特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

読書『だから日本はズレている』と『雇用のはなし』。それに映画『トークバック 沈黙を破る女たち』

古市憲寿の新刊『だから日本はズレている

だから日本はズレている (新潮新書 566)

だから日本はズレている (新潮新書 566)

表紙の帯にこんなコピーがある。
リーダーなんていらないし、
絆じゃ一つになれないし、
ネットじゃ世界は変わらないし、若者に革命は起こせない。

さまざまな雑誌に載せた記事をまとめたこの本の内容はほぼ、これに尽きる(笑)。基本的にはあてこすったり、おちょくったり、この人の『若者を商売にした』オトナ転がしのうまさは、師匠の上野千鶴子が論壇に出てきた当時を彷彿とさせるが、怒りより、おちょくりが前面に立っているところは良くも悪くもこの人の個性なのだろう。上野と違い、相手の本当の急所を指さないところが大人受けするというところか(笑)。
それでも今回、古市が珍しく真面目に主張しているのが、革命だの、闘争だの言うより、身の回りをよくすることのほうが先だ、と言うこと。農業を始める人、社会起業を始める人、生活の『ダウンシフト』をする人、そういうことのほうが遥かに世の中のためになるのではないか、と言っている。今の複雑化した世の中で政治が果たす役割はどんどん縮小している。政治に頼らず個人レベルでできることはたくさんあると言うのだ。

古市の屁理屈(笑)は、基本的に当事者として自分のリアルに立脚している。デモだの、闘争だの、理論だの、偉そうなことを言ってるより、ボクはそういう当事者としてのリアルな感覚のほうが大事だと思う。ボクが組織とか運動とかを信用しないのもそれが理由だ。政治に眼をつぶれってことじゃない。だけど職場でも、家庭でも、自分の目の前も良く見れば不条理や差別は存在している。日本でもLGBTの人は20人に1人いるそうだから、そういうことだってあるかもしれない。自分が全てを何とかできるわけじゃないけど、自分が少しでも出来ることはあると思う。毎度の話だが、男だったら家事をやればいいんだよ(笑)。
ボクは今時の若い人がどう、とかは全く興味がない。というか他人のことはあんまり興味がない(笑)。そんなヒマがあったら自分ができることは何か、と考えていたい。それでたいしたことが出来たためしがないのも事実だし、どこか間違っているかもしれないけど(笑)、少なくともそこにはウソがない。大上段に構えた言葉より、もっと自分のことを話すべきじゃないのか。そんなことを考えながら軽く読める、楽しい本でした。

 
                                                                               
さて、連休明けに3月までの雇用統計が出てきた。
今の株価はもう、別に良いとか威張るようなレベルではないし、アベノミクスで殆ど唯一の成果は失業率が多少は改善したことだ、と何となく思っていた。ところがそれは間違ってました(笑)。
リーマンショック前の2008年1月から今年の3月までを見てみると、今年3月の失業率は3.6%。リーマンショックの頃の09年7月の5.5%をピークにほぼ一貫して失業率は下がっていることが判る。2013年1月からのアベノミクスで取り立てて改善したわけではないので、自然回復と見るのがふつうだろう。決してアベノミクスの成果なんかじゃない。
●失業率の推移(2008年1月〜2014年3月)

                                                                  
さらに、その内訳を見てみる。アベノミクスが始まった2013年1月と今年3月とを比較すると雇用者全体では30万人増えているが、正規雇用は103万人も減り、アルバイトや派遣などの正規雇用が141万人増えているな〜んだ。


さらに2014年3月の職種別の求人率を見てみると、求人率が高いのは建設やサービス業など非正規雇用が多い職種が中心だ。事務職の求人状況などは殆ど悲惨とさえ言えるだろう。

日本で人手不足経済化が進む | 読んでナットク経済学「キホンのき」 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

要するに雇用形態が不安定で賃金が安い職種(いわゆるマック・ジョブ)が増えて、正規雇用は減少し続けているというのが実態だ。これでは『雇用の面から見ても、アベノミクスで国民の暮らしはますます厳しくなっている』、としか言いようがない。これはもう、失政じゃないか。

昨年7月からずっと下がり続けている実質賃金にしても、雇用にしても、与野党問わず政治家もマスコミも何とも思わないのだろうか。

                                                     
そこでカエルの条件反射のように(笑)『じゃ、企業が正規雇用を増やせ』と言っても仕方がない。求人率を見れば判るようにそもそもニーズがないのだ。ムリして正規雇用を増やしても、企業が潰れて失業者が増えるだけだ(笑)。万能薬なんかない。大事なのは市場と社会とのバランスで、正規雇用者の労働条件を改善するように最低賃金などの規制を強化する所得税累進課税相続税を上げて富の再配分を強化する、それに起業や新しい仕事を作って高い給与を払えるような付加価値を持つ職業を増やすこと、やることはいっぱいあるだろう。マスコミが騒いでいる規制緩和なんて僅かな問題に過ぎない
                                                              
