特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

怒りと祝福:映画『あんのこと』

 梅雨前の晴れ間、久しぶりに洗足池の辺りを歩いてみました。

 都会の住宅地の中に牧歌的でのんびりした光景が広がっています。この辺りは住んでいる人と環境、いわゆる人気(じんき)が良いと思う。皇后の実家、小和田家が近くにあるはずですが、こういうところに住めば心穏やかに暮らせるような気がします(笑)。一生に一度はこういうところに住んでみたいものです。


 先週 BS-TBSの『報道1930』、自民党の石破が出た回を見ていました。

 自民党内では嫌われているにも関わらず、選挙対策で総裁選に担ぎ出されるという話もあるようですが、石破はいつもこうです↓。

 テレビでは比較的まともなことを言うけれど、行動が伴わない。問題が起きたときに何か役に立ったことはない。

 これが石破の本質だと思います。今まで自民党内では全く人望がないのは何故だろうと思っていたのですが、良くわかりました。石破は今まで一度でも『行動』を起こしたことがあるんでしょうか。彼の行動らしい行動って一度 自民を離党しただけですよね(笑)。
 自民党内で徹底的に嫌われていて、二階以外に味方がいないという小池百合子もそうですが、TVではいくら飾っても周囲の人には見えてくるものがあるんでしょう。岸田も野党も問題はあるけれど、もっとひどい連中はゴロゴロいる。困ったものです。


 ということで、新宿で映画『あんのこと

 古ぼけた公営住宅でホステスの母親、足が不自由な祖母と暮らす香川杏(河合優実)は母から虐待を受けながら育ち、売春を強要させられ、更に覚せい剤の常習者になってしまう。刑事・多々羅(佐藤二朗)に補導されたことをきっかけに、更生の道を歩み出す。さらに多々羅の友人である週刊誌の記者・桐野(稲垣吾郎)らの助けを借り、杏は新たな仕事や住まいを探し始める。かすかな希望をつかみかけた矢先、コロナショックで彼女の周囲が一変する。

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 『SR サイタマノラッパー』シリーズなどの入江悠監督の新作です。ボクはこの人のことは同志(笑)と思うくらい、思い入れがあります。
 最近は広瀬すず主演の『ネメシス』などのテレビドラマや『AI崩壊』などのメジャー大作を手掛けたりしていますが、当初の自主制作の頃から常に社会的な弱者の側に立った作品を作っているところは一貫しています。

 重いテーマの作品ですが、お客さん、入っています。満員かも。
 この映画は2020年に入江監督がたまたま読んだ新聞の記事にショックを受け、記事を書いた記者に取材したうえで脚本を書いたそうです。だから映画の冒頭、タイトルロールに『事実に基づく作品』と断り書きがでてきます。

 主人公はTVドラマ『不適切にもほどがある!』で話題になった?河合優実(この映画の撮影はドラマ放映前)、佐藤二朗稲垣吾郎らが共演しています。河合優実は3年前の傑作『由宇子の天秤』にも出ていたんですね。

spyboy.hatenablog.com

 映画は覚せい剤漬けの主人公、杏が売春で捕まるところから始まります。

 彼女を取り調べた刑事、多々羅(佐藤二朗)は麻薬常用者のリハビリ団体を主催していました。

 口は悪いし、態度も乱暴ですが、多々羅は杏をリハビリ団体に参加させ、覚せい剤から抜け出す手助けをします。

 杏が覚せい剤を常用したり売春をするようになったのには理由があります。幼時から母親にDVを受けて育ち、小学校にすら行けませんでした。12歳になると生活費のために母親から売春を強要させられ、16歳になると母親の男に覚せい剤を教えられた。彼女の腕はリストカットの痕だらけです。

●この母親っていうのはまれに見るクズで、ここまで酷いキャラの人間っていうのはボクは初めて見ました。

 小学校もでていない彼女は漢字もまともに書けないし、まして社会的な常識などない。誰も信じられないし、役所や警察に相談するなんてことすら判りません。周囲に彼女を助けてくれる大人もいない。孤立した彼女に何ができるというのか。

 ここいら辺の描写は入江監督お得意のリアルさです。ボクには想像もつきませんが、今の日本にそういう世界は存在するのでしょう。

 80年代や90年代には映画『トレイン・スポッティング』のように麻薬常用者の若者を描いた欧米の作品がいくつもありましたけど、どこかで遠くのことのように思っていました。今では日本を舞台にそのようなことを描いた映画に対して何の違和感も感じない。そこまで来てしまったんです。

