特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

読書『暴露:スノーデンが私に託したファイル』と映画『マンデラ 自由への長い道』

サッカーのワールドカップがどうのこうの言ってるが、そんなものが新聞の1面やTVニュースのトップで報じるようなものなのだろうか。他に報じるべきものがいくらでもあるだろうが。日本チームには一刻も早くボロ負けしてもらって、世の中が静かになってもらいたい。対戦相手はあと、コロンビアとギリシャなんだって?どっちも頑張れ!日本以外、みんな頑張れ!(笑)


今週末は話題になった『暴露:スノーデンが私に託したファイル』を読んでみた。

暴露:スノーデンが私に託したファイル

暴露:スノーデンが私に託したファイル

著者は英ガーディアン紙を中心に活躍する、ブラジル在住のフリージャーナリスト。エドワード・スノーデン氏から提供された米NSA(国家安全保障局)の資料を記事にしたジャーナリストだ。
本の内容は前半はスノーデン氏が著者に接触して香港で資料提供を受けるまで。中盤はNSAの暴露資料の概要、後半は記事発表後の反響という構成だ。

前半部のスノーデン氏から資料提供を受けるまでのくだりはスパイ小説を読んでいるようで非常に面白かった。政府の情報公開に関する記事を書いていた著者にスノーデン氏が接触してくるのだが、匿名で接触してきたスノーデン氏がいぶかしげな著者に暗号ソフトを自分のPCに数か月かけて導入させるところから話が始まる。CIA、NSAIT技術の専門家として勤務していたスノーデン氏は、NSAが世界を監視下に置いていることに憤りを覚え、効果的な方法で秘密を暴露したい、と考えたそうだ。それしかNSAを止める方法はないし、そのことで自分の一生は台無しになってもよい、と。そのためには情報を握りつぶされたり、低俗なスキャンダル扱いされないために、政府の圧力に負けないジャーナリスト、新聞に情報を提供しなければならない。そこで著者と英ガーディアン紙が俎上に上がったそうだ。スノーデン氏によれば比較的リベラルとされるNYタイムズなども落第。ウォーターゲート事件などで名を挙げた同紙も最近では政府の圧力に負けて記事を没にしたりするケースがままあるそうだ。

中盤のNSAの資料の内容は要するに、ネットも電話もほとんどがNSAの監視下にあるというもの。本文には地球上の約75%が監視下にあるという記述もあった。ネットやアメリカのサーバ−を監視しているだけでなく、アメリカ製のルーターやソフトには盗聴プログラムがセットされている。この件に関するNSAの方針はすべてを集めろ、すべてを知れだそうだ。
                           
またファイブ・アイズといわれる英語圏の国、アメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、カナダの諜報機関が密接な関係にあるというのも面白かった。ファイブ・アイズ以外の国、それがアメリカの友好国といわれていても、ドイツやフランス、そして日本も所詮はアメリカの監視下なのだ。NSAが盗聴した情報は防衛や外交だけでなく、経済面でも活用されているという。ちなみに大規模な盗聴施設は三沢にもあって、スノーデン氏もそこで訓練を受けたという。
                        
後半部は記事発表後の反響、英米政府の圧力について記されている。発表後 世界中から怒りが沸き起こり、アメリカ議会でも問題になった。リベラル派の民主党議員とティーパーティーの共和党議員が共同提案した、NSAの予算を差し止めるという決議はもう少しで議会を通るところだった。政府からの記事差し止めの圧力に屈しなかったガーディアン紙は一連の報道でピューリツァー賞を受賞した。
だが、まもなくスノーデン氏は中国やロシアのスパイではないかという彼個人を貶めるような記事も発表されるようになった。根拠はなくても、そのように印象付ける記事だ。またブラジル在住の著者はアメリカには実質入国不能になったし、著者の私生活でのパートナー(男性)はロンドンで不当な拘束を受けた。ガーディアン紙にイギリスの官憲が押しかけて、スノーデン氏の資料が入ったPCを没収しようとして、それを拒否したガーディアン紙側が自らPCを壊すところは大きくニュースにもなったので覚えている人も多いだろう。元CIA職員提供の機密情報、英当局が破壊を強要=ガーディアン紙 | ロイター
●官憲がガーディアン紙にPCのディスク破壊を強要するところもニュースになった。

