特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

読書『原発敗戦』と映画『それでも夜は明ける』

明日から消費税が上がるということで、このところ街を歩くと家電などを抱えている人を見かけるのが多かった。NHKのニュースなどでは買いだめを煽っているような気さえしたが、本当はこの反動がどれくらいあるか、商売をしている人は内心戦々恐々としているところだろう。それでなくても年金保険料は毎年上がるし、今年は住民税も上がるし、ガソリンへの温暖化対策税アップもあるし、更に年金は下がるという。ただでさえ円安で物価は上がっている中で、かなり厳しくなるな、というのがボクの実感だ。消費税だけならともかく、これだけマイナス要素が多いと景気への影響もそれなりにあるのではないか。
●今朝の東京の桜


                                                              
最近読んで、非常に面白かったのが原発事故に対する民間事故調に携わったジャーナリスト、船橋洋一の『原発敗戦 危機のリーダーシップとは

                                        
内容は太平洋戦争当時の日本の失敗と原発事故を対比しながら、(1)原発事故当時、現場・官邸・東電で何が起きたか(2)当事者へのインタビューアメリ原子力規制委員会(NRC)日本支援サイト部長のカストー氏、福島第2の所長の増田氏、自衛隊統合幕僚長の折田氏、(3)作家の半藤一利氏との対談で構成されている。
                                                                          
物事を考えるとき、ボクはなるべく『自分だったらどうする』ということを考えたいと思っている。政治家や役人、東電を非難したり断罪するのは簡単だが、自分だったらどうするという思考のクッションを入れることで、物事を複眼的に捉えたいと思うからだ。

そういう意味でこの本にあったフクシマ1Fと2Fの対比は非常に面白かった。どちらも冷却装置が停止したが、1Fは爆発し、2Fは間一髪で危機を免れた。1Fは中央制御室の電気も停止して原子炉の状況が全くわからなかったのに対して、2Fは制御室の電気が生きていたこと。また2Fは廃棄された川からの取水ラインを自転車のゴムチューブで修理して復活させて冷却を続けたこと(2Fの増田所長は若いときにも勤務したことがあって現場を隅々まで知っていたそうだ)。所長の性格も対照的で、1Fの所長の吉田氏は部下からの信頼も厚い情に溢れるタイプで家族持ちの協力会社社員は帰宅させ、最後は信頼できる部下とともに『玉砕』する気だった。フクシマ2Fの所長の増田氏は発電所を封鎖し関係者一同の帰宅を禁じて対処に当たった。彼は1Fへの電源車派遣依頼も断っている。更に増田氏は途中から東電本店に対して自立宣言をして、余計な口出しも封じてしまった。その上で自力で廃棄されたパイプラインを修理して川から水を引いたという。
その場に居たら、自分だったらどうするか。


また菅直人枝野幸男など政府関係者は日本が外国に占領される恐れを実際に感じていたそうだ。このまま事故がエスカレートすればアメリカ軍が事故に直接対処するだろうし、放射性物資が北へ拡がればロシア軍が出てくる、それによって日本が占領されることを恐れていたのだそうだ。実際アメリカ軍はトモダチ作戦の指揮官を途中で(核戦争の訓練を受けている)海軍の司令官に交代させている。それは4つの原子炉のメルトスルーという最悪のパターンを想定しており、そうなった場合 東京も含むフクシマ半径250キロ圏内の治安出動も行う予定だったという。
ロシアはともかくアメリカになら、占領されてしまえばよかったのに!(笑)
ちなみに事故当時NRCの日本支援責任者のカストー氏が1Fの吉田所長にまず尋ねたのは『部下は充分寝ているかどうか』だったそうだ。それでなければ長続きしないし、ミスも起きる。それに対する吉田所長の回答は『避難している人に申し訳ないので、睡眠、食事など自分たちの待遇を良くすることはできない』で今度はアメリカ側が驚いたそうだ。今でもアメリカと日本では合理性と言う面ではずいぶん違うと思った。

事故対処の指揮に当たった自衛隊統合幕僚長の話も大変面白かった。彼が、『組織の柔軟性を保つためにはむしろ権限を明確化しておかなければならない』と言っていたのは鋭い指摘だった。著者によると、今回の事故で反省点を洗い出して今後の対策を最も真剣に検討している官庁は自衛隊だという。田母神を見ていたら自衛隊の高級幹部はもしかしたら本当のアホばかりではないかと思っていたが、必ずしもそうではないことが判った(笑)。
                         
結論として、太平洋戦争と同じく原発事故に対して日本は負けるべくして負けた、という。すべて人的な問題だ。ベントの訓練もしたことがないほどの事前準備の欠如(希望的観測しか考えない)、昔の陸海軍のいがみあいのような組織間の連携の悪さ(官邸VS東電本店VS現場、文部省VS経産省)、危機に際しての組織的リーダーシップの欠如菅直人は真剣ではあったが国民にヴィジョンを示すことはできなかった、また東電本店は事故対処より官邸の顔色を伺うことに一生懸命だった)、いざと言うときはすぐ逃げる役人原子力安全保安院)、客観的な事実を直視しない、そして、失敗から学ばない!
                                                 
