特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

孤立無援の籠城戦:映画『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』

 いよいよゴールデンウィーク。ボクのお休みはカレンダー通りで今日は休みの谷間ですけど、それでもほっとします。
 今年は大勢の人出が見込まれるそうですけど、冗談じゃありません。ボクは家の近辺から一歩も出ません!(笑)。籠城戦です(笑)。

 この時期 マンションの庭に花が咲き、緑が青々と茂っているのを眺めると、文字通り命の洗濯という感じがします。

 ちょうど今朝 出社する時マンション内の池で鴨?が遊んでいましたが、仕事に行かなくてもいい彼?が実に羨ましかった。

 これは余談です。昨日 オバマ元大統領のミシェル夫人スプリングスティーンのコンサートにバックコーラスで参加。これも羨ましい。
 

 これはその前日。オバマスピルバーグスプリングスティーンが店に入ってきたら、さぞやビックリするでしょう(笑)。このレストラン、いつか行ってみた~い(笑)。

switch-news.com


 さて内閣支持率がじりじりと上がっているようですけど、何となくわかります。


内閣支持率は46%、不支持35% | 共同通信

 今の政府が良い訳ではないですが、代替案がないからなんでしょう。野党もマスコミも山積する問題点の議論を喚起することすらできない。

●元SEALD'sの牛田君のtweet。まあ、そうでしょうね。付言すると他の野党はもっとひどい。

 世田谷区の保坂区長がこう言っていますけど、右とか左とかなんてつまらない話です。

 お花畑の空想論より、我々の生活を良くしていくには具体的にどうするか、の方が大切です。世の中を変えるためにはまず、野党や野党の支持者が変わらないといけないでしょう。


 と、いうことで、新宿で映画『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい

 京都の大学に入学した七森(細田佳央太)は男らしさや女らしさといった考え方が苦手だった。学科の懇親会で同級生の麦戸(駒井蓮)と意気投合した七森は、麦戸と「ぬいぐるみサークル」=『ぬいサー』を見学することにする。そのサークルは生きづらさを抱えた学生たちが人には言うことのできない悩みをぬいぐるみに話す集まりだったが、その中には一人だけぬいぐるみに話しかけようとしない白城(新谷ゆづみ)がいた。

nuishabe-movie.com

 大前粟生という人の小説を原作とした、今年上半期の日本映画を代表する一本という非常に高い評価もある作品です。監督は平成版『ガメラ』の金子修介監督の娘という金子由里奈。主役の細田佳央太は大河ドラマ『どうする家康』にも出演しているそうです。

 大学に入学したばかりの七森(細田佳央太)はぬいぐるみが好きで、男らしさや女らしさといった定型の考え方が子供の時から理解できず、特に男同士のホモソーシャルなノリが苦手。恋愛感情もいまひとつ理解できない。自分が人を好きになれるかどうかすら疑問に思っていた。

 多くの新入生がサークルに入って仲間づくりに励むのをしり目に、対人関係に積極的になれない七森だったが、入学式で麦戸(駒井蓮)と知り合います。

 ふとしたことから七森と麦戸は『ぬいぐるみサークル』に入ることになります。このサークルは人に聞かれたくないことをぬいぐるみに話しかけることを主活動とするものでした。

 誰かがぬいぐるみに話している時は他のメンバーはイヤホンやヘッドフォンをして聞こえないようにしているのだから徹底しています。

 ぬいぐるみに話しかけるかどうかは別にして、彼らが誰かに話しかけるより『ぬいサー』と言う形で自己解決しよう、と公然と活動しているのには、ボクは非常に好感が持てました(笑)。

 彼らがぬいぐるみに話しかける理由は詳しくは描写されませんが、大学生になって初めて政治や性差別、セクハラなど世界の理不尽さに直面したことへの戸惑い、誰かに話しかけることで誰かを傷つけてしまうことへの怖れが根底にあります。自分が傷つきたくないからこそ、他人を傷つけることを恐れている、とも言える。

 ボクもかってはそう思っていたから、彼らの気持ちは非常に良く判るし共感できます。七森が飲み会で場違いな思いをする描写なんかあるあるです。『この子たち、頑張ってるなー』と思いました(笑)。

 そんな彼らでも、とにかく友人、仲間を作らなければいけないという脅迫観念に囚われているように見えるのは現在の学生の気質なのでしょう。対人関係が苦手な割に、『ぬいサー』とは言え、サークルを作ってしまう訳です。奥手な七森も例外ではありません。

 ボクは彼らにすごく共感出来ますけど(笑)、安全地帯にいる恵まれた子供たちが仲間内で自閉しているだけ、のようにも見える。
  
 まだ働かなくてもいい彼らは平和な日本でモラトリアムを楽しんでいるだけ、でもある。実際 映画はそう見えるように意図的に作られている。だからこそ後半の展開がある訳です。ただ、ちょっとテンポを外したような音楽も含めて映画の前半部、お話の進み方はややかったるい(笑)。

 やがて麦戸は登校拒否になります。そんな時、いくら、ぬいぐるみに話しても救いにならない。

 『ぬいサー』には一人だけ、ぬいぐるみに話しかけない白城がいます。

 サークル活動の中で白城と仲良くなった七森は彼女と付き合ってみることにします。誰かを好きになれるかどうか自分でも判らない。白城と付き合ってみることで自分を知りたいという打算があったのです。

 一方白城は女性だけあって、リアリストです。浮世離れした『ぬいサー』に所属しながら、他の普通のサークルにも所属しています。自分の中にある『ぬいサー』的な気質を理解しながらも、それだけだとこれから世の中を渡っていけない、と思っているからです。

 大学とは言えども時には女性ならではの不利に直面したり、他のサークルではセクハラにあったりもする。そんなクソ社会でどうやって生きていけばいいのか。
 彼女は『ぬいサー』の限界も理解しています。

 観客にとって、白城の存在が『ぬいサー』を相対化させる役割を果たしています。
 確かに誰も傷つかない世界は理想。でも、現実には差別やイジメやハラスメントがまかり通り、繊細で優しい人ほど痛みや苦しみを抱えてしまう。『ぬいサー』は逃避場所でもありますが、とりわけ白城にとっては世の中に対する異議申し立ての場でもあります。
 七森、白城、麦戸、それに『ぬいサー』の面々は現実にどう向き合っていくのでしょうか。

 エンディングが白城のモノローグで終わるところは意表を突かれました。

 世俗の中では切り捨てられてしまう『優しさ』を懸命に守ろうとしている登場人物たちは、ある一面では『優しさ』の虜囚となっている。そんな彼らはどう成長していったのか。

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 ボクに言わせれば、彼らはぬいぐるみに話しかけてるだけ未だマシで(笑)、歳をとってくれば次第に他人に話しかける事にすら絶望するようになる(笑)。

 一見ソフトなこの映画、実はかなりハードボイルドな社会派です。色々な意味で現実と戦っている。それも孤立無援の籠城戦で。世俗の嵐の中で心の要塞に立て籠もっているように見える登場人物たちの瑞々しい成長と戦いの物語です。

 京都の大学(立命館)を舞台にした独特の空気感も相まって、見ごたえのある、複数回の鑑賞に堪える映画です。ボクのようなおっさんには最初 麦戸も白城も区別がつかなかったのですが(笑)、若い登場人物と感性で普遍的な問題を扱った映画です。

 彼らの感じていることには歳がだいぶ離れたボクでも共感できました。この映画を必要としている人が大勢いるであろうことはよく判ります。上半期ベスト1かどうかは別にして、確かに今年見た邦画の中では出色の作品です。


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