                                                            
著者によると、オバマ政権は今までのどの政権よりも情報に関しては高圧的だという。また、マスコミの側もスノーデン氏や著者への誹謗中傷を流し政府に加担している例も多いと言う。ニューヨーカーやNYタイムスまでも、そういう記事を載せているというのだ。ただし向こうのマスコミでは記事には原則 個人名が出るから、提灯記事でも責任の所在は明確になる。だから雑誌や新聞すべてが提灯記事一色になるのではない所は日本とは違う

日本のマスコミのひどさは今に始まったことでもないが、アメリカでも事情はかなり悪化しているようだ。もちろんNYタイムスでもすべてが駄目というわけでもなくて、良心的な記者はまだまだいるようだが、政府や経営の圧力に屈する者が大多数のようだ。結局 組織に属しようが属さまいが、個人をどこまで保持できるかということが問題なのだろう。

スノーデン氏の暴露の話は日本ではすっかりおさまってしまった感もあるが、今も盗聴・監視は続いている。このブログなんか完全にアウトだろう(笑)。そういえば2011年ごろ、まだ人数が少なかった反原発デモに行ってブログに内容をアップし始めた頃、自宅の電話を取ると受話器の向こう側で時折異音がするようになった。確証はないけどボクも盗聴されているのかと思ったこともある。*官邸前デモに数万人もの人が集まるようになると異音は消えた。もちろん真偽は判りません。
政治家もマスコミも当てにならない。スーパーマンみたいなリーダーなんか居るわけない。世の中に自分の頭で考える人が少しでも増えていく、それしかないんだろうな。






品川で映画『マンデラ 自由への長い道
先日亡くなったネルソン・マンデラの生涯を描いた伝記。主題歌はU2が担当して、アメリカでは大ヒットした。

原野の中で暮らす部族の中で育った少年時代。都会に出て弁護士になって金持ちになれれば良いといっていた若者が、次第に黒人の法的に守られないことに気がつき、ANC(アフリカ民族会議)に入り人種差別反対運動に身を投じる。当初は非暴力だった活動が『政府の暴力』によって追い詰められ武装闘争を始めるが、逮捕され終身刑を受ける。27年の牢獄生活の後、国内外の圧力で牢獄から解放されて大統領になり、平和裏に人種差別撤廃を果たすまでを描いている。

                                  
ネルソン・マンデラ氏のことでまず思うことは、どうしてこんな立派な人間が存在しうるんだろうかってことだ(笑)。もちろん無名でも立派な生き方をした人が数多くいるけれど、27年も牢獄閉じ込められて絶望せず、そのあと人種差別撤廃と自国の核兵器廃棄を成し遂げたというのは普通ではない。あまり報じられないけど核兵器の全面廃棄なんて、この人しか実行できた人はいなのだ。

映画では若き日の姿から描かれる。マンデラ氏と言うと、どうしても晩年の姿、まるで老賢人のような姿が印象に強いのだが、若い頃はお洒落を楽しみ、ボクシングが趣味の文字通り筋骨隆々とした男だった。独身時代は夜な夜な遊び歩いていたし、最初の結婚では人種差別反対運動と自身の浮気で家庭を顧みずに離婚するような姿は驚きだった。マンデラ氏も普通の人間だったというわけだ。
●筋骨隆々とした若き日の姿

