特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『エネルギー基本計画』のパブコメ&『核のゴミ捨て場』、それに映画『ウォールフラワー』

まず、資源エネルギー庁新しいエネルギー基本計画のパブコメを募集中いつもどおり、こそこそっと募集して期限は短め(笑)。今回の期限は1月4日まで。
http://www.enecho.meti.go.jp/info/committee/sougoubukai/ikenbosyu.htm
でも、なあんだ〜。お正月があるじゃないか(笑)。少しだけ時間を費やして、ボクははっきり意志を示そうと思います。
あと明日の金曜は仕事で官邸前抗議はお休みします。くっそ〜。楽しみにして頂いている方はごめんなさい。



傲慢が服を着てシークレットシューズをはいた猪瀬直樹(笑)なんかさっさと都知事から放逐したほうが良いけれど、代わりが、そのまんま東、とか言うんだったら冗談にも程があるだろう。他にも舛添とかの話もあるが、都知事は売れないタレントやエセ文化人のゴミ捨て場じゃないんだぞ。前回の選挙で宇都宮氏が当選していれば何の問題もなかったんだ。来るべき選挙では、どうか東京都民が世界に笑われるような投票をしませんように。


さて12月3日の日経朝刊2面真相深層』という記事には結構 重要なことが書いてあった。
表題は『米、原発活用で助け舟、日本と安全対策の統一基準』というもので、その内容はアメリカは核燃料の再処理を日本に押し付けている、というものだった。
記事では前段部でアメリカが日本に原発の事故リスクを評価する統一基準の連携を持ちかけたと書いており、後段ではその理由に触れている。
日本は1988年に発効した米国との協定で六ヶ所村などでの核燃料サイクル施設であれば、米国の事前の同意がなくても再処理が認められている。米国では79年のスリーマイル島原発事故の後、新設計画が足踏みした。今は核燃料の再処理を原則止め、日本が肩代わりする形で事実上技術を共有している。日本が原発を放棄すれば米国も核燃料の再処理など核を扱う重要な技術を失いかねない東芝とウエスチングハウス(WE)、日立とGEと言う日米の企業連合も危機に晒される。
                                                                                                           
かねがねアメリカが日本の原発についてごちゃごちゃ言うのが不思議でならなかった。日本に貯まっているプルトニウム核兵器転用の問題なら、カネをだしてイギリスなど外国にプルトニウムを引き取ってもらうことも可能だからだ(現にイギリスはドイツのプルトニウムを引き取っている)。またWEやGEの問題はアメリカにとっては大きな問題ではないはずだ。WEは既にアメリカ企業ではなくイギリスに売却され、さらに転売されて今は東芝が約9割を持っている日本企業だし、GEだって社長自ら『原発はもうダメポ』と言っているからだ。またアメリカは軍事用の原子炉会社はしっかり自国内に、それも複数抱えている。

だが、この記事のように、アメリカが核燃料再処理を日本に『肩代わり』させるつもりなら日本の脱原発アメリカがガタガタ言ってくるのは理解できる。
このことを日本人はわかっているのだろうか。
アメリカは日本に核燃料の再処理を肩代わりさせようとしているのだ。このまま行ったら、それこそ下北半島が日本とアメリカの核ゴミ捨て場になるだろう。マスコミは殆ど報じないけど、核燃サイクルの真実はここにあるのではないか。
                                                                                                              
日本の将来が、秘密保護法が目指す明るい北朝鮮』になるか、米原子力協定に規定された核のゴミ捨て場』になるのか知らないけど、アホな国民が自ら選ぶのなら文字通り自業自得、ではある。マジで日本を逃げ出す用意、準備も検討しておかなくてはいけないかも。う〜ん、どうしよう。
沖縄が日本から独立してくれると、亡命先としてちょうど良いんだけどなあ。




さて12月は、パーティやら忘年会で実にユーウツだ。断る、逃げる、謝る、恫喝、仮病、偽不幸、ありとあらゆる手段で逃げ回っているが、それでも逃げ切れないものがある。そういうパーティや宴会に連行されても、ボクは毎回『壁の花』だ。人間にあまり興味がないボクは、何が嫌いってパーティーや宴会ほど嫌いなことはない。とにかく他人と話す話題がないのだ。ボクが出来る対策としては、とりあえず人があまり居ない端っこでニコニコしているくらいしかない。自分ではニコニコ仮面と呼んでいるが、そういう1時間なり、2時間って辛いぞ〜(笑)。『壁の花』ってとても的確な表現だと思う。
ということで、個人的な思い入れを抱えつつ(笑)、見に行った映画。


