特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

今年のアカデミー主題歌賞『グローリー』と0227 再稼働反対!首相官邸前抗議!

それにしても株が上がるなあ。今夏か今秋か知らないけどFRBのイエレン先生が金融引き締めを始めたら株価が落ちるのは皆判ってるから、今のうちに売り抜けようとしてるんだろう。これって、グローバル・ババ抜き大会をやってるようなもんだ(笑)。こんなんで喜んでる奴は文字通りのバカだよな(笑)。
   
                        

最近は居酒屋など酒を出す店に平気で子供を連れてくる親御さんが居るという。他人のことをとやかく言うつもりはないが、ボクの感覚では信じられない。だけど今日 ちょっと違う感じのものを見た。駅からの帰り道にあるオイスターバーで、テーブル席から離れた静かな窓際の席にお母さんと子供を見かけた。お母さんは生ガキと一緒に白ワインを飲んで、子供はジュースを飲んでる。週末らしく、お母さんは何とも言えないリラックスした顔をしているし、子供たちは子供たちなりに楽しそうだ。その表情を見ていると、これはいいなあ、と思ってしまった(笑)。そんなことを思いながら、ボクは夕飯を作りに早足で帰宅しました(笑)。


さて、この4月にボクが住んでいる区で議会議員選挙がある。そこに以前 三宅洋平の選対責任者を務めた人が立候補する、と言う。意見が合うなら応援しようかと思って調べてみたら、喜納昌吉の元秘書だったのでガックリ(笑)。掲げている政策http://okada-tetsuo.jp/policyは4分の3くらいは区政と関係ない代物で、またまたガックリ(笑)。まして彼が言うように自宅に彼と山本太郎との2連ポスターを貼ってください、なんて、さすがに嫌だ、マヌケすぎる(笑)。理想は理想で結構だが、物理的に実現できないことを強引に言い張るような人やそれ以前に日本語が通じない放射脳に積極的には投票する気はないし、まして関わりは持ちたくはない(笑)。ま、消去法の末に投票することが無いわけではないけれど。
                                                               
ただ、この閉塞感あふれる日本で色んな人が立候補するのは良いことだ。色々なことを試してみて、自ら社会を良い方向へ変えていくことをボクも含めて皆が学んでいく過程なのだと思う。歴史を振り返ってみても、ヒーローみたいな他の誰かが問題を解決してくれるはずはない。結局 自分のことは自分でやらなくてはならない。
●毎度おなじみ日本人ジョーク

  
                                                                                                                                                                                             
そういう連中は放っておくとして(笑)、昨年は『それでも夜が明ける読書『原発敗戦』と映画『それでも夜は明ける』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)とか『大統領の執事の涙映画『大統領の執事の涙』と0309NO NUKES DAY 原発ゼロ★大統一行動 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)、それに『マンデラ 自由への長い道読書『暴露:スノーデンが私に託したファイル』と映画『マンデラ 自由への長い道』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)などアメリカの公民権運動や南アのアパルトヘイトに関する映画が何本もあった。
それらを見て判ってきたことがいくつかある。それは、『そのような運動は黒人だけでなく、心ある白人やインディアンや日系人など幅広い層が加わって続けられたこと』、それに『徹底的なプラグマティズムに乗っ取って行われたこと』、だ。例えば『大統領の執事の涙』では最初のシットイン(レストランなどでの白人専用席での座り込み)は、罵倒されても暴力を振るわれても非暴力を貫くトレーニングをしたあとに行われていたのが描かれていた。彼らがそこまでして非暴力を貫いたのは信念とか良心の問題だけでなく非暴力でなければ多くの人の賛同が得られない、と考えたからだ。それはキング牧師をはじめとした公民権運動の指導者たちの賢さだけでなく1900年代初頭から培われた運動の積み重ねで得たプラグマティズムの知恵らしい。日本だってそういう積み重ねが必要なのだと思う。ボクなんかが言うのもなんだが、社会を変えるのはそう簡単なものではないんだろう。
                                                                                     
今週月曜日のアカデミー賞で、主題歌賞にノミネートされた『はじまりのうた』が賞を取れなかったのは残念だったけど、50年前の1965年3月アラバマ州のセルマで行進のために橋を渡ろうとした公民権運動の参加者に警察が暴力を振るった『血の日曜日事件を描いた映画『セルマ』の主題歌Gloryが受賞したのは納得しました。
授賞式では発表前に、ジョン・レジェンドとラッパーのコモンという人がその曲を演奏した。その歌詞は問題が今も解決していないことを示している(昨年 丸腰の黒人青年が警官に撃ち殺されたファーガソンの事件にはっきり言及)、受賞後のスピーチで彼らはTVカメラの前で、今も残っている人種差別だけでなく、昨年の香港の民主化デモや性差別にも言及していた。何度もグラミーを取っている歌手ジョン・レジェンドはゲイでもある。
                                      
