特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

規制委員会のパブコメと映画『ジゴロ・イン・ニューヨーク』

先週末は西日本は台風が来るわ、嵐山はまた浸水するわ、東北では地震が来るわで、栃木では竜巻が来るわ、で日本列島は大変だった。これが徒然草だったらさまざまな禍が降ってくる末法の世』みたいに表現するだろう(笑)。各地で被害があった方はお気の毒だけど、少なくとも今日の夕焼けは綺麗だった。それだけはラッキー。

                       

                     
今日のTVニュースで、安倍内閣の支持率が性懲りもなく、また5割を回復したと言っていた。アベノミクス以来 一般人の生活が悪く成りまくりなのにそれでも安倍を支持するようなアホが5割も居るのかと暗〜い気持ちになるが、じゃあ、他にどんな政権ならいいのか、と考えると思わず絶句してしまう。全く、選択肢がないのだ。じゃなきゃ、幾ら日本と言えども安倍晋三みたいなコピペ・バカが政権にのさばるはずがない。もちろんこんな状況は政治家がバカ揃いなだけでなく国民の責任だ。自分で考えることを放棄して直ぐムードに流されるマヌケな国民の姿を見ていたら、まともな人は政治家になんかなろうとは思わないだろう。だから30歳過ぎて中学生とLineで本気で喧嘩するようなアホが府議会議員になっちゃうんだよ。そう考えると絶望的な気持ちにはなるけれど、そこで本当に絶望しちゃうとオシマイだからなあ(嘆息)。                                                                                       


                                                                                 
                            
8月15日の締切が迫ってきた今回の原子力規制委員会川内原発に関するパブコメ『技術的意見に限る』というところがいかにも国民の意見を聞くつもりがない、という感じで、実に国民をバカにしている。そもそも技術的なことを技術だけで判断できると思ったら大間違いだ。311の時 東大の原子力工学の教授、関村直人がTVの生中継の最中に起きた爆発を『あれは爆破弁です』と言ったのをボクは忘れないぞ(笑)。原子力に限ったことではないが、専門家っていうのは往々にして、それくらいバカで視野が狭いものなのだ。
大事なことを判断するには技術なことだけでなく、経済や歴史や人々の心理など色んな要素を勘案した総合的な価値判断が必要だし、総合的な価値判断というのは専門的な知識がなくても、子供でも、それこそ犬でもできるものだ(マジで)。
●これが証拠だ!

それは総合的な価値判断とは、突き詰めれば、『人生には何が大事か』ってことだからだ。
パブコメで訳の分からない意見を送るのも奴らにバカにされるだろうし、かと言って意見を送らないのも奴らの手に載せられるようで業腹なので、一応パブコメを出すことにした。審査書案400ページ流し読みして(笑)、論点を審査書の中の組織や能力開発に絞った。恥ずかしながらだけど、もし必要があったらご自由にお使いください。

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当審査書案に反対します。
田中俊一原子力規制委員長は適合性審査にパスしただけであって安全と認めるものではない、と説明していますが、その観点に立つと今回の適合性審査は以下の点が不足だと考えるからです。
(1)緊急事故発生時の組織
当審査書案では『非常事態に対応するための組織として原子力防災組織を設置し対応する』としていますが、それだけで組織が妥当かどうかは判断できません。また『本店と本発電所の役割分担を明確化する』ともありますが、どのように明確化されて実効性があるものかも判断できません。福島第1原子力発電所の事故では本店、発電所の指揮命令系統、最高責任はどこが負うのか不明確だった点は事故対応に大きな妨げとなりました。審査書案からはこれらのことが判断できず、審査として不足しています。

(2)緊急事故発生防止の訓練
当審査書案では『重大事故等発生時の原子炉施設の挙動に関する知識の向上を図るための教育と訓練を実施する方針であることを確認した』、また『定期的に教育及び演習等を計画する方針を確認した』となっていますが、これだけでは事故対処の実効性は担保されません。再稼働前、また再稼働後も訓練の頻度、規模、内容に踏み込んだ監査が必要です。

(3)緊急事故発生時の国、自治体との情報連携
当審査書案では、緊急事故発生時 どのような形で国、自治体と情報を伝達し連携するのか、また役割や責任の分担はどうなっているのか、を定めていません。従来から電力会社では原子力発電所で起きたトラブルの情報隠しなどが行われてきました。当然の事ながら緊急事故発生時の情報連携は実効性のある形で定めておく必要があります。