政治の役目だって大きいけれど、仕事を増やすのは我々一人ひとりの役目だ。このように自分で起業する人(偉い!)お菓子教室初日 - 明日もいい日和は勿論、そうでなくても各人が日々の仕事で付加価値を増やすことだけだって、今の日本には立派な貢献になる。学者や政治家が幾ら偉そうなことを言ったって(こいつらは何も生産してない!)経済の本来の目的は自国民にもっと富を行き渡らせることのはず他国民ではない!。本当に日本を取り戻す(笑)のなら『国民に広く富を行き渡らせること』が基本的な戦略、とボクは思っている。




青山のイメージ・フォーラムで映画『トーク・バック 沈黙を破る女たちトークバック 公式サイト
開演前 会場の前には女性の集団が大勢並んでいる。客席の9割以上が女性だろうか。少し怖かった(笑)。

サンフランシスコで活動するHIV陽性者と受刑者の女性だけの劇団『メデア』を描いたドキュメンタリー。メデアは女性刑務所で演劇療法を行ってきた女性劇作家とHIV専門の男性医師(ゲイ)が、HIV陽性の患者に生きる喜びを感じてもらおうと始めたアマチュア劇団。参加者たちはHIV陽性判定のショックや犯罪被害など辛い経験を経てきている。多くの人が自分はHIV陽性であることをカミングアウトしていないし、周りの人に悩みを相談することも出来ない。参加者たちは自分たちの半生を基に組み立てられる劇を演じることで、次第に自分の感情を取り戻していく。
                                                               
そんな感じだ。映画では参加者たちの人生と劇団の練習・上演風景が描かれる。
彼女たちの上演風景は、昨年見た、重罪受刑者による演劇を描いた素晴らしい作品『塀の中のジュリアス・シーザー『希望の死』を考えながら、過去と未来に想いを馳せる(笑):『小笠原先生、ひとりで家で死ねますか?』と映画『ルーパー』&『塀の中のジュリアス・シーザー』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)を思い出させる。大きな違いは彼女たちは『I'm HIV Positive』(私はHIV陽性)と書かれたTシャツを着ていることだ。
●上演風景。黒いシャツの上に『I'm HIV Positive』の文字が

                                                                    
舞台の上では彼女らの体験してきた人生が語られる。麻薬やDV、自分たちの過ち、親や家族、社会からの理不尽な仕打ち、内容は様々だが、共通しているのは『それでも自分は生きていることは罪ではない!』という心の叫びだ。正直 台詞の内容自体は幼稚だったりわざとらしかったりする部分もあるが、彼女たちが自分自身をコトバで語るという行為自体が重要なのだ。

                                                                      
映画では参加者たちのそれぞれのインタビューが挿入されるが、それが大変面白かった。厳しい家庭環境、例えば親のDVや麻薬などからHIVに感染したものも居る。品行方正(笑)に暮らしていたが、たまたま恋人から感染した女性も居る。事情はさまざまだ。
特に元売春婦&麻薬中毒で今は立ち直った50代の女性の表情がとても印象的だった。麻薬で刑務所に入っている娘の子ども(孫)を育てる彼女は、それでも、ものすごく明るい表情をしている。自分の体重は100キロ以上と笑い飛ばす彼女を見て、つくづく綺麗だなあと思ってしまったくらいだ(笑)。
●売春から立ち直った彼女

                                                                        
思ったのは、これはHIVの話でも、受刑者の更正の話でも、女性の話でもない、誰にでも当てはまる普遍的な話だということだ。彼女たちは自分の心の内を外へさらけ出すことができない。周りからの差別や自分のなかの恐れから、感情を自分の中に閉じ込めて生きていこうとする。程度の差こそあれ、これはボクの普段の生活も同じなんで、とても他人事とは思えない(笑)。

この映画は『孤立とは人との関わりがないことではなく、自分の感情を凍らせることから始まる』というダイアローグで始まる。最初はボクはピンと来なかったが、映画を最後まで見て初めて、その意味がわかった。そうなんだよなあ。だけど、どうしたらいいんだろうか、ボクには判らない。

●彼女は10代で家出してホームレスになったが、今は貧困者を援助する公務員になった。

日系人の彼女は旅行先の南アで男性に暴行されてHIVに感染。この人、舞台でメガネを外し、髪をほどくとウルトラ美人!(笑)。彼女が出てくるシーンは楽しみだった(笑)。

                                                                            
この演劇は彼女たちが自分たちの体験を語ることによって彼女たちは癒され、観客も癒される。そういう2重構造になっている。そして、この映画はその光景をみることで観客が癒されると言う3重の構造、になっている。周囲から否定されてきた自分のことを舞台の上で語ることで、彼女たちは自分が生きる力を取り戻していく。それは感動的な光景だった。
                                                                                                 
このドキュメンタリーは日本人の女性監督が費用をクラウドファウンディングと寄付で集め、撮影は8年もかかったそうだけど、充分その価値があるユニークな作品だった。登場する女性たちの姿を観客は色んな想いで見ることができるだろう。立ち直った人、立ち直る途上の人、病で死に欠けている人、彼女たちは事情も状態も様々だ。しかし誰もが美しい。考えさせられるだけでなく、見ていて大変面白い映画でした。

●上映後のトークショー坂上監督(左)とダルク(女性アルコール中毒患者の自助団体)の代表者。監督はカメラマン(男性)に、『(女性たちと同じくらいの背になるよう)撮影中はしゃがめ、そしてとにかく美しく撮れ』と無茶振りしたそうです(笑)。