特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

敗戦記念日と映画『消えた画 クメール・ルージュの真実』

今日の官邸前抗議はボクはお休みです。楽しみにしてくださっている方はごめんなさい。

                  
終戦記念日、もとい敗戦記念日の今日 毎日新聞が大変良い記事を出していた。『太平洋戦争の日本の軍人・軍属の死者230万人のうち、6割が餓死で亡くなった』というものだ。
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つまり日本の兵士は敵ではなく味方に、正確には日本軍の上層部に殺されたということだ。こんなバカな軍隊は世界でも日本軍以外にない。亡くなった兵士にしてみれば死後も東条英機と一緒に靖国神社に祭られているなんて、今も侮辱されているのと同じではないか。これを死者への冒涜と言わなくて何と言えばいいのだ。この国は国民を将棋の駒のように扱う。必要に応じて捨て駒にする。太平洋戦争でも、フクシマでも同じことが繰り返されている。日本人が敗戦記念日という日に噛みしめるのにふさわしいのはこういうことだ。


さて今週 俳優のロビン・ウィリアムス氏が63歳で亡くなったのは悲しい出来事だった。
色んな作品に出ていた人だが、ボクにとっての彼は『ガープ』だ。ジョン・アービングの大ヒット小説を『明日に向かって撃て』のジョージ・ロイ・ヒルが映画化した『ガープの世界』はボクにとって生涯ベスト1の作品で、初めて見たときは文字通り衝撃を受けて劇場で7回か8回くらいは見たことを覚えている。
第2次大戦中 子供は欲しいが結婚はしたくなかったフェミニストの看護婦が瀕死の軍曹から一方的に精液を貰い受ける。そうして生まれたガープはレスリングに夢中になり、恋に悩み、小説家になる。この映画で主役を演じた彼はいつもニコニコしていて、まるで、この残酷な世界に対して、笑顔を武器にたった一人で抵抗しているかのようだった。今にして思えば、あの笑顔は狂気をも孕んでいたのかもしれない。この映画はビートルズの『When I'm 64』が主題歌でそれが非常にマッチしていたのだが、彼は64歳にならずしてこの世から去ってしまった。
ありがとうございました。

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さて、今年4月から6月までのGDP=国内総生産は、前の3か月間と比べ実質でマイナス1.7%、年率に換算してマイナス6.8%の落ち込みでこの落ち込み幅は震災以来の大きさだという。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140813/k10013770851000.html

●2011年1月〜2014年6月までの四半期実質GDP成長率推移(前期比)
アベノミクスとか言っても、GDPが成長したのは2013年1〜3月期のみで、景気は殆ど落ち込んでばかりだということが判る。特にこの4〜6月の落ち込みは大震災なみだ。

もちろん消費税の反動による個人消費の落ち込みがあるからだが、落ち込みが過去に類のないほど大きくなったのは、アベノミクスによって1年以上もずっと実質給与が減ってるのだからだ。当然と言えば当然の話だ。
この4〜6月期と比べれば次の7〜9月期は当然改善されるだろうから、ある意味 政府はそれを狙っているのだとは思う。だが、そろそろ化けの皮が剥がれて来ても良い頃だ。何しろ国民の生活指標は殆ど何も改善されていないのだ。
安倍晋三は経済の事なんか何もわかってないだろうが、アベノミクスは国民生活を徐々に破たんさせていく『ショック・ドクトリン』じゃないのかと思えてくる。

                                      
一部の資産家は儲かってるだろうが、殆どの人は物価高で生活はどんどん貧しくなっている。正規社員の職は前年より100万人も減っているし、増えているのは非正規の職ばかりだ。その先に何があるのか。『金持ち喧嘩せず』とは良く言ったもので、生活が苦しくなってくると人間はどうしてもやけクソになる。もともと自分の頭で考えることが不得意な日本人はますます理性的に物事を考えなくなる。そういうことにならないように、今のうちに知恵を絞らなければいけないことはいっぱいあると思うのだ。




   

                                                             

                                         
渋谷で映画『消えた画 クメール・ルージュの真実
世界を震撼させたカンボジア共産党クメール・ルージュ)の大虐殺の実態を、そこから逃れた監督が自ら土人形を使って物語った作品。

昨年のカンヌ映画祭『ある視点』のグランプリを獲得、今年のアカデミー外国語映画賞にノミネートされたそうだ。

ベトナム戦争に伴ってカンボジアに米軍が侵攻した結果生じた混乱の中でカンボジア共産党が武力で政権を握る。毛沢東の影響を受けて、農本主義的な共産主義社会を目指したカンボジア共産党は旧体制の粛清を進めカンボジアの全人口約700万のうち、100万〜300万ともいわれる人が殺されたという確かに毛沢東共産主義に従って都市の住民、高等教育を受けた人、宗教関係者は反革命分子として皆 強制労働キャンプに送られた

