特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

それでも生きていく:映画『そこのみにて光輝く』

先週末は大雨で官邸前抗議は中止になりましたが、今週もやぼ用でボクは官邸前抗議の参加はお休みします。

                  


さてボクはNHKかTBSしかニュースは見ないが、毎日いやになる話、納得がいかない話ばかりだ。まともな話は、政府税調のほとんどの委員が消費税の軽減税率に否定的だった、ということくらいか。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140611-00000117-jij-pol
一見聞こえが良い軽減税率の本性は事務負担だけ中小企業におしつけて金持ちを優遇しながら政治家&役人の利権を作る制度だこれが犯罪行為でなくてなんだろうか。 


集団的自衛権にしろ、法人税減税にしろ、まったく納得がいかない。集団的自衛権だったら『勝手に内閣が憲法の解釈を変えていいのか』、『昔と状況がどう変わったのか(昔のソ連のほうがやばかっただろ)』、『集団的自衛権は具体的に何のメリットがあるのか』と思うし、法人税の件は消費税を上げて法人税下げるなんて、よその国だったら暴動が起きるのではないだろうか。

だが問題を悪化させているのは安倍晋三だけでなく、無能な野党の責任でもある。たとえば集団的自衛権の反対論として『平和がいい』とか『戦争ができる国にするな』とか言っても何の説得力も感じられない。今の世の中 表向きは戦争を自分から始めるような奴は基本的にはいないのだ。権力は嘘でもなんでも適当な理由をつけて『平和を守るために』戦争を始める。この期に及んでそんなことすらわからない思考停止状態の社民も共産も民主も存在価値はない

この件で必要なのは『安全保障をどうするか』という真面目な議論だ。野党は外交も含めてどうやって安全保障をしていくか代案を出せなければ政党の資格なんかない。安倍晋三は日本をNATOなみに対等な地位にしたい、とか寝ぼけたことを言ってるが、世界で一番高いと言われている米軍の駐留費負担や犯罪米兵の裁判権の問題も解決する気があるのだろうか。羽田着の旅客機を大きく遠回りさせている東京の西半分の航空管制権を米軍から取り戻す気があるのだろうか。そもそも北朝鮮のおんぼろミサイルが全国50数か所の原発のどれかにまぐれであたっただけで日本は壊滅する。そのこと一つだけとっても、安倍晋三の関心はアメリカに対して媚を売ることで、本音では日本の安全保障なんか真面目に考えてないことは明確だ。そんなことすら示せない野党は実は自民とグルだったりして(笑)。




先週木曜のエントリーでiireiさんから頂いたコメントを読んで思いついて、この20年の賃金の動きを追ってみた。97年を1として賃金の推移をグラフにしてみたのだ。

97年をピークに名目賃金(青色のグラフ)も物価変動を考慮した実質賃金(ピンク色)も下がりまくりだ。アベノミクスが始まって1年が経過した2013年現在も実質賃金は下落し続け、経済成長どころかピーク時より1割も少ない水準だ。
特に小泉改革(ボクは『小泉不況』と呼んでいる)、リーマンショックと物凄い下げだったことがわかる。バブル崩壊後失われた20年とか言われるが、本番は97年以降、20年近く国民にとっては酷い時代が続いている

それでも実質賃金のほうが名目賃金より下がり方が穏やかなのは、デフレによる物価安で庶民がある意味救われた部分もあることを示しているここからインフレにするというんだから、一般国民の暮らしはもっと厳しくなるだろう。雇用は改善するかもしれないが、増える仕事は低賃金の仕事だけだ。マスコミは人手不足とか煽っているが正社員の求人倍率はずっと0.6前後にとどまっている。2014年のニュースの読み方と読書『やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識』:★0530 再稼働反対!首相官邸前抗議! - 特別な1日(Una Giornata Particolare)

                     
                                                  