                                         
ボクがマンデラ氏で興味があるのは、この人がどうやって意思決定をしていったか、ということだ。映画の中でもいくつかポイントが描かれている。まず人種差別反対運動に身を投じるまでは普通に理解はできる。武装闘争を始めるところも、映画では政府が大勢の一般市民を平気で撃ち殺すようなシーンが描かれるから(69人が死亡、180人以上が負傷した1960年のシャープビル虐殺事件)理解はできる。男だろうと女だろうと子供だろうと警官がライフルで後ろから撃ち殺したのだから、ほんとうに酷い話だ。問題は、それ以降だ。
●列車の白人専用座席に皆で乗り込もうとするシーン

●ただの焚火ではない(笑)。携帯を義務付けられた黒人の身分証を焼き捨てる。つまり非合法で活動を始めるということだ

                                      
(1)長期間 牢獄に閉じ込められて、どうやって精神、体力を維持し、思索し続けたのか。
狭い独房の中で体力つくりに励み続けたのは勿論だ。外部からの手紙は半年に一回!、それも検閲&伏字付。そんな環境で彼は何をしていたか。映画では、まず獄中で長ズボンを要求したことが描かれている。当初は刑務所でも虫けら扱いだったが、自分たちの尊厳を取り戻すために小さなことからコツコツと闘争をしていったのだ。かといって看守たちを罵ったり、敵に回したりしない。彼らの尊厳も尊重する代わりに自分たちの尊厳も尊重しろと言う姿勢を貫くことで、看守たちのマンデラたちへの扱いも変わっていった。
また武装闘争をやっていたマンデラ氏がどうして平和路線へ行ったのか。映画では明言されないが、長い間の思索で彼がより現実的かつ論理的になっていったのだと思う。途中から、彼はこのようなことを言い出す。『白人は国民の大多数である黒人を怖れて、暴力で弾圧した。黒人が暴力を振るったら、かっての白人たちと同じように、黒人は恐怖に脅えながら暮らさなくてはならなくなる。』
彼の自分を律する意志の強さがこういう現実的な思索を導いたのだろう
●獄中でのマンデラ氏。当初は侮辱的な半ズボンしか与えられなかった。

(2)武装闘争を止め、どうして南ア政府と交渉したのか
80年代になると、国内では黒人たちの暴動、海外では人種差別への抗議と経済制裁の圧力が高まっていった。危機感を持った南ア政府はガス抜きをするために、マンデラ氏を釈放するための交渉を始める。武装闘争をしない、白人への復讐をしない、などの条件をマンデラ氏が飲めば釈放するというのだ。一緒に捕まっているANCの仲間たちは反対だ。悪逆非道な南ア政府は信じられないし、交渉するより政府を倒すべきではないのか、と。それを押し切ってマンデラ氏は交渉に応じる。彼の意見は、
南ア軍には我々は武力では勝てない。だが屈する必要もないし、怖れる必要もない』、
かって白人が黒人を恐れて暴力を振るったように、白人への復讐は黒人たちを恐怖に陥らせるだけだ。』、
南ア政府との裏取引は一切しない。無条件の釈放のみを要求する。
というのだ。この筋の通し方は恐れ入った。白人に対しても黒人に対しても全く恥じるところがない、恨みを引きずらない全く無私の態度だもの。こんな判断は普通できないよ。
●釈放されたマンデラ氏。民衆の大歓迎を受ける。

                                     
(3)白人への復讐をとなえる一部の黒人たちをどう説得して、平和を保ったのか
そんなマンデラ氏を南ア政府は無条件で釈放せざるを得なくなる。それに勢いづいた一部の過激な黒人たちは白人への復讐や意見が違う黒人たちに対して暴力を振るい始める。暴力と言っても生易しいものではない。反対派にガソリンをかけて焼き殺したりするのだ。それを炊き付けている一人は妻のウィニーだった。マンデラが入獄中、自分も投獄されたり、散々弾圧を受けてきた彼女は『憎むことで強くなれる』という信念で生きてきたのだ。
●過激な活動家になっていた妻、ウィニー

