時間 酸素ボンベを手放すことが出来ないという難役。

                            
常に酸素ボンベと呼吸器を引き摺りながら演技を続ける女の子役のシャイリーン・ウッドリー(『ファミリー・ツリー』でジョージ・クルーニーの娘さん役)と男の子役のアンセル・エルゴート、女の子の父親(サム・トラメル)、母親(ローラ・ダーン)、みんな演技が非常に細やかなのに驚く。登場人物それぞれが、丁寧に丁寧に、末期ガン患者や周囲の人間に存在する日々の生活の喜びや希望、死を目前にした恐怖と絶望を表現しています。セリフには出てこないけれど、この映画の末期ガン患者の二人から伝わってくるのは生の喜びです。これは凄い。まあ、末期ガン患者がシャンパンを飲むシーンは『えっ?』と思わないでもなかったですが、ボクも末期の胃がんでもフォワグラ食ってた人を実際に知ってるし、自分がその立場だったら、飲めたら飲むだろうから良しとします(笑)。この映画の登場人物たちは当たり前のように人間としてのQLF(クオリティ・オブ・ライフ)を大事にしています。

●男の子役のアンセル・エルゴート。今時 こういう普通の男の子が描かれるのは珍しい。

●主人公と母親役のローラ・ダーン

●初めての高級レストランでのデート。映画ではひたすら人生の喜びが描かれる。

お話は油断すると暗くなりそうですが、制作者側の徹底的に生を追及する眼差しが観客が安易な絶望に陥ることを許しません。安易なお涙ちょうだいシーンは全くないゼロだ!患者も家族も怖れや戸惑いを抱えているけれど、彼らは自分たちなりに自立して生きていくんです。お互いが尊厳を持って扱う姿勢は最後まで貫かれます。特にアムステルダムでのアンネ・フランクの家でのエピソードは素直に『これは凄い』としか言いようがない見事なプロットです。急な勾配を登らなければ辿り着けない屋根裏のアンネの隠れ家に酸素ボンベを抱えた主人公が文字通り半死半生で登っていく。気遣いつつも周囲は手助けしない。厳しさのなかに、本当の意味での希望と悦びを描いたこのシーンには意表を突かれて、思わず号泣してしまいました。
●主人公たち。真ん中には失明したサークル仲間。しかし、この生き生きとした表情!

●常に酸素ボンベが傍らにある恋(主人公の右脇)

                                          
ティーンエージャー向きの小説が原作ということで全体に甘ったるさは残っているんだけど、そこは映画の見易さにもつながっているかもしれません。客席にはティーンエージャーが一杯(笑)。若いうちにこういう映画を見られるのは、おじさんとしては羨ましい(笑)。アメリカ人の自己分析への執念を思い知るような、人生に関する透徹した眼差しと尊厳がベースにある、とても良い映画でした。アンネ・フランクの家のシーンは一生忘れられません。