特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

読書『知の訓練』と映画『ゴジラ』

いや、本当に暑いなあ。東京では一雨欲しいとおもうけれど、四国ではずっと雨雲がとどまって大変なことになっているからうまくいかないものだ。それでも、この数日 加速度的に犠牲者が増えているガザのことを考えれば、平和の有難味をつくづく感じる。あんな酷い蛮行はガザの他でも世界のどこかであるのだろうけれど、あそこまで堂々と罪もない人たちへの殺人が行われるのは、同時代に生きている人間にとっても侮辱としか言いようがない。イスラエルには報いがあるだろう。パレスチナの人とユダヤ人とで命の重みに差があるはずがない。宗教とかそういうことじゃなくて、それは世の中の基本原理みたいなものだと思う。
これは他人事とは思えない。日本だってイスラエルみたいなことを始める可能性はある。どこかで偶発的に紛争が起きて邦人に被害がでたら、日本人は国ごとヒステリーを起こして戦争を始めかねない(上海事変がそうだった)。その結果 また日本が焼野原になる可能性だってあるかもしれない。それを煽った奴は我先に逃げるか白井聡が『日本劣化論』で言っているように親中派に衣替えして再登場するんだろう(笑)。尖閣で実際に揉めたとき、自分が原因を作ったくせに知らんぷりした石原慎太郎とか強硬論をぶつだけぶって、あとはさっぱり音沙汰がなくなった前原なんかがいい例だ。70年前も今も、いつの時代にも卑怯な奴、また、それに騙される頭が悪い奴はいるものだ。元来 日本人だったら、そのことは骨身に沁みてなければおかしいはずなんだけどな。
パレスチナ子どものキャンペーン

                            

   
                                                                          
さて、先週電車の中で読んだ軽い本の感想。『知の訓練 日本にとって政治とは何か

知の訓練 日本にとって政治とは何か (新潮新書)

知の訓練 日本にとって政治とは何か (新潮新書)

鉄道や団地などユニークな本を書いてきた明学の原武史教授の本職『比較政治学』の授業を新書にしたもの。日本の政治は現世を司る政(まつりごと)と死後の世界を司る祭祀(まつりごと)の二つで構成されてきた、という観点で神社や都市の構造、地方と政治、女性と政治について述べたもの。日本書紀の国譲りの神話でも、(おそらく日本を侵略したであろう)ヤマト朝廷が現世の政権を譲り受けるにあたって、従来の支配者、出雲政権には祀りごとを担当してもらう、という内容が含まれているそうだ。そういえばこの前 天皇家の女の子が出雲大社の神官と婚約したが、なんか意味があるのだろうか。
                                        
なかなかユニークな指摘が並んでいる。例えば東京の皇居前広場。世界中、殆どの都市には広場があるが、たいていデモや集会など人が集まる場所になっている。だが皇居前広場天皇誕生日に田舎から人が出てきて万歳する(笑)他は殆ど活用されていない。首都のまんなかにある広場が人が集まらないような例は世界中どこにもない、という。そういうところは、世俗権力はないが権力の中心にある、いわば空っぽの構造の天皇制を象徴しているかのようだ。例えば神社。日本は八百万の神で色んなものを神にしてきたが靖国のように普通の人を神にするような伝統は無いと言う。そういう意味でも、靖国なんて明治期に官僚が適当にでっち上げた邪教であることが良くわかる。
体系的ではないんだけど普段 当たり前だと思ってることをひっくり返すような本で、面白かった。ちょうど1章が電車の中で読み終える分量で気楽に読めてよかった。


                                                                         
六本木で映画ゴジラ

舞台は1999年、日本の原子力発電所。そこで勤務する科学者夫婦。夫(ブライアン・クランストン)は発電所周辺で奇妙な波動を観測するが、その直後 大地震発電所を襲い、発電所は崩壊する。妻(ジュリエット・ピノシュ)を失い、自ら職を辞した科学者は15年後 米海に勤務する息子(アーロン・テイラー・ジョンソン)とともに、事故の謎を解くために放射能で汚染された立ち入り禁止区域内への侵入を試みる。果たして原発の跡地には秘密が隠されていた。


結論から言うと、かなり面白かった。脚本は粗いところが目立つ。たとえば原発事故で蒸気のような放射能が襲って来たり、放射能を食べる怪獣の周りに人間が近寄っても平気だったりする(笑)。でも、それを補って、映画としては大変面白かった。

原発内部へ調査へ向かう妻。大女優ジュリエット・ピノシュが開始10分であっさり死んでいいのか(笑)?

