特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

映画『めぐり逢わせのお弁当』

台風が近づいている昨日の日曜日の東京は一日、強い雨だった。被害があった人には申し訳ないが、久しぶりの強い雨の音を聞きながら、日がな一日 本を読むのは正直悪くなかった。と、呑気なことを言っていたら今朝の通勤は大変だった(泣)。
                                                                 
今 読んでいる本は『フランクリン・ローズヴェルト

フランクリン・ローズヴェルト 上 - 日米開戦への道

フランクリン・ローズヴェルト 上 - 日米開戦への道

ローズヴェルトルーズベルト)と言う人は大企業と闘い、大日本帝国ナチスと闘い、今の世の中の基本を作った20世紀最大の政治家、と思っている。今の日本に言論の自由や男女の普通選挙権があるのもこの人のおかげだ。その割にこの人の事を描いた日本語の本は乏しい。訳の分からない陰謀論の本はいっぱい出ているようだが(笑)。
最近出版されたこの本は、第二次大戦前後の数年間に絞って彼の生涯を描いているがピューリツアー賞も取った決定的評伝、と言われているそうだ。真珠湾前のアメリカは、国民は孤立主義で戦争をしたくない、大企業はローズベルトを敵視する、組合は勝手なことばっかり言ってるし、中にはソ連の手先もいる、黒人は権利を主張し始めるわで、大変な状態だったようだ。おまけに独善的で家長気取りの母親、愛人兼秘書、愛人かもしれないノルウェー后妃、ほぼ別居状態の妻の周りには若い学生運動家とレズビアンの友人、家庭内も内戦&冷戦状態(笑)。その中で理想と現実のバランスを取ろうと苦闘するローズベルトの姿はとても興味深い。偉大な人ではあるが聖人君子でもないし。集中して読まないと理解しがたいので週末しか読めなくて、上巻を読むのに3週間もかかっているが、ワクワクしながら読んでいる。読み終わるのがもったいなくて。
  
                                                                                 
銀座で映画『めぐり逢わせのお弁当

舞台はインド、ムンバイ。ここではお昼時に弁当配達人がオフィス街でお弁当を配っている。専業主婦のイラが夫の愛情を取り戻すために丹念に作ったお弁当が、妻を病気で亡くした独身男、サージャンの元に間違って届けられた。サージャンはあと1か月で早期退職を控えている。偶然の誤配送が男と女を結びつける。女は空っぽの弁当箱に喜び、男は手料理の味に驚く。だが夫の反応がいつもと変わらないことに不審に思ったイラは弁当箱に手紙を偲ばせることにした----
インドのムンバイには『ダッバーワーラー』と言って、家庭で調理した弁当を個別に集めオフィスワーカーの勤務先へ届ける弁当配達ビジネスに携わる人々が約5000人いるという。1日13万個の弁当をランチタイムに届ける仕組みは既に100年以上の歴史があり、間違える確率は600万個に1つだと言う。このハイテク技術によらない人的ネットワークによる配達ビジネスは、確かに驚異的でビジネススクールのケースメソッドにもなっているそうだ。ダッバーワーラー:インドで根づくITを超えた物流システム 1日13万個の弁当配達はいかになされるか | ステファン・トムク | ["2014年7"]月号|DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー
映画でも、配達人が『俺たちのところにはハーバード大が研究しに来るんだ。俺たちが配達を間違えるわけがない。』と威張るシーンがある。

                                           
この映画はその、600万分の1の確率の物語だ。
主人公のイラはムンバイに暮らす専業主婦。ボクは女性の歳って良くわからないんだけど、30代前半くらいか。夫と一人娘の三人暮らし。だがサラリーマンの夫は毎日帰宅が遅く夫婦の会話もない。家に居ても夫はスマホばかり弄っている。イラは上階に住むおばさん(声だけの出演)の力を借りながら美味しいお弁当を作って、何とか夫を振り向かせようとする。
●専業主婦のイラ

                                      
最初は、料理で男性を振り向かせる設定って今時の映画では無理があるだろ、珍しい、と思っていた。でも、この映画でイラが作るインド料理って美味しそうだ。いくつもの料理とインド米、チャパティがセットになったお弁当に愛情が篭もっているのは画面を見ているだけでもわかる。あと風習なのか、登場人物が必ずお弁当を容器から皿に広げてから食べるのが面白かった。

そのお弁当が間違って配達される相手、サージャンは保険会社に勤めている。妻を病気で亡くして以来 孤独な暮らしを続けている。几帳面で真面目だが、性格は良くない(笑)。そろそろ早期退職を迎えようとしている。久しぶりに食べる手作りのお弁当をサージャンは自分が頼んでいる弁当屋のものだと思って、いかにも美味しそうに食べる。
●損保会社に勤めるサージャン。PCが無いデスクというものを久しぶりに見た(笑)。彼はオールドスタイルの人間なのだ。

●昼食もいつも一人
                                          
                                         
普段は残り物が入っているのに、最近は空っぽになって帰ってくるお弁当箱に不振を抱いたイラは間違った相手に配達されていることに気が付き、メッセージを入れるようになる。ここで二人の交流が始まる。
●サージャンはお弁当箱に入っているメッセージを次第に楽しみにするようになる。

●イラも同様(笑)


                          
インド映画のヒロインというと圧倒的な絶世の美女ばかりという印象が強い(笑)のだけれど、この女優さんは綺麗ではあるけれど、無駄なお肉も適度についているし、庶民的で親近感がある。
映画では二人の性格が丹念に描写される。イラは優しいけれど、他人に対してやや依存的かな。前半部では声だけの出演の上階に住むおばさんに頼りっきりだったのが後半では変わってくる。サージャンは意地悪で気難しい。だが、それは表面上のことだけであることが彼の後任の若者とのユーモラスなやり取りの中であらわになってくる。コメディ仕立ての前半は後半、シリアスなドラマに変わっていく。
●サージャンと後任の若者


めまぐるしいスピードで近代化が進み、金銭が幅を利かす今のインドの社会に、イラもサージャンも違和感を感じている。彼らが『ブータンへ行って、静かに暮らしたい』と手紙の中でやり取りするシーンがある。そう、ブータン。実際は知らないが、カネでなく幸せを追及するというブータンはインドでもある種の憧れらしい。ムンバイに住む主人公たちは、競争社会で疲れ果てているボクたちと同じではないか!
夫の浮気に悩むイラはとうとう、サージャンに会ってみようとする。サージャンも会ってみることを約束するけれど、いざ待ち合わせ場所に現れたイラと自分との歳の差に気が付いて怖れを抱き、そのまま立ち去ってしまう。 二人はこのまま2度と会わないはずだった。が、イラは思わぬ行動にでる。
●憂いに満ちたイラの表情
                                    
平凡な主婦のどこにでもありそうなお話がお弁当箱のやり取りを媒介にして、女性の成長と自立の普遍的な物語に変わっていく。見事なプロットだった。最後に主人公の選択が苦渋とともに提示されるけれど、観客の心には勇気と希望が残る。そこいらのTVドラマ映画(産業映画)によくある希望や絆の大安売りとは全然違う。この映画がヨーロッパでは大ヒットしたのには十分うなずける。
この苦さと渋さは大人にしかわからない?上質な作品だった。これを映画と呼ばなくて、何と呼ぶ!と言ったら褒め過ぎか。つつましやかだけど勇気と希望を与えてくれるこの作品がボクは大好きだ。