特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

観る者が当事者になる。:映画『セッションズ』

土曜日、新宿の紀伊国屋書店へ行ったら(東京でも5本指に入るような大きな書店です)、新書コーナーにわけのわからない本が何種類も平積みになっていた。韓国が嫌いだとか、中国が嘘つきだとか、そういう本だ。そんな本を読んでいったい何の役に立つんだろうと思うのだが(笑)、その類が平積みのスペース全体の7,8割を占めていただろうか。
社会科学のハードカバーがおいてある棚へ行ったら多少は減ったものの、大東亜戦争は正しかった(笑)とか、そういう本も目に付く。ベストセラーの棚へ行くと『永遠のゼロ』とか言う、9条を守るとか言ってる奴は戦争へ行け、と言ってる百田尚樹という作家(安倍の人脈らしい)の本が映画化の宣伝文句とともに並んでいる。
勿論 これらはマトモな大人が読むような本じゃない、とボクは思うけど、最近はそういうゴミ右寄りエンターテイメント?が数多く出版されているようだ。本屋っていうのは俗悪なTVとは少しは違うと思っていたけれど、どうもそうではないみたいだ。大丈夫なのかよ、この国は???

ちなみにボクがこの日買ったのは、水野和夫先生の新著『成長のない社会で、わたしたちはいかに生きていくべきなのか』、著者が参加した小平市住民投票運動のことを描いた『来るべき民主主義』(國分功一郎)、『ショック・ドクトリン』の続編のようだという書評に惹かれた『繁栄から零れ落ちたもうひとつのアメリ』、『そしてメディアは日本を戦争に導いた』(半藤一利)でした。

成長のない社会で、わたしたちはいかに生きていくべきなのか (一般書)

成長のない社会で、わたしたちはいかに生きていくべきなのか (一般書)

*ついでに。新しいエネルギー基本計画のパブコメ募集中。いつの間にか期限は6日まで延長されたらしい.リンクが変わりました
パブリックコメント:意見募集中案件詳細|電子政府の総合窓口e-Gov イーガブ


                                 
                                                    
新宿で映画『セッションズ
ボクの大好きな女優、ヘレン・ハントさまが出ている作品、それに昨年のアカデミー賞助演女優賞)、ゴールデン・グローブ賞(主演男優賞、助演女優賞)にノミネートされたということで、日本公開を首を長〜くして待ってた作品。

お話は実話がベースだという。
サンフランシスコに住むマーク・オブライエンは6歳でポリオにかかってから、首から下は腕も足も全く動かすことができない。鉄の肺と呼ばれるドックの中から出ることも数時間程度しかできないが、口でくわえた棒でパソコンを打つことで大学も卒業し、今は詩人兼ジャーナリストとして活動していた。ストレッチャーの上から動くことができない彼だが、自分でヘルパーを雇い、自由な一人暮らしまでできるようになる。
持ち前のユーモアと明るさで社会で活躍する彼だが、38歳になった今でも誰かを愛したり愛されたりする体験だけはすることができなかった。美しいヘルパーに恋をしたのをきっかけに彼は心身ともに女性を愛してみたいと願うようになる。相談相手の牧師にも背中を押され、彼は新聞の取材で知り合った障害者向けのセックス・セラピスト(sexual surrogate)(ヘレン・ハント)のセッションを受けてみることにしたのだがーーーー

主人公の実在の詩人マーク・オブライエンを演じたのは『ウィンター・ボーン』で孤立無援のジェニファー・ローレンスちゃんを手助けするナイス・ガイを演じたジョン・ホークス傷ついている余裕なんかない:映画『ウィンター・ボーン』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)。身体は動かないが、口は良く動く主人公のキャラクターを軽妙かつユーモラスに演じている。
                       
