特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『繁栄からこぼれ落ちたもうひとつのアメリカ』

名護市の市長選で稲嶺氏が勝ちました。ボクはまず、沖縄の人、地元の人がどう思っているかがどうしても知りたかった。今まで基地問題が解決しなかった理由は本土側の責任ではあるけれど、沖縄の人たちも必ずしも全員が基地を否定していなかったということもあるからです。沖縄で自民党の知事や議員が多数存在していることもそうだし、基地の経済的な問題もそうだし、米軍兵士が度重なる不祥事で夜間外出禁止になっても商業者から『それでは困る』という声も挙がってうやむやになっていたこともそうです。今回の問題でも、とにかく危ない普天間を動かすことが大事、という考え方も一理あるし。色んな事情を考えずに本土の人間が簡単に『基地がどうの』なんて言えないと思っていました 。
だが、これではっきりしました。石破が『500億の基金』なんて、沖縄の人をカネで侮辱したことも影響があったのでしょう。もしかしたら無能で無責任だった鳩山が、沖縄の人たちの気持ちを解き放つきっかけを作ったのかもしれません。
沖縄の人の気持ちがはっきりしたのなら、次は本土の人間の番でしょう。東京の皇居もしくは国会脇にオスプレイの基地を作るのはどうでしょう。日本がアメリカの属国であることがはっきりしていいと思うのですが(笑)。

                                         
日本最大の労組、連合は都知事選で舛添を支援するそうです。いわゆる、正体見たり枯れ尾花って奴(笑)。電力労連が原発ゼロに反対しているからだそうです。つまり 自分たちは補助金と総括原価方式で一般人からカネをもっと搾り取りたいということです。所詮 連合は労働貴族の特権階級で、自分たちの既得権益を守ることが優先なんでしょう。『労働』組合と言うけれど、彼らはいかに働かずにカネ儲けするか、いかに一般人から搾り取るか、が関心事項なんです。



さて、お正月に驚くべき本を読みました。
ナオミ・クラインの名著『ショック・ドクトリン』の続編のようだ、という新聞の書評に惹かれて、読んだ本です。書名は『繁栄からこぼれ落ちたもうひとつのアメリ

繁栄からこぼれ落ちたもうひとつのアメリカ―――果てしない貧困と闘う「ふつう」の人たちの30年の記録

繁栄からこぼれ落ちたもうひとつのアメリカ―――果てしない貧困と闘う「ふつう」の人たちの30年の記録

                                                                
ピューリツァー賞作家の著者と友人の写真家が、80年代からリーマン・ショック後の2010年にかけてのアメリカで、多くの人が貧困国並みの飢えと絶望にさらされ続けていることを描いたノンフィクション。著者たちは机の前にただ座って著述したのではなく、実際にホームレスたちのもとへ足を運び、生活を共にし、話を聞き、写真を撮っている。描かれている内容は生々しく、驚くべきことばかり。それにも拘わらず著者たちが世の中を見る目は『ショック・ドクトリン』より遥かに抑制が効いて冷静だ。だが読んでいると著者たちの怒りと痛みが静かに伝わってくる。そして最後にはささやかな希望が残る。そういう本です。

                                         
まず描かれるのは80年代の失業者たちベトナム帰還兵であったり、工場の閉鎖で職を失った人々です。彼らは職を求めて大恐慌時代と同じように貨物列車で各地を転々とする。著者たちは彼らに同行し、貨物列車の無賃乗車の旅に出ます(まるで映画『北国の帝王』!)。


ホームレスたちに同行した著者たちの文字通り命がけの旅の話を読むと、80年代にこんなことがあったのか、と驚くばかりです。零下数十度の夜を何日も過ごす。一般住民や警察からは嫌がらせの暴行を受ける。こんな人々が大勢いた背景には当時結ばれたNAFTA北米自由貿易協定)で各地の工場が閉鎖されたことが背景にあります。
その象徴として、この本ではオハイオ州ヤングスタウンが何度も取り上げられています。かっては全米1の製鉄都市で、親子そろって製鉄所勤めの家族が数多く居ました。だが80年代からの製鉄所の閉鎖で失業者が大量発生しただけでなく、他の産業も衰退し、今や街全体がスラム化・廃墟化しつつあるそうです。著者たちは車で野宿をし、労働者のシェルターを訪れ、彼らの話を聞きます。多くの失業者たちは生活が苦しいだけではないんです。自分たちは社会を支えてきたという誇りが奪われている。そして、自分は大事な家族を守ることができない、という苦しみにさいなまれている
                                                                 
