特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

欝と言う名のソナタ:映画『それでも、愛している』

9月から東京電力が値上げだそうで、実にむかつく話だ。奴らの専用病院とか年金基金の利回りとかの話を聞けば聞くほど経営努力なんかしてない、ふざけた企業で、そのツケは全て他人回しだもんなあ。原発がなければ経済が立ち行かない、とか言ってる奴は、原発があった時から他国に比べてバカ高い電気代のことはどう考えているのだろうか。
原発推進の意見で唯一まともそうに聞こえる理由は『原発を動かさなければ燃料費が3兆円上がる』だと思う(事実かどうかは別)。だが、電力会社の独占を排して経営を効率化させれば、それくらいは直ぐ出てくる。各電力会社の販管費を全て足してみると大体12〜13兆円。経営を効率化してそれを2割下げれば、3兆円はほぼカバーできる。更に1割でも節電効果を足したらばっちりだ。普通の民間会社だったら経営が厳しくなったら2割くらいのコストカットは当たり前、甘すぎるくらいだ。問題の本質は奴らのボッタクリなんだよ。

ちなみにアメリカで最も多くの原発を運営している電力会社大手、エクセロン社が『原発の新設は今も将来も経済性にあわない』として、計画していた原発の新設を中止したそうだ。シェールガス価格の低下と安全対策強化による建設コストの上昇が理由だという。米電力大手、原発新設計画を撤回 ガス価格下落で :日本経済新聞
フクシマの原子炉を開発した、世界最大の企業GEも同様の経営判断をしている。それが普通だって(笑)。地域独占と官との癒着による電力会社のボッタクリ、それが日本のエネルギー問題の本質だよ。
あ〜あ、節電しよ(笑)。
                                                                                            
銀座で映画『それでも、愛している野外料理簡単レシピ超入門の人気おすすめデザートのキャンプイベントフェス

親の後を継いで玩具会社の社長になった男。家族4人で幸せに暮らしていた彼は鬱病になって引きこもりになってしまう。ある日 ビーバーのぬいぐるみを拾った彼はそのぬいぐるみを腕にはめることで、他人と話ができるようになる。ようやく社会復帰できた彼だが、今度はヌイグルミを片時も離せなくなってしまう。
そんなお話。主演メル・ギブソン、監督ジョディ・フォスター。原題は文字通り『The Beaver
                                            
今や『欝』という病気は日本でもアメリカでも、身近なものになってしまっている。ちょっと前にブルース・スプリングスティーンだって鬱病だったことを告白したのがニュースで流れていたくらいだ。B・スプリングスティーン、うつ病の過去を告白 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News 以前ボクも管理職を押し付けられたとき うんざりして軽い鬱病になった体験があるので他人事ではない、と思いながら、映画を見ていた。そのときはごく軽かったので自分で交流分析の本読んだりして1年くらいで治ったが、夜 寝付けないのは本当に参った。眠れないことが度重なると自分の中で恐怖が膨らんでいく。その恐怖は今でも残っている。重度の人だったら本当に大変だろう。

だから主人公が縫いぐるみに夢中になるのは本当に良くわかる。無理して嫌な奴と話しているより、かわいい縫いぐるみと話しているほうがよっぽどいいもん。
●子どもにはぬいぐるみはバカ受け(笑)

この映画では出演陣がとにかく、丁寧に丁寧にそれぞれの役を演じている。 俳優さんの演技の見本市みたいな感じだ。
メル・ギブソンもかってのアクションスターぶりはどこへやら、気弱でしみったれた中年役がぴったりだった。深く皺が刻まれ、しょぼついた眼の姿で、自暴自棄になって何度も自殺を試みたり、自傷を続ける姿は説得力があった。実際に暴言などで業界から干された(らしい)メル・ギブソンのカムバック作として監督のジョディ・フォスターが彼を起用したらしい。そのジョディ・フォスターはいつものとおり知的で良心的で頑固、という役柄だ。こんな隙のないイヤミな奥さんだったらボクだって鬱病になるかも(笑)。
●でも奥さんには全然受けない。眉間のしわに注目(笑)。

●挙句の果てに、こうなってくるとやばい(笑)


繊細な子供たちもすごくよかったけど、なかでも長男の恋人役のジェニファー・ローレンスウィンターズ・ボーン)が本当によかった。目立つような美人ではないんだけど、この映画の中でも存在感を発揮している。長男と同じように重い悩みを抱えながら日常に少しずつ風穴を開けていく少女は、欝で崩壊寸前の家族とは対照的に描かれている。

縫いぐるみの力を借りてまで、かっての自分から抜け出たい男と、以前の姿に戻って欲しい女と、お互いは徹底的にかみ合わない。どっちが悪いんでもないだけに、お互いが苦悩する姿は悲しい。主人公の一家は一見思いやりに溢れた良い家族を装っているが、実際は誰もが孤独なのだ。例えて言うと、それぞれが別の曲の演奏をしているような感じ。欝は問題が表面化するきっかけに過ぎない。その葛藤は最後に暴発する。
●存在感のあるジェニファー・ローレンス(左)

                                    
救いのない葛藤から抜け出すきっかけとなるジェニファー・ローレンスの風変わりだが強い意思をもった役柄はまさにはまり役で、この映画で一番感動的なのはそこだった。
この鬱陶しい夫婦じゃなく、いっそのことジェニファー・ローレンスの映画にしてしまったら(笑)、もっとよかった気もする。風変わりだけど現代的な題材を抑制を効かせながら丁寧に表現した、ピアノソナタのような小品だった。