(4)緊急事故発生時の避難計画
当審査書案では、住民の実効性ある避難計画をたてることが要件になっていません。田中委員長が指摘しているように事故が発生する可能性がある以上、避難計画を審査しない審査書案は著しく妥当性を欠いています。

パブコメの提出先:8/15まで
http://www.nsr.go.jp/public_comment/bosyu140716.html
●ご参考サイト
★川内(せんだい)原発再稼働やめろ!パブコメキャンペーン | 首都圏反原発連合
パブコメ出そう、川内原発とまるほど | 国際環境NGOグリーンピース


                  
銀座で映画『ジゴロ・イン・ニューヨーク

リストラに逢って花屋でバイトをしている中年男(ジョン・タトゥーロ)と経営している古本屋が潰れたばかりの老年の男(ウディ・アレン)。ドンづまりの彼らは金持ちの女医(シャロン・ストーン)に勧められてジゴロ稼業を始めることになる。老年男はマシンガントークでポン引き担当、中年男は渋い大人の男の魅力、という組み合わせが金持ちの女性に大受けして、二人はホクホク。そんなある日 敬虔なユダヤ人の未亡人(ヴァネッサ・パラディ)がお客としてやってくる。中年男と未亡人、二人は本当に恋に落ちてしまう。そのことからトラブルに巻き込まれる。


俳優のジョン・タトゥーロが監督・脚本・主演。ウディ・アレンは俳優に徹しているが、この映画の味わいはまるでウディ・アレン映画みたいだ。監督の重圧がないせいなのか、いつもにもまして喋り捲って本領を発揮している。冴えないおっさん二人組が行き詰ってジゴロ稼業を始めるところなんか話としては実にいい加減だけど、ポン引き役のウディ・アレンが早口で喋り捲っているのを聞いているとこちらも何となく納得してしまう。こちらもポン引きに口説かれているみたいだ(笑)。
●冴えないおっさん二人組。ウディ・アレンジョン・タトゥーロ

NYの敬虔なユダヤ人地区という超狭い社会の中を描いた作品だけど、存外面白い。ユダヤ人社会には自警団(私設警察みたいなもの)があるとか、未だに宗教裁判があるとか、外出の際 未亡人は髪の毛を見せないようにウィッグをかぶらなくてはならない、などの風俗は興味深かった。他人に迷惑をかけなければとやかく言われる筋合いはないだろうけど、この頑なさじゃあ、ユダヤ人が時には周りからは嫌われるのもわからないでもない。
おっさん二人組もユダヤ人社会の中で生きているが、ジゴロを始めるくらいだから戒律を守る気なんかぜんぜ〜んない。かと言って逆らう根性もない(笑)。そういう抑圧があるからこそ、コメディが成り立つんだよな。
●ダンディなジゴロは淑女の間で大繁盛

●ポン引きのウディ・アレン

おっさん二人のジゴロ稼業は可憐な未亡人の登場で波乱が生じる。未亡人を本当に好きになってしまってからのジョン・タトゥーロが、ダンディなモテ男から一変して奥手なモジモジくんに変わってしまうところが面白かった。
ヴァネッサ・パラディ演じる未亡人は文字通り可憐な花のようだった。




シャロン・ストーンの金で男を買いあさるセレブ整形女医も実にぴったりだった。肉食系と言うか、目的への貪欲さと言うか、獲物を前に舌なめずりする雌虎のようだった。本人もパブリックイメージ通りの役を楽しんで演じてるんだろう。
シャロン・ストーンのセレブ女医役はぴったり。


                                 
こんな感じで、お話はスピーディなテンポで進んでいく。低予算映画の割に豪華な出演陣もみんなノリノリで演じている。部屋のインテリアとか調度とか何気にお洒落だから見ていて飽きないし。ジョン・タトゥーロは生け花まで披露する。
艶笑ものだけれど、お洒落でちょっと知的な、上品なコメディの小品。銀座で夕食でも食べた後、リラックスして笑いながら見るにはぴったりだろう。ボクが見たのは昼間だけど(笑)。とても楽しい映画だった。