もちろん政府も役人も東電本店も無能だったし、腐っていたと言い切ることは簡単だろうし、そういう面は確かに多い。だけどこれは他人事ではない。自分だったらどうしたか、これから自分はどうするか、ということを国民一人一人が考えていかなくてはまた同じことが起きるような気がする。新書でさらっと読めるし、記述は偏ってないと思うので、考えさせられるところが多い本でした。

                                                                                                                                             
銀座で映画『それでも夜は明ける』。今年のアカデミー作品賞受賞作品。


                                                                       
舞台は南北戦争直前の1840年代のアメリカ。北部に住む主人公は『自由黒人』としてバイオリン演奏者として妻と子を養っていた。ところがある日 彼は拉致されて南部へ奴隷として売り飛ばされてしまう。今まで自由を謳歌していた人間が突然 奴隷になったらどうなるか。彼の苦難に満ちた日々が始まった。

これも実話がベース、奴隷商人に拉致されて、自由の身から12年間の奴隷生活を送った黒人男性の手記を基にした映画化だそうだ。 監督はスティーヴ・マックイーン、イギリスの人だ。前作『シェイム』はこの作品で極悪非道な農園主を演じたマイケル・ファスベンダーが主役の、セックス中毒者を幻想的に描いた作品だった。2012-03-19 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)今回は正面からアメリカの歴史、恥部を描いた作品だが、ハリウッド的な派手な判り易い演出は控えられている。黒人監督がアカデミー作品賞を取ったのはこれが始めてだという。
●残酷な農園主(マイケル・ファスベンダー)と主人公

                       
奴隷への拷問の描写がきつくて正視出来ないという評判で多少ビビッていたが、見てみたらそれほどひどくは思わなかった。拷問シーンは迫力満点で『絶対 ホントに殴ってるだろ』としか思えないものだったが、正視することができたのは、当時は理不尽なことが行われていたというストーリーの必然性があるからだ。誰もがそういうだろうが、延々と続く主人公の首吊りは名シーンだった。これも絶対、ホントにやってただろって(笑)。

この映画は奴隷と言う理不尽さを描いているが、告発モノでもなければお涙頂戴ものにもなっていない。冷静に描写を積み重ねているからお話に説得力があるのだ。
まず、人間のキャラクター描写が非常に鋭い。
マイケル・ファスベンダー演じる農園主は極悪非道なんだけど、それだけでない複雑さも見せている。黒人奴隷に恋したり、その反動で拷問するところなど一概に極悪人として切り捨てられないようなキャラクターだ。彼はこの監督の作品全てに出演しているそうだが、今作で見せた残酷だけど気が弱そうな表情はすごく良かった。前作は無表情なセックス中毒患者だったからね。また黒人に同情的な農園主(ベネディクト・カンバーバッチ)や主人公の救いのきっかけになるカナダの大工(ブラッド・ピット)も良心的なようで所詮は限界があるところが、いかにも、という感じで、善悪が割り切れるようなステレオタイプでないのが良い。
●聖書の朗読会を度々開く農園主(ベネディクト・カンバーバッチ)。奴隷には優しいが、その優しさは偽善だった。

●人種差別反対のカナダ人大工。いいとこどりのブラッド・ピット(笑)

                                      
お話の展開は省くところはバンバン省いて、大事なシーン、キーとなる出来事に描写を集中させている。お話としては起伏が少ないので、これは非常に効果的だった。お話が平板なまま、延々とお話が展開されたら見ている側はちょっと辛かったと思う。

この映画で、もっとも感心したのは音楽の使い方だ。黒人たちが酷使されるシーンで、黒人を嘲る白人の歌や領主が黒人たちへ聖書を読み聞かせる音声がバックで流れる描写が何度も出てくる。皮肉が利いているだけでなく非常に効果的だ。そして、この映画でもっとも感動的だったシーンは、主人公が仲間の葬儀に際して『Roll Jordan Roll』という黒人たちの労働歌を口ずさむようになっていくくだりだ。最初は小声で口ずさむだけだった主人公が、次第に声が大きくなり、最後は自由を求めるかのように全力で唄うようになる。主人公はバイオリンで奏でていた白人音楽を捨て、労働歌という黒人のアイデンティティを掴んだという受け止め方もできるだろう。奇しくも監督の前作 『シェイム』でも、もっとも感動的だったのがキャリー・マリガンちゃんがドアップで歌を歌うシーンだった。
●農園主にゆがんだ愛情をぶつけられる奴隷を演じたこの女優さんは助演女優賞を取った。

                                                                          
この映画は表面的には人種差別を声高に非難したりはしない。だがリアルかつ直接的な描写に加えて、鋭い隠喩・暗喩に満ちている。アカデミー授賞式で監督が『人身売買はまだ世界中で続いている』とスピーチしていたが、根底にそういう意識が満ち溢れている作品だ。アメリカにとっては恥部を描いた作品なのにアカデミー賞を取らせるところもすごい。そういうところがアメリカの良い点だ。日本だって、かっては関東大震災での朝鮮人虐殺や太平洋戦争での兵士たちの所業、今だって人身売買もあるのに、日本で日本の恥部を描いた作品がどれだけあるかってことと比べたらえらい違いだ。
生々しい表現で不条理を告発した映画なのに、それでいて押し付けがましくないのは演出の芸術性が高いからだろう。良い意味で知的な映画だと思う。