            
                                                         
前半部は原発事故と隠された秘密の謎解き。原子炉の崩壊と放射能が広がって立ち入り禁止になった廃墟のシーンはショッキングだ。後半にある津波や避難所のシーンも含めて、かなり311の映像を研究したんだろう。またアニメの『エヴァンゲリオン』の壊滅した東京や崩壊した施設の描写にも非常に似ている。国民から秘密を隠す地下組織があるのも同じだ。
●謎を追って放射能で汚染された地域へ潜入する父と子

                                                                                  
日本のメジャー映画で原発事故とそのあと実際にどうなるかをこれだけ描く根性はないだろう。もしかしたらTVでは放映できないかも?だけどゴジラ映画なんだから核の恐怖を描くのは当然で、こういうところに踏み込んでいかなければ、まともな作品なんか作れっこない。
●『キックアス』のへなちょこヒーローからホントのヒーロー役に昇格した(笑)アーロン・テイラー・ジョンソン君

                            
またホノルル、ラスベガスが壊滅するシーンの、最初にTV中継画面を数秒だけ映して、あとは廃墟が広がっているだけ、という演出は非常に効果的だった。余韻が残るし、破壊の恐ろしさがかえって強調される。こういうところは非常にうまい。お話の進行も良い。細かい点は抜きにして次から次へと無理なく、お話が展開されていく。面白いなあ、と途中で思わず声が出てしまった。

                                         
終盤 サンフランシスコに現れた怪獣に対して米軍は核兵器を使うことを決意する。だが、自分の周りの電気を無力化できる設定の怪獣(笑)に対して、ミサイルも戦闘機も役に立たない。最後の手段として米軍は決死隊を送り込む。
                              
●サンフランシスコのチャイナ・タウンとゴジラの尻尾。この映画、美しい画面が多い。

                                
この映画のオリジナル『ゴジラ』へのリスペクトは大したもんだと思う。ゴジラ登場の仕方といい、その後での扱われ方といい、伊福部先生風の音楽といい、敬意に満ち溢れている。監督は怪獣オタクのイギリス人だそうだが、確かによくわかっている。ただ本気でゴジラを尊敬しすぎちゃって(笑)、『ゴジラの怖さ』が消えてしまっているところもないわけではない。その反面 単純にゴジラを撮れるのが嬉しくてたまらないのが画面から伝わってくるのは見ている側も楽しい(笑)。
●今回のゴジラは歌舞伎のように見得を切る!実際に主演俳優として東宝にギャラを払ってるらしい。

                                       
渡辺健演じる、この作品での芹沢博士というキャラはよくわからなかった。芹沢猪四郎というネーミングはもう、最高だけど(オリジナルの本田猪四朗監督と芹沢博士のミックス)。米軍に核ミサイルの使用を止めさせようとするところは良かったが、あとは最初から最後まで出てくる割には印象が薄い。この人が何をしたかったのかよくわからないのも脚本の弱さだろう。あと最大の問題点として、ゴジラの他に怪獣、それもモダンな今風の怪獣(というよりエイリアン、それにギャオスにも似ている)を出すのが良かったかどうかは疑問。
●英語を話すシーンも少なかったし、別に渡辺健じゃなくて良かったかも。

                
                                                                            
この映画をオリジナルの『ゴジラ』とは比較してもしょうがないと思う。実際に東京が壊滅して10年そこそこで作られた、そして核兵器の恐怖が現実に広がりつつあった時代に作られたものとはバックボーンが違う。オリジナルには死と隣り合わせの崇高な美しさがあった。
だが、この作品には違う美しさがある。なぜか時折 奇妙なくらいに詩的な、美しい画面が挿入される。これは見なくてはわからない、不思議な雰囲気を醸し出す。特に怪獣が暴れまわる廃墟の街に向かって、主人公たちが高々度からスカイダイビングをするシーン、ここは現代の黙示録的なものすら感じられて美しかった。これはオリジナルの芹沢博士(元特攻隊員の平田昭彦大先生)のオキシジェン・デストロイヤーを抱えての海中ダイブにも通じるんじゃないか。画面の力も相まって、ここは本当に感動した。

                                                                                                                                                                   
なんだかんだ言ってアメリカ映画は人間が自分の力で何とかする、という話だ。時には勇気づけられるけど、基本的には頭が悪い(笑)。 だが、この映画は違う。米軍のハイテク兵器は怪獣には全く役に立たない。M1戦車もF22もゴミ扱いだ。主役のアーロン・テイラー・ジョンソン君は日本、ホノルル、サンフランシスコと太平洋を股にかけて体を張った大活躍をするけれど、実質的には何の役にも立たない(笑)。窮地に投げ込まれて半死半生の思いをするだけだ。結局 物事を解決するのは人智を超えた力なのだ。そういうハリウッド映画を見たのは初めてで、その1点だけでも驚くべきことだ。アメリカ人も判ってきたじゃないか(笑)。
                                                                                                                                      
制作会社が同じの昨年のロボット特撮『パシフィック・リム』もそうだったが、これで怪獣映画のハードルが上がっちゃったという感じ。

製作費200億円というだけあって、これだけのレベルのものはなかなか日本では作れないだろう。もともとは日本が優勢だったガラケーiPhoneにやられちゃったようなものだ(笑)。画面の大迫力といい、美しさといい、実に楽しい作品だった。もう製作が決定した次作にはキングギドララドンが出てくるそうです(笑)。