だが不況は80年代だけで終わりませんでした。90年代には工場の撤退だけでなく、工場を失った街自体が荒廃していく怒りをためた人々は右翼化し、暴力も蔓延する。政治家は移民や生活保護を受ける弱者を叩き、人気取りをする。さらにITバブルが崩壊した2000年代になるとブルーカラーだけでなくホワイトカラーにも失業が増え、失業しなくてもワーキングプアとしてまともな生活が営めない例も出てきます。著者たちはテキサスで飢えた子供たちに出会います。生活に困窮する労働者へ無料で食料を配給するフードバンクの食料の供給は80年代の倍以上に増えているそうです。ニューオーリンズのハリケーンでは賃貸住宅に住めなくなった人がホームレス化した。再開発に伴って家賃が急上昇したからだ。彼らは洪水で見捨てられた廃墟に住んでいる。勿論 水も電気もない。そしてリーマンショック。大勢の人が銀行に家を差し押さえられ、ホームレス化する。多くの家を失った家族がテントで暮らしている。カリフォルニアの河原に住むホームレスは『リバーピープル』と呼ばれています。著者によると、今や職を求めて貨物列車で旅をする人は殆どいないアメリカ中 どこへ行っても仕事がないから、旅をする必要がないんです!
                                                                  
この本には何十枚もの写真が収められています。これが先進国の生活かと驚くような光景です。貨物列車で床に寝る男、廃墟に住んでいる家族の追い出される前夜の表情。アパートの家賃が払えずテント暮らしをする家族。河原に住む薄汚れた顔の子どもたち。食料の配給を受けるシングルマザー。杖を突いてハイウェイを歩いて放浪するびっこの男の後姿。差し押さえられた家を競売する男の、こっけいだが文字通り悪魔のような表情。
ボクは今まで人間のこんな顔を見たことがないです。ホームレスたちの額に深く深く刻まれた皺。一切の感情が消えうせたような表情。


だが他人事ではないです。ボクだって失業すれば、こうなるかもしれません。この本で描かれたアメリカの風景は、日本で起こりつつある風景でもあります。
例えばTPPでは、この本で描かれた、最近30周年を迎えたのがニュースで流れていたNAFTA北米自由貿易協定)で起きたのと同じことが起きるでしょうNAFTAGDPは増えたが、国内の競争力がない工場や産業はつぶれ、強い企業はますます強くなった生活保護などのセーフティーネットは保守派の政治家が眼の敵にし、どんどん予算が削減される。残った仕事は低単価のものばかりで、一般の暮らしは厳しくなるばかり。その一方 金融などへの規制緩和で金持ちがますます富を独占するようになる。その結果は国民の多数が貧困層に追いやられる社会です。著者によると、2008年の時点でアメリカ人の3割、9160万人は国が定める貧困レベル(4人家族で年収2万2千ドル)を下回っているとそうです。
日本の内閣府によるTPPの効果試算でも、輸出より輸入が増えることで消費が増え、GDPが増えるという結論が出ています。それは農家にしろ、工場にしろ、商店にしろ、中小零細規模の企業はどんどん潰れていくことを意味しているんです。
●政府のTPP効果試算。輸出が増えるより、輸入が増えることでGDPが増える、としている。つまり輸入が増える分だけ国内産業が潰れるということ。

再稼働反対!東電解体! 10・11官邸前抗議行動 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)