                                         
その様子は昔 アカデミー賞を取った映画『キリング・フィールド』でも描かれていた。

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革命に学問は不要として問答無用、中学校以上の学歴をもった人間は反革命的なブルジョアとして皆 強制労働させて殺しちゃうんだもん。ジャングルや収容所には大量の骸骨が転がる。だが、その実態は世界には知らされない。さすがに反乱が起きて、クメール・ルージュヘン・サムリン政権と隣国ベトナムが倒そうとしたが、その際 中国共産党と西欧社会(日本も含む)はクメール・ルージュを援助したんだから恥ずかしい話だ。


消えた画』では当時13歳の少年だった監督は土人形を自ら作り、当時を再現したジオラマの中に並べて当時を描いている。カンボジアの人が大勢埋まっている水田の土で表現したいというのだ。戦争が始まる前は画面には南国らしく色鮮やかな世界が広がっている。プノンペンの家にはおいしい食べ物と家族の談笑に包まれている。教師の息子だったという監督は父が夕食後に朗読してくれたジャック・プレヴェールの詩を今でもよく覚えているという。
土人形で作られた監督想い出の人たち。全員死んだ。

                                    
だがクメール・ルージュがやってくると世界は一変する。まず全員 服を黒く染めることが強制される。そのあと家族もろとも地方の労働キャンプに送られ、強制労働に従事させられる。そこは乾いた荒れ地。そこを手作業で灌漑し、水田を作れと言うのだ。世界は黒色と乾いた土、文字通り不毛の世界に変わる。
クメール・ルージュの兵士

                                                                          
時折挿入される当時の記録フィルムのほかは、素朴な土人形ジオラマと監督のナレーションで物語は進んでいく。だから、この映画ではボクの苦手なショッキングな描写はない。だが、起きたことの悲惨さは十二分に伝わってくる。
●収容所で殺された少女たち

                          


監督の家族は全員 強制労働キャンプで亡くなった。栄養失調、病死、射殺、抗議の断食による死。兄は革命前、エレキギターを弾いていたというだけで連行されたという。当時のカンボジアアメリカの空爆でインフラが破壊されてしまい、もともと飢餓の危険が指摘されていた。重機もなく手作業だけで荒れ地を開墾する労働キャンプは食べ物も水も不足しているし、近代科学を全否定するクメール・ルージュの方針で掘立小屋に木のベッドを置いただけの病人にも薬はない。手当方法は漢方薬とヤシの汁の注射だけだ。銃弾に因らなくても、栄養失調と病気で人はばたばた死んでいく。
●キャンプでの光景。後ろから石で殴り殺される。

                          
収容者の間では政治教育が行われ、密告が奨励される。道端に落ちていたマンゴーの実を拾った母親を子供が告発する。その母親はクメール・ルージュの監視役に密林の奥へ連れて行かれたまま、帰ってこなかったそうだ。だが共産主義、階級の無い社会を標榜するクメール・ルージュの連中だけは腹いっぱい食料を食べていたという。

大体 『愛国心』とか『忠誠』とか他人に対して厳しい要求をする奴の実態は古今東西、時代を問わず、そんなもんに決まっている。


                                          
そんな世界では人々は感情を殺し、表情を消して、押し黙って生き延びるしかなくなるそれを表現するのに土人形は実にマッチしている。この映画で見られる笑顔は記録フィルムに収められていたポル・ポトクメール・ルージュの幹部連中の嘘くさい笑顔だけなのだ!

                    
ここには声高な主張はない。土人形ジオラマを映しながら、監督は淡々と当時 何が起きたかを語るだけだ。何も知らないとのどかな映画にさえ見えるだろう。
土人形を作る。

                                
旧日本軍や赤軍派のように自己否定から始まる組織は自滅・仲間割れで終わる』と作家の赤坂真理が言っているように、クメール・ルージュはやがて仲間割れを始める。頭がイカレてるついでに隣国ベトナムへ侵攻し、逆にベトナムの支援を受けたヘン・サムリン政権によって倒された。奥地の収容所へ移されていた監督は何とか生き残ることができた。今は民主選挙も行われ、カンボジアも平和を取り戻した。


                         
だが、このことは監督にとっても多くのカンボジアの人にとっても終生 消えることのない悲しみだろう。4月に見たインドネシアの『アクト・オブ・キリング映画『アクト・オブ・キリング』と読書『九月、東京の路上で』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)と同じテーマを描いているが、対照的な描き方だ。あちらが『動』なら、こちらは『静』か。どちらも日本には決して無関係なものではないという事実が苦々しい。静かだけど、心にぐさっとくるような素晴らしい作品だった。
ちょうどこの前、ポルポト派の最高幹部に初めて裁判の判決が出たばかりだ(終身刑)。http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2014080700411。監督にとっても我々にとっても、この話はまだ終わっていない。この映画で監督が訴えたかったことは、そういうことだと思う。