昨日 アメリカの有名投資家、ジム・ロジャースのインタビューが目についた。彼はこんなことを言っている。
ジム・ロジャーズ氏「日本株は上がる、だがいつか全部売る時が来る」 (2ページ目):日経ビジネスオンライン
歴史上、ミスター・アベのような金融緩和、つまり無制限に円を刷り続けてうまくいった例は1つもない。必ずといっていいほど、最終的にハイパー・インフレに襲われるだろう。後から振り返って、安倍晋三は歴史上、最悪の総理大臣として語られるだろう。「あの時がターニングポイントだった」と。それがいつかは私も答えられない。
(中略)
これからの時代、どこでも生きていけるようになるには、やはり言葉だろう。これから50年後、日本は確実に人口が減る。それだけに、いろんな国で生きていけるように準備するのは大事なことだ。


基本的にはこういうことなんだと思う。7月から留学したいと言い出した高校1年生の姪にも、納得したかどうか知らないけど『どんどん行きなさい。将来の日本の見通しは暗いから、外国でも生きていけるようにしておきなさい』と伝えておいた。もしボクが今、10代で物事をある程度わかっていたら、絶対 日本を逃げ出す準備をするだろう。
残念ながら 現実のボクは職業や年金やらが足を引っ張ってしまうから、逃げ出すと言っても、そう簡単にはいかない。だけど、オプションとしては日本を見捨てる可能性は持っていたい。今の日本の状況は政治家がアホなだけでなく、それを黙認する国民やマスゴミ共依存体制なのだと思う。黙っていれば楽だし、とりあえずは暮らしていける。だがジム・ロジャース氏が言っているようにいつかツケは回ってくる。所詮 他人は他人、他人の考えを変えることはできないし変えたいと思うほど傲慢にはなりたくない。けれど、アホの巻き添えはまっぴらだ。


短期的にも日本の状況は厳しいし、長期的な見通しも厳しいことは確かなようだ。だけど、一つだけ言えているのは、そんな状況の中でも我々は生きていかなければいけない、ということだ。希望を失うのも簡単だし、目の前で起きていることに目をつぶるのも簡単だし、安易な陰謀論やデマに身を任せて一時的な満足を得るのも簡単だ。実際 ボクだって希望なんか持っていないし、いろんなことに目をつぶっているかもしれないし、偏見や思い込みには結構影響されている。
そんな状況でも生きていかなければならない。そういうことを描いた映画が今日の本題です(笑)。テーマは『肯定』。

  
                                                                                                                                                                                                 
新宿で映画『そこのみにて光輝く映画『そこのみにて光輝く』公式サイト
何度も芥川賞候補に挙げられながら夭折した作家、佐藤泰志の原作を映画化したもの。お話がボクの苦手なドロドロそうな感じだったのでスルー予定だったが、評判が非常に良いんで観にいってみた。

舞台は夏の函館。日がな1日 アパートに引き篭もって暮らしていた主人公(綾野剛)はパチンコ屋で金髪のチンピラ風の若者拓児(菅田将暉)と知り合う。気の良い拓児に海辺のバラックのような家に連れて行かれると、そこには彼の家族がいた。寝たきりで認知症気味の父、生活に疲れた母、それに無愛想な姉、千夏(池脇千鶴)。一目見て千夏に惹かれた主人公は、やがて彼女の隠された姿を知ることになる。

そ〜んな感じ。
映画はパンツ一つで部屋に寝転ぶ主人公の姿のアップから始まる。男の太腿の、ちょっと目のやり場に困るような肌の質感が画面いっぱいに広がる。女性客への綾野剛のサービスショットか(笑)と思ったが、それだけではないらしい。健康そうな若い男が昼間から引き篭もっている焦燥感をいきなり提示することで、主人公のキャラクターがどういうものかを物語っている。同じ事は主人公がパチンコ屋で知り合う拓児についてもいえる。パチンコ台の椅子で後ろへ倒れそうなくらいもたれ掛かって、タバコの火をねだる態度は、チンピラでバカでどうしようもないんだけど、人の良さも垣間見える。遅れて画面に登場する池脇千鶴は表情はクールだけど、地味だけど露出の多い服から除く太股や腕の贅肉がこの娘はどういう生活をしているかをよく表現している(そこまで狙っていると思う)。
そんな感じで、この映画は全体的に非常に緻密に作られている。つじつまがあってるだけでなく、お話に常に納得感を感じながら見ていられる。
●冒頭の綾野剛のサービスショット(笑)。