                                               
釈放されたマンデラは暴力をやめるよう妻を説得するが、彼女は『人民の意志は復讐にある』と聞き入れようとしない。確かに大衆の感情はそんなものなのかもしれない。だがマンデラ氏はそれに臆せず、再会したばかりの彼女を文字通り切り捨てる
●獄中生活27年後、やっと再会した妻との別れ。

                                      
やがて南アの自由選挙が近づくと国中に暴力が蔓延するようになる。もう、政府もお手上げだ。そのとき マンデラ氏は国営放送のカメラの前に立ち、国民に呼びかける。
君たちは間違っている。私は君たちから指導者として選ばれた。君たちが間違っている場合は私は君たちに間違いを指摘する義務がある
私は20年以上投獄され、人生の殆どを奪われた。だが私は彼らを赦した。私も赦せたのだから、君たちも白人を赦せるはずだ。』
自分を支持する大衆に向かって、君たちは間違っている、なんて言える政治家が他に居るだろうか。
マンデラ氏は南ア政府も怖れなかったが、大衆をも怖れていなかったのだ。大衆に媚びることしか頭にない日本の大多数の政治家とは天と地ほど違う。
                            
よく民意とか言われるけど、ボクはその言葉はあんまり好きではない。大衆の民意は往々にして間違いを犯すからだ。国民の多くは太平洋戦争に賛成したのだし、原発にだって賛成したそれに反原発の意見だって、デマや怪しい意見が一杯あるだからと言って一部のエリートや専門家の意見って奴も全く信用できない。結局 一人ひとりが少しでも自分の頭で考えることが大事なのだ。大きなことを言わせてもらえば、マンデラ氏のようなリーダーの出現を待つのではなく、我々一人一人がマンデラ氏のように自分の頭で判断できる人間にならなくてはならないのだ。
                                                        
                                   
この映画ではところどころに当時の記録フィルムが挿入される。南ア政府はこんなに滅茶苦茶なことをやってたのかと驚くようなものばかりだ。カメラの前で堂々と子供や女性を殴ったり、撃ち殺している!最近は日本でも人種差別のリバイバルを始めたボウフラどもが湧いているが、当時は日本人だって黄色人種として差別されてたんだぞ。経済大国になってからは南アでは『名誉白人』扱いになったそうだが(もっと恥ずかしい)。その記録フィルムにも本編にも抗議デモやANCに白人が加わっていたことが描かれているのも興味深かった
                              
挿入された80年代の記録フィルムには世界中で行われていたマンデラ氏解放を訴えるロックコンサートが幾つも映されていた。それを見ていたら、ボクも当時 最後に必ず『BIKO』(虐殺された南アの指導者スティーヴン・ビコを歌った曲)を歌いマンデラ氏の解放を訴えていたピーター・ゲイブリエルのコンサートに行ったことを思い出して胸が熱くなった(笑)。
●このCDは音楽性も精神性も、ロックのライブの中でも指折りのすばらしさではないだろうか。

プレイズ・ライヴ(紙ジャケット仕様)

プレイズ・ライヴ(紙ジャケット仕様)

                                     
                                                                                        
映画の最後は一人で原野を歩くマンデラ氏の姿が映される。困難な仕事をやり遂げたが、彼は結局 独りになってしまった。彼の胸中はいかばかりか。
エンドロールでは本人の記録写真が流れる。驚いたことにそれらは映画本編で描かれたシーンそっくりなのだ。マンデラ氏がボクシングをするシーン、刑務所でのシーン、大衆の中にいるシーン、どれもそっくりなのだ。本編を見ているときは、脚色してんじゃないの(笑)という気持ちも多少あったんだけど、想像以上に忠実に作られた映画みたいだ。そう考えると、う〜んと終わってからも唸ってしまった。

      
                                        
という具合で、考えさせられるところが一杯ある、退屈なんかしているヒマなんか微塵もない面白さ。マンデラ氏のことがもっともっと知りたくなる映画だった。