特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

川内原発再稼働やめろ! 0601官邸・国会前☆大抗議と映画『ローン・サバイバー』

何が嫌いって、ボクは仕事関連の夜の付き合いほど嫌いなものはない。先週も一つ、今週も一つ、来週もまた一つ、宴会を断った。社内は勿論、社外なら尚更、色んな人と知り合って、人脈(笑)につなげることが重要なのはわかっている。でも、それが苦痛なのだ(笑)。
基本的にサラリーマンとは話が合わない。失礼ながら、どこそこの社長さんとか部長さんとか言われても興味ないし、ビジネスの話は昼間だけで充分だし、ボク好みのマニアックな話題はまずいし(笑)、他は話すネタがない。せいぜい天気の話くらいか(笑)。自営の人は比較的、自分の頭で物事を考えている人が多いからまだマシだが、それだってプライヴェートの時間を割いて話を聞くほどのものでもないし、こちらから話すようなこともない。昨日の夕食は何を作ったか、くらいしか 話題ないよ(笑)。何よりもこっちが退屈に思ってるということは向こうだってそう思ってるだろうから、どうにも気まずくて人と会うことが益々億劫になってしまう。
若いときは我慢していたが、徐々に歳をとって残り寿命が短くなってくると(笑)、人と関わるのが面倒くさいという感情がますます強くなってきた。思い起こしてみれば、こういうのは子供のときからだったような気がする。大勢で遊ぶのはそんなに楽しくもなかったし、何かイベントで楽しいと思ったことも殆どない。気がつくといつの間にか一人になっていることが多かったし、それが苦痛でもなかった。病院で死期が近い人の顔を見ると、骨格がその人の親や祖父母そっくりになっていて驚くことがある。結局 人間って歳をとるにつれて、その人の本性が現れてくると思う。
結局 一人でいるのが気楽だし安心するし、独りが一番楽しい。こりゃあ、老後は認知症一直線だ(笑)。仕事で人付き合いを活発にしなければならない人から見ると、こんなことを愚痴ってるのはのんきな平和ボケでしかないんけど。
と、言うことで今週と来週、金曜の官邸前抗議はボクはお休みします(泣)。
 
                                      
                                                                                                                                                            
品川で『マンデラ、自由への長い道』(こりゃまた考えさせられた感想は後日)を見た後、官邸前へ川内原発再稼働やめろ! 0601官邸・国会前☆大抗議 | 首都圏反原発連合



                                          
東京の気温は33度を超えたそうで確かに暑かった。油断すると倒れそう(笑)。プラカードを日除けにしながら最初は官邸前へ。集まっている人たちは少ない木陰を利用しながら抗議の声を挙げていた。『原発安倍晋三も辞めちまえ!
●抗議風景@経産省


●抗議風景@官邸前





●子供たち


                                                           
いつも通りしばらく抗議してから今度は国会前へ。2時から始まったこちらの集会は最初は政治家がしゃべってたみたいだから、敢えてパスしたのだ(笑)。ボクが国会前へ着いたのは3時半過ぎ。今日の参加者は官邸前1500人くらい、国会前5000人くらい、その他で1000人くらい、併せて7〜8000人くらいだろうか(主催者発表10000人)。帰宅して7時のNHKニュースをみたら参加者1900人の中国のデモを取り上げていた日本の国会前で10000人も集まってるのをどうして報じないんだよ!(怒)。
●国会前&他





今日はあまりの陽の光の強さに多くの人が国会前にある公園に入って、木陰で話を聞いてた。マイクを取った城南信用金庫の吉原理事長が良いことを言ってた。
経済界は原発再稼働推進のようですが、私はそうじゃありません』、
会計のことが少しでもわかってるなら、原発は政官財がグルになってる粉飾決算だってことは誰でもわかるはずです。将来のゴミ処理費用が財務諸表に載ってないのですから。』、
このまま原発を続けると処理費用で将来の日本経済へのダメージは大変なものになります。原発を止めて自然エネルギーへの投資を進めてこそ、日本経済は良くなるんです。』
                                              
良く考えてみれば、どれもその通りのことばかりだ。原発に異議を唱えている小田原の蒲鉾の鈴廣の社長さんもそうだが、政府や他人の言いなりではなく自分の頭で考えてみれば、こういう結論にたどり着くのはビジネスマンとして自然だと思う。吉原理事長みたいな人が目立ってしまうのは、いかに自分の頭で考える人が少ないか、ということでもあるんだけど、こういう人が少なからずいるというのも希望ではある。
それにしても、いくらトップとはいえ、この人は城南信用金庫の内部で大丈夫なんだろうか。少し心配になってしまう。健全経営をやってるからこそ、こういう主張ができるんだろうけど。
原発の問題はカネか生命か、が問題なのではない。どちらも大事なのだ。現実の問題を理路整然と考えられる、こういう人がもっと市井に増えてきて初めて、原発を止めることが出来るんだと思う。
                                
●順に城南信用金庫の吉原理事長、元西武百貨店社長&木内みどりの旦那の水野誠一(軽薄が服を着て歩いているようなこの人をボクは全く信用しない)、鹿児島から来た人




                                            
                                                   
さて、溜まっている映画の感想。六本木で映画『ローン・サバイバーhttp://www.lonesurvivor.jp/

                                                 
アフガンの山岳地帯奥地に潜伏するタリバンの指導者を殺害するために、アメリカ海軍の精鋭ネイビーシールズの偵察部隊4名が送り込まれた。彼らは行動中に偶然 アフガンの山羊飼いに遭遇してしまう。彼らは老人と子どもで当然 非戦闘員だ。迷った末 シールズたちは彼らを解放するが、そのことでシールズたちはタリバンの大部隊に包囲されてしまう。
                                             