●千夏(池脇千鶴

                                                                 
この映画の見方としては不景気な地方都市で暮らす千夏一家の貧困が強調されるのかもしれないが、ボクはそこはあまり感じなかった。程度の差こそあれ、今の地方都市だったらありえる話だと思ったからだ。仕事は時給の安い地元の工場のパートや建設関係、大事なのは役所や地縁・血縁などのコネ。街の商店街はさびれ、うら寂しい繁華街が人の流れや時間の流れからも取り残されたようにがらんと残っている。実際の函館がどうだか、わからないが、ボクは今まで仕事で日本中を廻ってきて、こういう景色はずいぶん見てきた。寂れる駅前、空き店舗が並ぶ商店街、半分潰れているような場末の飲み屋街、この映画は地方都市のそういう光景を非常にリアルに描いている。
●左から千夏(池脇千鶴)、拓児(菅田将暉)、主人公

                         
●左から主人公(綾野剛)、工事現場の親方(火野正平)、拓児(菅田将暉

                                                                               
それとは対照的に、画面に描かれる函館の街は非常に美しい。長い夕陽、寂れた街、人のいない海、観光案内にはあまり出てこない光景かもしれないが、これを見ていると懐かしいような感慨を持つ人は多いのではないだろうか。

そういう景色の中で人間がどう生きていくか。客観的に見たら3人ともどうにもならない生活だ。工事現場の事故がトラウマになって引き籠っている主人公にしろ、刑務所から仮釈放中の拓児にしろ、実は身体を売って生活の資を稼いでいる千夏にしろ、世の中の流れから外れてしまった者ばかりだ。原因は社会環境のせいもあるし、自分たちの愚かさのせいでもある。だが、この映画は若者たちを肯定し、最後まで希望を見ようとする。また、見ようとし続ける強さを持っている。そこが他の凡百の映画とは違う。だから話がまったく重苦しくならない。
                                                                                                                      
それを支えているのは、役者さんの力でもある。酒を飲むとき以外(笑)徹頭徹尾 受身の演技の綾野剛も好感が持てたし、池脇千鶴という人がこんなに良い女優さんだとは全然知らなかった。適度に肉付きが良い生活感がある肉体も含めて、この人が重くなりがちな映画を引っ張っていたと思う。あと拓児役の菅田将暉、元JUNONボーイ仮面ライダー何とかだそうだが、バカで粗暴な役柄なんだけど、繊細さと人の良さ、人格のまっすぐさを感じさせる演技だった。彼が事件を起して、主人公と再会し黙って抱き合うシーン、そして二人で警察へ向かうシーンは切なくて、切なくて、この映画の中でも頂点をなす場面かもしれない。これだけ爽やかなシーンというのは久しぶりに見た気がする。
●主人公と拓児

                                                                    
他にも悪徳造園業者を演じる元ジャニーズの高橋和也火野正平など脇役も実に良い味を出していた。監督の、人間をとことん肯定する視点この映画の持つ力強さとさわやかさにつながっている。主人公と千夏が黙って抱き合うラストシーンが説得力に溢れているのも、監督が登場人物の存在を肯定しているからだ。
                                                                                                                                                               
こういう日本映画は今まであまり見かけたことがない。緻密な演出と美しいカメラ、俳優さんたちの見事な演技。厳しい現実に直面しても、声高に何かを責めたり、悲劇を強調したりはしない。だけど観終わったあと、前を向いて生きようとする力強さが心に静かに残る苦いけれど、爽やかな後味を感じる凄い映画。今年の邦画では屈指の作品かも。

●監督インタビュー
http://www.cinra.net/interview/201405-hikarikagayaku