●映画の中では主人公は常にこの態勢

                                                              
映画は実際のマーク・オブライエンが電動ストレッチャーで大学に通う様子を描いた記録フィルムから始まる。見る側はいきなり度肝を抜かれるが、それは序の口という感じだ。棒を咥えて著述したり、体がかゆくても掻くことすらできない様子や介護される様子、特に裸にされて体を拭かれるシーンを見ているうちに彼の生活がいかに我々の普段の生活と異なるか、思い知らされる。だがユーモア溢れるこの映画は彼を無力な人間としては描かない。雇主としてそりがあわないヘルパーを辞めさせるなど、主人公は一人の意志がある人間として描写されている。まず、ここが良い。ちなみに監督・脚本は自分もポリオを患い、生涯松葉杖生活を強いられているベン・リューインという人。

●神父役のウイリアム・H・メイシー。いい味出してた。

                                           
お話は、熱心なカソリックである主人公が度々アドヴァイスを求める神父との会話を元に語られていく。神父というフィルターを通すことで障害者の性というあまり語られることが少ないテーマに対して、観客の疑問や心理的抵抗を少なくしている。ユーモア溢れる主人公のキャラクターも神父との会話を通じてよく表現されているし。また 要所要所で実在のマーク・オブライエンの詩が非常に効果的に使われていて、それも主人公の心情をよく表している。ここで引用された繊細な言葉の数々で、詩がBGMの替わりになるんだなあと初めて知った。
●ヘルパーとセラピストと一緒に、てんやわんやでモーテルヘ向かう主人公(笑)。

医学的見地によるセックス・セラピスト(sexual surrogate)と言う職業があるのにはさすがに驚いた。だからセッションを受ける前 主人公も悩んだし、始まってからも精神的、肉体的葛藤も長かった。そして、よくあることだろうが葛藤に立ち向かううち、主人公は次第にセラピストに心を惹かれていく。また彼女も彼の真情に触れて心が揺らいでいく。だがセラピストは特定の患者と個人的関係を持つことを防ぐため、一人の患者に対して6回までしかセッションを行ってはいけないという決まりがある。二人はどういう選択をするのだろうか。

このセラピスト役を演じたヘレン・ハントという女優さんが、ボクは大好き。愛してるかも(笑)。映画『恋愛小説家』でアカデミー賞を取ったこの人は特に美人でもないし、華がある感じでもない、この女優さんを形容する言葉として『しなやかな笑顔』と言われることがある。この映画はアカデミー賞女優が文字通り体を張って女優魂を炸裂?させた作品だが、確かにこの人が演じると決して押しつけがましくならない。だが、しなやかな余韻が長く残る。そこがいいんだ。
終盤 彼女がカソリックを棄教してユダヤ教に入信する印象的なシーンがある。全裸になって洗礼を受ける彼女の姿は、介護を受ける際 毎日 他人に裸を晒さなければならない主人公の姿とも共通しているように見える。介護を受ける側とされる側の違いって、いったいなんだろうか。
●麗しのヘレン・ハントさま。御年50歳。

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最終的に主人公は本当に素晴らしいものを手にすることになる。文字通り人生の宝物だ。淡々とした葬儀のシーンがボクには驚くべき大逆転劇のように思えた。その時のヘレン・ハントの素晴らしい表情と言ったら!

映画館の客席には車椅子の障害者の人もいた。彼はどういう気持ちでこの映画を見ていたんだろう。ボクは当事者の気持ちがわかるなんていうつもりはない。だけど、ボクもこの映画の当事者になってしまった。この主人公でも出来たんだから自分でも何か出来る、と勇気をもらったからだ。

                               
                                                
セッションズ』は障害者のことだけを描いた映画ではない。寛容さとユーモア、そしてちょっとの勇気があれば、人間は驚くほどのものを手にすることが出来る。たとえ身体を動かすことができなくても、だ。そういう人間の可能性を描いた普遍的な映画だ。
ユーモア溢れるこの映画は新鮮な驚き、瑞々しい喜び、そして不屈の闘志に彩られている。ほんの少しだけ、ボク自身の可能性をも拡げてくれた気がする。この作品を見ることができて本当に良かった。こんな素晴らしい映画がどうして日本ではR指定なんだよ!大丈夫なのかよ、この国は???