今の日本にも根強い性差別や民族差別(大体 民族って定義は何なんだよ。クダラナイ。)はあるし、更に無知・無恥であるばかりか他人の痛みをわかろうとすらしない曽野綾子みたいなバカや、呑気に反対だけしている能天気な放射脳もいる。『Glory』のような歌に観客がスタンディングオベーションをしているのを見たら、サザン・オールスターズごときがちょっと政治家をからかった程度のセコいパフォーマンスで大騒ぎする日本が、ボクは心から恥ずかしい
結局 差別の問題はよその国の話でもないし、過去の問題でもない。
アカデミー賞での『GLORY』の演奏とスピーチ。感動的なパフォーマンスに会場の多くの人、白人も黒人も泣いていた。

●Gloryの歌詞の一部(ラップ部分を意訳しました)

私たちにとって自由を求める運動は鼓動のようなものだ
私たちにとって自由は信仰のようなものだ
正義は私たちの傍らにある。だが、はっきりした形が見えない
殺された子供たちの魂は私たちと共にある
私たちの中には躊躇う心と抵抗する心が共存する
だから、ローザ・パークスは白人専用席に座ったのだ
だから、私たちはファーガソンで手を挙げて行進するのだ
                                            
彼らに『おとなしくしていろ』と言われたら、私たちは立ち上がる
彼らに撃たれたら、私たちは地面に倒れる
だがカメラはそれを捉えるだろう
キング牧師が示した山の頂上を目指して、私たちは歩んでいく
                                                             
いつか、いつか私たちは栄光を勝ち取るだろう
いつか、いつか私たちは勝利を勝ち取るだろう






、いうことで、今週も官邸前

一時の寒さは和らいだけど、東京は花粉が出てきました。寒さとの戦いから、目がかゆみとくしゃみ・鼻水との戦いです。ボクが子供の時は花粉症なんて言葉はなかったし、どうしてこんなになってしまったのだろう。植林政策で杉ばかりバカバカ植えたのが原因という話を聞いたことがあるけれど、日本中の人が結構な損害・迷惑を蒙っているんじゃないでしょうか。植えた杉はコスト高や林業関係者の高齢化で殆ど活用されていないとも聞く。こんなバカな植林政策を進めた役所が過ちを認めたり、意思決定の責任者が罰せられたり、したことがあるのかな。責任が曖昧なままの意思決定と論理的な検証を全く行わない、という点で、原発も過去の戦争も花粉症も問題は一緒、ということなんだろう(笑)。
                                        
午後6時の官邸前は8度。昼間は暖かだったけど、強い夜風はすごく冷たかった。綿のコートを着ていったのは舐めてました(泣)。寒い〜。今日の参加者は官邸前500人くらい、国会前他で600人くらい、併せて1000人強くらいかなあ(主催者発表1300人)
●抗議風景








今週明らかになった福島第一の汚染水漏れの件はさすがにボクも唖然としたhttp://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015022602000132.html。東電の酷さはボクの想像を超えてました。経営者が変わって、事故当時50歳以上の管理職は全員福島へ飛ばしたという話も聞いてhttp://matome.naver.jp/odai/2138803858199261301、少しはマシになったかと思っていた。我ながら甘かった。まだまだ奴らの酷さを舐めてました(笑)。

                                               
ずっと汚染水漏れの情報を隠し続けていた東電は論外だが、原子力規制委員会は汚染水の漏出を知っていながら1年間も『議論をしていて』手を打っていないそうだし、経産省は言わずもがなだ。福島の農作物や水産物について『風評被害』とよく言われるけれど、風評じゃないんだよね。これは事実なんだよ。もとからそうだけど、ボクは福島・茨城、それに千葉の太平洋岸の水産物は口にしない。誰もが言っていることだが、これで『アンダーコントロール』なんてよく言うよ(笑)。

●国会前


                                  
結局 問題の本質は汚染水の話しではなく、日本は依然 そういう国だ、ということだ。国民が税金を払って養っている政治家や役人が雇い主の国民に平気でうそをつく国、問題が起きても誰も責任を取らないし原因を究明しない国、であることなんでしょう。
勿論 今の日本の政治家や役人にも良いところはあって、例えば東南アジアの国なんかと比べたら汚職が少ない、などは言えると思う。だけど、今の状態は民主主義とはとても言えない。それもまた、確かなことだ。問われているのは、日本人はそれでいいのか、ってことなんだろうな。
じゃあ、お前はどうなんだって?ボクは勿論 ごめんだよ!
これならアメリカの51番目の州になったほうがマシだって!(笑)


●勿論 こういうことはあったし、これからも起きるかもしれない。1965年 アラバマ州セルマでの『血の日曜日事件』=平和に行進していた人たちが橋を渡ったところで警官隊が襲い掛かった。だけど、この中から何かが起き上がってくる。前述の『Glory』のように。