特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

読書『戦後民主主義-現代日本を創った思想と文化』と『冒菜!とウイグル料理』

 やっと金曜日。ほっとします(笑)。
 今週も大したことをしたわけではないし、無事に過ごせた事に感謝しなければいけないのですが、それでも週末になるとどっと気疲れが出てくる。
 朝 マンションの中庭の池で遊んでいる、つがいの鴨を見てると、やたらと幸せそうに見えてしまいます。

 先日、中国に出張した若い子が『上海の空港で300円で売っているジュースが美味しかったので御徒町で探したら100円だった』と言ってました(笑)。今の日本の購買力はそんなものです。

 中国の税関は外国人でもAIによる顔認証で完全にデジタル化されていたそうです。中国共産党はそれだけのデータを収集している。テクノロジーの面でも日本は完全に後れを取っている。データなんて蓄積が勝負ですから、もう追いつけない。

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 さてゴールデンウィークのベランダ読書の感想第3弾です。
戦後民主主義-現代日本を創った思想と文化

 アマゾンの紹介文を引用します。
アジア・太平洋戦争の悲惨な経験から、多くの支持を得た戦後民主主義日本国憲法に基づく民主主義・平和主義の徹底を求める思想である。だが冷戦下、戦争放棄の主張は理想主義と、経済大国化後は「一国平和主義」と批判され、近年は改憲論の前に守勢にある。本書は戦後の制度改革、社会運動から政治家、知識人、映画などに着目し、戦後民主主義の実態を描く。日本社会にいかなる影響を残したのか、その軌跡を追う。

 戦後民主主義と総称される思想や態度は、戦後社会のなかで、どのように現れ、どのように人々に受け止められてきたのか、政治や言論、文化の面から時系列で整理したものです。構成はこんな感じ。

第1章 敗戦・占領下の創造ー戦前への反発と戦争体験
第2章 浸透する「平和と民主主義」ー1952~60年
第3章 守るべきか、壊すべきかー1960年~73年
第4章 基盤崩壊の予兆ー1973~92年
第5章 限界から忘却へー1992~2020年
終章  戦後民主主義は潰れたか

 この本は政治家だけでなく、言論や映画といった文化の面からも戦後民主主義が日本人にどのように受け止められ、時間の経過や環境変化によってどのように骨抜きになっていったかを総合的に描いています。

 戦禍を知る世代が憲法の理念に共鳴(1945ー52)、安保闘争などを通して護憲の思想が定着(52-60)、高度成長や安保体制などの現実が当初の理想を乗り越えていく(60-73)、高度成長の終わりや石油ショック、国際政治の現実に理想主義がいよいよ形骸化(73-92)、やがて戦後民主主義が相対化、忘却される(92-2020)という構成です。

 著者は、戦後民主主義は以下の3つの要素から成り立っているとしています。
①多大な犠牲を出した戦争体験と結びついた平和主義
②社会運動、地方議会を重視する直接民主主義
③貧困の解消と教育の機会均等を含む平等主義

 例えば平和主義は60年代から『自国だけは軍事に手を出さないというのは国際社会では身勝手でエゴイスティック(むしろ平和の敵ではないか)』、『国際政治の現実に即していない』などの批判を福田恆存高坂正堯など保守派から受けていました。

 それでもアメリカ一強だった時代はアメリカにへばりつくことで自国だけの平和主義は物理的に成り立っていました。一国平和主義は現実的でもあったし、それを当時は主流だった進歩的文化人が後押しした。

 この本の中で昔の代表的なリベラル、政治学者の東大名誉教授、坂本義和の名を久しぶりに見ました。60年代初め 日本は国連軍中心に中立を目指すべきと言っていた彼は、その後も平和主義の重鎮として尊敬すらされていたと思います。

 しかし後年の坂本はソ連のアフガン侵攻を侵入と称したり北朝鮮の拉致まで庇って、全く説得力を失いました。今は彼の意見を振り返る人なんかいない。ある意味 戦後リベラルの落日を象徴しています。勿論 鶴見俊輔先生のように時代が変わっても通用する、普遍性のある意見を述べていた人も居るわけですけど。


 冷戦終結後 国際環境は大きく変わりました。アメリカ一強の時代は終わったし、他国へ戦争を仕掛ける国はアメリカだけではなくなった。環境が変われば、平和を守るやり方も変わります。

 集団安全保障が世界の潮流になり、以前からあった『一国平和主義はエゴイスティック』という批判はリアリティを増しました。
 それにアメリカ軍基地が国土にありながら平和主義を唱える矛盾はいよいよ大きくなってきた。安倍晋三プーチンに『返還後にアメリカ軍基地を置かない保証がなければ北方領土なんか返す訳ないだろ』と言われてグーの音も出なかったのが典型です(笑)。
 