これも実話。所詮 アメリカがよその国へ押しかけて、勝手に暴れているだけの話しで『くだらない』と思う人も多いかもしれないし、ボクも原作本をたまたま読んでなければそう思うだろう。この原作はNYタイムズのノンフィクション部門売上1位にもなった傑作ドキュメンタリーで、非常に考えさせられる話なのだ。

●著者は政治的にはブッシュ・マンセー(笑)なので脳味噌大丈夫かと思うが、それ以外は(笑)ノンフィクションとして傑作です。

アフガン、たった一人の生還 (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

アフガン、たった一人の生還 (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

敵地に潜入したシールズたちは山羊飼いのアフガンの村人を逃がすことで(おそらく通報され)タリバンに包囲されてしまう。その結果 4人中3名が戦死、残る生存者(原作の著者)も重傷を負って絶対絶命の危機に陥る。その彼を救ったのはアフガンの村人たちだった。村人たちは『追われているものは見ず知らずでも助けろ』という彼らの間で1000年以上続いている掟に従って生きていたのだ。最初に村人を救ったことがシールズたちを窮地に陥れ、犠牲者を出したということは言える。だが、他人を救った者は他人に救われるという真実の話なのだ。ちなみに唯一の生存者である著者は山羊飼いたちを助けたことは『今も全く後悔していない』そうだ。

●著者インタビュー
200人のタリバン兵に追われ、ただ1人の生存者となった…『ローン・サバイバー』原作者に聞く - 日経トレンディネット

映画の冒頭ではまず実際のシールズたちの厳しい訓練の様子が映される。足に重石を結んでプールに放り込まれたり、泥沼で匍匐前進を延々と続けるなど滅茶苦茶な訓練だ。肉体より精神的な鍛錬を目指しているという。ともにそれを乗り越えた隊員たちが鉄のような結束で結ばれていることが3分くらいで良くわかる映像だ(笑)。そのあと直ぐ、4名のシールズの兵士がアフガン奥地にヘリで潜入するところから物語は始まる。主人公は『テッド』のマーク・ウォールバーグ、同僚には『イントゥ ザ ワイルド』でアラスカで隠遁生活を送る主人公を演じたエミール・ハーシュ君などが演じている。要するに、単なる戦争バカ映画ではない。
●シールズの面々。左から二人目が主人公

          
任務の遂行中 山羊飼いたちに遭遇した兵士たちが、どうするか思い悩むところもきちんと描かれている。ある者は安全のために殺すべきだと言い、ある者は非戦闘員は逃がすべきだと主張する。この葛藤がこの話の見所の一つではある。原作ではここが結構な悩みどころだったので、映画はちょっと淡白な描写だったとは思ったが。

ちなみにシールズたちは『決断しないことが一番悪いことだ』という教育を受けるそうだ。ボクはどこかのバカ政治家のように『決められる』ことが良いとは思わない。状況によっては敢て決断しないペンディング、延期戦略も人間の知恵だとは思うが死んだふりは有効な生存戦略だった:日経ビジネスオンライン、決めないことが常態化している日本とはだいぶ違うとは思わざるを得ない。
                                                   
ボクが映画でめったに見ることがない、戦闘シーンはものすごい迫力だった。兵士たちが銃創を負うシーンはこちらも痛いくらいだし、シールズたちが追い込まれて何度も崖を転げ落ちていくシーンはこれ、本当に落ちてるだろって(笑)。綺麗ごとではない戦争の残酷さは充分に伝わってくる。
●山岳地帯での激しい戦闘シーン

ただ、それとは別に感じたのは、アメリカの兵隊と言うのはラグジュアリーだなあ(笑)、ということ。山歩きが得意で滅茶苦茶強い、とアメリカ側が驚くタリバンだが、外観は不揃いな普段着を着て安そうなライフルを担いでいて、まるで山中をさまよう乞食のようにすら見える。一方 シールズはいかにも高そうな、でかい機関銃や銃を持ってるわ、衛星携帯電話は持ってるわ、立派な暗号無線機は持ってるわ、連絡がつきさえすれば援軍のヘリコプターや攻撃機がまるでタクシーみたいに飛んで来る。こういうのを格差っていうんだろう(笑)。オバマが多用する無人機による暗殺の問題もそうだが、こういう面だけとっても人間の感情としてアメリカが世界中の恨みを買うのは当然なのがわかる。

                                                               
追い詰められて谷底へ転落し、半死半生になって倒れた主人公を救ったのは通りがかったアフガンの村人たちだった。電話どころか電気すらない貧しい村の住人はアメリカ軍と連絡をつけるため歩いて公衆電話!のある街へ徒歩で向かう。その間に主人公の存在を嗅ぎつけたタリバンが村へ攻めて来る。村人たちは古来からの掟に基づいて主人公を庇ってタリバンと戦う。その戦いのさなか、公衆電話が繋がって連絡を受けたアメリカ軍が武器や兵隊を満載したでかいヘリや攻撃機で間一髪 助けにくるところは一般受けするカタルシスの場面かもしれないが、ここは複雑な感じもした。事実は本当にそうだったのかもしれないけど、やっぱり不公平だよ(笑)。
●救出された主人公。助けてくれたアフガンの少年と。

                                       
この映画は窮地での決断というものを考えさせるし、因果応報の話でもある。戦闘シーンは痛みや死をきちんと描いているし、戦争を賛美するようなバカ右翼映画でもない。面白かった。戦争映画もたまには見ても良いです。