渋谷で映画『ウォールフラワーhttp://wallflower.gaga.ne.jp/
1999年にベストセラーになった同名小説を作家自身が映画化した作品。小説のほうは『ライ麦畑で捕まえて』の再来とも言われ、アメリカでは200万部も売れたらしい。

この映画も秀逸な青春映画として一部では盛り上がっているようだ。

幼少期のトラウマが原因で精神病院に入院していた主人公が高校に入学する。成績は良いが人見知りな彼は高校になじむことが出来ず、周りの人間からは仲間はずれ、『壁の花』扱いをされる。だがふとしたことで彼ははぐれ者の兄妹と知り合い、世界が広がっていく- - -


簡単に言うと、スクールカーストからはじき出されていた、内気な主人公が兄妹に手ほどきされてドラッグやサブカルチャーに触れるうち、主人公の心のバリアがほどけていくというお話。確かにちょっと『ライ麦畑』みたいな感じだけど、あちらのほうが孤独の大事さを理解しているし、この作品は主人公(ローガン・ラーマン)より、はぐれ者の兄妹のほうが遥かに魅力的なので、途中からどっちが主人公かわからなくなってくる感じがある。
スクールカースト下層部に住む主人公。文字通り毎日が『壁の花

                                                               
その兄妹のほうは、とても利発だけどゲイであることにコンプレックスを抱えた兄(エズラ・ミラー)の造形は魅力的だったし、妹役のハリーポッターに出てたエマ・ワトソンがなかなか綺麗になっていて、ドラッグクイーンとダンスをするところなんかも見ていて楽しかった。

●主人公(左)とゲイであることを隠して暮らす兄(右)

      
●大人になったエマ・ワトソンちゃん(左)

                                                      
兄妹二人の抱える影の描き方は丁寧だったし、主人公のトラウマのネタばらしの演出も上手だったから映画としては良くできていると思う。使われる音楽も楽しかったし。この映画の登場人物たちのように悩みを抱えたティーンエージャーがデヴィッド・ボウイの『ヒーローズ』なんかを聞いたら、人生が変わってしまうのは理解できる。

●ヒーローズを歌っていた70年代のデヴィッド・ボウイ

ヒーローズ

ヒーローズ

映画の中でエマ・ワトソンちゃんが疾走するクルマから身を乗り出してこの曲を初めて聴くシーン、またラストにもう一度 今度は主人公が『ヒーローズ』を聴くシーン、どちらも悪くないし、確かに高揚感を感じさせる。この曲をこの映画で初めて聴いた観客は感動するだろう。ボクも似たような体験はしたことがある。確かに音楽には人生を変える力がある

ただ、かってあった表現、例えば映画『クリスチアーネF』のように冷戦期のベルリンでジャンキーの少女が『ヒーローズ』に救いを求めるのと、この映画のように高校生が普通にコカインパーティーを開くようになったアメリカ(笑)でプレッピーの少年少女が自分探し(笑)をしながら昔の名曲にめぐり合うのとは重みが違う。

40年近く前、この歌で、ベルリンの壁を越えようとする恋人たちの運命に仮託して『絶望的な孤独』と『人生に対する恐怖の解答(たった1日だけなら自分になれる)』と歌っていたボウイは、今やセレブとしてルイ・ヴィトンの宣伝に出ているのだ(笑)。それが悪いというわけではないが、時代が変わってしまったことだけは確かだ。
●ゴージャス・ジジイな今のボウイ@ルイ・ヴィトン。御年66歳

                                                                                                    


2013年の今、そういう現実に対する強度をどうやって持っていくか。それは思想的なものでも暴力的なものでも良いけれど、現代の表現として何か必要だと思う。
自分ではまだ現役(笑)と思っているオジサンのボクとしては、この映画はそういう意味で物足りなさはあった。でも、この映画で『ヒーローズ』を始めて聴く人、特に若い人だったら感動するかもしれないし、人生が変わってしまうかもしれない。健全な青春ものとしては良い映画かも。
ただ主人公と異なり、ボクはこの映画を見ても相変わらず壁の花のままだ、青春映画どころか、人生の折り返し点は過ぎてしまった、この期に及んでも(笑)。