マスコミや東京電力など規制や補助金でぬくぬくしてた産業や企業、商店街が衰退していくのはある意味 仕方がないと思います。だから国民皆保険が守られるのなら、ボクは必ずしもTPPの全てに反対はしないです。だが、今のようにセーフティーネットや社会の流動性が少ないままの日本でいきなり弱肉強食のメカニズムだけで世の中を回したら大変なことになります。政府が言っている様にTPPで新しい雇用は増えるかもしれません。だが、そのほとんどは低賃金です。09年から10年までにアメリカで創出された雇用の8割が年収31000ドル以下の低賃金のものだったそうです。社会に与えるダメージは小泉改革の比ではないでしょう。いや非正規雇用が全体の4割近くなった日本は既にそうなっているのかもしれません。http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS1203R_S3A710C1EA1000/
そして日本でもホームレスの姿は覆い隠されて見えないだけなのかもしれません。
●日本、見えないホームレスhttp://www.nhk.or.jp/shutoken/net/report/20121001.html


堤未果の『貧困大国アメリカ』など、貧困や格差のことを書いた本はいくつもあります。だが、この本はそれらとは違います。貧困を告発するだけの本ではないし、自分が安全なところに居て不正義を告発するだけの本ではないです。著者たちはホームレスや失業者と同じ地平に立っています。その証拠に、この本の中で描かれる人々はただ貧困に打ちのめされているだけではない
希望を失い、絶望して諦めてしまっている人も居る。死んでしまった者もいるし、死んだように生きている者もいる。だがテント生活から抜け出し、立ち直った人たちもいる。何とか仕事を見つけて再起した鉄鋼工場の労働者もいる。いくつもの仕事を掛け持ちしながら子どもを育てるシングルマザーも居る。自分たちの力で廃墟になった街を復興させようとする若者たちがいる。国は助けてくれない。それでも自分と家族の力で、何とか生き残ろうとしている人たちです。そういう人たちの存在が、著者たちに勇気を与えているんです。

                                                   
著者たちは一時期 貧困問題に関わることが出来なくなったそうです。身を切るような辛い思いをして貧困をルポしても訴えは広がらないし、世の中は変わらないからです。だがふとした出会いから(ネタばれになるので書きません)、著者たちは再びルポに取り組むようになる。ヤングスタウンの廃墟になった製鉄所の煙突を前にして、著者たちが『自分たちはやるべきことをやり続けるしかない』と決意を新たにするところは感動的だ。

この本の前書きは、ロック歌手のブルース・スプリングスティーンが書いています。そんなことは知らずに読み始めた本なのでびっくりしました。彼は80年代に著者たちの本を読んで、ヤングスタウンの失業者のことを描いた曲を書き、直接 失業者たちに話を聞いたそうです。前書きに彼はこう書いています。
この国の過去と現在の物語に欠かせない大切な要は労働者や失業者やホームレスの生活なのだ。(略)私たちはみんな繋がっている。本書はそう私たちに呼びかけ、再び素晴らしい時代に戻れるかもしれないという希望を与えてくれる。本書に登場する人たちが教えてくれるように、前に進む道はそれしかないのだから。

●アルバム『Ghosts Of Tom Joad』(トム・ジョードの亡霊)の中の一曲『ヤングスタウン』で、『ヒトラーもできなかったことを、この製鉄所の俺たちがやったのに』という失業者の発言が引用されています。勿論 トム・ジョードとは大恐慌時代を描いた名作『怒りの葡萄』の主人公。



著者は本の最初でこう言っています。
今 私たちは傷つき打ちのめされて、途方に暮れている。けれども私たちはこの試練から立ち直る。新しい何かが始まっていて、私たちはその動きの先頭に立っている。時間がかかるかもしれないが、必ず立ち直るだろう。私がそう信じているのは、この国の人たちのまなざしをこの目で見てきたからだ。

そして最後に、こう締めくくっています。
みんなに伝えたい。この国はホームレスの国になってはいけないと。あのころ1930年代 同じような思いやりの欠如と絶望に私たちは打ち勝ったではないか。また同じことが出来るはずだ。家を失い、テントの中で竜巻の恐怖に震えたなどと言う記憶を抱えて育つ少女が居るのは間違っている。働く人たちの人生や希望を、今学びなおそう。それは、失うにはあまりにも大きすぎるものなのだから。


この本を紹介するのにこれ以上の言葉はボクには書けないです(笑)。この本はまるで21世紀の『怒りの葡萄のようだ。『繁栄から取り残されたもうひとつのアメリ』はショック・ドクトリンの続編どころではない。何年に1度出会えるかどうかの素晴らしい本でした。