特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

クラプトンの新曲『Prayers of a Child』と映画『関心領域』

 最近は朝、マンションの池にいる鴨ちゃんにお見送りされて?出勤しています。去年も来た子がつがいで戻ってきたのかもしれません。
 噴水が出ていても二羽とも全く恐れる様子がありません。関心すら、ないのでしょう。確かにここでは外敵もいないし、幸せなんだろうなあ。


 エリック・クラプトンが、イスラエルに殺されていくガザの子供たちを取り上げた新曲『Prayers of A Child』を発表しました。
 著名なロックギタリストですが50年前にステージで酔っぱらって移民への差別発言をして、特に社会問題に敏感なパンク世代からは大きな非難の的になりました。最近でもコロナの流行の際 マスクやワクチンを否定する陰謀論を唱えた人です。オツムはあまりまともではない(笑)。ボクは彼には殆ど関心はありません。

 しかし、今 ガザで起きていることを直接的に描いたこの曲とMVには心を打たれました。


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 『もう、やめてくれ』、『どうか許してほしい』、『人間には自分が何をやっているかすら判らないときがある』

 率直で悲痛な歌声を聞いていると、かってクラプトンが自分の4歳の息子を家の窓からの転落事故で亡くしたことを、イスラエルに殺されているガザの子供たちに重ねているようにすら聞こえます。

 グーグル自動翻訳を使ってみました(笑)。

 この歌はガザのことを報じるニュースを見た時の気持ちを代弁している、と思いました。許しを請うことしかできないなんて我ながら情けないけれど。

 それでも今 起きていることに関心を寄せ続ける事には意味がある、そう思います。目を背けず、今 何が起きているかを知ろうとすること、知らせようとすること。こんな世界だからこそ、そういう行為には意味があるとボクは思います。


 と、いうことで、六本木で映画『関心領域

 1945年のポーランドアウシュビッツ強制収容所で所長を務めるルドルフ・ヘスクリスティアン・フリーデル)と妻のヘドウィグ(ザンドラ・ヒュラー)は、収容所と壁を隔てた隣の家で暮らしていた。所長一家や隣人たちは収容所で何が起きているかを気にもとめないまま、戦時下にも関わらず、満ち足りた日常を送っていた。

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 昨年のカンヌ映画祭でグランプリを受賞、アカデミー賞でも作品賞、監督賞など5部門にノミネートされ、国際長編映画賞、音響賞を受賞した話題の映画です。第2次世界大戦下 実在したアウシュビッツ強制収容所所長とその家族を描いた小説を原案にしたドラマです。監督のジョナサン・グレイザーアカデミー賞授賞式でもガザの虐殺に抗議していました。出演は『ヒトラー暗殺、13分の誤算』などのクリスティアン・フリーデルや『落下の解剖学』などのザンドラ・ヒュラーなど。

 こんなテーマの作品なのにお客さんが凄く入っていたのは驚きました。結構ヒットしているみたいですね。

 映画はアウシュビッツの所長一家の何気の無い日常を描いていきます。広い庭、大きな家、お手伝いさんが何人もいる。子供たちが庭で遊んでいる。それだけなら、何の違和感もありません。

 この映画は音が主役、と言われています。
 前半はゴーっという、まるで焼却炉で何か燃やしているような低音が常に流れています。どこかホラーのような不気味さです。しかし登場人物たちは気にしません。水泳をし、散歩をし、家事をし、社交にいそしんでいる。

 幸せそうな日常に時折 不協和音が挿入されます。

 妻が嬉しそうに毛皮のコートを自分に合わせている。ひとしきり合わせたあと、お手伝いさんにクリーニングに出すよう命じます。そのあと妻が友人たちと駄弁っている。『カナダ』から持ってきた衣類や宝飾品のことを本当のカナダから持ってきたと勘違いした別の友人の噂話をしている。
 ユダヤ人たちから取り上げた衣類や宝飾品をしまってあるところを『カナダ』と呼んでいるのです。先ほどのコートも『カナダ』から持ってきたものに違いありません。

 ヘス一家の家には大勢の使用人がいます。妻は彼らを殆ど人間扱いしていない。物のように扱っている。そしてヘスは深夜、女性を自分の部屋に呼びつけたりしている(最低の野郎です)。
 彼らはゾンダーコマンド。労働や死体処理など使役に使われるアウシュビッツユダヤ人です。用が済んだら殺される。ことさらに説明はありませんが、判る人にはわかるようになっている。

 庭の向こうには大きな建物が見えます。これもまた、何の説明もありません。これは何なのか誰もが判る。時折 列車が到着して、大勢の人々が降りてくる音が聞こえる。また、悲痛な悲鳴や銃声や怒声が聞こえてくる。煙突からは常に煙が立ち上っている。

 子供たちが近くの川で遊んでいると、流れてきた灰で汚れるシーンがあります。親たちは家に連れ帰って、懸命に洗う。何の灰なのか、親たちは判っています。

 所長のヘスは特に心を痛めている様子もありません。

 彼は良き家庭人であり続けます。そして仕事では部下に指示を出し、パーティで挨拶し、上司におべっかを使って、『政治』にも抜かりがありません。
 彼らが度々会議で口にする『生産性』や『効率』とはもちろん、如何に迅速かつ手間をかけずにユダヤ人を殺すかについてです。会議では如何に効率的に『処理』するか、出席者たちは大真面目に議論しています。

 そんな彼も一人の父親として子供たちを愛している。彼ら夫婦はドイツ本国より『環境の良い』この場所で子供たちを育てていきたいと考えています。

 戦争後は農業でもやりたい、と将来の夢を語ったりすらします。

 ナチの連中は勿論、所長の家族や一般のドイツ人、ポーランド人まで、アウシュビッツで何が行われているか良く判っています。戦後 多くのドイツ人やポーランド人は『知らなかった』と言い訳しましたが、嘘だったことがはっきりわかるようになっている。
 穏やかな生活を送っている彼らも共犯です。

 時折 画面にサーモグラフィーの少女の画面が挿入されます。リンゴのようなものを土に埋めている。

 ボクには何なのか判らなかったのですが、当時 そっとアウシュビッツの収容者に食料を配っていたレジスタンスの少女が実在したそうです。この映画で描かれる唯一の希望、でしょうか。

 画面から不穏な音は常に途切れることはありません。この映画では暴力は全て音で表現されている。だからこそ救いがない。アカデミー音響賞を受賞したのは当然でしょう。

 登場人物たちは我々と何ら変わらない。ヘスは家族を愛し、奥さんの不満をなだめ、社内政治にも気を使い、仕事では有能であろうとする。奥さんは子供を愛し、妻同士の噂話にいそしみ、日々の生活に忙しい。しかし、彼らはユダヤ人の運命に全く関心がない。

 彼らの姿は現在に生きる我々の日常と繋がっています。ガザで起きていることを知らんぷりしている我々は、この映画の登場人物と同じではないか、監督はそう語っています。

 非常に完成度が高い映画です。静かに、そして執拗にアウシュビッツで何が起き、そして今に繋がっているかを描いています。アウシュビッツと同じことが今、ガザで繰り返されています。我々もヘス一家と同じことを繰り返すのでしょうか。デカい画面で、音響の良いスクリーンで見るべき作品です。

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