 また戦後民主主義が生んだ一億総中流社会、教育の機会均等などの平等主義も高度成長が終わり、新自由主義によって格差が広がり、形骸化しつつあるのは言うまでもありません。

 著者は今後 戦後民主主義を受け継いでいくとしたら、直接民主主義ではないか、としています。ボクも同感です。今後の環境変化の中でも耐えうるものだと思うからです。

 60年代から矛盾が指摘されてきた一国平和主義は西欧だけでなく北欧や豪州を含めた先進国全体が集団安全保障体制に向かいつつある今 さすがに無理がある。欧州の左翼、緑の党までが軍事力行使を認めるようになったのがそれをよく示しています。日本の戦後民主主義の『一国平和主義』はリニューアルする必要があるでしょう。

 平等主義の貧困解消や教育の機会均等は、人材しか資源がない日本社会の利益のためには今後も目指していった方が良いと思いますが、そのための突破口は地方分権や市民の政治参加、投票率アップなどの直接民主主義にしかない。

 しかし戦後民主主義で最も心もとないのが直接民主主義でもあります(笑)。低投票率がその証拠です。親方日の丸の日本人は民主主義なんか興味がないのかもしれない。

●れいわや共産党などの『嘘つき』や『ファシスト』を加えたら、候補者の7割くらいがアウトじゃないの。

 政治、言論、文化を縦覧した戦後の流れと膨大な情報が平易な文章でまとめられています。比較的公平な視点で書かれているとも思いました。今後の我々の社会を考えるうえで、考え方、物事を整理するのにはとても良い本でした。

 
 冒菜(マオツァイ)と言うものがあるそうです。一人用の火鍋です。今 繁華街に続々と店が出来ている『麻辣湯』と何が違うんだ、という話もありますが、渋谷に店が出来たので早速 行ってきました。

 場所はユニクロのすぐ近くの結構な表通りの1Fです。

 新しいからか、店もきれいで清潔です。

 主食、スープ、おかずを自分で選んでオーダーするシステムです。主食は(太るのが怖い)麺ではなくサツマイモの春雨、中辛の麻辣スープ、パクチー大盛、ニンニクあり、それに羊肉や鴨血、野菜を選びました。

 程なく、スープと具材を煮こんだものが出てきました。

 マジで圧倒的に美味しいです。ニンニクもパクチーも山ほど入っているし、羊肉の山盛りをのっけて、まさに天国(笑)。具材も野菜を中心に選んでいるからヘルシーです。こりゃあ、いいや。
 右上の茶色のものは『鴨血』です。鴨の血を固めたプリンみたいなもので、向こうでは健康食品として女性の間で人気が高いそうです。

 癖になる味です。中辛でもそんなに辛いというほどでもありません。太りにくいので?安心して食べられるし。渋谷で食事をするときの定番決定です。

 あと、最近感動したのがこれ。
 ウイグルの代表的な料理『大盤鶏』。骨付きの鶏の様々な部位を玉ねぎやジャガイモなどとスパイスで煮こんだもの。下には付け合わせの幅広麺が敷いてあります。

 新宿や高田馬場、大阪などに店がある蘭州牛肉麺の店『牛家兄弟』がウイグル料理もやっていました。蘭州とウィグルは飛行機で2時間くらいの距離ですが、地理的にはお隣同士、同じ西域の料理ではあります。
 日本でもウイグル料理の店は探せばありますが、大人数でないと食べられないのでなかなか食べる機会がない。牛肉麺の店なら一人でも大丈夫です。

 まさにウルムチやイーリンで食べた味でした。あちらでは、肉はなんでも骨付き、野菜の味がやたらと濃いのには凄く感動しました。洗練はされてないけど、野生の(笑)、いや食べ物本来の美味しさがあったんです。

 今回は材料の味は違うけど、味付けは一緒です。よくわからないけど、クミンのようなスパイスも使っていることに始めて気が付きました。インド料理や普通の中華で使うクミンの味とは少し違う気がする。
 ジャガイモについては、糖分を制限している今のボクにはいまいちですが、味が染みて美味しかったです。もちろん 砂漠の料理だからジャガイモや玉ねぎが主力なのは仕方ありません。

 もう一つ違う日に食べたのが羊のスペアリブを唐辛子と一緒に揚げたもの(名前忘れた)。煮物かと思って頼んだら揚げ物だったのは失敗したんですが、美味しいことは間違いない。爽やかな唐辛子やクミンの香りがする肉もさることながら、とろけるような羊の脂は本当に美味しい。

 大盤鶏もスペアリブも手づかみで骨ごとシャブりつくのは大変ですが、本当に美味しかった。庶民の料理でもこれだけ美味しいのだから、高価な料理の存在意義が判らなくなります。