 それでも彼女は多々羅や週刊誌の記者・桐野(稲垣吾郎)らに助けられながら、リハビリ団体に通って覚せい剤を絶ち、家を出てDV被害者のシェルターに脱出、介護施設に就職する。外国人と一緒に夜間中学に通い、日本語の!読み書きの勉強も始めた。

 彼女は働いた金でダイヤリーを買い、薬を使わなかった日には〇をつけていきます。そうやって日々を積み重ねていく。社会の風は冷たいですが、それでも彼女は生まれて初めて、自分のために生きるようになった。まともな人間との繋がりもできた。

 そこにコロナ禍が襲ってきます。ホワイトカラーはテレワークとか言ってましたけど、しわ寄せは非正規職員など社会的に不利な立場にいる人に集中します。

 折角できた社会的なつながりを彼女は次々と失っていく。

 この主人公の境遇が特殊、とはボクは全く思いませんでした。
 最近は映画を見るために歌舞伎町へ行けば、真新しい豪華ホテルや映画館の脇に昼間からラリッて道路に倒れているティーンエージャーが沢山います。夜になったら新宿や渋谷がどうなっているか、言わずもがなでしょう。
 先週 旭川で17歳の女子高生が橋の上から突き落とされる事件がありましたけど、そういう子供たちは全国でそれなりにいるのではないでしょうか。奨学金を使わなければ大学へ通えない子供が全体の半分を占めている国です。

 自己責任、とも思えない。スタートラインが違うのです。何でも自己責任で済むのなら国家も警察も学校も政治家も要らない。
 最低限の教育を受けておらず漢字すら書けない孤立無援の若い子にまで自己責任を押し付けるような、我々の社会はそんなに貧しいものでいいのかこういう環境に子供を追い込んでしまっていること自体、我々の社会の敗北です。ボクたちには責任がある。

 この映画から何よりも強く感じたのは沸き立つような『怒り』です。声高に誰かや何かを非難したりするようなシーンは全くありません。が、生活保護にしろ、警察内部の暗闘にしろ、マスコミの体質にしろ、我々の社会がこれで良いのかということを映画は執拗に問いかけてきます。入江監督が作品でこれだけ『怒り』を表現したことは初めてではないか。

 例えば、コロナ禍での非正規社員の休業や施設の閉鎖に対して『政府が決めたこと』と登場人物たちは言い訳をします。もちろん 政府や行政には大きな責任がある。しかし、それだけではない。我々もそれを思考停止の言い訳に使っていないか。この映画は問い詰めてくる。
 ちなみにこの作品には主人公の母親以外は悪人は出てきません。完璧な善人もいないけれど、悪人もいない。

 杏は彼女なりに意志を示し、立ち直ろうとします。そんな彼女を淡々と、しかし丁寧に描くこの映画は静かに『怒り狂っている』。ボクはそう感じました。
 ラストシーンの空を見ながら、改めて安倍晋三小池百合子のことが絶対に許せなくなりました。何がブルーインパルスだ。主人公の少女を殺したのはポーズをつけるだけで無為無策の政治家連中、あいつらです。

 二階堂ふみちゃんなど多くの俳優さんをスターにした入江監督の脚色は定評があるところですが、今回の俳優さんたちも皆 素晴らしいです。
 特に河合優実の、言葉は少ないけど感情を強く表現する演技や柔らかくなっていく表情の変化は凄いなあ、と思いました。ところどころで見せる間や繊細さも良かった。覚せい剤中毒の役作りなんかどうやったんだろう。

 河合優実は「彼女の人生を生き返す」とインタビューで答えていましたが、自分の運命を切り開こうとした主人公の在りし日の姿は充分 伝わってきた。

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 世評では救いがない話、と言われているし、表面的にはそう見えるかもしれません。でも、それは違う。

 映画には如何にも入江監督らしい、市井の人々の、思わず嬉し泣きさせられるようなシーンがちりばめられています。介護施設で老人が主人公を庇おうとするシーンは今 思い出しても涙が出てくる。

 彼女が生きた人生は短かったかもしれないが、懸命に生きようとした姿は尊敬に値する。見ず知らずの人に救われた彼女が今度は人を救う側になっていったのですから。

 杏という人がこの世にいたことを残したい、監督も出演者一同もそういう思いで撮影したそうです。河合優美が言ってましたが『杏に近い境遇の人たちはこの映画にたどり着けない』。

 皮肉なことに、「これはあなたたちの映画だよ」っていう相手には届かない

 だからこそ、起きたことを忘れてはならない。
 この作品からは制作側や演者の強い気持ちが感じられます。彼女が生きたことを肯定し、祝福する、こんな映画が作られたことが『救い』です。連日満席が続いているのが良く判る、気合の入った傑作です。


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