特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『2年目のコロナの年の暮れ』と映画『ドーナツキング』

 12月ももう中盤。今年もあと2週間あまりとなりました。
 街にはすっかり、人の流れが戻っているように見えます。再度の感染拡大は必至か(笑)。
 一方 ボクは忘年会はもちろん、出来れば外出もしたくない。家にいてもクリスマスの飾りつけもするわけでもない。年末の華やかさなんて、どこの世界の話でしょう(笑)。とにかく頭を低くして弾が飛んでくるのをやり過ごす(笑)。そんな毎日です。
●きれいだったので思わず写真を撮りました。夕陽を浴びた銀杏@六本木通り

 IMFの予測によると、日本の21年通期のGDP成長率は2.4%で、主要な先進国の中で最低だそうです。


オミクロン型で試される英国のコロナ共生路線 日本の出口戦略は:日経ビジネス電子版

 この20年を振り返っても山一ショック、ITバブル崩壊、緊縮財政による小泉不況、リーマンショック、東北大震災、アベノミクスと不況が続いています。そして今回のコロナで日本の経済はまた一段と外国と差が付きました
 
 これからの日本、特に若い人たちはますます外国の人と接して生きていくことになるのでしょう。
 コンビニの店員さんとか技能実習生の話ではありません。

 これからは外資企業で働くだけでなく、外国企業の下請けをしたり、外国に移民したり出稼ぎに行ったり、特に地方ではアジアを含めた外国のお金持ちの落とすお金で食っていく人がますます増える、と思う。
 全国各地のシャッター通り化した商店街が典型ですが、少子高齢化・オヤジ社会で自浄能力がない日本国内で閉じこもっていても経済も縮小するし、活気もアイデアも出てこない外国の経済発展や人材を取り込んでいくしか日本が伸びていく方法はなさそうだからです。

 経済成長すればいい、とは思わないけれど、これからの日本は医療や介護の費用負担は莫大なものになるし、そもそも資源を外国から輸入しなければやっていけません。ある程度の規模の経済がなければ、ボクらは食っていけない。

 今まで日本は経済大国で偉そうにしていたわけですが、いずれは外国から援助してもらう側になっていくかもしれない。これからは外国に対してもっと腰を低くして(笑)、そして知恵を使って生きていかなくてはならない、と思います。でも、腰を低くすること自体は悪いことじゃないかもね。

 1964年の東京オリンピックは高度成長の象徴だったそうですが、今回の東京オリンピックは衰退が始まった象徴になるんじゃないですか。2021年は日本の繫栄が名実ともに終わった年、として記憶されると思います。


 ということで、新宿でドキュメンタリー『ドーナツ・キング

カリフォルニアでドーナツ店を経営し、「ドーナツ王」となったカンボジアアメリカ人のテッド・ノイ氏の半生を描いたドキュメンタリー

 『エイリアン』などを撮った超有名監督のリドリー・スコットが製作総指揮を務めた異色のドキュメンタリーです。

 1975年、カンボジア陸軍に務めていたテッド・ノイ氏はポルポト派が政権を握ると共に難民となり、妻のクリスティ氏と3人の子供たち、おいといとこ2人と共にアメリカに逃れます。
 義父などテッドの他の家族は全て行方不明になっています。毛沢東流の農村主体の共産主義を標榜するポル・ポトはインテリ層を嫌い、高校以上の学歴を持っている人間は強制労働キャンプに送り込んだり、大虐殺を行いました。残されたテッドの一族も生きてはいないでしょう。
 ちなみに当時 社会主義国であるベトナムと対立していたポル・ポト派を日本政府が支援していたことは付け加えておきたい、と思います。


 温暖なカリフォルニアに住むことにしたテッドですが言葉も判らない、商売の元手もありません。彼は生活のために仕事を幾つも掛け持ちし、家族と一緒に朝晩関係なく働きます。

 あるとき 彼は初めて口にしたドーナツに夢中になります。カンボジアにも似たようなお菓子があったからです。ドーナツ店を経営したいと考えたテッド氏は大手ドーナツチェーンで働き、作り方や経営のノウハウを学びます。

 彼は1976年にカリフォルニア州ニューポートビーチに自身の店「クリスティ」1号店を開店します。テッド達家族が朝から晩まで懸命に働く、24時間営業の手作りドーナッツ店は大繁盛店になります。それだけでなく、テッドは仕事に困っているカンボジア難民たちにノウハウを教え、多店舗展開をしていきます。

 いつの間にかカリフォルニアのドーナツ屋の9割以上がカンボジア人経営になり、テッドはドーナッツ王と呼ばれるようになります。
●若き日のテッド


 映画は若き日のテッドたちが24時間懸命に働いたこと、また起業精神が旺盛で創意工夫に溢れていたこと、また成功してからもテッドはカンボジア難民たちを手助けしたことが様々な証言で語られます。
●これがテッド。人懐こい笑顔です。

 テッドたち、カンボジア難民たちが自分で店を経営したいという起業家精神にあふれている事には驚かされます。アメリカの資本主義なんか理解していない訳ですが、他人の下で働いていてはお金も儲からないことはよく判っている。

 一方 日本では開業率を上げようと30年も40年も様々な支援策がとられていますが、全く成功しません。日本人とのバイタリティの差は何なんだ、と思います。かくいうボク自身も自分で起業しようなんてパワーは1ミリもありません。彼らの活力には驚くばかりです。
●多くのカンボジア系の若者が時流に合わせたドーナッツ店を経営しています。

 あと、彼らを普通に受け入れるアメリカの懐の広さにも改めて感服します。弱肉強食の競争社会ですが、懸命に働き、工夫をすれば誰がドーナッツを作ろうと消費者は受け入れる。映画の中ではカンボジア難民が作るドーナッツを『これは故郷の味よ』と言っている白人客が何人も出てきました。

 テッドたちカンボジア難民が沢山の店を出したカリフォルニアに大手のダンキン・ドーナッツが進出しようとしましたが、ダンキンも難民たちの活力には敵わず、進出は阻止されるほどです。

 大成功したテッドですが、次第にラスベガスのギャンブルに溺れるようになります。これも如何にも起業家らしい点ですが、勝負したいという欲求が強すぎて自分でもコントロールできない。結局 テッドは借金がかさんで殆どの店を手放し、妻とも離婚。ポルポトが倒されたカンボジアに戻って暮らすようになります。
 成功も失敗もはっきりしている国、アメリカです。

 映画ではカンボジアで暮らすテッドがカリフォルニアを再訪し、今も商売を続けているカンボジア難民たちの店を訪れる光景が流れます。難民たちはテッドを恨むと言うより、自分たちがのし上がる切っ掛けを作ってくれた彼に感謝しているようです。
 今やアメリカのドーナツ店の9割以上がカンボジア系の人が経営しているそうです。
●テッドの従弟(右)は今もドーナッツ店を営んでいます。


 ドーナッツ食べたいなーと思わされる、ユニークなドキュメンタリーでした。ま、太るから食べませんけど(笑)。ドキュメンタリーとしてビックリ仰天したり、感嘆するような作品ではありませんが、面白さも重さも丁度良いくらいかな。

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